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『咎の果てに愛あればこそ』
LUCKla3613

 ミスターグリーン。
 LUCK(la3613)をそう呼んだ奇異なるエルゴマンサーがいた。
 言わずもがな過去形だ。今はもういない。LUCKを始めとするライセンサーチームにより、討ち果たされたから。
 最後の一撃を打ち込んだその瞬間。エルゴマンサーの命というべきなにものかが損なわれる手応えと共に、彼の手へ流れ込んできたもうひとつの手応えがあった。
 なんだこれは!?
 エルゴマンサーが持つはずのない肉を裂き、臓腑を刺し貫く手応え。刃を通して昇りくる跳ねた鼓動、弱まりゆく鼓動、消え果てる、鼓動。
 この手応えが人よりもたらされたものではないことを、なぜかLUCKは確信していた。しかし、人ならぬ存在のものであるとも思い切れなくて。むしろ人に近しい、いや、もしかすれば寸前には人で。
 愛していた、愛されていた、愛していたからこそ、愛が消え失せてしまわぬうちに、愛をもって――
『ア シテ  スヨ、ザ………』


「こんなとこで会うとか奇遇ですねーって、言っとくとこですか」
 雑踏のただ中に膝を折りかけたLUCKを危うく受け止め、支えたのは、映画鑑賞仕様の依代へ宿ったエルゴマンサー、イシュキミリ(lz0104)だった。
「今日、メンテの日だったんじゃないです? 調整狂いました?」
 LUCKの端正な面よりずり落ちかけたツーポイントフレームを押し上げてやるイシュキミリ。
「いや、この不具合は機械的なものじゃない。俺の……おそらくは失われていた記憶のフラッシュバックのせいだ」
 荒い息を交えて吐かれた彼の言葉に、彼女はまるで驚かなくて。
 だからこそ彼は確信した。
 俺は本当に、記憶の断片を取り戻したんだな。
「とにかくしっかり息吸って吐いて、自分の足で歩いてくださいよ。うちが抱えて歩いたら目立っちゃいますしね」

 なんとか馴染みの喫茶店まで辿り着いたLUCKは革張りのソファに身を沈め、閉ざした目蓋を親指の腹で揉んだ。
 じわりとかかる圧に眼前の闇が歪み、同時に歪んでいたあの感覚が鮮やかな像を結ぶ。この記憶の断片は、初めから歪んだものであったということだ。
 と、鼻先を嗅ぎ慣れたベリーの煙香がかすめ、知らぬうちに思考の暗がりへ沈み込んでいこうとしていた彼をこの世界へ引き戻した。
「なにか話してたほうがいいですよ。自分と向き合ってるばっかりだと、捕まっちゃいますから」
 捕まる? いや、確かにそうだ。今、彼は見知らぬ過去の彼に捕らわれ、引きずり込まれようとしていた。
「ああ。……それにしてもだ。憶えのない過去に苛まれるのは夜襲に遭うことに等しい。どこから襲われたものかも知れず、焦る内に危機のどん底へ蹴り落とされてしまう」
「ヘタな例えですねー」
 鼻を鳴らしてチャーチワーデンを吹かすイシュキミリ。いつも通りの彼女であってくれることが、これほどまでにありがたいと思えるのはどうしたことか。
 わかりきった話だな。LUCKという名の俺のよすががおまえであればこそだ。
 こちらもいつも通りなベロニカで舌を温もらせれば、凍えていた心へわずかに熱が灯り、彼を起動させる。
 かくて彼はところどころ詰まりながらも、彼に姓を名乗らせるきっかけを与えたエルゴマンサーを自らの手で討ち果たしたこと、その際に幻(み)えた映像なき手応えがあったこと、それが今も彼を苛んでいることを語り終えた。
「偶然ではないんだろう。それこそ縁を結んだ相手を殺したからこそ、俺は欠片とはいえ記憶を取り戻したんだろうからな。だが」
 握り締めた右手の内でアクチュエーターが瞬時に出力を上げ、拳に過負荷をもたらした。戦闘用に調整された義体だ。リミッターをオフにすれば自分で自分を壊すことも容易いわけで。それが救いに思えてしまうのは、自分で思う以上に心弱い人間だからか。鋼の戦士を気取っていながら情けない限りだ。
 自嘲を込めて手を開き、LUCKは言葉を継ぐ。ここまで晒しているのだから、とことん晒してしまおう。自分のたまらない弱さを。
「それがかつて深い情を交わした誰かを殺した記憶なら……だからこそ俺は忘れ果てることを選んだなら、今思い出すことは俺にとってどのような意味があるのか。その疑問が俺をさらに記憶の手応えに縛りつけ、繰り返し思い出させるんだろうな」
 静かに聞いていたイシュキミリがここで問いを差し込んだ。
「ラクさんの疑問とかはちょっと置いといて、ほかに思いだしたこととか、感じてることはあります?」
 この促し、試験なのではないか?
 彼女はLUCKの喪われた過去を知っているのだろう。だからこそ、計っているのかもしれない。この後になにを告げるべきか、告げぬべきかを。
「俺はまだ、若かったようだ」
 イシュキミリは視線でさらなる先を促した。まだありますよね?
「鼓動が消える瞬間、殺した相手になにかを言われた気がする。あれはなんだった? 呪詛、とは思えない。ああ、そうだ」
 途切れ途切れに思い出されるその声音は、相変わらず意味を成すまでには至らなかったが、それでもなぜかやわらかな情に満ちていたように思えて。
『ザ………』、あれはもしかすれば、おそらくはきっと、いや絶対に。
「俺は名を呼ばれたんだ。LUCKではない、別の名を」
 記憶と縁は存外に似ている。糸のごとくになにかを結び、連ねていくという点において。
 思い出せぬ名の向こうに埋もれていた記憶がずるりと手繰り寄せられ、ぼやけた姿を見せる。
 ああ、そうだ。
「俺は、俺を愛してくれた両親を、この手で殺した。俺もまた愛していたからだ。心臓を刺し貫いたそのときにも」
 なぜ、そうしたものかは知れない。
 しかし、事実が消えることもない。
 なぜ俺は忘れていた? なぜ俺は生きている?

 ――咎は贖われなければならない。
 ならば俺は俺を、断罪して――

「はい、そこまで」
 声音に強く引かれ、LUCKは今一度我を取り戻す。
 なにひとつ変わらぬ様子で座すイシュキミリはまたも紫煙を吐き、言葉を重ねた。
「昔ってのはそこへ置いてくるしかないものなんです。たった今だって1秒後には1秒昔になってくんですから」
 そして彼女はLUCKの右手へ左手の先を触れさせて薄笑み、
「だから先に向かって行くしかないんですよ。その間、うちが祈るのは末永く息災に、末永く幸いに、それだけです」
 紡がれる言葉に黄金が閃いたのは気のせいだろうか。
 いや、気のせいじゃない。この冷たき黄金は、その実なによりあたたかく、情け深いのだから。
 ただそれだけの確信が、LUCKに前を向かせる。
 おまえこそは標の標だ。
 おまえが在ってくれればこそ、俺は俺に突きつけられる。
「その末へ向かうためにもすべてを思い出し、かつての俺を苛む過去と真っ向から向き合いたい。しかしだ」
 LUCKはまっすぐイシュキミリを見据え、
「おまえがそうすべきではないと判断するなら、この記憶を封じてくれ」
 イシュキミリはかぶりを振った。
「しませんよ。思い出さないほうがいいかなーとは思いますけど」
 やはりLUCKの記憶を封じる力を持っているのだ。その上でLUCKの意思を妨げないと言う。
「まあ、過去のおまえがどんな女だったかはぜひ思い出したいところだ」
 本意を剥き出し、LUCKは笑んだ。
 思い出すまでもないがな。変わるはずがないだろう、おまえが縁を結んだ誰かの幸いを祈らずにいられない、希なる人の敵であることは。


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2020年11月25日

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