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『七五三』
日暮 さくらla2809

 4月1日生まれの子は損をする。
 なぜならこの日は早生まれ最後の日であり、実質的に歳上の子らへ混ぜ込まれるからだ。
 という前置きがなにに繋がるのかといえば、3歳の子どもが最初に挑む公式行事、七五三である。
「歳で言ったら来年なんだよね」
 日暮 さくら(la2809)の母、日暮あけびは考え込んで、
「でも、学年で言うと今年でもいいわけで。そもそも昔は数え年だったんだしね」
 行儀よくテーブルにつき、たどたどしいながら箸を使って朝食をいただくさくらは、ぷっくりした頬をきりっと引き締め、母へ答える。
「これはしょうぶです。ならば、いどまずにげるわけにはいきません」
 早生まれだからといって、同学年の子らに負けたくない。その気持ちはまあ、わからなくもないのだが。
「逃げないでまっすぐ立ち向かってくさくらはすごいんだけど。この前教えた忍の心得、思い出してみて」
 己を潜めて刹那を待つ。
 それがあけびの言う心得である。忍は任務を達成するため、時に茂みへ、時に壁裏へ、時には町民の狭間へ潜み、必要ならば何年もかけて任務を果たしうる時を待つものということだ。ちなみに、あえて刹那と言ったのは、生真面目な割にロマン至上主義な娘のため、かっこいい単語を選んだことによる。
 仙寿は自分に似てるって云うけど、そういうとこは私似だよねぇ。
 サムライガールを称して大正浪漫な女学生スタイルで過ごしたあけびだ。娘もまた同じ道を辿っていくことになりそうで……うれしくもあり、むずがゆくもある。
「かちます!」
 ふんす。さくらは一度箸を置いてから、小さな手を握り締めた。
「わたしはちょうつよくてちょうかわいいと、もっぱらのひょうばんですから!」
 自信満々な娘の様に、あけびは目をしばたたく。そんな評判がどこから――いや、出所などひとつしかありえない。
「このお話は夜ご飯のときもう1回ちゃんとしよう。だから朝ご飯、しっかり食べて保育園へ出陣!」
「はいっ!」
 元気に応えて箸を取り直す娘に笑みを送り、あけびは頭の中で今日の昼休みにやるべきことを整理し始めた。


「さくらは超強くて超かわいいってもっぱらの評判らしいけど、評判の出所だよね?」
 とある組織の法務部に所属するあけびの上司であり、昼休みの間は彼女の夫に戻る日暮仙寿はあっさりと認めたものだ。
「俺なりにどうすれば幼いさくらへうまく伝わるか考えたんだが、結果的に“超”へ落ち着いた」
 うん、すごい得意げだけどそうじゃないよー。
「役職がついたこともあって、なかなかさくらとゆっくり向き合ってやれないからな。せめてどれだけ俺が娘を大事に思っているかを知らせたくてな」
 いや、しみじみするとこじゃないからねー。
 あけびはツッコミを胸中に留め、彼女の拵えた弁当をうれしげに食す仙寿を見下ろした。ここで説教をかますのは仙寿の体裁に障るし、仕事に追われながらも懸命に娘を愛する彼がけなげで……しょうがないでしょ。私、仙寿に甘々だもん。
「七五三、さくらは今年やりたいって言ってるけど、来年がいいんじゃないかなって。早生まれだし、まわりの子と比べてもすごくちっちゃいからね」
 仙寿はスクエアフレームの眼鏡を押し上げ、少し考え込んで――そのしぐさがまた艶っぽいと思うのは、あけびが妻だからというだけではなかろう――言った。
「今年は剣士流で来年は忍流、装いを変えて2回やればいいだろう」
 親馬鹿ぁ!! あけびはがっくり膝をつき、心の中で絶叫する。それ仙寿が2回見たいだけでしょー!?
「そうすれば2回、さくらの晴れ姿を見られるからな。さっそく出入りの呉服商に反物の見本を」
 あっさり答合わせをしてくれた仙寿が抜き出したスマホを奪い取り、あけびは低く突きつけた。
「とりあえず今夜、さくらといっしょに相談。否は認めない。いいね?」
 なぜ妻は怒っているのか? まるでわからないまま、それでも仙寿はうなずいた。こういうときは素直に従うのは、あけびに辛く当たった過去を二度と繰り返したくないからだ。
「でも俺は2回見たい。いや、7つの機会を含めて4回だ」
 ただし。主張だけはする。今は部下である妻に職場で公開処刑され、威厳を喪うこととなろうとも。


 保育園の年少さんであるところのさくらは、どちらかと言えば男児のカテゴリにあった。
 少しずつ習い始めた剣技と忍術が彼女を活動的にしていることもあるが、そもそも共感よりも道理を尊ぶ性(さが)だ。たとえば誤りを犯したとき、なあなあで済ませるよりもきっちり頭を垂れる。その潔さに感じ入り、受け容れるのは男児たちだったのだ。まあ、体こそ小さいながら、腕っ節に自信ありなことも大きかったが。
 それに。
「わたしがおにをつとめますので、みなはじゅうかぞえるあいだにかくれてください」
 生まれ持った長女気質は他の子が嫌がる役どころを率先して引き受けさせていて、それが女児にも支持されることとなっていて。
 そしてそうであればこそ、お遊戯会では『いっしょうのおねがいです。わたしにしゅやくをさせてください』と見事な土下座を決め、武士らしい強さと情けを体現する桃太郎役を両親に披露できたりもした。
 などと書き連ねてきたがようするに、結構うまく社会生活を送れているのだ、さくらは。
 そんな彼女は両親の仕事の都合で、他の子よりも長く園に留まるのが常だが、皆を送り出してひとりになると、静かに年少クラス用の絵本を読み始める。すでにひらがなマスターの域にある彼女が保育士の手を患わせることはない。
 赤ずきんを読めば狼の卑劣に憤慨し、人魚姫を読めば一途で儚い愛の形に涙し、金のガチョウを読めば自らの行いを省みて姿勢を正し……さすがに読み解くスピードはゆっくりだが、すでに豊かな感受性を発揮しているのだった。

 今日の一冊と選んだ三匹の子豚を熟読している内、お迎えが来たと保育士に告げられた。
 さくらは絵本をきちんと本棚へ戻して玄関へ向かう。帰り支度は整っているから早い。本当に2歳離れした有り様である。
 そうして下駄箱の前まで辿りつくと、今日はいつもお迎えに来てくれるあけびのとなりに仙寿までもが並んでいて。
 やけにあけびは肩を怒らせていたし、仙寿はどこかしょぼくれていたのだが、これはいつものごとく母に父が叱られたからなのだろう。こういうときにはツッコまないのが娘の誠意だから、あえて触れずに特別感だけを喜んでおく。
「おぼんとおしょうがつがいっしょにきたみたいです!」
 少々、言葉選びが大げさになってしまったのは後の反省点。


「そもそも七五三を数え年でやるか満年齢でやるかはそれぞれだからな」
 仙寿は前置き、本題を切り出した。
「だからどちらもやればいい。なにか言われたら地方の風習と答えておけばいいんだ。さくらもそう思うだろう?」
 父の熱い問いへ、さくらは静かにかぶりを振る。
「しょうぶはいちどきりです。みれんはひかない、それがぶしのいきざまですから」
 しかし仙寿は食い下がる。
「でもな、さくらはサムライだけじゃなくニンジャにもなるんだろう? サムライとニンジャ、どちらか選べるのか? 2回あればどちらもできるんだぞ」
 あけびに隠れて呉服屋へコンタクトを取っていたようで、仙寿はプリントアウトした振り袖二着分の柄をさくらへ示した。どちらもさくらにちなんだ薄紅を基調としつつ、金糸銀糸で鮮やかに剣閃やら手裏剣やらを描き出している。
「うう」
 さくらが揺れる。
 剣技は仙寿に、忍術はあけびに、それぞれ習い始めているさくらだ。
 もちろん、夫妻はさくらが結果的にどちらを選んでもいいし、どちらも選ばず別の道へ進んでもいいとも思っている。運動能力――特に視覚的能力が育つ幼少期にこそそれを伸ばしてやることで、後の選択肢を拡げてやれればいいと。
 しかし現状のさくらにとってはどちらも同じほど大切で、だから、悩まずにいられない。
 と、ここであけびが右手を挙げた。
「どうした?」
 仙寿に促されるのを待ち、きっぱりと。
「強制はよくないと思う!」
 仙寿は眉をひそめた。確かに2回見たいのは主に彼の都合だが、どちらかを選ぶよりどちらも得られるほうがいいだろうに。
「大事なのはさくらがどうしたいかでしょ。仙寿がそうやって親馬鹿爆発させて詰め寄ったら、さくらはそれに従うしかない」
 言葉を詰める仙寿。言われるまでまったく気づかなかった。自分が娘へ強いていたことに。俺は早咲きのさくらに甘えて、我儘を押しつけた……
 仙寿がうなずいたのを確かめて、あけびは困り顔のさくらにまっすぐ向き合い、やさしく問うた。
「さくらも。ちゃんと思ってること言わなくちゃわからないよ」
 言わなければ伝わらない。それはかつて、どうしようもなく冷えた関係にあった仙寿とあけびが歩み寄る中で得た真理である。言わなくてもわかるはただの甘え。言って意志を示すことからすべては始まるのだ。
「……わたしは、ぶしだから」
「武士とかそういうのもなし。日暮 さくらはどうしたい?」
 気質も志もなし。ただの自分がしたいことは――
「みんなといっしょにしちごさんがしたいです」
 同じクラスのみんなといっしょがいい。
 日暮 さくらはすでに保育園という社会の中で生きている。その世界の仲間たちといっしょに、同じ晴れ舞台へ立ちたいと思うのは当然だ。
 妻の正論に打ち据えられ、真摯な願いに撃ち抜かれた仙寿はさくらを膝の上へ乗せ、そっと抱きしめる。
 普通の幼少期を送れなかった俺は、そんなことにも気づいてやれなかった。いや、そんなものはただの言い訳だ。俺は、まるで娘を大切にできていない、名ばかりの父親だった。
「今のは全部、父が悪い。すまなかった。父はさくらが超かわいいばかりに、つい晴れ姿も2回見たいとムキになったんだ。いや実は今もまだ2回見たいと思っている。7つの機会も入れて4回」
 かなり深刻に未練たらしい有様なのはさておいて、仙寿はあらためてさくらへ語りかける。
「さくらはどんな着物が着たい?」
「くろのきながし」
 目を輝かせて答えたさくらだが、さすがにそれはサムライ的にもニンジャ的にも、そもそも性別的に聞き入れられない希望だった……


 さくらを寝かしつけた後、あらためて仙寿とあけびは向き合った。
「すまなかった」
 仙寿が妻に深く頭を垂れ、
「それからありがとう。俺の間違いを正してくれて」
 この剣士ならではの潔さ。あけびも見倣いたいところではあるのだが、剣士と忍の二足草鞋な彼女には、ここまで自分を清ませることができなくて。
「もちろん許すしどういたしまして!」
 少し茶化すのが精いっぱいだったが、ともあれ落ち着いたところで、
「それでだ」
 後ろ手に仙寿が引き寄せ、前へ置いたものは、大量の反物の歯切れが見本として貼られたファイルである。
「同じ絹でも産地と織りかたは違う。最終的にどれがいいかはさくらに決めてもらえばいいとして、候補は絞っておくべきだろう」
 生地もそうだが、柄にしてもなにを染めるか刺繍するか貼るか……選択肢は膨大だ。さすがに2歳児へ自由に選べと丸投げるのは拙すぎよう。
「中国とかヨーロッパとかにもおもしろい生地あるよね。私もさくらとおそろいで作っちゃおうかなー」
 うれしげにあれこれ物色を始めたあけびに、仙寿は生真面目な顔を向けて、
「その生地で俺は黒の着流しを仕立てるとしよう」
「え、なにそれ!? さくらにかっこいいって言われたいからってそこまでする!?」
 目を剥く妻へ「それだけじゃない」。
「今日はずいぶんと男を下げた。少しは粋を上げて、あけびに見直してもらわないとな」
 あああああ、仙寿は潔しなだけじゃなくてこういうとこ狡いんだからもう!
「よその奥方とかお嬢様の目の毒になっちゃうし、さくらが父上と結婚するって言い出すと困るし! 着るの私の前だけにしてね!」

 騒ぎの気配に目を醒ましてきたさくらは、薄く開けていた障子をそっと閉めて寝室へ戻る。
 ちちうえとははうえはちょうなかよしなので、もうすぐわたしもあねになるでしょう。そしたらわたしは、おふたりのなかよしをおとうとやいもうとがじゃましないようにおせわしなければ。
 まさにその夜あけびは第二子を授かり、十月十日の後にさくらは姉となるのだが――今はまだ知りようのない話である。


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2020年12月10日

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