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『紅蓮の猟犬、幸運と祝福の四』
cloverla0874


 今でもたまに、夢に見る。
 ぼんやりとした、幸福な予感の夢だった。
 その輪郭をはっきり自覚した時、『俺』と『私』は、ようやく対面したんだ。
 シロツメクサの花畑。
 美しい花冠が繋ぐ、分かたれた自我が出会う場所。




 ドライフルーツをお湯で戻し、水気を切って瓶に詰める。
 瓶いっぱいにラム酒を注ぎ、冷蔵庫で1週間くらいがベスト。

「ん〜、いい香りっ♪」
 蓋を開け、芳醇な香りにclover(la0874)は金色の瞳を細めた。仕込みはバッチリ。
 真白の髪に、小柄な体。本日も女性型ボディの『四葉モード』。
 ……今日は、それだけじゃなくて。
 細身グリーンのチノパンに、ゆったりめの白ニット。
 プラス、エンジのエプロン。
 邪魔になるほどではない長さの髪も、数か所ヘアピンで留めてある。
「準備、よしっ」
 各所ゆびさし点検したところで、玄関のチャイムが鳴った。
 ぱたぱたと、スリッパを鳴らして来客を出迎えに行く。

「ようこそ、俺の城へっ」

 まだ状況を飲み込めていない来客・ライカ(lz0090)へ、cloverは良い笑顔でお揃いのエプロンを渡した。
「今日はね。お菓子を作るよ!」




「良いところに住んでおるな」
 キレイ目なマンションの一室。窓からの眺めも良い。
 皮肉ではなく賛辞として、ライカは感想を口にした。
 最寄駅からは、ぎりぎり徒歩圏内。賑やか過ぎず、物騒過ぎず。
 平日の日中であれば、ゆったり過ごせそうな日当たりのいい部屋だ。
「ここは『私』を作ってくれた人達が用意してくれた場所だよー。ライカがお客様第一号っ!」
「お客様第一号が菓子を作るのか……。隣近所への挨拶分か?」
「引っ越しそばじゃないんだから」
「礼儀は大事じゃぞ?」
 素直にエプロンを着けていると思ったら、ライカは真面目な表情で諭してきた。
「そこはね、大丈夫だから!」
 ライカのふわふわの紅髪も、念のためピンで留める。
 調理作業というならば、とライカもされるがままだ。
 こういうところ、律儀というか勤勉というか。cloverもなんとなくわかってきた気がする。

 リビングを通り、キッチンへ。
 本日のお菓子の材料が用意されている。
「焼き菓子か」
 ライカはVネックシャツの袖をまくりながら、材量から作る内容を予想する。
「パウンドケーキを作ろうと思いまっす!」
 お菓子作りは、材量の温度管理が命。バターは特に繊細。
 バターも卵も常温で、泡立てる肉体労働もなく、じっくり作るパウンドケーキはおしゃべりを楽しみながらには最適だろうと考えて考えて決めた。
 お菓子入門編に見えるクッキーは、手の熱でバターが溶けたらアウトだし。
 デコレーションケーキは生クリームの飾りつけに至るまで気が抜けない。
 ちなみにマドレーヌは生地を一晩寝かせるのがベスト。
 時間をかけすぎず、焼きたてが美味しいものを、2人で作って食べたい。
 それが、今日のcloverの願い。

 薄く切ったバターをボウルの側面に貼りつけながら、cloverはふと。
「そういえば俺って、ライカに自分の事何も言ってなかったような?」
「そうじゃな。わしから尋ねることをしなかったせいもあるか」
 ライカも、自身について語ることはほぼない。お互い様だと線を引いていたところはある。
「世間話程度に話してもいい?」
「計量はこちらでしておく、存分に語れ」
 ライカは、計り終えた小麦粉の入ったボウルを手渡しながら。
 cloverは、それを受け取ってふるいにかける。
「人間により近く、身体の成長がない分、心の成長を強く願い作られた人形。それがテーマだったんだって」
 トントントン、トントントン。
 細やかな網の目を通って、さらさらと小麦粉が落ちる。
 雪が降りつもるように、もう一つのボウルへ山を作る。
「とはいえ、願ってれば覚醒するものでもなく。技術者達も、まさか命が本当に宿るとは……って、後に語ったそうな」
 今でもたまに、夢に見る。
 目覚める前の、幸福な予感の夢。
「5年くらい前の話かなー? ここまでは『俺』は『私』だったんだよね」
「ふむ……」
 ひとつ、ライカには引っかかっていたことがあった。
 この女性型ボディでも、cloverの普段の一人称は『俺』だ。
 それが先ほど、一度だけ『私』となっていた。
 ――『私』を作ってくれた人達が
 5年前。何が起きたのだろうか。




 スッと指が通るくらい、常温へ戻ったバターを木べらで滑らかにまとめて。
 グラニュー糖を投入し、すっかり溶けるまで混ぜてゆく。
 ここが重要で、しっかり砂糖の粒がなくなるまで混ぜることが成功の秘訣なのだ。
「ヴァルキュリアって便利だよね」
 空気を含み、白っぽく変化したバターを練りながらcloverが呟く。
「器でしかない身体なんて移しちゃえばいいだけだし、記憶も都合よく書き換えればいいわけだし」
「……それは、果たして自我と呼べるのか?」
 オーブンから、ローストしたクルミを取り出し皿に広げていたライカが眉根を寄せる。
 心の成長を強く願い作られた、clover。
 それを、そんな扱いをして、心は成長するのだろうか。
「あとは適当に『愛してる』『あなただけが家族』とか気持ちのいい言葉かけておいて、それで都合が悪くなったらまた記憶を壊して書き換えて。繰り返し」
「…………」
 ヴァルキュリアの一般論。とは思えない。
 cloverの体験談だ。
 なんてことないように話す少女の横顔を、その感情を探るようにライカはじ、と見つめる。
「『俺』の所有権を持ってたのは、そういう奴だった」

 製作者と所有者は、違う。
 技術者の悲願は、とある人物が買い上げた。

 ナイトメア時代の自身の思考と照らし合わせるが、ライカには理解できない。
 ヴァルキュリアは意図的に生産できないことをライカも知っている。
 科学技術を越え、ヒトに寄り添う存在。
 生物であるはずのナイトメアにできないことを、ヴァルキュリアなら叶えられる。
 感情を抱き、想像力を持つ。
 ライカが至れなかった場所に居る。
 奇跡のような存在だというのに、いつ故障するかもしれない無茶苦茶な扱いをする必要があるだろうか。
「クロは、書き換えられた記憶の全てを信じていたのか?」
 常温に戻した卵を溶きほぐし、ライカはcloverへ渡した。
 油分と水分が分離しないように。バターへ、少量の卵を加えてはよく混ぜる。
 卵黄が相容れない二者を繋ぐ存在で、しっかり混ざったところで再び卵を注ぐ。それを繰り返す。
 焦ってはいけない。見誤ってはいけない。
 ここで卵とバターが分離してしまうと、食感は固くなる。
「……うん。『本当』も、あったんだよ。たった一人だけ」
 でも、それ以外は全て作り物だった。
「まあ、自分の娘の自殺を世間に事故として公表するような奴だったから」
 cloverにとって、たった一人の家族だった。
 彼女だけが、cloverを心から家族と信じてくれていた。
 それを。それすらも。
「『私』が見つかるまで、俺もそう信じてたし」
「見つかる?」
「うん。俺ね、ヴァルキュリアとして目覚めた時は、この四葉ボディだったんだ。だけど所有権を持った奴の指示で、強制的に男性型ボディへ変更されたの」
 女性型ボディ『四葉』は、その際に処分されたと思っていた。
 けれど、技師の誇りがあったのだろう。大切に保管されており、cloverはもう一人の自分と再会を果たし今に至る。
「だから……俺、自分の記憶ってどれが本物かわかんないんだよね」
 消されて、植え付けられてを繰り返し。
 所有者の手から逃げ出し、名を変えて身を潜めて暮らす今の記憶は、信じられるけれど。
「今残ってるものだって、全部嘘なんじゃないかって思う。正しい記憶なんてないんじゃないかな」
 大事な家族の思い出すら疑う。それは、とても悲しい。
 軽く水気を切ったラム酒漬けのドライフルーツとローストしたクルミをザクザク混ぜる。
 小麦粉を加え、更にザックリと全体を混ぜる。
「あ、今は平気だよ? 家出して小隊に拾ってもらってからは、奴らに接触してないから、記憶弄られてないし」
 ライカからの反応が消えたことにハっとして、明るい声でcloverは振り返った。
「生地は出来上がりっと。あとは流して焼くだけだね♪」
 型紙をセットしたパウンド型へ、一気に流し込む。予熱しておいたオーブンへ投入!
 



 焼きあがるまでの時間、お茶を淹れながらcloverは込み入った話を説明した。
「実は『俺』の所有権持ってた奴が、それを破棄したんだ」
「とは?」
「もう『俺』は『いらない』って言われたから。『俺』のボディ壊れちゃって、もう目覚めないらしくて」
「……? それは……おぬしの身に、それだけのことが起きたのか」
 ここ最近、ライカと会う時は四葉ボディだった。ライカも理由を深く考えたことはなかったが……もしや。
「あっ。それはそれ、これはこれっ。でね、今は完全な自由を手に入れたクロくんなのですっ!」
 『私』であって『俺』でもある。
 ちゃんと自分の記憶があって、気持ちがある。自分の足で立っている。
 過去に起きたことが問題なんじゃなくて。
 鎖を断ち切り、悩み苦しんだことから解き放たれたことを知ってほしい。
 幸せなんだよって伝えたい。

「というわけで、今日はそのお祝いっ!」

 どこかへ出かけるのも良いけれど。
 どこかのお店で食べるのも良いけれど。
 2人で一緒に、何かをつくるのも素敵でしょう?




 エプロンとヘアピンを外すと、それまでの緊張感が一気に解ける。
 焼きあがったケーキの香りに胸が躍る。


 保存ができる焼き菓子。手軽に作れることから、パウンドケーキはあちこちで愛されている。
 そして逸話も色々と。
「ウィークエンドは知っておるか?」
「週末?」
「に、大切な人と食べたい。と思いを込めたレモンのパウンドケーキじゃな」
「えっ、それにすればよかった」
 ほかほかのパウンドケーキを切り分けて、紅茶のおかわりを淹れて、テーブルを囲む。
 一日以上おいて、しっとりさせるのも最高だけれど、焼きたてを食べるのは作り手の特権だ。
 窓から差し込む陽光を受けながらティータイムを。
 ちなみに、残った分は半分に分けてお持ち帰り。明日も明後日も楽しめます。
「んっ、まぁ〜〜い!!」
「ああ。美味いな」
 香りと食感を、ライカも楽しむ。食事の是非はなく味覚もない身だが、得られる情報から『美味』と伝えられる判断には素直に従うことにした。
 なお、紅茶はしっかり冷ましてから飲んでいる。
「パウンドケーキの名の由来は『全ての材料を1ポンドずつ』。似ていて、少しだけ違うものに『カトルカール』がある」
 四分の四。四つの材料を、同量に。
 イギリス伝来がパウンドケーキ、フランス製がカトルカール。
「作り方が違うので食感も変わってくるが。クロにとっては象徴的じゃのう」

 四葉。四つの約束。
 もう、忘れない。もう、失くさない。

「……『終わった』って、思ったんだ」
 ラム酒の香り、ナッツの食感。ふわふわの生地が温かくcloverの胸に広がる。
「もしかして、ようやく始まった……の、かな……」
 新しい部屋。新しい生活。
 cloverとして、自由に生きていける。
 シロツメクサの花畑を、裸足で走り回って。花冠を作って。
 cloverは、自分の胸に手をあてる。ようやく再会した――それまで動くことのなかった――ボディの耐久度という、現実問題を考える。
 それでも。自分が自分で居られる幸せを取り戻せた事実を大事にしたい。
「ライカは? 今、始まってる?」
 突拍子のない質問へ、ライカがケーキをのどに詰まらせた。
 ひとしきり咽込んでから、
「そうさなあ。クロ、おぬしがわしを呼んだからな」
 cloverの呼び声がなければ、今のライカは此処にいなかった。



 望まれなければ、ここにはなかった命。
 望まれたから、いま、ここに生きている命。
 幸運。祝福。約束。希望。


 思いを込めて。
 想いを背負って。
 歩けるだけ、歩いていこう。




【紅蓮の猟犬、幸運と祝福の四 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました!
足跡を振り返る。解放のエピソードをお届けいたします。
タイトルは色縛りで進めてきたのですが、白も緑も使ってしまったっ
今回の象徴として『四』としました。
お菓子はお任せということで、室温を気にせずゆっくり作れるパウンドケーキを。
卵とバター、砂糖と小麦粉。4つの材料が織りなす魔法です。
お楽しみいただけましたら幸いです。

ライカにつきましては
・ナイトメアとしての力を一切失い、ひとでもナイトメアでもない生命体
・SALFはそのことを把握していない
・衣食住、収入や食生活などは一切不明
という設定でお送りしております。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年12月09日

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