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『わたしと俺と私』
不知火 楓la2790

「なんてことだ」
 不知火藤忠は稽古用の薙刀を取り落とし、一歩二歩三歩、よろめき下がった。
「いや、予感はあった。ただ、先走って決めつけてはだめだ。そう自分に言い聞かせて耐えてきた。しかし、ついに確信した今こそ俺は、包み隠さずすべてを吐露しよう」
 厳かに言い切り、地へ恭しく膝をついて微笑み。
「ああああああ俺の娘は天才だああああああ!!」
 わしゃしゃしゃ、御年三歳の娘……不知火 楓(la2790)の頭をなでる。
「楓がすり減るわ。あとセリフが不必要に小難しいから」
 と、夫の手から娘を引っこ抜いたのは藤忠の妻、すなわち楓の母である凛月。
 かつてはその人となりを「ツンデレ」でくくられていた彼女も、今はすっかり“呼吸”というものを会得し、妻として母としてなかなかにうまく立ち回っている。
「楓は不滅だから大丈夫だ! なあ楓!?」
 こういうとき、楓はなんと言えばいいものかを実に悩む。
 父の愛は重い。普段から甘々なのは言うに及ばず、自分は安い赤樫の薙刀を使っているのに、楓には高い白樫のオーダーメイド品を与えているし、面打ちの型をひとつ演じただけで驚愕の雷に打たれ、不必要な長ゼリフで讃えてもくる。
 それがとにかくうざい。現状ひとり娘なせいで逃げ場ばないのは超辛い。それを横へ置いたとて、彼女はすでにお役目を担う身の上。父にばかりかまってはいられないのだ。


 お役目――不知火次期当主の筆頭候補、すなわち不知火本家の長男で同い年の幼なじみに補佐役候補としてつけられることとなった楓は、母に聞かされたものだ。
『不知火の男はみんなぽんこつよ』
 めずらしく『大切なお話をするからきちんと座って』と言われ、正座してそれを聞いた楓は小首を傾げて問いを返した。
『ちちうえはぽんこつだけど、ほんけのいりむこどのはかっこいいとおもう』
 藤忠の親友でもある「本家の入婿殿」は、なかなかに凄まじいドラマを演じて婿入りを決めた人物らしい。涼しげな美貌と無双の剣技を併せ持ち、男ながらクールビューティーといった風情だが。
『藤忠はぽんこつだけど、あれも相当ぽんこつ』
 剣技は文句なく凄まじいし、クールなのも間違いない。しかし、あの男にできることは剣を振ることと現当主を愛すること、あとはまあ、うまそうに飯を食って酒を飲むくらいのものだ。実生活にて役立つことなどまるでなく――この見解を聞いた現当主は、高いところの物が取れると反論してきたが――自らの剣技を人に伝える才もない。ならば一応は会社経営をしている藤忠のほうが有能だろう。
 いえ、これは妻の欲目ね。どっちもどっちだわ。
『ちなみに楓がお世話するあの子もすでにぽんこつね』
 あ、それはもう言われなくてもわかる。
 すでにチョコレートケーキを嗜み、次の寿司はサビ入りでいただいてみようかと計画してすらいる楓に対し、彼女が『わか(若)』と呼んでいる本家長男は「いちごのしょーとけーきちょーうまい!」とか、「さむらいせんたいにんじゃまん!」とか、まあまあ頭悪いことばかり言ってくる男児だから。
『不知火は女で回していかなきゃいけない家だから、楓も覚悟しないとだめよ。正直なところ、背負わされる前に出て行くのもいいと思うけど……その場合は痕跡を入念に消しながらひとつところへは留まらず』
 不知火は忍の家、出て行くだけでは逃げられないということなのだが、楓としては特に逃げ出すつもりがないので特に気になる部分はなかった。
 母のことが好きだし、たとえどれほどぽんこつでも父だって好きだ。それに本家長男のことだって放ってはおけない。父のように本業をこなしつつ、その片手間に補佐してやらなければと思っている。それこそが弁えた不知火の女の役目というものだから。
『わたしはわたしのしめいをまっとうする。ちちうえのことも、わかのこともちゃんとおせわするから』
 ぷっくりした頬をきゅっと引き締める楓に、凛月はぐう。押し詰まった感慨に喉を鳴らし。
『ああああああ私の娘はなんてよくできた子なのおおおおおお!!』
 わしゃしゃしゃしゃしゃ! 楓をなでるなでるなでる。
 藤忠と凛月、実は似たもの夫婦なんであるがともあれ。
 どうやら自分の人生はぽんこつと共にあるものらしい。なんとなくわかってしまったからこそ、この後楓は楓として仕上がっていくこととなるのだ。「人は誰しもぽんこつを秘めている。もちろん自分もだ」、その事実を噛み締めながら。


「流派を立ち上げることにした」
 楓の希望で取り寄せられた寿司桶を前に、藤忠は重大発表をかましてきた。
 実はこの宣言、2回目だったりする。サビ入に挑戦し、無残にも敗れ去った楓がのけぞり倒れたことで1回目は中断。彼女がようやく甘やかなるオレンジジュースで舌の激痛を癒やし、復活したことで、ようやくやり直す機会を得られたのである。
「流派って、薙刀の?」
 凛月の問いにうなずいた藤忠は、あらためてサビ抜の寿司をいただく楓の様に目を細め、
「やらかしてのけぞった楓、オレンジジュースにすがりついた楓、うまそうに寿司を食う楓……すべての一瞬を焼きつけておけるのがこの網膜以外ないことが恨めしい。いっそこの目を機械化し、延々と録画し続けてエンドレス再生を」
「ものすごく気持ち悪いのは置いておくわ。でも録画し続けてる状況のどこで撮り溜めた映像、再生するわけ?」
 妻のツッコミが場を収め。
 藤忠はあらためて説明を開始した。
「不知火紫藤流薙刀術。さんざん敵と、なにより我が友にやられ続けてきた経験を詰め込んだ、この家の者にだけ伝える薙刀術だ」
 不知火の男はぽんこつだが、代わりに技や業(わざ)へは天賦の才を備えている。つまりはどれほど難があろうと、藤忠の薙刀と陰陽は相当なレベルにあるわけだ。
 しかし、凛月は疑わしげな目を藤忠へ向け、
「いきなり思いついた理由はなに?」
「楓もそろそろ本格的に始めないと、間に合わなくなるからな」
 特に専門的な見識によらずとも、運動能力というものが幼少期にどれほどそれを鍛えたかで決まることを不知火の者は識っている。故に家の者たちは3つの歳ですべてを始めるのだ。適性の別を見るのはその後のことである。
「それにうちは当主補佐が使命だぜ? 万一にも当主が乱心すれば、一族に先んじてそれを止めなきゃならん」
 止めるはすなわち殺す。それを為すには当主が知らず、防ぎようのない技なり業が要る。たとえばそう、入婿殿の教えを誰より色濃く受けることとなるだろう次期当主筆頭候補がそのまま当主となり、乱心した際にはだ。
「それにだ」
 声を潜める藤忠。凛月と楓は思わず前のめりに引き込まれるが。
「俺のかわいいかわいい楓を、どこの馬の骨ともしれん輩の流派になどやらん」
 藤忠は堂々と言い切り、凛月は無言でかぶりを振り、楓は本気でげんなりした。
「……ははうえ、わたし、たんじょうびにおとうとかいもうとがいっぱいほしい」
「気持ちはわかるけど、数が増えただけ藤忠の愛も増すだけだからうざさは変わらないわよ」
 母の的確な意見に藤忠本人もまた大きくうなずいて、いい笑顔で言ってみせる。
「ああ、俺は変わらない。これまでもこれからも、凛月と楓とこれから生まれ来る全員を愛して愛して愛し抜く!」
 実際、この後で少々家族は増え、凛月の意見と藤忠の宣言がその通りであったことが証明されるのだが、それはまた別の話である。


 藤忠は楓に甘い。
 ただ甘いのではない。だだ甘だ。
 しかし、だからこそ厳しくもあった。
 技が拙ければ死ぬ。業が鈍ければやはり死ぬ。大切な娘を殺さぬため、彼は彼女を厳しく指導した。
「薙刀の優位は柄の長さにある。そして石突もまた刃になっているからこそ、長柄を返して繰り出す刃をどれほど遣えるかは重要だ」
 藤忠も凛月も幼児言葉を使わないから、未だ幼女であるところの楓では理解できないことも多いのだが……彼女は都度聞き返し、わからぬことをわからぬままにしておかなかった。彼女が本家の若よりかなり早く成長し、小学校低学年時には相当な策士として仕上がっていた理由の何割かは、ここに要因があるのだろう。もっとも。
「――俺は今、天稟というものを目の当たりにしているのか!? ああ、間違いない。これはもう、脛斬姫と呼ぶべきかいや呼ぶべきだ!」
 父がいちいちうざいことも、反面教師として機能していたのは間違いない。あと脛斬姫は普通に嫌だ。
「剣は右を前にして構えるが、薙刀は右と左のどちらも遣う。ただ、普段は右前にしておくべきだろうな。剣を相手取るには踏み出す足がかち合わないほうが、まずはやりやすい。自分の繰り足を潰されずに済むだろう?」
 まずはやりやすい。ならば次の段階では、左前に構える意義が語られるのだろう。
 そこまで察し、楓は藤忠の続く言葉を待つ。
 先読みは諸刃だ。読んだ答得意げに振りかざせば、相手はそれ以上を語ってくれなくなり、言葉に込められた真意を隠してしまう。そうなれば楓は、形ばかりを見取ったつもりで誤りを犯し、その代償を支払わされることとなる。
 それを説明によらず、実地で教えてくれたのもまた藤忠である。一歩間違えば死ぬような失敗を娘に演じさせ、あわやのところで救い上げた。
 刻んでおけ。刃だろうが言の葉だろうがそれ以外のなにかだろうが、誰かの繰(く)ったもの、その軌道なり意図なりを読み違えれば、おまえは容易く殺される。
 自分を殺すものは他者の悪意よりも己が慢心。その教えはその後の楓を慎重に振る舞わせたし、一歩引いて全域を俯瞰するクレバーさを与えてもくれたが、そのせいでただひとりと心に定めた男へまるで歩み寄れなくもなったわけなので、総合すれば1勝1敗といったところか……と、未来の話はまたの機会にしよう。
 少なくとも藤忠という師は、技術を言葉に乗せて伝授する能力という一点において、頂の剣士たる本家の入婿殿を大きく凌いでいた。そして明晰な頭脳を持つ楓との相性は最高であったのだ。
「ちちうえのなぎなたはぽんこつじゃなかった」
「見本を見せることを惜しまず、言葉で伝えることに努め、弟子の小さな成果も見逃さない。それがよき師だからな。……先代当主や我が友はまあ、酷かった」
 藤忠は藤忠で、よき反面教師を得ていたらしい。
「でもちちうえ、いりむこどのにかてないんだよね」
「はうっ! あいつはあれだ。俺と違って剣才だけの男なんだよ。いや、心からいい奴だし顔も綺麗で……まずい、勝てるところがない。いや、ある。俺には凛月がいてくれるんだからな!」
 ついに勝てる要素を自分以外に求めた父のいじましさ、楓は仕掛けたのが自分である事実は丸っと棚に上げ、見ないふりを決めるのだった。


 厳しい稽古の後は皆で風呂に入る。
 楓という3歳児がいるからだとはいえ、普通に凛月も入ってくるのだからこの夫婦、相当仲がいい。今まで第二子以降ができなかったのは不思議なばかりである。
「よし楓、目をつぶれー」
 洗い場で楓の頭を流してやりながら、藤忠はふと湯船の内の凛月を返り見た。
「忍術教室っていつだったっけか?」
「明後日。私が連れて行くわ。薙刀のこと、つつかれたくないんでしょ?」
 紫藤流は天剣の教えを受けた次期当主を殺すためのもの。少なくともその技を隠せるだけの体系が整わない内、一族のうるさ型にまとわりつかれたくないのは正直なところである。
「あー、まあな。すまん、頼む」
 凛月ならば御子神という名家の看板を盾に切り抜けられる。もちろん簡単なことではないのだが、不知火の序列で言えば下位も下位な藤忠よりは融通が利くということだ。
「俺はつくづくすばらしい妻を迎えられたものだ」
 しみじみしつつ凛月の手へ楓を託した藤忠が、ふと思いついた顔をして。
「そういえば。楓は弟と妹、どっちがいいんだ?」
 他愛のない話のはずが、凛月に抱っこされた楓は達観した顔を父へ向けて応えた。
「おとうと。しらぬいのおんなはくろうがたえないから、たのしくいきてほしい」
 風呂場を突き破る藤忠と凛月の咆吼。
 それこそすり減らされる勢いで頭をなでまくられ、楓は思うのだ。
 おとうとでもいもうとでも、かくごしてうまれてきてね。ちちうえもははうえもすごいいいちちうえとははうえだけど、ちょうすごくうざいから。


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2020年12月08日

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