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『Filme』
LUCKla3613

 最近、好んで映画を見るようになった。
 そうしている内、世の片隅へ埋もれていた古い作品にまで目を向けるようになったのは、生来の生真面目さと凝り性のせいなのだろう。
 LUCK(la3613)は古臭い映写機に故障がないことを確かめた。
 なにせ、そこへかける硝酸セルロース製16ミリフィルムは熱に弱いのだ。しかも放っておいても周囲の温度次第で自然発火さえしでかす。
 しかしだ。味という点において、このフィルムに勝るものはない。機械の体に中枢神経系を収めたサイボーグとして、機械にまつわる手間を愛しむ心が作用していることもあるのだろうが、それよりもなによりも。
 このところ断片的に思い出しつつある過去の記憶は、古いフィルムの映像と似ているから。
 思いのほか、俺はロマンチストなのかもしれないな。
 自分ではリアリストのつもりであればこその思い。もっとも、彼をよく知る者たちならば口をそろえて言うはずだ。LUCKはロマンチスト……それもラブロマンチストだろうと。
 まあ、ここにそんな無粋なツッコミを入れる者はないから、LUCKはフィルムを映写機へかける。
 クリスマス、サンタクロースを信じる年齢を過ぎた少年に、ささやかな奇跡が贈られる小話を――


 気がつけば、LUCKは冬の街にいた。
 これが現実世界でないことが知れたのは、すべてがセピアに褪せていたからだ。
 クリスマスの映像を引き金に、視界を満たした見覚えなき情景。これは俺が過去に見たものなのか? 思い出そうとしても思い当たるものは引き出せず、だからLUCKはあきらめた。
 今は思い出すよりも、憶えて帰ることに集中しよう。いずれこの情景が記憶の回復へ繋がるかもしれない。

 LUCKの観察眼を気にする者はなかったし、物へ触れることすらできなかった。記憶なのだから当然かと思いつつも、この寄る辺なさはなかなかに辛いものがある。こちらの世界へ来たとき敵がいてくれたのは、その実幸いなことだったらしい。
『――斯様な処にまで降りてきやったか』
 ふと肩に触れられ、返り見ると。そこには女が立っていた。
 ただし顔も姿も、それどころか声音すらも茫漠として、ただ女であるとしか知れない。こうして声をかけてくるのだから、きっと過去見知っていた相手だろうに。
 眉根を潜めて女の正体を思い出しにかかるLUCKだったが。
『未だ汝(なれ)が辿り着いてよい場所ならぬが故、知れぬのだ。此は夢と弁え、早々に現世(げんぜ)へ戻れ』
 指先で帰るべき先を示す女へLUCKは反射的にかぶりを振って、驚いた。
 別にこの情景に未練があるわけではない。見るだけは見たし、それで目的は果たせたのだから。
 しかし、この女は見ることしかできぬはずの世界で、自分に触れてきた。たったそれだけのことかもしれないが、すがるには十二分の価値がある。それにだ。
『少し話がしたい。おまえはどうやら、ここで話のできる唯一の相手だ』
 女は喉をくつくつ鳴らし、鷹揚にうなずいた。
『是。来やった端から帰れでは、汝もおもしろくなかろうな。――斯様な場にてまみえるは奇遇でもある故』


 ふたりは酒場のテラス席に腰を落ち着けた。
 観察ではなくただ眺めるつもりで視線を巡らせれば、街全体が妙に浮き立っていることが知れる。
『今日は祭か?』
『然り。其れも大いなる災い祓われた後の、希なる宴であったものよ』
 女の言葉から、これがやはり過去の情景であることが知れた。
 と。いつの間にか目の前に置かれた卓代わりの樽上に、ホットワインのカップが現われていて。セピアの闇へ、鮮やかにスパイシーな香が白い湯気に乗って立ち上り――LUCKの鼻先をぴりりとあたためる。
『ここは俺がかつて居た場所か』
『はてな。いや、知らぬがよかろう』
 含みのある言葉。それはLUCKが知れば、彼女がなにかを行わなければならないという宣言だ。実際、彼女が示した床几にしか座れず、勧めたホットワインのカップにしか触れないのだから、この場において彼女は全能の神めいた存在であるのかもしれない。
『思い出せば、俺は消されるというわけだ』
『斯様に思うておれば間違いは起こるまいよ』
 LUCKのカップの縁に自分のそれを合わせ、女はホットワインをすする。
 その悠然に見覚えはない。というより、見覚えを覚えることができない。引っかかりはあるのに引き開けることのできない引き出しを思い出したのは、おそらく女によって封じられているせいだろう。LUCKがふと思い当たってしまうことを。
 普通であれば、ここまで頭を押さえつけられた状況に苛立つだろうし、憤るはずだ。なのにLUCKは今、なんとも言えないくすぐったさを感じていて。
『普通に脅しつければいいだろうに、注意を促した上手間までかけるんだな、おまえは。……ずいぶんと甘やかされているらしい、俺は』
 甘辛いホットワインが、LUCKの造りものの胃へ滑り落ちる。常ならば濾過機能が作用し、アルコールの分解除去を開始するはずなのに、まるで生身のようにワインの熱を感じ、それが染み渡る様を味わっていた。
 もしかすれば、これこそが過去の追体験なのかもしれない。だとすれば、この場に在った自分は生身であったのか。
『甘えた憶えが無いならば、真価を超えてよりも染みよう』
 感慨を染ませた声音で応えた女は、ひと息にワインを干して立ち上がった。
『こうして言の葉重ねらば、妾はいずれ汝を陥れよう。案内(あない)する故、今こそ帰れ』

 ふたりは並び、浮かれた街を歩き渡っていく。
 きっとここは特別な場であり、特別な時であるはずなのに、まるで思い出せぬことがもどかしい。しかし、顔も姿も知れぬ女と並び歩く時はかけがえないものであるようにも思えて。
『おまえとまだいっしょにいたい』
 俺は聞き分けのない子どもか。自責しながらも、それがどうしたと開き直りもする。心をそのままに見せるのは、今の自分が尽くせるたったひとつの誠意だから。
『きっと俺は、おまえにまた会えてうれしいんだ。また別れなければならないのがたまらなく辛いほど』
 待て。
 俺は昔、同じことを――
『聞き分けよ』
 女はLUCKの言葉と思考を止め、そっと彼を抱きすくめた。
『此は夢なればこそ、夢のままにて終いとすべきであろうよ。さすれば目覚めに悪しき後味を噛み締めずとも済む』
 ふとLUCKの背へ回った女が彼を押し出した。
 よろけて踏み出した一歩が、二歩三歩四歩、勝手に進んでいき、そして。


 映写機で空回りするフィルムがカラカラと音を立てていた。
 意識を失っていたのだろうが、不思議なほど目覚めはすっきりとしたもので、LUCKはあらためて自覚した。ああ。俺は、帰ってきたんだな。
 今幻(み)てきたばかりの夢は、すでに輪郭をぼやけさせていて、もうじき砂のごとくに崩れ散るのだろう。
 しかし、そうだとしてもだ。
「……認める。俺は自分で思っていたより大人じゃないことを」
 子どもは視野が狭く、しつこいものだ。それを思い知らせてやろう。甘やかしな大人を演じるくせに、誰より甘えたがりなあの寂しがり屋に。


「こんなところで会うとは奇遇だな」
 いつものごとくに言ってやれば、げんなりと顔をしかめる女。
 さあ、今日も上映しようか。追憶というセピアのフィルムへ写し込んだ、希有な再会と必然の展開を見せる色鮮やかな小話を。


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2021年01月07日

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