▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『シベリアの宿縁』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙寿之介la3450

 不知火邸の敷地内に建てられた道場。
 あれほどに鮮烈だった杉香も、日々剣士らが稽古へ励む中でこなれ、今は鼻先をかすめる程度にまで落ち着いている。
「朝の稽古はこれで終いとする」
 荒く息弾ませる若人らを涼しげな目で見渡し、道場主である不知火 仙寿之介(la3450)は告げた。
 ちなみに、仙寿之介にものを教える才はない。彼は他者の剣技を見ただけで理を解し、己が内へ取り込むことができるのだが、それが無二の天稟であることはさすがにこの20年で理解していた。無論、あきらめる前にはあれこれと模索してきたのだが……
 だからこそ説く代わり、幾度となく演じて見せ、それをなぞる者の足りておらぬところを指摘し、やはり説くことはできぬのでまた演じて見せる。
 そんな彼に、長男はしみじみと言ったものだ。結局、完璧な人間なんていねえんだよな。
 長男を正しく導くことができず、ねじ曲げさせてしまった過去は、仙寿之介にとって最大の悔いだ。最初の弟子である妻は学べることを勝手に見て取り、斜め上へと伸びていったので、人とはそうしたものだと思い込んでいたせいもある。
 人にはそれぞれに得意と不得意があり、得意を伸ばすべきか不得意を潰すべきかもまた人の適性による。そんな当然の理を悟るまでに時を費やしてしまったは、つまるところ彼という天才の怠慢であり、驕りであったと言えよう。
 それを思えば俺もずいぶんと成長したものだな。
 そうした自覚をしたからこそ、他の者が道場を出るのを見計らっていた日暮 さくら(la2809)を待ってやったし、本気で応えてもやったのだ。
「仙寿之介、私と立ち合っていただけませんか?」
「受けぬ」
 沈黙。空白。虚。虚。虚。
「受け、る?」
「受け、ぬ」
 食い下がるさくらをぞんざいに引き剥がし、仙寿之介はかぶりを振った。不肖の弟子を称し、今なお倣い続けている先代の不知火当主から学び取った外連味である。
 もっとも、はぐらかした理由は先代のように面倒だからということではないのだが。
「なぜですか!?」
 迫り来るさくら。しかも、木刀を正眼に構えたままでだ。
 なしくずしに立ち合おうというのだろうが、それを許す仙寿之介ではない。軽い足捌きでさくらの機先を外し、手にした木刀で彼女のそれを巻き取り、捻り落としておいて。
「相手にならん。並の手練れを10人も連れて来ていたなら、万一があるだろうし受けてやらんこともない」
 手練れに並やら上やらがあるというのか。そして並10人で万が一なら、上10人ではどこまで勝てる確率を上げられる? 千が一、百が一、十が一か?
 ……いや、ナイトメアとの戦いの中、一対多の兵法を磨きあげた仙寿之介だ。故に多勢でかかったところでそこまでの優位は得られまい。
 それにイマジナリードライブの扱いではさくらがいくらか上回るとしても、剣を繰(く)ることについてはどれほど下回っているかがわからないほど及ばないのだ。
 勝ち筋が見えないどころか、そんなものは存在しないということですね。
 さくらは重い息を吐き、非礼を詫びた。
「不躾でした。申し訳ありません」
 このところいろいろなことがあった。その中で、このままではいけないと気を逸らせ、結局は刃へ問うよりないのだと思い詰めたあげくにこの仕末である。
 今あらためて思うのは、己が暴走をせめて叩きのめしてもらいたかったという、身勝手ではあるのだが。
 沈み込むさくらを見て、仙寿之介はふむと顎先をこする、
「とはいえ勝負がしたいなら付き合ってやらんでもない」
「――本当に、ですか?」
 目を丸く見開いたさくらへうなずきかけ、仙寿之介は力強く応えた。
「刃を遣い、命を削る真剣勝負にな」


「これは」
 連れて行かれた台所の隅、さくらは渡された刃を何度も見返した。心鉄へ皮鉄をかぶせて鍛え上げた刃――ただし刀ならぬ包丁を。
「包丁は最後に遣うばかりだが、嘘ではないからな」
 言葉こそ軽いが、仙寿之介の目は先ほどからひどく真剣である。なぜなら彼は今、煮溶かした良質の糸寒天が焦げつかぬよう慎重に木べらを繰っているのだから。
「呆けていないで羊羹三本分、砂糖を計れ。適当でかまわんが、菓子作りは親父に仕込まれているのだろう? おまえはあれによく似ているしな」
 そういえば、とさくらは思い出す。自分の父と仙寿之介は、どうやら同一存在であることを。彼女の母と仙寿之介の妻が同一存在であることと同じようにだ。
 不思議なもので、普段はほぼ意識することのない事実。理由を考えるに、自分は父と仙寿之介、母と彼の妻を同じものとは見ていないからなのだろう。実際よく似てはいても、芯の部分がまるで異なっているから。結局のところ、人は置かれた環境でいかようにも変わるものだということか。
 ……とりあえず、用意されていた和三盆を計る。三本分なら、このくらいか。いや、「くらい」ではだめだ。
 菓子作りの最重要は計量である。これさえ誤らなければ、少なくともまずいものにはせずに済むが、どうせ作るならば最高の味わいを成したいではないか。
「適当では済まされません。味が濁ります」
 仙寿之介が向かう鍋の中身を見、黄砂のごとき和三盆の量をグラム単位で調整していくさくら。最終的には寒天と合わせ、餡を加えた後に味を見て決めることになるが、後入れした分はどうしても味が馴染みにくくなるので、誤差は当然、少ないほうがいい。
「やはり似ているな」
 仙寿之介は薄笑み、さくらから受け取ったそれを鍋に加えて馴染ませる。十分に馴染んだら、そこへ漉し餡を入れ、これまで通りに焦がさぬよう、弱火で練るだけだ。
「菓子作りはそもそもおまえの親父に感化され、始めたことだ」
「そう、なのですか」
 不知火邸へ移り住んでから、それなりの頻度で仙寿之介の菓子を食している。好みだけで言うなら父の菓子が勝るのだが、仙寿之介の味にはまた別の趣があって。
「あれが土産に持たせてくれた菓子がなければ、俺は菓子を作ろうなど思いもしなかったろうさ」
 父はよく仙寿之介の話をしていた。勝てなかった。この先、どれほど自分が精進しても追いつけはしない。あれはまさに頂の剣だからな。
 ……父が繰り返さずにおられぬほどの無念を、私が晴らす。そう意気込み、勢い勇んでこちらの世界まで乗り込み来たさくらだが、今にして思えば、父は無念なのだと勝手に思い込んでいただけなのではないか?
 強い思いは、鮮やかさを喪うことなくいつまでも心に映り続けるもの。父が敗北の無念を繰り返し噛み締めているばかりであったなら、菓子を土産に持たせたりはすまい。
 尋常の勝負を挑み、完膚なきまでに負けた。それは酷く悔しく、しかし限りなく清々しくもあって――仙寿之介に負けたさくらが、不思議なほど清んでいたように。
 と、練り上げた餡の味をみた仙寿之介が細くため息をついた。
「繰り返し作ってはいるが、どうにもあれの味には追いつかん。剣才では俺が遙かに勝るが、菓子のほうはあれが俺よりわずかに勝る」
 驚いた。
 この剣士が負けを認めるのか。いや、遙かに勝ることを押し出し、劣ることをわずかの域に留める大人げのなさはあれだが、それにしてもだ。
 ふと、腑に落ちた。
 父上もまた、そういうことなのですね。
 うまく言えないながら、思うのだ。人は独りで生きていけるものではない。本気で張り合い、なお自分を心底打ち負かすほどの敵方(あいかた)がいてくれることは――それほど太い縁を結んでくれる誰かがいてくれることは、この上ない幸いなのだと。
 ああ。だから私も、これまでと変わらずここに在ることができているのですね。
 さくらはとある麗人と本気で張り合い、心の底から打ち負かされた。
 そのどうしようもない悔しさを持て余し、果てに仙寿之介の剣に救いを求めようとしたのだ。心のどこかに、真剣勝負で果て、せめて剣士として逝こうとの思いを置きながら。

 ……幼き悔いは自分を死へと駆り立てるものだ。それこそ俺の息子がそうだったように。
 胸中にて唱えた仙寿之介は、己が手で救えなかった長男のことを再び思う。そうした悔いがあるからなのだろう。悔いに惑うさくらを、せめて淵底から引き上げてやりたくなったのは。救うことはできとも、掬うだけならできるのではないかと。
 生きることは進むことであり、一歩踏み出すごとに勝負を繰り返さねばならぬものである。しかし勝ちにばかり血走ってはならない。勝てば大きく進めるものならず、負ければこそ勝ちの数倍、進めることがあるものだから。
 天使として生きてきた永き半生では欠片も学べなかったことを、人の世へ下ってたった数十年の内に学べたことは皮肉であり、僥倖であろう。問題は、それを次代の者たちへうまく伝えてやれる言葉が得られていないことだ。
 俺の次の課題ということだな。やれやれ、師の十八番を借りて言うなら、面倒なことだ。
 しかし、いくら面倒でも放り出せないのが仙寿之介の性。己が繰る剣ほど自在に生きることへの憧れはあれど、こればかりはどうにもなるまい。


 熱々の羊羹はそのままに、仙寿之介は別に焼いておいたカステラが冷めたことを確かめ、さくらに端を切り落とさせた。
「味を見てみろ」
 言われるまま、さくらはそれを口にして――
「ぱさぱさで、すかすかです」
 父の影響で菓子にはうるさいさくらである。嘘もお世辞も言わず、真実を突きつけたが。
「粗く仕上がっているならいい」
 満足げにうなずいた仙寿之介は、三枚下ろしの要領で包丁を横から入れ、カステラを断ち割った。これで薄焼きのカステラが2枚になったわけだ。
「意味がわかりません。それにその羊羹もやわらかすぎませんか? これでは固めても容易く崩れてしまいそうです」
 渋い顔を左右へ振るさくらに薄笑みを投げ、仙寿之介はステンレスのパットに敷き詰めた一方のカステラの上へとろとろの羊羹を流す。そしてさらに、熱が冷めて粘り気を増した羊羹の上からさらにもう一枚、先ほど切り離した方のカステラを重ねた。
「別の作り方もあるがな。包丁を入れた面を羊羹に向けることでより染みる」
 言い終えた仙寿之介へ、さくらは小首を傾げて問う。
「これはなんなのですか?」
「知らないのか」
 意外ではあった。さくらの父が仙寿之介の話を聞かせたなら、当然この菓子についても話しているものと思っていたからだ。
 が、そういうことかとも思う。この菓子に込めた心を語るのは、それに足る問題にさくらがぶつかったときと決めていたのだろう。先に俺が差し出すこととなったのは申し訳ないが、それも娘に宿縁を引き渡したせいだとあきらめてもらおうか。
「シベリアという。あれ曰く、名の由来は謎らしいが」
 語っておいて、まだあたたかいシベリアをひと切れさくらへ渡す。
 おそるおそる口に入れたさくらは眉根を跳ね上げて、
「瑞々しい! ――と言って正解なのかわかりませんが、やわらかい羊羹が粗いカステラに染みこんで、しっとり甘くておいしいです」
「おまえの父ならまた別のことを説くかもしれんがな」。そう前置いて、仙寿之介は言葉を継ぐ。
「人は粗いカステラや、やわらかすぎる羊羹のようなものだ。けして完璧には成り得ん代物という意味でな。しかし、互いを重ねることでひとつの菓子を――ひとつの関係を成す」
「仙寿之介、その、知っていたのですか?」
 隠していたことを見透かされ、思わず踏み出しかけたさくら。
 それを掌で制し、仙寿之介はシベリアを収めたパットを冷蔵庫へしまった。
「どちらでもよかろうさ。さて。シベリアからなにを学ぶものかはおまえ次第だ。……俺はどうにも教える才がないのでな」
 だからこそ、やってみせるよりないのだ。一度で届かぬなら何度でも。
 そしてそこへ込めた心に、さくらならいずれ気づく。菓子作りの才では仙寿之介よりもわずかに勝る男の娘なのだから、かならずだ。
「あれは俺の唯一の敵方だった。たとえ二度とまみえることなかろうと、敵方であり続ける」
 そんな相手が得られるかはおまえ次第だ。仙寿之介は胸の内で言い添え。
「はい」
 ただそれだけを応えたさくらは、残るシベリアを思いと共に噛み締めた。
 仙寿之介の教えはまだ理解できていない。だが、程なく理解するだろう。そんなことを思いながら。


おまかせノベル -
電気石八生 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年01月06日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.