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『異路同帰』
柞原 典la3876

 誰もが羨むなんて言葉はきっと彼の為にあるんだろう。私の職場にいる同僚の彼はそんな人だった。日本人らしい黒髪と瞳の色彩なのに派手でパーツ一つ一つがまるで人形のように良く整っている。異性どころか同性でも全員が振り返る、いっそ私なんかは全然釣り合わないな、なんて、恋愛感情を抱くのも恐れ多く感じるくらいの美形である。まあそれだけでも充分高嶺の花なのに、元華族だとか士族だとか私は全く以て憶えていないけれども、金沢で、この名字はといえば皆が思い浮かべるあの家の跡取り息子なのは皆の知るところで玉の輿を狙っている同僚は後を絶たない。今度は再び見た目の話題に戻るけれどモデルも出来そうな長身と細い反面で頼りなさなどは全く感じない、抜群のスタイルなのもポイントが高い。見た目良し家柄も良しと全て完璧に見えてそんな都合のいい人間がいるわけない――だなんてこともなく、その上性格すらもいいのだからもう怖いくらい。いつもにこやかに接していて、誰しもが嫌がるような仕事も自ら率先してやろうとする善人っぷりでその笑顔に何人落ちたか判ったものじゃなかった。まるで、物語の中の王子に思える。
「――さん」
 ぼんやりしていたところに名前を呼ばれて心臓が飛び出そうになる。咄嗟に机の上の書類を腕で隠すように、誤魔化して顔を上げればそこに立っているのは今も頭の中で考えていた相手である同僚の彼、その人で。視線が合うなり瑪瑙石のように美しい瞳が親しげに細められ唇と合わせて緩く笑みを形作る。今まで眼鏡のフレームで気が付かなかったが持っていた物を机の上に置く際に上半身を傾けるのと同時に角度も変わり、長い前髪がさらさらと流れ右目下に泣きぼくろがあると知る。
「こんなに遅くまでお疲れ様です。良かったらこれ、どうぞ」
 そう言い彼が視線を落とすので、釣られたように自分の机を見ると、そこには先程置いてくれたらしいカップが隅にあり、またそれに追従をするようにエアコンの風がこちらを向いたのか、湯気が鼻先まで届き、珈琲の香りを嗅いだ。姿勢を正し、有り難うございますと返したつもりが、興奮して語気が強くなり、一瞬目を丸くした彼はすぐ破顔をする。イケメンというより美形や美人と表現するほうがしっくりくる容姿の同僚に笑みを向けられる――それも自分一人に――なんて動揺もするに決まっている。照れと恥ずかしさとで顔が赤くなるのを感じながらその好意を絶対無駄にはしまいとすぐにカップを取る。そして口を付ければ意外に熱くて舌がひりひりした。彼自身もその反応に気付いて申し訳なさそうに眉を下げつつすみませんと言う為慌てて私は平気ですと首を振った。
「凄く美味しいです。それに、この味――」
「あー、気が付きましたか?」
 勿論、気が付かない筈ない。何故なら私が普段自分で淹れている珈琲と同じ味だから。つまり、普段お茶汲みなどしない彼が私が砂糖を何杯入れているかを全て把握し調整したということになるわけで、部署は同じだけれど関わりは殆どなく、作業の手を止めるときにこっそり顔を覗き見て癒される観賞用美形男子の向きなのに勘違いしそうになる。
「横山さん、有り難うございます!」
 知ってはいるけれど言い慣れない名前を口にするのが擽ったい。
「いえいえ。それよりもし良かったら僕もそれ手伝いますよ」
 彼はそう言って私の机の上に散らばっている書類を指し示した。完全に自業自得なので恨み言を言うつもりはないけれど、書き直しするのに手間取った結果こんな遅くまで居残りをすることになってしまったので早く帰りたいなという思いで一杯になっていた。恥ずかしいところを見せたくなくて隠したつもりが、すっかり忘れて姿勢を戻してしまった為バレてしまったようで本当恥ずかしい。けれどもバレているなら、お言葉に甘えてしまおうかと私の中の悪魔が囁いた。
「なら……お願いしてもいいですか」
「勿論。僕に出来そうなところだけ、渡してくださいね。怒られちゃったら可哀想ですもん」
「このお礼は絶対にしますね!」
「いえ、そんな別に見返りを求めてるわけじゃないですから……」
「お礼しなきゃ私の気持ちが収まらないですよ」
 退勤済みの同僚の席に腰を下ろした彼に私が押しを強く言えば、困ったような笑い声が返ってくる。
「おおきに。……それなら、そのお言葉に甘えさせてもらいます」
 ふと零れた関西弁に普段は敬語なので、全く気にならないがここと離れた所で彼が育ってきたことが思い起こされる。小さい頃から、親元を離れて生活するなんて私には想像出来ない。残業代より高くつくお礼も彼と過ごす時間のことを思えば安いものだと思う。思いがけない幸運を受けて、どきどきと高鳴った鼓動を感じながら、私は漸く仕事を再開することにした。

 横山諒典は洗面所へと続く扉を開け放つと、迷わずシンクの方に足を向けた。極力眼前の鏡面は見ないように顔を俯かせれば、黒髪がさらさら流れて、長い前髪がその顔を覆い隠した。腹の内側から吐き出しそうな得体の知れない感情が眉を寄らせ表情をも曇らせる。いつも家に帰ってきた瞬間はこうだ。そうなる訳もよく解っている。現状からも逃れるように意識して呼吸を繰り返した直後、大きく蛇口を捻って大量の水を出すと両手でそれを掬い上げ思い切り顔に掛けながら息を継いだ。
 眼球自体には異常無いのに痒く思うのは自分本来のものではないという自覚があるからだ。徐に指を伸ばし異物を摘んで剥がした。そして顔を洗った際水滴が付着した前髪を引っ掴み、そのまま力任せに腕を下ろす。嫌な音を立てて偽りで出来た物を取り払った。
 漆黒は白銀に、瑪瑙石は紫水晶へと成り代わる。いや元の色が姿を現したのが正しかった。顔立ち自体は全く以て変わっていないが色合いが変わるだけで印象も変わって、この顔を散々見ている筈の同僚も気付かないのではないかとも思えた。そう思うと笑いが喉に込み上げる。伏せていた顔を上げると、普段は上手く作れている筈の笑顔は歪んでいてある種の凄みを齎していた。
「何もかもおとろしいもんやね」
 望まぬ子を身篭った母親には同情を覚えなくもないが、殺すのは忍びないという偽善ですらなくただ単純に罪の露見を気にして生かされた命は全てが中途半端だ。死産だと偽って密かに奈良県で使用人の子として育てられて、何故だか哀れむ目を向けてくる親へ違和感こそ抱けど幸せな人生を歩んでいたつもりだったのに。母親と婚約者だった入り婿の男のどちら側に問題があったのか知らないが、子供が出来ないのを言い訳に、唐突に連れ戻された末に何もかもが歪んだ。戸籍上父親の男とは似ても似つかない顔貌は色々と使い道があるから、と残されたものの、体面を保つ為に髪の毛と瞳の色は誤魔化す羽目になり、名前も勿論別物にされてこの世に生を受けてずっと自分と信じていたものは容易くも裏切られた。過去も今も紛い物の自分の手には何が残っただろう。掬った真水は指の隙間から零れ落ちる。
「利用出来るもんは全部、利用して生きていくわ」
 どうやらこの顔は女達からすると良いようだから。使えるものは使うだけで、誰も信用しない。自分を信じられない者に信じるべき何かなど存在しなかった。
 顔を拭い、すっきりした顔つきになると地獄のような日常へと舞い戻る。それは柞原 典(la3876)が辿るかもしれなかった一つの道の形だった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
最初は以前に話していた幸せな人生を歩む典さんを
書こうかとも少し考えたものの性格も名前も別人も
同然なのは流石にどうかなあと思ったこともあって、
遺棄はされなかったけれど、存在は隠蔽されて育ち
病弱でいつ死ぬか判らなかったとか適当な言い訳を
つけて急に実母とその夫の家へと戻された典さんの
IFを今回はふんわりと書かせていただきました。
なので、性格的にはあまり変わらないイメージです。
あと日本人離れした容姿が大きな特徴でもあるので
そこを変えたらどうなるか考えていたのもあります。
親元で暮らすならそこは絶対に誤魔化す部分ですし。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年12月11日

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