▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『名は体を表すのか』
桃李la3954

 吐き出した息が頭上で薫る。目が覚めた瞬間から意識ははっきりしていたが何度か瞬きを繰り返して特に意味もなく呆然と天井を眺め、頭は動かさないまま目線を動かせば天井の模様が切り出した木の年輪に少し変化を加えながら続いていると判った。顔のようにも見えるそれは百年の年季が入った雰囲気をしかと残している。香油屋を開く際にそれ向けの改装と一緒に耐震や耐火等の処理を施しはしたが印象等は崩さないよう心掛けた結果であった。でなければ、敢えてこの旧家を買い取る様な物好きは変人だけだ。勿論自分自身はそれには該当もしない。眠気はなく、何となくゆっくりとしたい気になったが脳内には自然と今日のスケジュールが思い浮かんだ。師走の由来を思い出せばなるほど昔の人間も考えたものでここ暫くは忙しい日々が続く筈なのでうかうか寝ている場合でないとどうも儘ならない厄介を厭いながらも結局無視をすれば逃亡が出来るわけでもなしと日の上がりきらない早い時間帯だが起きることにした。夢でも見た気がするし眠りに没入していた様な気もする。しかし考えても答えが見つからないことに興味が続くわけもなく、次は朝食をどうするかにシフトしたのであった。

 一通りの朝の、というより起床後のと称するほうが正しいであろうルーティーンをこなし、いつも通り耳に愛用している、房が揺れ動く蒼玉の耳飾りを付け、以前オーダーメイドした洋装の上に女物の着物を羽織る、自分好みのスタイルを取れば、あっという間に、日常が戻ってきた様な気持ちになれるから面白かった。香油屋を経営しているのだといっても果たしてどちらが副業か、ライセンサーとしても時折活動している影響で店は閉店していることもしばしば。昨日一応商品の補充を済ませておいた店の中を通り過ぎ、入口に到着すると扉を施錠して屋敷の外に出た。その途端寒風が皮膚を撫でてはマント代わりにした着物に腰まで届く後髪と耳飾りも揺れる。寒さに文句を言う様な野暮な真似はしないとはいえ少し辟易とする感は否めず息を吐き出す。喉を通り過ぎる冷気以外に一つ息を吸う度何処か痛んだ。複数の行先の所在地を思い出して最高効率だろうルートを歩き出した。

 ひと月くらい前にも一度頼ったことがあるとある薬屋に行き症状に合う漢方薬を処方してもらうと菓子と茶で一服したいのは山々ながら断りすぐに店を出て今度は別の場所に行く。歩みが遅くなるのは気のせいではなく――そうして辿り着いたのはやたら無機質な建物。飾り気とはまるで無縁の灰色の建物は心なしか己を責める様に黙して聳え立って見えた。そういった印象を抱いたのは本当は無意識下で罪悪感を覚えているが為か――よぎる思考に緩くかぶりを振ってそれを完全に追い払うとずり落ちそうになる着物を腕も隠す様に被す。あれは任務中のライセンサーには許された行為。言い聞かせる様懐の中のライセンスを握り締めて一呼吸をすると裁判所の文字が書かれた看板を過ぎて中に向かう。

 そもそも、事の発端は個人的には何も意識することすらもない、至極ありふれた任務中の出来事だった。もしもいつぞやの潜入任務の様に、何か内密に進めるものであれば元よりこうして表舞台に出る間もなく、既に揉み消されていたことだろう。ただ単純に市街地での戦闘中、ナイトメアからの攻撃を阻害する為に故意に公的建造物を破壊したところ、その都市の関係者には仕方ないことと事後承諾を貰えたもののその製作者が猛然と抗議をし始め、結果裁判沙汰にまで至ったのであった。当然ながらライセンサーの任務中の行動に関しては法律を遵守する代わりに人命を失えば元も子もないと大義名分があれば、またその対象が歴史的建造物でない限り参加したライセンサーもそれに許可を出したSALFも違法とされる心配はない。但し結果が判っていても、法的な手続きを取られた以上は無視も出来ないのが現状でそれ故得意とする足技で実行役を買って出た自身もまた、今この年の瀬に出向く羽目にはなった。当事者でありながらもだが時間を奪われる以外に何も損失がない状況でだが馴染みのない感情が湧いてくるのはライセンサーになって以降普段はまるで触れることもなくなった物に触れざるを得ないのを知っているからだ。
 時間の算段を誤ったらしく既に当時共に行動をしていたライセンサーとオペレーター、一連の流れを記録していた係官も皆待ち受けていた。職員に案内されるまま部屋に通されてライセンスとそれから身分証明書の二つの提示を請われる。その声を聞いた途端に溜め息が零れそうになるもぐっと堪えそれらを差し出した。一応プライバシーを考慮したのか、同業者に見えない様になっている。
 ライセンスはただ桃李(la3954)と登録者名とIDだけが記載されている酷く素っ気ないものだ。今現在ではライセンサーでも希少なその割合を放浪者が占めているのもあって、前科を持っているなど脛に傷がある地球人も喉から手が出る程欲しいのがSALFだ。故に放浪者でなくとも本名その他の情報を書く義務もない為自身も個人情報は一切記載していないしまた今のところは、親二人や双子の姉と縁故を持つ者を知らない為素性が発覚することもなくこれまでライセンサー活動を続けてきた。普段の暮らしも大抵はライセンスを見せれば事足りる。それくらいにこのカード一枚は絶大な力を発揮しているのであった。こうやって法律に関わる出来事が起きたときには放浪者ではない己はライセンスというこの大きな後ろ盾を剥がされて一人の酷くちっぽけな者であることをこれでもかと認識させられる。それは、平和といえた頃――つまりは独りではなかった頃、あの好きで好きでたまらなかったけれど奪われ失われたものや紫紺の瞳を思い起こさせる。知っていた筈なのに忘れてしまった感情に蓋をし続けた結果飲み込んだそれらはぐちゃぐちゃになり、その名前さえも忘れてしまった。身分証明書に落としたその瑠璃色の目は吸い寄せられる様に親から受け継いだ名字と貰った名前をなぞり、それと同時に普段はとうに忘れてしまっている過去を脳裏に閃かせ、知らず知らずのうちに笑顔が零れた。何事もなかった様に飄々と。そうすれば、全てが思い通りに出来る。桃李を名乗って桃李と呼ばれる限り、正常かつ善良な只の人間でいられるのだから。いつの間にやら胸のざわつきは消えて桃李は悠然と足を組み対面する職員を見返す。時間以外に失うものなど何もないなら安いものだと全てを割り切った。また退屈な一時が少しでも早く終わる様にきちんと協力しようと、そんな風にも思えた。

 どうなることかと身構えたものの、作戦に参加していたライセンサーだけは今日の証言のみで済むとのことで時間はある程度掛かったが、もう今後は煩わされることもないらしい。裁判所の前で解散し、一番の厄介事からも無事に解放された桃李はご褒美だというつもりでもないが簡単に切って食べる為に梨、それと前に飲んでみたいと思っていた銘柄の日本酒を購入して帰路を行く。――好きな物を好きな時に食べるのは今に始まった性分ではないけれど。今日だけはそうしたい、そうしなければならない様にも思えた。暮れてきた空は橙を過ぎて姉の色から自分の色へと変わっていく。星の様に散りばめられた金混じりの瞳を細めて、桃李はまた今日という一日の終焉の方へと向かっていくのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
今回は名前に着目をして桃李と名乗り、桃李と呼ばれる限り
正気というか現在の彼のアイデンティティーを保てるのでは、
という勝手な妄想を膨らませての話にさせていただきました。
独りになった時期とライセンサーになった時期が一致するか、
またそもそも本名が登録名と完全にかけ離れたものなのかも
判らないので解釈違いになってしまってたら申し訳ないです。
セリフとして心情を書くのは何か少し違うような気がした為、
意図的にセリフなしになってます。そこも物足りなかったら
すみません。ちょっと違和感は作りつつも日常を書けて
とても楽しかったです!
今回も本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
りや クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年01月06日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.