▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『昨日の君はどんな顔をしてた?』
霜月 愁la0034

 コンコンとノックする音が響き、どうぞと返せばドアノブが回った音がする。椅子の向きを変え扉を注視していたところ、意外にも現れたのは患者一人だけだった為、密かに驚く。身寄りがなく独り暮らしだと聞いていたので市の職員が付き添いに来ていた筈だし、そうでなくとも、うちのスタッフがいるのだろうと思っていたのもあった。そのスタッフはといえば、患者の後ろにいて俺と目が合うと気まずげに視線を外し、そして患者を促そうとするも、やはり一人でに足を踏み出したのを見て呆気に取られていた。もう行っていいと手振りで伝えれば彼女は小さく会釈を返し、丁寧に扉を閉めて出ていくのを目の端に捉える。俺の方は既に曲がりなりにも精神科医である仕事柄、患者の姿に気を向けていた。そうこうしている間にも俺の前で彼は立ち止まり、どうぞと椅子を指し示して漸くゆっくりと腰を下ろす。
 ひと目見たときに抱いた印象はまるで少女のようだ、というものであった。書類には霜月 愁(la0034)と名前が記載されてあったし、また序でに言えば性別も男と書かれてあったと憶えている。だが誤認したのは肩に届く程に伸びた髪のせいだろう。もしこれが短く切り揃えられていたならすんなり男だと分かった筈。十代も半ばなら性差が出ている場合が殆どだが彼に限っては例外でどうとも取れる中性的な顔だ。珍しいとはいえそれが精神面に悪影響を及ぼしているわけでもない為、流して彼の瞳を見返す。
 見返す――そう、患者と目が合うことそのものが非常に珍しい。この情報社会に迎合出来ない人間は往々にして、人間嫌いでもある。――しかし本来なら無邪気に輝ける年頃の少年の瞳は暗かった。生きているのに生きていないとでもいうのが的確か。脈拍は確かにあり呼吸もしているが、自主性がない。機械がプログラム通り動くのに近いのだ。そういった意味で確かに彼は患者と呼ぶに相応しく、そうなった原因も俺は市の職員を経由して把握している。様々な要因によって心に怪我を負った人間を何十と見てきた俺でも眉を顰める程に凄惨だが時折ある事件。――この歳でそんな目に遭ったのだから生きているだけでも僥倖か。痩せた身体は死の匂いを漂わせてはいるが。少年は俺を見返したままに喋る行為を忘れたようにも黙って、動きを待っているようだ。毎回初診の患者を相手にするときに必ずする質疑応答がある――尤も順調に進められるかどうかは別だが。慣れた自己紹介をし、電子カルテを一瞥し解り切った質問を少年へと投げかければ彼の唇は微かに動いて、女性とも取れる声音が平坦な調子で己の名前を紡ぐのが聞こえた。

 ライセンサーになりますとそう告げられた言葉に俺は己の耳を疑わざるを得なかった。今までカルテに書き綴ってきた不精な小学生の日記帳のような文面を目で追い続けていたのが止まり、顔を上げて年齢的には少年から青年へ変わりつつある患者の目を見返せば書く内容に違いが出来る程度に変化を感じて少し瞠目する。俺が一言も返答出来ずいる最中に最初面会した際と比べて幾らか健康になった、それでも細身といっても差し支えない腕が何かカードをテーブルに滑らせたので、そちらに視線を向けた。正直なところ、あまりに馴染みがない為にぱっと見では何なのかも判らず戸惑う。そこに貼られた写真の無表情は幾度となく見たものである。性別を知りながら誤認した程中性的な容姿は思春期を脱している筈の年齢だが当時と殆ど変わっていない。ナイトメアに親を殺された事件以降、時間も止まったように。仮登録のライセンスというものらしいと字を目で追って理解すると俺は改めて患者の顔を見返す。かれこれ数年前の初めて診察した当時と同じ珍しくも真っ直ぐこちらを見つめる眼差し。しかし違う点もあってそれは青年の瞳に心があることだ。
 ライセンサーになる。それは確かに彼が自ら選び決めたことなのだろうと感じる。ただ俺には捨て鉢になるというとまた違うが、自らを蔑ろにしているかのような――そんな印象を受けた。それは積極的に死ににいくつもりではないが、自分がもしも事故や事件に巻き込まれ死んでしまってもいいと、そんな風に思っている人間の目――とでもいえばいいのだろうか。
 俺の仕事は精神科医であり患者を個人的に贔屓するなど言語道断だ。俺の手から離れた後でどうにかなったとしても知ったことじゃない。と思わなければ割り切れない程には、現実は一人の人間の手にはあまる。そろそろお役御免の気配を感じつつ俺は後頭部をガリガリ掻き毟った。仕方がない、零れた言葉は誰に言い聞かせてのものなのか。吐き出した息を飲み込みもう一度彼を見返す。そうして彼にかけた言葉に今までで一番分かり易い変化がふと見られた。どうも俺は薄情な医者と思われていたらしいと今更に気付き意外か、と返すと青年は小さく頭を振って否定をする。なるほど反対されると思ったらしい。
 人として無責任なことを言えば自分で命を絶つより、生きている意味を見出せない人生を送るより、危険でも本人が納得出来る生き方をする方がよっぽどいい。軽く押した背中に罪悪感を覚えながらも俺は一個人としてある言葉をかけながら手を差し出した。頷き一拍空け華奢な青年が握り返す。温かい、生きている人の手だ。患者ではなくなる日が近いだろうことを思い見返した顔に浮かぶのは喜びを感じる微笑みだった。

 あれからどれだけの年月が過ぎ去ったのだろう。勿論カルテを確認すれば初診がいつ頃か、そして、最後がどれくらい過去のことなのかはっきりと分かる。なのにそうしないのは、単純に忙殺されているからでもあるし、変に意識している気がしてどうも引けるからでもあった。但し忙しいとはいっても近頃は戦いが快進撃を続ける関係上、民間人の被害は前と比べ明らかに減少して、五年十年と時間を掛けて治療をする精神科医としては失格かもしれないが治せるのかも判らない患者の担当が主である。
 先の大規模作戦による死者の一覧に彼の名前が載っていないことに俺は思わず安堵の息を漏らした。便りがないのは良い便りとはよくいったものでライセンサーになると口にした日から暫くの間は通院をし、更に一、二年は病院宛てに元気にやっているといった内容のメッセージが届いていたが現在ではそれもなくなって、しかしあの青年は精力的な活動を続けているが為にメディアでも度々、映像かもしくは写真の形で目にする機会が多かった。俺の知るライセンサーが彼以外にいないから目を惹くというのもあるのかもしれないが。実際に前よりも報道を見る頻度が増えた感は否めない。
 いつ頃からか、戦場に立つ彼の目は変わり、見ようによってはドライにも思える眼差しには確かな光が灯る。それは明かりのない夜の空に高く浮かんだ月に似た静謐でいて失われることもない常に迷子の道標となる光だ。見る人間に左右される容姿は変わらないが妙に頼もしいのが不思議だった。戦争の終幕が引かれ彼が遂に、ライセンサーとしての役割を果たしたとき――それが青年の本当の人生の再出発の瞬間なのだろうと思う。そこに俺が関わることは有り得ないがこの先も悪い知らせが病院に届かないことを心底祈っている。
 君が生きたいと思えるならそれでいいと、いつかも思った気がする願いを胸中に秘めて。俺は今日もまた精神に傷を負った患者の為に粉骨砕身働くのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
折角の機会ですし、おまかせでしか出来ないことを、
と思い考えてみたところ以前精神科医絡みのお話を
書かせていただいたので今回精神科医視点の過去と
現在に至るまでの愁さんの変化について書きました。
字数の都合上前と重複する部分は一連のやり取りも
省略している為に読み難かったら申し訳ない限りです。
連絡が途絶えたのは単純に愁さんが友人の影響で未来の
ことを考えられるようになったので自然と忘れた的な
ポジティブな意味合いのつもりですね。医者のほうも
愁さんが大学に行くようになって、見る機会も消えて
ぼんやり忘れていく、そんな距離感で。
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年12月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.