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『手が届く距離の日常を愛して』
珠興 若葉la3805)&珠興 凪la3804

 その結果、痛い目を見るのは自分だとか考える余裕もなかった。考えるより先に身体は動いていたし自分が今取っている行動をはっきり自覚しても悔いは絶対になかったと断言出来る。もし仮に一つ反省点を挙げるなら、それに意識を割いてシールドに向ける想像力を疎かにし、抑えられた筈の痛手を負った事だ。子供の時分から二十二歳の今までライセンサーとして現在も活躍中の両親の背中を見てずっと育ったが自分がその立場になると、思い通りにいかないのが現実で自身の未熟さにもどかしい感情で一杯になった。咄嗟の行動によって怪我をして冷静に事を受け止め目覚めてからあの後どうなったか確認し、そして漸く婚約者の、いや先日に入籍をした最愛の人の顔がふと脳裏によぎるまでもなく目の前の存在として、視界に映る。決して自らした行動にしろ後悔していない。けれどもし自分が彼の立場ならばと想像もする。ごめん、と咄嗟に出た言葉の返事は戻ってこないまま身体を抱き締める彼のその僅かな震えに心臓が締め付けられ、が不意に怪我している事を思い出したのか腕の力が緩んだのを抱き返し引き留めた。病室はそれっきり静まり底冷えするような寒さが押し寄せてくる。伴侶になる前の珠興 凪(la3804)が車椅子生活を送った事が記憶に新しい冬の日。それは皆月 若葉(la3805)が任務中、避難しなかった一般人を助けようとした末に重傷を負った日の翌日でもあった。

 ライセンサーは子供達にとって憧れの的でもある。それはさながらフィクションに登場するヒーローと同列の存在であるが如くだ。人々の生活を脅かすナイトメアを切り捨て、いっそ寿命も超越したかのような、脅威なまでの無敵超人に。そんな誰しも心当たりがある妄想も若葉はもとより欠片も抱かずいた。何故なら両親がライセンサーで勿論具体的な任務内容は知らないものの軽傷であれば負う姿を幾度となく目にしてきたから。一番に身近な存在であればこそ現実を知っているので理想に溺れたりはしない。ただ憧れはやまず覚醒したらライセンサーになる以外の選択肢を考えられなかった。そうして学業と将来的には凪と一緒に喫茶店を経営する為の勉強もしつつ身の回りの人々を守ろうと少しずつ強くなるのを目指している。勿論だが偶然に出会ったきり二度と関わる事もないであろう誰かを見捨てるなんて考えられない。人にはお人好しと言われるが、単純に無視が出来ない性分なのだ。それは当然凪も分かっていて、しかし、静かな怒りが冷めやらぬ理由も解ると若葉は口を噤む以外なくて。
「……ほら。ご飯と一緒に薬も持ってきたから、忘れず飲んでね」
「うん。凪、ありがとう」
 そうお礼の言葉を口にすれば凪はどういたしましてと返す。そうしてベッドの真横にあるテーブルの上へと運んできた食事を置き、他に何か必要なものがないか尋ねた後若葉が首を横に振ると溜まった家事をする為部屋を出ていった。扉が閉まると張り詰めた雰囲気が風船に針を刺したように急激に萎む。思わず溜め息が零れそんな自分に嫌気が差した。
(だって凪はなんにも悪くないし。でもさ俺自身も悪い事はしてないんだよね。だから、機嫌を直してもらいたくて謝るのも何か違うって思って、ずるずるとここまできたんだけど……)
 怪我をしたあの日から十日が経って既に自宅療養に移っている現在。二人の間には未だ微妙な空気が漂っている。原因は勿論だが自身の怪我だ。あの日ふっと意識を失う瞬間の絶望し切った彼の表情と、目が覚めた直後の色々な感情が綯交ぜになった様子の両方共が脳裏によぎった。凪自身きっと悪と言い切る事が無理だからこそその感情を飲み込んでしまったのだろう。自身もまた目覚めた直後にごめんと口にはしたが自分でも何について謝ったのか判然としないままだった。今からでも謝罪すれば変わるかもしれない。だが心情的整理はつかずにぎこちなさが残る状況が尚続いている。これじゃあ幸せが逃げると思いつつも、また一つ分若葉は溜め息を零した。
「……今にして思えば凪と喧嘩するなんて初めてかもね。これを喧嘩って言っていいのか分からないけど」
 自分達は波長が合うからこそ強く惹かれ合うのか、それとも親しくなるにつれて性格が寄ったのか。元々人間関係に波風を立てない性格も関係しているかもしれない。友の一人から晴れて恋人になったときも実家から離れて同棲をし始めたときもこれまで知らなかった一面を知り失望するような心境に至る事なく、悪いなと思えば素直に謝るし、理由が分かれば水に流す性質上これまで喧嘩らしい喧嘩なんてした事なかった。キャスター付きのテーブルを寄せ、上の食事に手を合わせる。まだ湯気が上がっているそれは病院食を脱しはしたが身動きが取り辛い分、身体への負担を抑えるように心から配慮し作られている。なのに素直に喜べない己が腹立たしい。
「……寂しいな」
 一口食べて咀嚼しほっと息をついたところで、ふと零れたのはそんな一言だった。大学生と調理学校生、別々の学校で勉学に励んでいる二人は帰宅時間などの細かい生活リズムが異なる事もあるが、それは家にいないからという話であって同じ家内にいて食事を共にしないのは初めての事だった。病気ではないし共に食べるのもと思ったが、空気が重くなる事請け合いだろう。
 ――正直なところ、最初は判らなかった。いつも通り穏やかで優しく接する彼に対して覚えた、ほんの僅かな違和感の正体に。暫しの時間が過ぎて思い至ったのは凪の性格だ。感情が昂ったときこそ冷静に。だから怒っているのではなく強い感情を引き摺っているというのが正しい。一方若葉は自身のした行動に後悔はなくそれ故にどうすればこの心情が届くのか悩んでいる。掛け違えたボタンを外せないまま、今まできてしまって。時間が解決する、と思いもするが、不安は尽きない。友人知人が見舞いに来てくれたときなら無理矢理でも笑えるのに凪と一緒の際はもう何日も笑っていない気がする。気が付けば味を堪能する事なく無心に口へと運び続けた箸は静止して、強く奥歯を噛み締めると嫌な音が響く。
「若葉」
 いつの間に扉を開けたのだろう。不意に名を呼ぶ声が聞こえて、若葉は箸を置きそちらを見た。聞き間違える筈がない声の主は当然ながら凪である。呆然と見上げれば彼は何故か狼狽して、視線を泳がせるのが見えた。

 ◆◇◆

 何と言おうか考えて纏めたつもりなのに、若葉の瞳が潤んでいて顔を上げた瞬間、一雫溢れるのが見えた途端に消えてなくなった。扉の前で立ち止まったまま言葉を失って固まる。今後悔が音を立てて忍び寄った。自身もライセンサーとして苦しんでいる人がいるのなら手助けしたいと思うし、全員無傷で済むのがいいが簡単にいかないと身を以て理解してもいる。ただ若葉の場合は美談の一言で片付ける話だとは思えず表に出る日が訪れない事実を受け感情が渦を巻く。その傷付いた彼に向き合えなかった数日前の自分が、後悔に名前を変えてずっと燻っていた。
「心配を掛けてごめんね、凪」
 若葉の唇からはそんな言葉が零れて、思考停止をしていた脳が再び回り出す。弾かれたように床を強く踏み出すと凪はベッドの上に腰を下ろしている伴侶の元に駆け寄る。片頬を伝う涙滴を拭う事なくこちらを見る若葉を凪は強く抱き締めた。吐き出す息と一緒に涙が溢れそうになるも唇を噛んでやり過ごす。
「僕こそごめん。怒ってるわけじゃないよ。心配とかかけちゃうのは僕も同じだし、それに、若葉の気持ちもよく解るから。でも……何だろ」
「うん、大丈夫。ちゃんと解るよ」
 背中に回された手が子をあやすように背中を摩る。優しい声音にふと現実に引き戻されて、苦しいのではないかと思い至り腕を緩める。そしてそのまま縋ったように触れていた身体を離し若葉の頬を伝う滴を拭えばそこで漸く己が涙を流している事に気が付いたらしい彼が「あれ?」と声を漏らした。心なしか気恥ずかしげな微笑になるのを見つめ、改めて彼が何かしら後遺症を背負ってライセンサー業を引退せざるを得なかったり最悪の場合には命を落とす事にならずに済んで本当に良かったと心から思う。ベッドの淵に腰掛けると若葉の顔を覗き込んだ。
 そもそも、若葉が何故一般人を庇い重傷を負ったのか。それは、地元警察の避難誘導が疎かだったわけでも不運にも取り残された人がいたわけでもなく、危険である事を承知した上で危険区域に故意に侵入してきたマスコミ関係者が案の定というかナイトメアの襲撃に遭ったからだ。若葉と一緒に同じ任務に参加していて、最悪自分自身が犠牲になってもいいとも思っている凪がそれに対応出来なかったのは粗方が片付いていて、幾らか気持ちが緩んだせいでもあった。最愛の人を失う可能性と、現状へと至らせた自分への不甲斐なさ、ただ逃げ遅れたならともかく、自ら侵入してきた連中への憤りと、若葉に自分をより大事にしてほしい気持ち、しかしそう言う資格が自分自身にないという自覚――なまじ、注意されただけで闇中に葬られた為捌け口が見つからずに肚の中に溜まり、混沌と化していたのだが、漸く解放されていくのが解る。強いて一文で言い表すならば、人の事や目の前の事態に首を突っ込んでは、損な役目を進んで引き受ける、若葉の気質が何か報われてほしかった。
「若葉が無事で本当良かった」
 結局のところ零れたのはそんなありきたりな言葉だけ。けれど若葉には充分伝わる気もしたし、伝わらなくてもいいと思える。
「うん、俺も良かったよ。この前結婚したばかりなのに、夢を叶えられなくなったら格好悪いもんね」
「もしそうなったとしても……ううん、僕が絶対そうさせないし、僕自身の事も犠牲になんかしない。家族や友達、あの子達の為にも……それに、タマさんだって悲しむかもしれないからね」
 頭に様々な人達の顔が思い浮かんで、最後に顔を出す度二人して可愛がっている野良猫の名を挙げるも、予想に反して若葉は何故だか少し複雑そうな表情になる。ただ単に微笑ましいと笑ってくれると思ったが。暫し時計の音が鳴り響き自分から声を掛けるか凪が悩み始めた頃、自らを指差しながら彼は唇を尖らせこう言った。
「ねえ、俺は……? 一番かどうかは、凪の親御さんも居るから判らないけど、俺も凄い悲しむ……って、こんな事考えたくないんだけどさ」
 それこそ自分より他人を優先するある種、大人らしい性格の若葉が今ばかりは不貞腐れた幼児のようにも見えて、笑っている場合ではないがつい吹き出してしまった。案の定訳が判らないと物語る顔でこちらを見返す若葉に、むしろ凪自身は機嫌を良くして答える。
「何言ってるの、当然若葉は家族に含まれてるでしょ?」
「あ……!」
 その一言に漸く思い至ったようで若葉は目を丸くして、視線は自身の手元へと落ちた。療養の為に暫くは学生としてもライセンサーとしても休憩をしている最中。それ故普段はペンダントにして肌身離さず着ける指輪は本来の通りに使われている。つまり、若葉の左手の薬指に今嵌まっている状態だ。前まで一つだったそれは現在は二つに変わっていて、婚約及び結婚の証になっている。本人同士の心情的に付き合う事になった時点で既に結婚は視野に入っていたが勿論戸籍の姓が変わる影響は大きい。
「……うん、そうだよね」
 自分に再認識させるように呟き、若葉は小さく家族という単語を舌の上で転がした。結婚後初の報酬が払われた際書面上は戸籍通りに、皆月若葉ではなく珠興若葉と記載しなければならずに、手癖で書き損じた後嬉しそうに報告してきた彼の様子を思い出した。多分大学を卒業して公に名乗るようになった際も暫くは間違えるかなとかすんなり名乗れるまでが楽しみだな、なんて思った覚えがあった。それぞれ学校を卒業して生活や在り方が変わっていく。その日が楽しみで心躍る。
「ふふ。新婚さんらしく、あーんでもしようか」
「えっ! ……俺怪我人だし、してもらおうかなぁ……」
 動揺は一瞬で消え去り、期待に満ちた眼差しを注がれれば、凪に応えない選択肢はない。さっと箸を掴み、何か良さげなおかずを見繕う。二人きりのときなら何歳でもいちゃつく自信があるが。現在新婚である事を楽しむのもいい。ぎこちなさが付きまとっていた数日間を置き去りに、新婚の二人は笑顔で自宅での一時を過ごすのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
折角なので、モブを出してのラブラブ話を……とも
思ったんですがいちゃいちゃではなくて、ちょっと
変化球をと考えた結果、完全なるIFにはなりますが
若葉くんがもしも任務で怪我をしたらという感じの
話にしてみました。お人好し故に損することも多い
若葉くんだとか怒っているわけでは全くないけれど
理不尽さにもやもやとしてかえって冷静な凪くんと
普段はあまり描けない一面を描けて楽しかったです!
それと無事に入籍されたとのことなのでその辺りに
触れたい思いもかなりありました。ゲームとしては
終わりが近付いていても未来が楽しみで素敵ですね。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年11月30日

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