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『Ensemble 〜弾〜』
日暮 さくらla2809)&化野 鳥太郎la0108

「じゃ、最初はなに奏(や)るとか言わないで、かるーく音合わせてみようか」
 実に軽く声音を紡ぎ、化野 鳥太郎(la0108)はモノクロームの鍵盤へ指を置いた。
 わずかに沈む指先――いいね。
 質の悪い鍵盤はたったそれだけで気安くハンマーを押し上げてしまったり、逆に頑として指を跳ね返したりするものだが、これはまさにベストコンディション。
 お安い練習スタジオのピアノだからと侮っていたが、肌に感じる温湿度もピアノに合わせて調整されているようだし、これならば真剣に向き合える。
 前のめりは柄じゃねえんだがな。嫌いってわけでもねえし、チラっとだけご披露しとこうか。

 空気が変わりましたね。
 ふと目を上げ、グランドピアノ越しに鳥太郎の様を見る日暮 さくら(la2809)。
 気配に聡いのは剣士の性だが、考えてみればこれもまたひとつの闘いではあろう。刃ならぬ音を交わす、共闘。
 思いつつ、彼女は丹念に弓を張る。弦とは異なり、ヴァイオリンの弓は事前に張っておくことができないし、温湿度の影響を非常に強く強く受けるのだ。ピアノ用に調整された空気は弓にとってベストなものではありえない。そして、それよりもだ。
 さくらは苛立つ気持ちを息に乗せて吹き抜き、ヴァイオリンを高く構えて「いつでもどうぞ」。


 鳥太郎の独白にもあったが、ここは都内の某音楽練習スタジオだ。オーナーが元々SALFの職員だったそうで、グランドピアノの用意を含めてあれこれ融通を利かせてくれる約束をしてくれた。
 だからふたりはありがたく、練習場として遣わせてもらうことにしたのだ。先の機会――エオニア王国で催された夏祝祭のステージで演奏したアンサンブルを、今度はクリスマスのミニコンサートで披露するための練習に。
 ちなみに夏祝祭のことはオーナーも知っていた。だからこその融通ではあるのだが……
 だからって、外で聞いてなくてもいいのにな。
 鳥太郎は防音扉のガラスを翳らせたオーナーの気配に苦笑い、とっくに気づいていればこそ緊張するさくらへその笑みを傾げてみせた。
 招待もしてねえ辛口ゲストに盗み聴かれてる状況だけどな。本番じゃもっとたくさんの誰かの前で奏(や)るんだし、そもそも初めてでもねえんだから。この機会に勘取り戻してくれよ日暮さん。
 そうして鍵盤に置いた指をやわらかく押し込み、差し出すように鳴らした音は、ド。次いでレミファソラシド――基本の8音が刻まれて、鳥太郎の指が一度止まった。
 お誘いありがとうございます。日暮 さくら、推して参ります。
 さくらが弓を押し出した。
 弓は刃に通じる。どちらも押し引きによって事を成すものだから。存分に振るって音を押す、あるいは引く。それこそがメロディを為すのだ。
 長音をひとつ奏でただけで演奏へ集中したさくらに、鳥太郎は胸中で拍手を贈った。
 剣士ってのはおもしろいもんだ。斬るみてえに弾いて、あんな綺麗な音出すんだからよ。でも……こうなりゃ引き出したくなるよな。ていねいとか綺麗なだけじゃねえ、日暮さんの音ってやつ。

 かくてジャムセッションは終わり、鳥太郎は鍵盤をなぜて場の空気をなだめつつ、さくらへ言葉を投げた。
「日暮さんの音はおもしろいね。斬れ味がよくて、人柄通りに誠実だ」
「鳥太郎の音は捉えどころなく自由で、でもやさしくて。この短い時間の中で幾度も助けてもらいました。同じくらい悪戯も仕掛けられましたけど」
「見透かされてんなー。ほら、かわいい女の子には意地悪したくなるもんだよ、おじさんってさ」
 苦笑した鳥太郎はあらためて鍵盤へ触れ、いくつかの音を弾く。クセはわかった。これなら自前のピアノと同じくらいに使いこなせる。
「じゃ、ここからが本番だ。明るくて、聞いたら元気になれるクリスマスの曲、作りながら合わせてこう」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
 対してさくらは引き締めた声音で応えた。
 曲作りに関しては門外であることもあり、要望を述べる程度のことしかできない彼女である。せめてしっかり音を聴き、ヴァイオリニストとしての意見を出していかなければ――
「まず最初にさ、さっきの笑顔が見たいかな」
 唐突な鳥太郎のセリフに、さくらが眉根を跳ね上げる。意味がわからない。いったい鳥太郎はなにを?
 鳥太郎はにいーっと口角を上げてみせ、そして。
「明るくて元気な曲だぜ? 奏る側の俺らだって笑顔でなくちゃね」
 なるほど。得心したさくらは指先で口角を押し上げて放し、
「精いっぱい努めましょう」
 固さはまだまだありながらも綺麗な笑みを見せた。


 さて。そこから曲作りが始まったわけなのだが、
「はい、笑顔死んでるよ日暮さん! 真剣にスマイルスマイルー!」
「鳥太郎、笑顔が引き攣っています! いえその前にサングラスは外してください!」
「んー、その笑顔、これからあなたを斬りますって顔だなあ。そもそもかわいいんだし、全力でやさしく明るく色っぽくね!」
「笑い声を出すのはいいですが、ひひひはいけませんよ! 指遣いほどにやわらかく、善き心を掻き立てて!」
 なにやら曲作りよりも運動部の練習さながらになってしまったのはなぜだろうか。
 それでも相当に速いペースで作業は進む。それこそ1日でざっくりとは仕上げられるほどにだ。ただし。

「昨日のやつなんだけどさ、あれじゃ盛り上がんねえよな。ってことでこんな感じでアレンジしてみたんだけど」
「アレンジ!? 元の曲の原型がありませんが!?」
「よく見てよ。最初と最後の音いっしょだろ? 大丈夫大丈夫。ジャムってけばすぐわかるからさ」
「ジャムセッションなどしたらまた曲が崩れるではありませんか!」

「日暮さーん、昨日ジャムったとこから拡げてみたよ。このフロウでみんな跳ばしちまうぜー」
「ヒップホップが入ってきていますね!?」
「音楽の合い言葉はフリーダムだからな」
「楽譜はフリーダムではありませんから……」

 などといろいろあって。
 ようやく鳥太郎曰く「一応は形んなったかな」まで仕上がった。
「こんな感じだけど、弾きにくいとことかある?」
 ピアノパートとヴァイオリンパートを連続で弾いてみせ、鳥太郎がさくらに問うたが。
「弾きにくいところだらけです。そもそも鳥太郎が本気を出したなら、私に追いつける術はありません」
 さくらのヴァイオリンのレベルが低いわけではない。鳥太郎のピアノのレベルが高すぎるだけで。この10日ほどの時間でさくらはアマチュアとプロフェッショナルの差を思い知らされていた。
 だがしかし。だからこそ強く笑んで。
「ですのでカバーとフォローはお願いしますね」
 鳥太郎は口の端を上げ、サムズアップを送る。
 音楽は自由だ。そして上手下手よりも「楽しい」ものでなければならない。人は言葉を覚えるより先に音を得、親しんできたのだから。
 鳥太郎は確信した。強ばらずに助けてくださいと微笑んださくらとふたりなら、最高に楽しめる。
「ぶちかましてやろうぜ、日暮さん。明るくて楽しくてうきうきしてスキップしたくなるアンサンブル!」
「はい!」
 小節を合わせたふたりは、かくてクリスマスへと臨む。


『はいどうも。ユニット名とか考えてなかったんで適当に言っとくけど、化野日暮か日暮化野ですーって、どっちがいい?』
 ステージ上、クリスマスらしい純白のグランドピアノに向かう鳥太郎が、こちらは赤ニスで仕上げられたヴァイオリンを携えるさくらへ問う。
『悪人顔と人斬り風のコンビですし、“TUZIGIRI”はいかがです?』
 ステージ下で拍手が沸いた。それを鳥太郎は両手で制して。
『日暮さんのコメントは台本通りなんで、素だと思わないどいてくれよ。ま、ユニット名は思いついたらってことで』
 鳥太郎が鍵盤へ指を置く。
 さくらがヴァイオリンを構える。
 鳥太郎の指が沈み、さくらの弓が跳ね、“ド”が重なった。
 続くはもちろん、レミファソラシド。
 それは最初の練習で鳥太郎がさくらの緊張を解すために弾いた基本の8音だ。この音を知らぬ者はなく、だからこそ場にいる誰もが引き込まれた。こんなにかろやかで強く、にぎやかなドレミファソラシドなど聞いたことがなくて。
 よーし、引っぱり込んだ――場の視線が殺到したことを肌で感じながら、鳥太郎は指先を鍵盤に弾ませた。
 長く、短く、自在に繰(く)られる軽妙なリズム。
 ピアノはハンマーで弦を叩く、言ってみれば打楽器だ。響きによる音の流れを切ってやればベースにもドラムにもなれる“幅”を備えている。
 そうして刻んだ音のただ中より、鳥太郎はさくらへ語りかけるのだ、日暮さん、不真面目な俺と思いっきり楽しく踊ろうぜ。
 一方のさくらは、表情にこそ出していないが思いきり動揺している。
 これは確かにクリスマスのための曲ではあったが、即興のアレンジが激しい上に本来メインフレーズを奏でるはずのピアノがリズム隊として先導しているため、さくらが曲の形を保つよりなく。それに加えてだ。
 鳥太郎のリズムは相当に意地が悪い。お入りなさいと誘っているようでいて、簡単に入ることのできない複雑さを見せつけてもいて。
 でも。これもまたひとつの濁り。ならば!
 ついていこういう焦りを放り棄て、さくらは一気に音を斬り込ませた。
 彼女の剣は、限りなく清ませた一閃をもって敵を断つ清の剣。一条の音が鳥太郎のリズムを断ち、メロディの内へ巻き取っていく。音を正確に弾き出すことがさくらの得意ではあるが、鳥太郎の音を生かしたいならその濁流へ乗り、さらに導かねば。
 力不足は承知の上です! でも、だからといって立ち止まり、足踏みしたりはしませんよ。そうでなければ、だって――楽しめないでしょう?
 自然とこぼれたさくらの笑みに、鳥太郎もまた笑みを返す。やわらかく響いて綺麗で最高の音だけどな。笑顔はまだまだ固いぜ、日暮さん?
 鳥太郎が指をさらに加速させた。鍵盤に弾(はず)み、鍵盤を弾(はじ)き、鍵盤を弾(ひ)く。すべてが同じ字でありながら、なにひとつ同じ有り様ではなくて。
 そして奏でられた音のひとつひとつはさくらの音へ対抗することなく、底支えしてさらに浮き彫り、縁取り、際立たせ。でたらめなセッションを曲として組み上げていくのだ。
 いつの間にか自分が巻き取られ、乗せられたことを感じながら、さくらも笑みを深めた。たとえどれほど私がでたらめな音を奏でても、あなたは意味を与えてしまうのでしょう。それが心地よくて、悔しい。
 だから。
 さくらが弓で弦を叩き、滑らせ、刻む刻む刻む。そうやってリズム隊を務めると見せて、弓毛の先から根元までを遣ってメロディを引き、弾(ひ)いて……彼女の手が音の表情を変えていく。あるときは激しく、あるときはやさしく、あるときは厳かに。
 生真面目も誠実もしまい込んで、楽しく遊ばせてもらいましたよ。あとのカバーとフォローはお願いしますね?
 さくらにそれはもう素敵な笑顔を向けられて、鳥太郎は今度こそ苦笑するよりなかった。
 なんだよ、即興は苦手なんじゃなかったか? っていうか楽譜無視で丸投げって酷くねえ?
 もっとも先にしかけたのは自分だし、ここで逃げ出すつもりもない。いやいや、こんなおもしろい勝負から、誰が逃げるものか。
 こっから本気出すんで、しっかり適当に楽しくついてこいよ。

 果たして、ド。
 鳥太郎に置かれた音は、ただ美しかった。そこから流れ出した音は奔流でありながら清流、大河でもあって。
 それこそ柄じゃないが、これが俺の素直な気持ちさ。みんなに届いてるか? 今日は最高の日だっていう満足感と、最高の夜が来る期待感がさ。
 さくらは鳥太郎の音へ思いの丈を込めて自らの音を添わせた。きっとこれではまだ、あなたの音には足りないのでしょうけれど……せめて私のたまらない楽しみと喜びを、みなさんへ示します。
 アップテンポではありえないのに、聴いている者たちが次々立ち上がり、足を踏み鳴らして手を打った。誰もがもうたまらない気分だったのだ。うれしくて楽しくて、わくわくしてたまらない!
 鳥太郎とさくらはアイコンタクトすら交わすことなく、最後の一節を弾(ひ)き上げ、強く弾(はじ)き出して、高く弾(はず)ませた。
 ふたりとも、アンサンブルの終わりを惜しみはしない。観客に深く頭を垂れ、思うばかりだ。
 最高に、楽しかった。


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2020年12月02日

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