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『いつか、春の花曇りの空の下』
桃李la3954


 ナイトメアとの戦いで重傷を負った桃李(la3954)は、国立病院へと救急搬送された。
 大きなモニターの光のせいで大層顔色の悪い医師から告げられたのは、「入院加療の必要があります」という一言だった。
 正直、桃李はこの後受けた詳細な説明を殆ど覚えていない。
 精神型ナイトメアの攻撃を受けた結果、脳波に異常が見られるとか云々だった事は覚えている。
「大袈裟だなぁ、俺は普段通りだよ?」
 そう告げたことも覚えている。
 だが、医師も看護師も首を横に振り、別室に通されて入院手続きについての説明に入った。
 とはいえ、必要なのはこの身一つ。
 あとはライセンサーカードが身分証明書となってSALFから治療費他支払ってくれるのだという。
 パジャマや下着類は全て貸出。その代わり、精神を乱すような物事から遠ざけなくてはならいという理由でスマホ、ウェアラブル端末は取り上げられ、テレビもラジオも無い病室へと通された。
 病室は基本個室。だがそこは窓には格子柵がされ、“外鍵”がかけられる使用になっている。
 共有の娯楽室にはいくつかの本とオセロや将棋といったボードゲームが数点置かれているだけ。
「……完全に精神病棟だよね?」
 身体は軽微なダメージしか負っていなかった桃李は一通り見回っての感想を漏らすと硬いベッドに腰掛けた。
 外は3月だというのに、寒風が吹き荒び、雪がちらついていた。
 風に煽られて今にも折れてしまいそうな桜の枝を見つめ、桃李は頬杖を付いた。


 あの日。海鳴りが轟く岸辺に、そのナイトメアは現れた。
 白く砕けた波濤が綿帽子のように周囲に舞った。
 その中を仲間と共に駆る。
 ひとり、鋭い触手に貫かれ倒れ、またひとり海中に沈められそのまま戻って来なかった。
 精神型という情報のわりには、非常に攻撃にも防御にも優れた個体だった。
「鬼サンこちら、と」
 そんな中でも桃李は波打ち際を走り、岩を蹴って確実に一撃を与えるべく動いていた。
 自分より攻撃力の優れた仲間の攻撃が当たるよう、囮になるように派手な技をぶつける。
 「危ない!」仲間の声に桃李は唇の端を持ち上げて応えた。
 今、敵は自分しか見ていない。絶好の機会だ。そのまま、存分に技を振るってくれと願いながら、桃李は敵の深淵の様な口の中へと吸い込まれた。
 その後の事を桃李は覚えていない。
 無事敵は倒されたのだと聞いた。
 なのに、全身が勝手に震えるのを止められない。恐怖が、脳髄まで浸食してくる感覚に桃李は思わず自分自身を抱きしめた。
「……こんな、感覚は……流石に初めて、だよ」
 胃液を吐いて、涙と鼻水とで汚れた顔を無造作に拭った。
 大丈夫かと背をさすってくれたその手が気持ち悪くて思わず払い除けた。
 どうしたと問う仲間の声が、ただただ雑音にしか聞こえず、いっそ気を失えたなら楽だっただろうが、恐怖の余りその双眸を閉じることも出来ず、救護隊が来るまでただ、岩陰で両膝を抱えて震えている事しか出来なかった。


 入院して数日。あの日を思えば、もうだいぶ回復していると思った。
 それでも、眠りにつき、あの瞳を思い出すと桃李は暴れた。
 装備品の一切を奪われたのはこの時の為だったと後から知る。
 イマジナリーシールドを展開して上に暴走したとあっては、被害は計り知れない。
 逆に言えば、適合者とはいえEXIS装備を持たなければただの人だ。
 鎮静剤を打たれ、自傷行為に至らぬよう拘束された状態で目覚めた時には驚いたが、後に録画した錯乱状態の自分を見せられたときには驚きより愕然として、しばらくその場から動けないほどのショックを受けた。

 ――貴方も、侵されたの?
 澄んだ、美しい声音。
 振り返るとそこには車椅子に座った少女がいた。
 目を見張るほどの美人という訳では無い。
 ただ、顔の半分を覆う白い包帯が痛々しかった。
 それはほんの僅かな感傷だった筈なのに、少女と目が合った瞬間、射るような少女の視線に思わず桃李が身動いだ。
 少女は僅かに口角を上げる。
 カッと桃李の頬に朱が走り、得も言われぬ感情が喉元まで迫り上がったが、無理矢理それを飲み込むと頷いて見せた。
「みたいだね。もう、だいぶ良くなったんだけどね」
 桃李が微笑を浮かべて両肩を竦めて見せれば、少女は見える左目を眇めて首を横に振った。
 ――貴方、今笑ったつもり? 鏡を見てご覧なさい。ちっとも笑えてなんかないわよ
 桃李は何を言われたのかわからなかった。
 己の顔に手を当て、頬を触って、トイレで鏡を見た。
 笑ってみせた顔はピクリとも動かず、端正な顔はただただ真顔で己を見返していた。

 少女と桃李は何度か廊下ですれ違う中で、言葉を交わすようになった。
 ――無理に笑おうとするから胡散臭くなるんじゃ無い?
「酷いなぁ」
 歯に衣着せぬ少女もまた、来訪者でライセンサーだった。
 ある日、来訪者だった数名の仲間と協力して敵を撃破したが、消滅の間際に放たれた呪いは少女に振り注ぎ、死は必定として定着してしまったのだという。
 ――もう少し戦いたかった
 そう呟いた自分と同じ色をした瞳は静謐に濡れていた。

 徐々に桃李は夜眠れるようになり、鎮静剤を打たれることも無くなった。
 表情筋もぎこちないながら動くようになって来た。
 桃李が順調に回復していく中、一方で日を追う毎にひとつまたひとつと少女は朽ちていった。
 日に日に包帯は増え、昨日まで自由だった左手が今日には動かなくなっていた。
 ――早く春が来れば良いのに
 その言葉を最後に少女と会えないまま2日が経過した。
 桃李は少女の特徴を看護師に伝え、病室を教えて貰うと駆けつけた。

 静寂の中、心電図の音が響く部屋。
 目元以外を包帯で覆われた姿で少女は眠っていた。
 小さな命の灯火が今にも消えそうになっているのを感じ、桃李はベッドの脇に腰掛けると小さな手をそっと握った。
 微かに動いた指先に、桃李は目を見張り、少女の顔を覗き込む。
 閉じたままの瞳は、ただ疲れて眠っているだけのようだった。
「俺はね、桃李っていうんだ」
 少女の名前は桃李がよく知る名前で、何よりも美しい響きを持った名前だった。
「もう少し、早く聞いておけば良かった」
 そしてあの澄んだ声で名を呼んで貰えば良かったと、今更、思う。
 床頭台の上の目覚まし時計の秒針の音、輸液ポンプの作動音、点滴の落ちる音さえもが桃李の耳朶を打つ。
 それなのに、少女の呼吸音は殆ど聞こえない。
「桜の花が咲いたよ、目が覚めたら、見に行こう」
 叶わないとわかっていて紡ぐ言葉は、思ったよりも寒々しく響いた。

 医師と看護師が去った後、桃李は床頭台の上にライセンサーカードが置かれていた事に気付いた。
 写真の少女はあの射るような双眸で勝ち気に微笑んでいた。
「いつか俺もそっちへ行くから、その時までさようならをしよう」
 桃李は微笑むと、ライセンサーカードを元の場所へ戻し、病室を後にした。



 桃李は満開の桜の樹の下に立つ。
 薄紅の向こうに見える青ざめた空を見つめていた。
 ――桃李!
 名を呼ぶ声の方へ顔を向ける。
 そして、ゆっくりとそちらへと歩き出した。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【la3954/桃李/君を忘れない】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 この度はご依頼いただき、ありがとうございます。葉槻です。

 今回は失って取り戻して歩き出すお話にしてみました。
 敵はいつか出してみたかったふんわりクトゥルフ系な正気度ガッツリ抉ってくるヤツを出してみました。
 なおタイトルは『美しい名前』と迷った事をここに白状しておきます。

 口調、内容等気になる点がございましたら遠慮無くリテイクをお申し付け下さい。

 またどこかでお逢いできる日を楽しみにしております。
 この度は素敵なご縁を有り難うございました。

おまかせノベル -
葉槻 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年12月14日

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