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『わたしとおれ』
不知火 楓la2790

 不知火紫藤流薙刀術。
 忍として世の裏側を駆けてきた不知火一族。その傍流だったはずが現当主の補佐役に抜擢――いろいろ裏事情はあるのだが――された上、由緒正しき御子神家の娘を射止めた等々から、今や当主を頂点に据えた主流派のナンバー2となった不知火藤忠が興した流派である。
 名の通り薙刀術を軸にしてはいるのだが、実際は陰陽の術理を練り合わせた半武半呪の術式であり、それだけに門人を選ぶ。とはいえ師範であり陰陽師でもある藤忠によって、屋号でもある「紫藤」の嫡流にのみ伝えられることが決められているため、特に問題はないのだが。
 やみのわざをつぐのはわたしだけでいい。
 そろそろ5歳の誕生日が見えてきた不知火 楓(la2790)は胸中でうそぶき、やわらかな寝床の上で蠢く弟へうなずきかけた。
 紫藤流は、当主補佐の任を担うこの家なればこそ生み出された闇の技。当主乱心の際、速やかにその命を奪うがためのものだ。薙刀で印を刻み、形代や鬼を使役する業(わざ)が含まれているのはそれによる。
 いざとなったら“わか”のいのちをちょうだいするんだもの。そんなこと、きみにはさせられないからね。
 生後5ヶ月を過ぎ、弟の首もしっかり据わった。なのでそっと抱き上げて抱きしめ、楓はふと気づいて弟の顔を確かめた。
 口が「ほう」の形になっている。これはつまり、
「ききょうがおなかをすかせてる」
 彼女と弟――桔梗の母である凛月は今、倒れ込むように寝入ったばかりだ。赤ん坊の世話はとにもかくにも大変で、だから楓はできるかぎりお手伝いをがんばっている。とはいえもちろん、4歳児ができることなどたかが知れているので……
「きゅうきゅうにょりつりょう。わがまえよりぎがく、わがうしろよりぎけん、さんじてこなミルクをせんじよ」
 わかりやすく書き直せば、「急急如律令。我が前より義学、我が後ろより義賢、参じて粉ミルクを煎じよ」。ようは陰陽でおなじみの前鬼(義学)と後鬼(義賢)を召喚し、粉ミルクを急いで作らせようということだ。呪の文言がちょっと拙いのは4歳児だから。
 かくて顕われる、妙に丸っこくてファンシーな鬼ども。これも4歳女児のイメージ力の問題なので、まあ大目に見て欲しい。
 かくて鬼どもが用意してくれたミルクの温度を確かめ、「ん、ぬるかん」。楓は抱っこした弟へくわえさせた。
 ここからが勝負だ。むせさせず、飽きさせず、最後まできっちり飲み切らせた後、げっぷをさせなければならない。
「ききょうはさいこうにかっこいいなまえだよ」
 花の名を与えられた弟は、もしかすれば同じ男子からからかわれたりするかもしれない。しかし、古来より日本の秋を彩ってきた「朝貌」は、いつかその妙なる彩を世へ示すこととなろう。だからこそ、今のうちからしっかり教え説いておかなければ。
「うん、ははうえもちちうえもびじんだから、どっちににてもききょうはなまえまけしない」
 意外に冷静な判断を下しておきながら、楓はそっと言い添えた。
「だからたのしくくらしてね」
 家の務めも一族のしがらみも、全部姉が担いでいくから。
 幼い心を強く固め、楓はもしかすればこの手で殺すこととなるかもしれない次期当主筆頭候補の“若”を思う。
 あれはぽんこつだし、ころさなくていいとおもう。それよりちゃんとじきとうしゅになれるように、わたしがちゃんとおせわしてあげなくちゃ。
 背を叩いてけぷっとさせた弟をそっと寝床へ戻し、楓は立ち上がる。
 今日も弟のお世話に稽古と勉強、ついでに若の面倒見へ明け暮れるタフな1日となりそうだ。お昼寝の時間をどう確保するかは悩みどころだが、これも不知火の女の宿命というやつだろう。


 力尽き、ついに倒れ伏した――お昼寝である――楓が再び目を醒ますと、桔梗を抱いた凛月がいた。
「楓ががんばってくれたおかげでよく眠れたわ。ありがとう」
 凛月の手がうずうずしている。本当はわしゃしゃしゃとなでまわしたいのだろう。
「ききょうにはたのしくくらしてほしいから」
 本音で応えた楓に、凛月はちょっと寂しそうな顔をする。
 できた娘であることは間違いない。が、その出来映えは常に他者へ向けられていて、自分へ向けられることがなくて。
 もっと自分のことばかり考えて、我儘を言ってもいいのに。
 古い家に生まれた凛月は、「家名を穢すな」とばかり言われて育ってきた。我儘は赦されず、ひたすらまっすぐ育つよう強制され、矯正されて……直ぐに見えるばかりの歪と成り果てた。
 藤忠という、これもまた相当に歪んだ男と出逢っていなければどうなっていただろうか? 自分と彼とは、互いに酷く歪んでいたからこそ絡み合い、直ぐになれたのだ。
 楓が世話焼きの気質を持って生まれてきたことは、ともすれば両親が大きく欠けた同士だから、その埋め合わせとしてなのかもしれない。
 それでもだ。母としては、それこそ楓が弟へ願うように、娘にも楽しく暮らしてほしい。そう願ってしまうのはそれこそ我儘なのだろうか。
「……お手伝いしてくれた楓に褒美を取らす。なにを所望する?」
 わざと古めかしく言ってみたのは、最近の楓が時代劇を好んで見ていることによる。
「ちちうえ・ははうえ」呼びもその影響らしいが、なぜそこまで入れ込んでしまったかと言うと「いまのわたしはじいのきもちがよくわかる」からだそうで。
 娘が若君に仕える爺やの苦労に共感するあたり、母としては実に複雑なのだが、ともあれ。
「チョコレートパフェ!」
 楓は右手を挙げて元気に応えた。
 最近、若の付き合いで苺味の菓子をいただくことが多い彼女である。3歳にして目覚めた苦みの妙、若がいない今こそ存分に味わいたい。
「じゃあ、藤忠が帰ってきたらみんなでお出かけね」
 早速準備をしに駆け出した楓を見送り、凛月はスマホを抜き出した。桔梗の肩を支えに、方々へ連絡を飛ばす。
 不知火のナンバー2と御子神の嫡流が、幼い子どもと共に万全の守りを固めた敷地外へ出かけようというのだ。それを見逃してくれる者ばかりではありえない。かけられるだけの保険をかけておく必要があった。


 無事に家まで帰ってきた一家は風呂を済ませ、リビングで落ち着いた。
「やっぱ家は落ち着くな」
 ソファへ座した藤忠が息をつく。密かに騒ぎの種を潰してくれた護衛の面々には、後日それに見合った報酬を渡さなければ。
 夫の言葉に含まれた真意を察し、楓の手を引き桔梗を抱えた凛月もまたうなずいた。
「そうね」
 ちなみに彼女が子を一手に引き受けるのは、藤忠が有事において全力で戦えるよう備えていればこそである。
 実は最初、役割分担でそこそこ揉めた。
『俺だって桔梗を抱っこしたいし楓と手を繋ぎたい! ……いや、むしろ凛月ごとふたりを抱っこすれば解決するんじゃないか!?』
 我が子大好きで妻大好き。物理的不可能は気合で可能にしてみせる。
 駄々をこねる藤忠を説き伏せるまで、凛月はかなりの時間を要したものだ。
『万一のことがあっても私がしっかりふたりを育てるから。安心して真っ先に死んでちょうだい』
 最後に言い切れば、藤忠は神妙な顔をして、
『ふたりを育てきった後にも俺を追わないと約束できるか?』
 今度は説き伏せられるまでになかなかの時間を要したこと、特に記しておこう。

 右膝に桔梗を抱いた凛月を座らせ、左膝に楓を乗せて、藤忠は満足げにうなずいた。
「これができるのは家だけだからな」
「いつまでもできるわけじゃないわよ」
 凛月からすかさず釘を刺された藤忠は不敵に笑み、
「だからこそ、この時間はかけがえなく贅沢なんだ」
 楓の頭をやさしく撫ぜ、凛月を抱き寄せて桔梗の頭を撫ぜる。
 幼いながら、楓はなんとなしに理解していた。こうして父の膝に家族が乗っていられる時間は、驚くほど短いのだろうと。赤くて痩せていた弟が、あっという間に白くふっくらしたことと同じく。
「ちちうえがすごくいいことをいうから、わたしはじつにかんじいった」
 時代劇の影響たっぷりな賛辞を贈れば、藤忠はすさまじく得意げな顔をして、
「それはかたじけない。いや、口先勝負なら我が友だって敵じゃないからな」
「同じぽんこつでも、得意なことくらいはそれぞれにあるものね……」
 しみじみ言う妻へ、あわてて言い返す夫。
「寂しそうに言うな! そもそも俺たちはただのぽんこつじゃないぞ? 俺は意外と役に立つこともなくはないし、我が友は俺よりちょっと高いところの物が取れる」
「それはまあ認めざるを得ないけど……」
「なんでそんなに残念そうなんだよ」
 そんな父母のじゃれあいを見上げながら、楓は思うのだ。
“わか”はぜんぜんやくにたたないし、たかいところのものもとれないし、やっぱりただのぽんこつだよね。


 幾日かの後。
 弟が原因不明の高熱を出した。藤忠も凛月も血相を変えて奔走する中、楓は本家に預けられることとなる。
 ききょうがしんじゃったらどうしよう。もしかして、わたしのおせわがわるかったのかな。わたしのいのちをあげるから、かみさま。ききょうをたすけて――
 暗がりで自分を責め続け、祈り続ける楓。
 なんと声をかけていいものかを悩む大人たちをよそに、“若”はずかずか楓へ近づいて灯の下へ引っぱり出したのだ。
「いま、いそがしいんだからはなして」
 振りほどいて行こうとした楓を若はしっかと掴み止め、「おれがいるからだいじょうぶだ!」と言い切った。
 どうしようもなく腹が立った。あの父と母ですら為す術がないのに、お世話されるばかりのただのぽんこつが無責任に語る「大丈夫」を信じられるものか。
「“わか”なんかなんにもできない! だいじょうぶじゃない! わたしもなんにもできない。だいじょうぶじゃ、ない」
 霰のようにこぼれ落ちた涙はすぐに滝となり、楓の顔をぐしゃぐしゃに濡れそぼらせる。
 すべてうまくできているのだと思い込んでいた。しかし本当に大事な場面でできることなどなにひとつなくて――
「だいじょうぶだってほんきでしんじろ。おれ、なんにもできないけど、ほんきでしんじるから! だいじょうぶだ! だいじょうぶだ! だいじょうぶだ!」
“若”は背を丸めて嗚咽する楓を強く抱きしめ、力の限り叫んだ。
 根拠なんてなにひとつない、ただ言っているだけの大丈夫。でも、その言葉にはただただ本気の思いが込められていたから。
「だいじょうぶ。ききょうはだいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ」
 楓は“若”にしがみつき、いっしょに唱え続ける。
 ――人は、本当にささいなことで芯から救われることがあるものだ。
 いくらかの後、楓は弟ならぬ“若”のために命を投げ出し、その後に荒んでしまった彼を一層濃やかに世話し続けるのは、すべてこの救われた思い出あってのことだったのかもしれない。


 無事に戻ってきた弟を、母の許可をもらった後にそっと抱きしめ、楓はあらためて誓った。
「わたしはもっとべんきょうしてちゃんとおせわできるようになる。ききょうと“わか”がずっとたのしくくらせるようにがんばるからね」
 うなずく凛月の横で娘の言葉を聞きとがめたのは藤忠である。弟の大事――とはいえ赤ん坊にはありがちなことで、実は楓も同じようなことはあったのだ――にお姉ちゃん気質が爆発したのはわかる。しかし、そこへよそのお宅の男児が混ざってくるのはどういうことだ!?
「楓? “若”のことは本家に任せておけばいいんじゃないか? ほら、桔梗はまだ動けないし、それはもう姉上にお世話してほしくてたまらないお年頃だぞ?」
「わたしは“わか”におんぎをうけたんだ。それをかえさないでぶしはなのれない」
 おい時代劇ぃ! 俺の娘になに仕込んでくれてんだよおおおおおっ! と、思いつつ、口に出さなかったのは彼の持ち合わせる数少ない大人げというものだったわけだがしかし。だからといってよその男に武士の忠義を尽くさなくてもいいだろう……
「にごんはないのがぶしだから、ごめん」
 こうして楓は駆け出して行く。
 やらなければならないことはたくさんあって、やりたいこともたくさんある。以前よりさらにタフな日々となろうが、それでも彼女はへこたれない。
 苺の菓子が大好物でなにもできないぽんこつだけれど、それだけじゃない気がしなくもない“若”をお世話する日々へ、まっすぐ立ち向かっていくのだ。


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2020年12月09日

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