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『Nighthawks』
桃李la3954


 桃李(la3954)は揺らぎのあるレトロガラス越しにぼんやりと燈篭の灯りを眺めていた。
 早々に依頼を終えたものの、人の声よりも潮騒の方が響くこの地から何故か離れがたくなって、とある文豪が別荘代わりにもしたという由緒正しい古宿の引き戸を開けたのは半日前の事。
 突然の来客にも関わらず、女将は笑顔であれこれと世話を焼いてくれた。料理も簡単な物でいいと伝えたのに旬の山菜と魚、地元和牛の焼肉としっかり一人前用意され、何より勧められた日本酒が料理と良く合う逸品だったため、帰る時には一本買って帰ろうと心に誓ったほどだ。
 貸し切り状態の源泉掛け流しの露天風呂にじっくりと浸かって、夜の紅葉を堪能する。空を見上げてそこに星が無い事に、それを残念だと共有してくれる人がいないことが――と、そこで小さく自嘲って湯から出た。
 いつか見た、古く退屈だった日本映画のセットの様な造りは、明治だか大正だかに立てられた建物を丁寧に何度も修繕しながら現代まで残してきたとパンフレットにあった。なるほど、確かに立派な原木の柱や梁は現代建築では見かけない太さを誇り、階段はやや急ながらも良く磨かれた一枚板で出来ていた。
 実際に体験した記憶はないはずが、どこかノスタルジーを感じさせるこの古宿で、桃李は畳に敷かれた布団に一度は潜り込んだものの中々寝付けず、寝付けないのならば起きておこうと諦めて、揺れる灯籠の灯りを眺め続けた。
 ふと、時計を見れば午前5時。
 晩秋の東北は既に山側では雪がちらついているが、太平洋側のこの町は寒いと行っても突き刺さるような冷気にはまだ遠い。
 桃李は宿貸出の浴衣の上に自前の着物を引っかけた状態で静かに部屋を出た。
 誰もいない木の廊下を音も立てずに歩き、フロントへ向かう。
 フロントのある大広間には大きな囲炉裏が備え付けてあった。冬になればそこで火を起こし、来客に甘酒を振る舞うのだと聞いた時、飲んでもいないのにその美味さに舌先が疼いたのを思い出し、小さく笑んだ。
 当然フロントに人影は無いが、外出したくなったら自由に出て良いとは言われていた。
 こう見えて玄関はオートロックになっているため、帰ってきたらインターフォンを鳴らせば良いのだという。
 鍵を開け、静かに古めかしい引き戸を開け、そろりと閉めた。
 カシャン、と鍵かかかる音がして、桃李は目を瞬かせて感心した。

 飛び石風に置かれた石張りの上を歩く。
 宿から拝借してきた底の薄い草履で石の感触を楽しみながら舗装された道へと出ると、海岸に出る道へと足を向けた。
 月の無い夜明け前の道を行く。
 外灯は数えるほどしか無く、足元は殆ど見えない。
 懐中電灯を灯すことも考えたが、何となく止めて、夜目に任せて歩き始める。
 夜の匂いは潮風と混じり合い、桃李の全身を包み、鼻腔の奥で感性を呼び覚ます。
 寝静まった民家。風に揺れる草木と虫の音。遠くから響く海鳴りと鶏の鬨の声。
 風に踊る髪を左手で押さえ、掻き上げて桃李は闇に落ちないよう慎重に歩みを進める。
 蹴るつもりの無かった小石が、勢いよく前方に転がり、草陰に消えた。
 恐らく日中なら5分とかからない道だろうが、とろりとした夜の気配に囚われた結果、倍近い時間をかけてようやく最後の角を曲がり、海へと続く道へと出た。
 そこは真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに海へと続く下り坂。
 肩に引っかけただけだった着物が海風に煽られて飛びそうになった為、両袖を通して正面から風を受ける。
 その時、闇色の空と水平線の境にオレンジ色の線が走った。

「……日の出か」

 呟いた声は自分の声とは思えない程弱々しく、桃李は思わず喉に指を這わせた。
 東雲から徐々に白む空は、夜を浸食していく。
 見上げ、そしてよく知る紫紺の色が見えた。

「――……、」

 名を、口にした。
 頭上には自分と同じ瑠璃色の空が広がり、 雲の切れ間から星が煌めく。
 手を伸ばそうとしたその時、突風が吹きつけ、思わず顔を背け目を閉じた。
 風が止んで顔を上げ、見上げて振り返っても、すでに同じ色は失われていた。
 桃李は固く両眼を瞑ると、花が綻ぶように深く笑んだ。
 そして、夜を背に朝を目指して再び歩き始めた。

 リアス式海岸の続くこの辺りの海からは荒々しい海鳴りが続いている。
 海へ近付くにつれ、漁港へと向かうのだろう軽トラックの姿を見かけることが増えた。
 海沿いの国道を渡り、防波堤に腰掛ける。
 その頃にはもう夜は反対側へと押しやられ、小さな太陽がチラリと海面から顔を出し始めていた。
 海面から自分へ向かって一直線に光の帯が走る。
 途端に風の温度が変わった。
 ウミネコが鳴き、トンビが空を舞う。
 そこから太陽が水平線から離れるまでは早かった。
 太陽が昇ってしまえば朝の喧噪は当たり前の様にやってきていた。

「……お腹が空いたな」

 しばらく波の音と風を楽しんでいた桃李は腹の虫に従って宿へと戻った。

 「それはサンロードずーんだよ」と太陽から伸びる光の帯について聞いたところ、女将にそう教えられた。
 それとは別に、太陽が登る頃に雲が多いと雲の隙間から光の帯が振り注ぐ様に見えることもあるらしく、それは「エンジェルラダー」とか「天使の梯子」とか呼んだりするらしい。
 「天使の梯子」は山間部でも見られるが、サンロードは海や湖など水面でしか見られないため、「良い物見だね」と女将に微笑まれた桃李は「そうですね」と微笑み返した。

 女将や料理長だという大将に見送られながら宿を後にした桃李は、太陽の眩しさに手をかざした。
 晩秋とは思えないほど陽が昇ると温かいが、空は高く、雲はひつじ雲がぷかぷかと浮いている様は秋模様だ。


 ――このまま朝が来なかったら。

 眠れないままふわふわとした思考でそう思った。
 空には星もなくて、空っぽの自分の中は夜と闇に浸食されそうだった。

 ――それもいいか。

 その思いを海風と朝日が吹き飛ばした。
 刻々と色を変える空に、ほんの一瞬でも紫紺と瑠璃が重なった時、雲の切れ目から煌めく星が見えたあの時に。

 ――帰ろう。

 誰が待つわけでも無いけれど。
 少なくとも、自分が会いたいと思う人たちは、ここにはいない。

「いい日本酒も手に入ったしねぇ」

 来た時より重くなった荷物を引っ提げて。
 桃李は晴れやかな心持ちで、新幹線の改札口を入って行ったのだった。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【la3954/桃李/夜を背に、朝陽に微笑みを】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度はご依頼いただき、ありがとうございます。葉槻です。

 タイトルは『夜更かしする人』という意味があるそうで、ちょっとダウナーな桃李さんを描かせて頂きました。
 依頼では出来ない描写を中心に書かせて頂きましたが、お気に召して頂けたなら幸いです。

 口調、内容等気になる点がございましたら遠慮無くリテイクをお申し付け下さい。

 またどこかでお逢いできる日を楽しみにしております。
 この度は素敵なご縁を有り難うございました。


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グロリアスドライヴ
2020年11月30日

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