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『胡蝶の夢』
柞原 典la3876


 夜の川に屋形船が浮いていた。
 舳先側の端に寄りかかり柞原 典(la3876)は煙草を吸って、吐いた。煙が夜闇に吸い込まれていく。
 それを眺めながら、お猪口をくいと煽ると、酒精が回って軽い酩酊感を感じた。

「なんでこうなったか、ようわからんけど、ええなぁ」

 典は怪しげな微笑を浮かべてくくっと笑う。
 月明かりで銀髪が淡く輝き、着物に羽織をひっかけて、船に寄りかかる姿は艶めかしく、役者と見まごうくらい、様になっていた。
 風に揺れて、羽織がひらりとめくれる。裏地が蝶柄なのが、いかにも典らしい。


 そもそもの発端は「川で人がナイトメアに襲われている」とSALFに通報があり、たまたま近くにいた典が現場に急行した所から始まる。
 駆けつけてみれば、それは誤報で、捨てられたマネキンに魚が群がっているだけだった。
 通報者は屋形船の主人で、誤報で迷惑をかけた典に、美味い物をご馳走したいから、屋形船に乗らないかと誘われた。
 ただ飯、ただ酒はありがたくと受け入れたら、どうせなら着物もレンタルをと着せられた。
 気づけば一人夜の屋形船遊びで、今に至る。

 とはいっても流石に貸し切りではない。
 屋形船の中の和室は、襖で区切って分けられる仕組みになっていた。
 典用に用意された和室は小さなもので、襖の向こうには広い部屋があり、どこかの医大の同窓会に使われているらしい。
 料理も宴会の仕入れの余り物だ。
 鮪の刺身をひょいとつまみ、口に運ぶと、口の中で蕩けた。

「さすが医者。金持ちの集まりなんやなぁ。えらい良い刺身やわー」

 刺身の脂の乗り方が違う。
 ウニイカは濃厚なウニの味とねっとりとしたイカの甘みが絶品で、日本酒が盗まれるように、くいくい飲めてしまう。
 つぶ貝の酢味噌和えは、ほどよい酸味で、こりこりとした歯ごたえが楽しい。

「料理も美味いし、眺めもよろしいけど、なんや寂しいなぁ」

 今日の月は満月で、水面に浮かぶ月がゆらゆら揺れる。時々雲が過ぎって朧月夜になる所も風情がある。
 美しい水辺の景色を堪能できるとはいえ、一人きりはちと寂しい。
 隣の団体さんに割り込む訳にもいかず、船が岸に着くまでナンパもできず。
 どうにも暇を持て余し、懐から取り出したライターを右手で弄る。

「……こんな時、兄さんがいたら、楽しかったんかな」

 ぽつりと呟いた言葉が、夜風に消えた。
 その時、分厚い雲が月を隠し、何故か屋形船の照明が消えた。夜の川に深い暗闇が訪れる。
 ふわりと宙に浮かぶ白い霧が見えたかと思うと、それが保安官姿の男になった。顔はぼやけてよく見えない。
 一瞬、幽霊かと思って、あ、これ夢やと思い直す。
 ふと気まぐれに煙草を咥え、典は艶然と微笑む。

「兄さん火持ってへん?」

 初めてかけた言葉と同じ。どんな返しをするのやらと様子を伺うと、男は腰から拳銃を抜いて、引き金を引いた。
 思わず典の顔も一瞬強ばったが、ぽっと煙草の先に火がついて、男は拳銃をしまった。

「おおきに。せや、兄さんも一緒に酒飲まへん?」

 空のお猪口に日本酒を注ぎ、男の前に差し出すと、手に取ってちびりと飲み始めた。飲んでいると解るのに、やっぱり顔が見えない。
 こうしてのんびり酒を飲むような仲ではない……はず。夢の中で飲んだ気がしないでもないが。

「あー、二人きりで飲むってのは、初めてやね」

 そう言いながら、戯れに下駄をころんと蹴飛ばし、着物の裾をはだけ、典はむき出しの素足を差し出した。

「兄さん、喰わへんの」

 蜜のように甘く微笑んで小首を傾げると、銀色の髪がさらりと揺れる。
 色白でしっとりとした足の甲を向けられて、男は首を横に振る。

「なんや、今日は大人しいな。それとも喋れへんの? 死人に口なしやろか」

 幽霊ならそんな物かもしれない。典は彼が死ぬ所を見ている。
 本当は違う男だろうかと疑い始める。ふと思いついて試すように煙草を差し出すと、男は受け取って口に咥えた。
(やっぱ違うんかな。それか夢やな。兄さんが煙草吸うやんて、おかしいわ)
 どうせ都合の良い夢、たまには反対に、火でもつけてやろうか。ライターを取り出した所で、その手をぎゅっと握られ止められた。

「……なんなん?」

 典に男の顔が近づいてきた。顔が間近に迫った所で、煙草の先と先がふれあい、火が燃え移る。
 ぼうっと闇夜に、火が灯る。
 その時やっと男の顔がはっきり見えた。嫌みっぽい笑顔がらしい。思わず典の顔に笑顔の花が咲く。

「やっと、兄さんの顔が見えたなぁ……」

 そう呟いた所で、ふと意識が途絶えた。



「……典君。こんな所で寝てたら風邪引くわよ」

 聞き覚えのある声に、典は目を開けた。
 月夜の屋形船で着物姿。先ほどまでと変わらない。ただ目の前にいるのが、緒音遥である点を除けば。
 もう雲は晴れたようで、月明かりが眩しく、屋形船の照明も煌々と灯る。

「なんでここに緒音嬢さんが? 仕事なん?」

 そう問うのも無理はない。なにせSALFのオペレーター制服姿である。

「同窓会。仕事が遅くなって、着替える余裕もないから、そのまま来ちゃったのよ」
「同窓会って……なら、隣の団体さんか。嬢さん医大出身なん? エリートやん。なんでオペレーターしてるん?」
「色々あったのよ。みんな医者で一人だけこの格好だと、浮いちゃって、居づらいのよね」

 だから抜け出してきたとぼやく。
 典も、もしもサラリーマン時代の同僚と、また飲むことになったら、きっと似たような感じだろうと思う。
 ライセンサーを廃業しても、ただのサラリーマンに戻れるかわからない。

「なあ、なら一緒に飲まへん? 一人は寂しい思ってたん」
「一人? 誰かと一緒だったんじゃないの?」

 そう言って、緒音はお猪口を指さした。
 日本酒が入ったお猪口が2つあるのだ。まるで、つい先ほどまで、そこに誰かがいたような雰囲気で。

「はは……。夢かと思ったんやけど、幽霊の方やったんかな」
「幽霊?」

 緒音に説明しかけて、ふと気がついた。
 宵闇に紛れて、蝶が飛んでいる。月光を浴びて、金粉を撒き散らしながら、ひらひらと飛んで、お猪口の上で止まった。
 まるで、自分の分だというように。

「ねえ、典君。知ってる? 蝶って死んだ人の魂らしいわ」
「……へぇ。それはおもろいわぁ」

 今度は蝶に姿を変えて、自分に会いに来たのだろうか。
 そう考えるだけで、楽しい気分になった。
 戯れに蝶に指先を伸ばしてみる。蝶は指を躱して、ひらひらと典に近づき、額に口づけるように触れて、空へ飛んでいった。

「兄さん、顔好き過ぎやろ」

 口元に怪しげな笑みを浮かべて、典は二つ分お猪口を浚って、ぐいぐいと飲み干す。
 冷えた体が、急に熱くなった。

「……これも、飲みかけやったっけ?」
「よく、解らないけど。私もご相伴にあずかって良いのかしら?」
「もちろん。飲んだって」

 お銚子を差し出すと、緒音のお猪口に注ぐ。
 2人が飲む屋形船の上で、蝶がひらひらと飛んでいた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【柞原 典(la3876)/ 男性 / 29歳 / 水もしたたるいい男】


●ライター通信
お世話になっております。雪芽泉琉です。
ノベルをご発注いただき誠にありがとうございました。

典さんが夜の水辺で着物を着たら、怪しい色気全開で似合いそうだな……という妄想を膨らませたらこうなりました。
お気に召して頂けたら良いのですが。

何かありましたら、お気軽にリテイクをどうぞ。
おまかせノベル -
雪芽泉琉 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年12月21日

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