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『月の光が降る夜に』
ヤロスラーヴァ・ベルスカヤla2922)& アイラ・カウラla2957


 麗しき姫君へ
 月の蒼く輝く日、午前0時、硝子の森の抜け道を通り、我が城へお越しください
 是非、お好きな方とご一緒にどうぞ
 魔法の夜をプレゼントいたします




 清々しい冬の朝だった。
 ヤロスラーヴァ・ベルスカヤ(la2922)は、郵便受けに届いていた一通の手紙を三度ほど読み返す。
 古めかしい封蝋に見覚えはなかったし、切手も宛先の住所もなければ送り主の名前も住所もない。
 しかし、宛名はたしかにヤロスラーヴァだ。
(蒼い月……硝子の森……)
 童話のような表現だが、思い当たる節はある。
 ロシア出身でありながら、とある日本の文学館で学芸員として働く彼女は知識が豊富だ。
 それぞれが比喩するものを導き出し、ヤロスラーヴァの生活圏内に当てはめて考える。
「誰かの悪戯かもしれませんけれど……それはそれとして、月の綺麗な夜にお散歩は素敵ですね」
 冬の夜の、冴え冴えとした月。
 それだけでも、誰かと共に見上げる価値はあるはず。
 ――お好きな方と
 その条件に対し、ヤロスラーヴァは親友であるアイラ・カウラ(la2957)を真っ先に思い浮かべた。
 大好き。ともすれば、それを超えるくらい溢れる好意を寄せている。
(アイラさんは……どうでしょう)
 友と思ってくれてはいるだろう。
 けれど、その先は?
 自分だけの思いだったら――……いや……
 不安を、目をつぶって振り払う。
 口にしなければいいだけ。『好きな人』だけであれば、それは友愛にも言える。
 気持を落ち着けて、楽しい方へ切り替える。

 お城へ辿り着いたなら、何が待っているのだろう。
 お城へ辿り着けなかったなら、どう過ごそう?


 葉の落ちた木々の枝の向こうに、満月が輝いている。光の加減で、それは蒼く見えた。
「綺麗な月の輪郭……、ずっと魅入ってしまうわね……」
「凍りつく寒さの頃の茂みは、たしかに硝子のようです。この招待状は、結局どなたからだったのかしら」
「……ヤローチカは、本当にそれを信じているの……?」
 ヤロスラーヴァを愛称の『ヤローチカ』と呼び、アイラは足を止めた。
 子供のようにわくわくしているヤロスラーヴァに対し、誘いを受けたアイラは半信半疑だった。
 とはいえ一匹狼で交友範囲の狭いアイラにとって、ヤロスラーヴァは大切な友人の一人。
 彼女からの誘いであればなんだって嬉しい。
 絵本から飛び出したかのような不思議な案内状はアイラも手にして確認したが、事実を拾うことは何一つできなかった。
 ただ、ヤロスラーヴァの住まいを知った上で悪だくみをするような者がいるなら、この手で両断するまでだ。
「……この森なら、私も来たことはあるけれど……お城なんて」
 月夜の散歩。それで充分。
 二人で居る時間を大切にしたい。
 アイラは、そう言いたいけれど言い出せない。ヤロスラーヴァの希望を否定したくはない。
「もう少し……先へ行ってみましょうか。この小径でいいのよね?」
「ええ。条件に合っているのは、この入り口だけなの」
 それまでの憂い顔をパッと晴らし、寒い手を温めるようにヤロスラーヴァはアイラの手を握り歩き始めた。




 果たして。
 森の小道を抜けた先には、白いお城がそびえていた。
 つい先ほどまで、影も形もなかったのに。
「……夢かしら」
「素敵な夢ね。お城には何があるのかしら。アイラさん、行ってみましょう」
 呆然とするアイラ。その一方で、ヤロスラーヴァは青い瞳をキラキラに輝かせている。
 アイラに抗う選択肢などない。手を繋いだまま、二人は木製の橋を渡り石造りの城へ入っていった。


 蝋燭で照らされた廊下の先には、天井から豪奢な照明が幾つも下がった広間。
 白いクロスの敷かれたテーブルには贅を尽くした料理が並ぶ。
 しかし、誰もいない。
「どういうことでしょう……?」
「ヤローチカ……、あれも手紙、かな」
 料理の並ぶテーブルから離れた窓辺に、小さなテーブルが一つ。
 そこには招待状と同じ封蝋がされた手紙が置かれていた。
 宛名はやはり、ヤロスラーヴァ。
「お好きな衣装で……お好きにお過ごしください、ですって」
 食べ物も、飲み物も、望むがままに。
 望まなければ、それらは自然と消えるから、気兼ねなく。
「……夢かしら」
「素敵な夢ね」
 つい先ほどと同じやりとりを繰り返し、ようやく互いに笑みがこぼれる。
「アイラさん。どこまで夢が叶うか、試してみませんか?」
「……そうね……。ここまでこれたのだし……ヤローチカが望むなら」




 衣裳部屋を見つけ出し、二人は今宵を過ごすドレスを探す。
「……もう決まったの?」
「似合いますか? 白鳥の湖の、オデット姫のようでしょう?」
 ヤロスラーヴァは、裾が白鳥の羽の様に繊細なレースで飾られた純白のドレスを体にあててみた。
 肩にはイリュージョンレースに花の刺繍が施され、デコルテの美しさと品の良さを両立させている。
「ええ、よく似合うわ……。……ヤローチカはスタイルが良いから、何を着ても似合うもの……」
「あら」
 まるで自身を卑下するようなアイラの言葉に、ヤロスラーヴァの穏やかな表情が少しだけ強張る。
「アイラさんには、私が一番似合うドレスを選んであげます」
 まるで自分に魅力がないように言わないで。
 ヤロスラーヴァは、広いクローゼットから幾つかのドレスを取り出す。
「髪も瞳も、綺麗な黒。赤や紫も相性が良いけれど……私とお揃いはいやでしょうか?」
「えっ、…………」
 花嫁のような、白のプリンセスライン。
 肌の露出を好まないアイラのために、と選んだ肩から腕にかけてレースによる長袖のデザインは華やかで甘い。
 普段はそういった服装をしないアイラは、たじろいだ。
「他には――」
「わ、わかったわ。これにする。これを着るから……っ」
 どんどん、可愛らしかったり露出の増えるドレスを出してくるヤロスラーヴァへ負けを認め、アイラは白いドレスを手に取った。

「あ、あんまり……見ないで。あの、恥ずかしい……」
 試着室から出てきたアイラは、ヤロスラーヴァと目を合わせようとしない。
「とっても似合っているわ。アイラさん。これが一夜の夢なのだとしたら、しっかりとこの目に焼きつけなくちゃ」
 夢からさめても、覚えているように。
 こうして恥じらう姿も可愛いのだから。
「それと、この靴をどうぞ。今夜限りの魔法です、私だけのシンデレラ」
 微笑み、ヤロスラーヴァはガラスの靴を差し出した。
 アイラは緊張した面持ちで素足を滑り込ませる。ひんやりとした感触。しかし決して硬くはない、不思議な材質だった。
「それでは行きましょうか、お姫さま」
 完全にヤロスラーヴァのペースだ。
 頬を赤らめながらも、アイラは差し伸べられた手を取る。共に歩き出す。




 誰もいないのに、手入れの行き届いた不思議なお城。
 純白のドレスをまとった姫君たちは、色々な部屋を見つけては冒険する。
 ダンスホールで踊り、庭園で夜にだけ咲く花を見つけたり。
 素敵な絵画が飾られた部屋。
 宝飾品が納められた部屋。
 いくつも巡って疲れた頃、お姫さまの私室のような、少し小さな部屋に辿り着いた。
 向かい合わせのソファにティーセット。
 ここでどうぞ、お休みください。
 そう誘っているようだ。

 魔法の紅茶は、冒険の疲れを癒す甘い香り。
 焼きたてクッキーにチョコレート、一口サイズのケーキが皿に並んでいた。
 紅茶にはブランデーを垂らし、大人の味付けを加える。
「今夜は、アイラさんの美しくも可愛らしい姿を私が独り占めですね」
「……んぐ、ヤローチカ、急に、何を……」
 甘いチョコレートを口の中で溶かしたところで、アイラは反応に困る。
「急、ではありません。私は、アイラさんのことがずっと大好きです」
 大好きな。親友。親友、のはずだ。はずだった。
 それまで向かいに座っていたヤロスラーヴァが、ゆっくりとアイラの隣へ移動する。
 ふかふかのソファが、やわらかに沈む。
「アイラさんの、戦うために磨かれた美しい指先が好きです」
 アイラの右手に自身の左手を重ね、指を絡め、身を寄せる。キシリ。ソファのスプリングが小さく軋む。
「アイラさんの、まっすぐで美しい髪が好きです」
 背まで下ろされた、美しい髪に頬を寄せて。
「清廉な、アイラさんの魂が好きです」
 魂があるであろう場所へ、そっと右手を当てる。柔らかく、温かく、脈打つ場所へ。ゆっくりと指を沈めてゆく。
「……ヤ、ヤローチカ……」
「一晩中、語る自信があります。……アイラさんは? 私を拒絶しますか……?」
 親友なのに。親友だった、のに。そんなヤロスラーヴァを。
「私が……ヤローチカを突き放すわけがないわ……ヤローチカはかけがえのない……ひとだもの」
 絡められた指を握り返し、アイラは視線を合わせた。
 ヤロスラーヴァの瞳は、不安のためか潤んで揺れている。
 気持ちを伝えることに、どれほど勇気が要ったことか。面白半分ではないのだと、アイラは理解した。

 今日という日を用意したのが、何者かだなんてもはやどうでもよいことだった。
 想いに気づき、想いを伝え、それが叶ったなら充分。
 
「……泣かないで、ヤローチカ。私の大切な人」
 離れたりしない。拒絶なんかしない。
 どうしたら信じてもらえるだろう。
 重ねられた手を持ち上げて、その手の甲へ、アイラはキスを。
 ほう、とヤロスラーヴァから甘いため息がこぼれた。
 次は彼女が、アイラの左手の甲へ唇を落とす。その柔らかな感触に、アイラの心音は跳ね上がった。
(一緒にいて、心地いい……そう、思っていたのは)
 嗚呼。そういうことか。
 その瞳に惹かれてやまないのは。瞳の奥にある、ヤロスラーヴァの心に惹かれているからだ。
 彼女は、いつから自覚していたのだろう。
 勇気を出して、伝えてくれたのだろうか。
 アイラの胸の奥から、愛おしさがあふれ出して止まらない。


 夜の間だけ、真実の姿へ戻れるオデット姫。
 呪いを解くには、誰にも愛を誓ったことのない者からの永遠の愛の誓いが必要。

 泣いていません。言い募るヤロスラーヴァの目元へ、アイラはキスをする。涙の味がした。

 午前0時。シンデレラの魔法は解ける。
 つくりものは全て消え、残るのは真実の姿。

 私だけ一方的なのは嫌です。ヤロスラーヴァが、背を伸ばしアイラの頬にキスを。


 互いの心音を重ね、言葉が届きあったことを確認する。
 柔らかな唇を、傷つけないように触れ合わせる。
 大切なものへ触れるように、短く触れては離れを繰り返し、やがて深く深く。
 甘く溶けそうで、ほのかにブランデーの香る大人の味。
 頭の奥が、しびれそうな魔法の味。

 どこからとなく風が吹き込み、照明が消えた。




 明り取りの窓から、蒼い月の光りが注ぐ。
 純白のドレスが擦れ合う音だけ響く。
 花嫁同士の契りのように、神秘的で、誰も立ち入ることはできない。


 魔法仕掛けの夜に、真実の愛を。
 麗しき姫君たち、どうぞ心ゆくまで。




【月の光が降る夜に 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました。
お姉さんたちの魔法の夜。その一幕をお届けいたします。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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2020年12月14日

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