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『旅の始まり』
不知火 あけびla3449)&不知火 仙寿之介la3450

 世に怪異はびこり人の暮らし脅かすとき、どこからともなく現われる守護の刃あると云う。
 一の刃は紫の髪流せし佳人。剣の技と忍の業(わざ)とを併せ遣う“Ms SAMURAI”。
 二の刃は白銀の髪たなびかせし美丈夫。古今東西いずれにも有り得ぬ自在の剣技を振るう“天衣無縫”。
 二世の契り結びし両者は時に花のごとくに舞い、風のごとくに吹き、雷のごとくに降り落ちては怪異を払い、世の不穏を祓うのだ。


「山だー!」
 雪白粉を厚くはたいた山のただ中、不知火 あけび(la3449)の声音が爆ぜた。
 妻の咆吼に薄笑みを返す不知火 仙寿之介(la3450)。
 ふたりは今、山中に湧く秘湯へ浸かっている。宿からずいぶんと距離があるし、獣と出くわす恐れもあるため、ここまで来る者はまずいない。おかげで夫婦水入らず、手足と心を伸ばしてくつろいでいるわけだ。
「雪化粧の山、風情があるものだ」
「それにお酒もおいしい!」
 湯へ浮かべた盆には持ち込んだ酒の徳利が置かれていて、そこから注いだ酒をふたりは味わう。見知らぬ地酒の発見は旅の醍醐味のひとつだが、どうやら大当たりを引けたらしい。

 不知火の現当主であるあけびと入婿の仙寿之介がそろって旅に出る。これは新婚旅行以来、初のことだった。
 もちろん、入念な根回しと調整を行うのは大前提であるとして、それでもなぜ、ふたりが旅へ出られたものか?
 あけびは子らを始め、家人の主立った者たちを集めて語った。
『私、体が動く内に引退するから。そうなると後継選びのこと考えなきゃいけないでしょ? ってことで、当主になりたい人はがんばって』
 焚きつけておいて、家を空ける。それは自分の目を気にせず次期当主の座を獲りにいけという示唆。
 にわかに色めき立つ者たちの中で表情を固くする長男を見やり、あけびは心の内で苦笑した。こういう人たちを抑えられなきゃ、家は回わせないからね。
 実のところ、次期当主は長男で決まりだろうと思ってはいる。長男の実力を信じているわけではなく、その斜め後ろに涼しげな顔で座す長男の幼なじみを信じればこそ。
『おまえは存外性(しょう)が悪いな』
 夫は妻をそう評したが、当の妻はかぶりを振るばかり。
『一応は公平性守らないといけないでしょ。それに我が子の幼なじみに任せといたら大丈夫だよ』
『いや、うちの息子もやるときはやる男だぞ』
 女衆へばかり肩入れするあけびへ、仙寿之介は抵抗してみたのだが。
『昔言われたことあるんだよねー。不知火の男はみんなぽんこつだって。うちの子もまあ、やるときにやっても、ねぇ』
 思い当たる節が多すぎて、さすがの仙寿之介も否定できなかった。彼とて剣以外に得意はないし、あとは高いところへ置いたものが取れる程度の代物だから。
『というわけで、私たちは安心して旅を満喫しましょ!』
 ほくほくと行き先を探し始めたあけびの背から視線を外し、仙寿之介は台所へ向かった。俺は高いところのものが取れるだけの男じゃない。菓子も作れる男だからな。

 などという経緯はさておいて。
「甘口は苦手なつもりだったがこれはいい」
 今、味わっている酒は日本酒度で言えばマイナス50。大甘口に分類される一品である。糖分が多いだけに味わいもこってりと重いのだが、しつこさやくどさは微塵も感じられず、むしろすっきりと喉を滑り落ちていく。
「しぼりたてだからかな?」
 12月はまさに酒が絞られ始める月だ。つまりこれは新酒の中の新酒ということになる。もっとも酒の口当たりには新しさや古さとは別の問題が関わることなので――簡単に言えば水とアルコールの分子がどれだけ結びついているか――あけびの言は的外れではあるのだが。
「肴なしで行けちゃうのは怖いわー」
 怖い怖いと言いながら、あけびぐい飲みを傾ける。
「おまえの飲みっぷりはそれだけで肴になるがな」
 食も酒も結局のところ相手次第ということだ。そんな仙寿之介の言葉に、あけびは肩をすくめてみせて、赤らんだ頬をはたはた扇ぎ、照れた笑みを返した。
「そういうこと言うから飲んじゃうんだよ?」
「光栄だな。今もおまえを酔わせるに足る男でいられることは」
 酒の一滴を舌のすべてで味わい、仙寿之介は息をつく。
 二十代半ばにしか見えぬあけびだが、実際は三男二女の母であり、長男はすでに成人している。それなり以上の歳なのだ。それもただ歳を重ねただけではない。当主の座へ就いて二十余年、しなやかながら強かに自らを鍛え上げ、蠢動するものどもを抑えて使いこなすだけの力量を得てもみせた。
 出会った頃には、ただただうるさいばかりで才なき幼女だと思い込んでいたのにな。
 それが今となってみれば、多才を開花させたあけびに自分が養われている。まったくもって締まらない話だ。
 そんなことを思っていると――湯を滑り抜けてきたあけびが傍らに添い、仙寿之介と同じ景色へ目をやりながら言う。
「私を選んでくれて、ありがとう。仙寿からしたらすぐ死に別れちゃう女だってわかってるのに、それでも妻にしてくれたこと、ほんとにうれしい」
 仙寿之介は天使と呼ばれる種族であり、寿命は人より遙かに長い。人でしかないあけびと過ごす時間はほんの一時に過ぎないはずだ。
 しかし、それをして彼は二世を契ってくれた。すいぶんと待たせることになるが、次の世でも共にあろう。そう言って。
 せめて自分のいない先にも寂しくないようにと子孫繁栄を目ざしたが、それでも置いて逝かねばならぬことに変わりはなく、故に後ろめたさを感じてもきた。
 でも。夫婦になれたから幸せです! ってわけにいかないのは始めからわかってたことだから。私は全力で今、精いっぱいいっしょにいるよ。
 そう。残される仙寿之介の思い出のためでなく、ふたりで在るこのときへ思いを詰め込むために、尽くす。
「おまえとの出合いは宿縁だった。他に選びようなく、他を探すこともできず、いつしか出合いが出会いであったものと知り、それどころか出逢いであったのだと思い知った」
 仙寿之介はぐい飲みを盆の上へ置いた。中身はほぼ減っていない。そもそもほとんど飲んではいなかったのだ。息に酒精を乗せるため、湿していただけで。
「うん。湯治決め込むにはちゃんと順番辿らなくちゃね」
 こちらも最初のひと口以外は飲む振りをしていたばかりのあけびがうなずいた。
「辿る……ああ、そういうことか」
 互いに立ち上がれば、その身は完全装備に鎧われていて――そも、初めからふたりは湯に浸かってなどいなかったのだ。湯の脇の雪溜まりをあけびの忍術で偽装し、湯を満喫しているように幻(み)せていただけで。
「人を襲う前に引っぱり出せてよかった」
 飛来した生体弾を鞘で弾き、あけびが跳んだ。足場となる木枝はすでに見繕ってある。3歩で幹を駆け上り、枝を蹴って跳ぶ、跳ぶ、跳ぶ。
 木々の向こうから発せられる疑念。おそらくは『なぜ気づいた!?』か『どうしたことだ!?』といった内容なのだろうが、夫婦共々、察してやれるほどナイトメア言語にくわしくないし、学んでやるつもりは毛頭ない。
「が、ひとつだけ答えておこうか。気づかないはずがない、この秘湯を夫婦水入らずで楽しめる不自然さに」
 あけびを追って駆け出した仙寿之介がうそぶく。
 ――宿の女将から話を聞いたときから当たりはつけていたのだ。多数の獣が棲まう山のただ中、しかも人の足で辿り着ける程度の場所にある秘湯へ、冬眠せぬものたちが集わぬ理由など知れている。湯が鉱毒に犯されているか、あるいは獣が棲み慣れた場から離れなければならぬほどの脅威が居座っているか。前者でないことは知れていたから、正解はおのずと知れる。
 だからこそ、夫婦はここへ来たのだ。山を侵す脅威を退治て正しき営みを取り戻すがため。

 唐突にナイトメアの気配が消えた。
 しかし弾は不規則に飛び来て仙寿之介を脅かし続けている。
 敵は猟師か。
 駆けながら左に佩いた君影を引き抜き、右手にぶら下げる仙寿之介。構えないのは、彼の剣には構えも型もないからだ。刃などどこへ置こうとかまわない。必要に応じて自在に舞い、ただ敵を斬るだけの「天衣無縫」なればこそ。
 鍔元で弾を払い、あるいは跳び避け、かがんでやり過ごし、悠然と彼は進む。

 その先を行くあけびは軌道を細かに変えつつ、でたらめに跳び回っていた。だからこそナイトメアはまっすぐ迫り来る仙寿之介へ照準を合わせているのだが、それこそが斥候を務めるあけびの術である。
 周囲を広く確かめ、地形は完全に把握した。弾の出処は複数あるが、まちがいなく敵は1体だ。どれほど統制を取ったとて、複数でかかればどうしても“拍”がずれる。逆に1体ならば、どれほど不規則を装っても拍に規則性が生まれるものだ。
 そこまでして隠れたいとなれば……結局はそこしかないよね?
 棒手裏剣で銃口のひとつを潰して着地。体をふわりと巡らせれば、その右手に桜花爛漫が現われて。
「九字は省略!」
 言い放つと同時にその体が流れ出す。忍の九字は敵を惑わすだけでなく、自らを集中させるがための手順だが、刃を抜いたそのときから、あけびはすでに空(くう)となっていた。
 弾は点。いくら数を増したところで、流れる水を止められるはずはない。するするとひとつところへ流れ込んだあけびは自らを逆巻かせ、刃の渦をもって銃口を、せり出しきた弾ごと断ち斬った。
「露は払ったよ!」

 あけびの声音が示す先は明白だった。これまでの彼女のポジショニング、挙動、対処、すべてがそれを伝えていたから。
「髪結いの亭主、お膳立てすら妻へと頼り、押っ取り刀でただいま推参。と、いったところか」
 シニカルな笑みを閃かせ、仙寿之介は吐きつけられた生体弾を峰で叩き落とす。
 と、雪溜まりの底より跳び出したナイトメアが半ばで断たれた触手をふるい落とし、その口を彼へと向けた。ガトリング砲さながらの、機能ももちろんその通りなのだろう束ねられた銃口を。
 果たして吐きつけられる弾弾弾弾弾弾――駆けつけてくれる妻はなく、ひとりその奔流へ向かう仙寿之介だったが。
 その手の君影がゆるやかに舞い、すべての弾を弾き落としていく。動きに性急さがないのは、一度に複数の直撃弾を落としていればこそ。まさに神業級の見切りである。
「隠し弾があると面倒だ。ひと息で終わらせるぞ」
 騒々しい金切り音の狭間から涼しげな声音を伸べ、妻を促せば。
「承知だよ!」
 あけびが彼の左へと回り込む。
 剣士の左は死角であり、故にその左を預かることは最大の親愛を示すことでもあるのだが、それはあくまで剣を鞘へ納めている間の話だ。すでに抜いている以上、右も左もありはしない。が、それをして左へ回る妻の心がありがたく、愛おしかった。
 仙寿之介は弾があけびへ跳ねぬよう注意を払いながらナイトメアへ迫り、束になった銃口の先へ切っ先をこすらせた。
 ただそれだけの衝撃でナイトメアの銃口が横へ泳ぎ。
 夫婦が左右から斬り下ろした刃に銃身と頭部を断ち割られ、跳ね上がった刃に胴を断たれて己の“部品”を白雪にばらまき落として……。
「燕返し二重(ふたえ)」
 刃を納めたあけびに続き、こちらも納刀した仙寿之介が背中越しに投げた。
「過ぎた土産だが、黄泉路の慰みにくれてやる」


 今度こそ秘湯へ浸かり、あけびと仙寿之介は先には味を見るばかりであった酒を飲み下した。
「本格的に飲むとなると、やはり肴が欲しくなるな」
「せめて味噌玉作ってくればよかったね」
 言い合いながら、互いの酔い顔を肴に酒を飲む。
 すると。
 縁に置いていた酒瓶へ、そっと伸びてきた毛むくじゃらの手。
「分けてやるのはいいが、せめてひと声かけていけ」
 仙寿之介が払ったのは猿の手だ。ナイトメアの気配が消滅したことを察し、早速戻ってきたらしい。この調子なら、程なく山は以前の賑やかさを取り戻すだろう。
「いいよ、持っていっても。今日はめでたい日だもんね」
 酒瓶を猿へ渡してやったあけびは、雪に埋めてあった新しい瓶を引き抜いた。
「めでたいからね! 私たちももっと飲まなきゃ!」

 夫婦旅の一歩めを待ち受けていたは悪夢祓い。二歩三歩と進めどそれは変わりのない話だろう。
 しかし、今このときを精いっぱいに生きるがため、ふたりは共連れて進み行くのである。


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2020年12月24日

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