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『Lil’ Goldfish』
柞原 典la3876


 ――泡が浮かび上がって弾ける

「……あぁ、これは夢や」
 柞原 典(la3876)はふと声に出した途端、気付いてしまった。
 目の前で戦うライセンサー達、多数のナイトメアとエルゴマンサー。
 その全てが、一次停止を押した画面のように止まった。
 気付いてしまったら、真っ当に戦うのも面倒臭くなって、適当にライセンサー達に止めを刺してもらうことにする。
 そう典が思った途端、全てのナイトメアが爆ぜ、エルゴマンサーはライセンサー達の刃に沈んだ。

 ――ゆらりと金魚が泳ぐ

 夢であると自覚しながら見ている夢のことを明晰夢という。
 明晰夢では夢の状態を自分の思い通りに変化させられることがある。
 どうやら、今日の夢はそう言った夢らしい。
「……なんや。ほんだらいっとう逢いたい人に逢わせてぇや」
 そう、いつだって願うのに、その想いだけは叶わないまま。

 水滴が水面に落ちる音がする。
 波紋が其処此処に広がり、繋がり、周囲を歪ませる。

 ――赤ん坊の泣き声

 典の眼前に広がるのは、日本の山深い田舎の風景だった。
 泣いている赤ん坊と、見覚えのある産着。
 奈良県の中でも典が遺棄された地域は南西部にあたり、夏でも冷涼な土地は冬になれば寒冷で雪深く、梅雨となればいつまでも雨雲を止め、災害も多いことで有名な地域だった。
 典が保護された12月7日も、曇天からみぞれ混じりの雪が降る寒い日だった……と誰かが言っていたような気もするが、定かでは無い。
 何しろ、ほぼ足を向けたことも無い。
 過疎化の進んだ限界集落で、遺棄された赤ん坊がいた、という事実は瞬く間にセンセーショナルな大事件として取り扱われたらしいが、残念な事に肝心な遺棄した『誰か』は終ぞ見つかることが無かった。

 ――誰かに覗かれている感覚

 典は俯瞰したままその赤ん坊を何の感慨も抱かないまま見つめていた。
「いっそ、この時に死んどったら良かったんかなぁ?」
 しかし、実際にはそうならなかった。
 保護され、生き延びる。とはいえ、生に貪欲になれず、死んだらその時と長生きするつもりも無かったが、その一方で自分が気に入らない死に方をしたくないと思う程度にはその刹那に憧憬を抱いた。
「……それも、兄さんのお陰でおとろしいことになったわ」
 ジャケットの胸元に入れているライターにそっと触れると、しじまのような笑みを浮かべ、双眸を閉じた。

 ――ぬるい水中を漂う

 フィルム映画のように、写真のように。
 子どもの頃から社会人になるまでの日々が目の前を流れていくのを典は泰然と見送る。
 悔いることも恥じることも、当然、誇ることも無い。そうすべきだったからそうしたまでだ。利用出来る物は何でも利用する。誰も――自分の事さえ信用せず、ただ、その時を生き存えるために。
「いやぁ、我ながら碌でもないわぁ」
 そんな言葉を唇に載せる一方で、感情は何一つとして揺れていない。

 ――深く深く深く沈んでいく

 ライセンサーになった。
 初陣で鹿型のナイトメアに脇腹を突かれたこと。
 子ども相手になれない説教をしたこと。
 青い炎狼達との戦い、アメリカ合衆国カンザス州まで出向いて脱走した牛を回収したこと――
 『兄さん火持ってへん?』
 かつての自分の声が聞こえた。軽薄そうな笑みを浮かべた保安官と自分の姿があった。
「あぁ……」
 ここまで揺れることの無かった典の心が乱れた。
 流れる風景に手を伸ばし……それは波紋を描いて歪む。
 低く響く声だけが典の耳朶を打った。
 記憶の中、今も生き続ける声、交わした言葉が何度もリフレインする。
 塞がりかけた傷口からまた熱い血が溢れ出る。
 流れた血液は足元に落ち、水音と共に幾重にも波紋を生み出すと更に風景をかき混ぜていく。
 『またナンパしてなぁ』
 手を振る自分と、振り返る彼の姿が水中に落ちた絵の具のようにぐにゃりと混じり合って歪み消えた。

 ――流れる血を止める術が分からない

 風景は流れていく。
 時にスローモーションの様に、時に倍速のような性急さで。
 楽しかった記憶は木枯らしに吹き飛ばされ、戦いばかりがクローズアップされる。
 何度か一緒に戦った筈の仲間の姿はもやがかかったように漠然としており、敵の姿だけが輪郭を伴う。
 流れる血は帯のように、糸のように細く長くどこかへと流れていく。
 無理に泳げば溺れる。だが、流れに身を任せ漂うには苦を伴わない。
「なんや、走馬灯かなんかなぁ?」
 明晰夢だと思ったが、思うほど思い通りにならない上に、見えるのは思い出すこともなかった記憶ばかりだ。
 ……訂正。思い出せば流血を伴う事が分かっていたから、瘡蓋で塞いでいた疵痕。


 『煙草』
 『お茶』

 重ねた時間は短く。

 『殺して』
 『死装束を選んで』
 『爪先から食べ』
 『残った額に弔いの言葉を書く』

 交わした“約束”。

 『笑わせて』

 喇叭水仙の咲き乱れる夢。

 『契約書』

 別離の日。
 転がるライター。

 『その顔で会いに来てくれ』

 残された孤独。

 『おやすみ』


 ――呼吸の仕方さえ忘れた

 ――幾重にも泡が音を立てて浮かび上がる

 果たされた“約束”。
 果たされなかった“約束”。
 そして、破られた“約束”。

 『地獄で待ってる』

 ――ゆらりと金魚が揺れる


 典は銀の弾丸の引き金を引いた。


 金魚鉢が割れる音がする。
 水が流れ落ちる音がする。
 浮遊感に包まれていた身体は、久方振りの重力に捕らわれ驚くほど重たい。
 水を吐き出すように咳き込む。
 口の中から小さな金魚が1匹床に吐き出された。
 それを踏み潰し、典は左袖口で乱暴に口元を拭いながら、右手で銃を構える。
「けったくそ悪いわ」
 目の前には人の大きさほどもある赤い金魚が宙に浮いていた。
 その頭部に銃弾を撃ち込む。

 弾丸が頭部を貫くと同時に、金魚は霧散し消えた。



 典は深い深い溜息と共に半ば崩れるように地面に腰を下ろす。
「……あかん。こないぼっこな目ぇ、遭うたことないわ」
 懐のライターを探る。きちんとそこにある事を確認し、再度溜息を吐く。
 空を見上げれば星の無い夜。
「……溺死はなぁ……ガスが溜まるさかい、やくたいやしなぁ」
 “約束”からもう何年生き存えて来たか。
 数えることを止め、細部を思い出すことも止め、のらりくらりと日々を生きる。
 それでも、こうして時々死を意識する瞬間、思い出されるのは彼との“約束”だ。
 視線を空から正面へ戻すと、樹の根元に黄色い花が咲いているのが見えた。
「……なんやの今日は」
 それは日頃の典を知る者が見れば目を見張っただろう、淡い微笑み。
 その双眸の先に映るのは一輪の喇叭水仙。
「……まだまだ来んなってことなん? ほんま、しわいなぁ」
 気怠い身体に鞭打って典は立ち上がると、三度ズボンを叩いて土を払う。
 何年経っても容易に瘡蓋は剥がれ、血を溢れさせる。
 だが、その度、破られた約束と新たに結ばれた約束に自分は生かされるのだろう。
 いつか、傷が癒えて血が流れなくなったら……その時こそ本当に死ぬのかも知れない。
「出来れば、そん前に迎えに来て欲しいなぁ……しわしわのおじいさんになってしまうわ」
 自分で言って、典は「あほらし」と首を振って歩き始める。

 風に揺れる喇叭水仙は典の後ろ姿を見守るように咲き誇っていた。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【la3876/柞原 典/ゴールドフィッシュの夢】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度はご依頼いただき、ありがとうございます。葉槻です。

 実は密かに見守っておりましたので、今回ご依頼いただけて光栄です。
 ふわふわと掴み所のない世界、今よりも未来、それでも歩いて行く典さんを書かせて頂きました。
 ご受納頂けましたら幸いです。

 口調、内容等気になる点がございましたら遠慮無くリテイクをお申し付け下さい。

 またどこかでお逢いできる日を楽しみにしております。
 この度は素敵なご縁を有り難うございました。

おまかせノベル -
葉槻 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年12月14日

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