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『笑顔のために』
水城 せりかla0003

『数時間後には会議があるのに! 誰か見なかったのか!?』
 突如本部に響いた嘆きの声に、水城 せりか(la0003)は思わず足を止めていた。
 場所を確認しようと少し顔を上げれば頭上には『事務部』と書かれたプレートが下げられている、読んで字のごとく、SALFの事務所だろう。ふらふらしていたら裏方まで入り込んでしまっていたらしい。

 ……少し迷う、はたしてこれは自分が首を突っ込んでもいい話だろうか。
 これはきっと「事件」だと思うけれど、依頼として持ち込まれたものではないから、余計なおせっかいになってしまう可能性も十分にある。
 迷う、迷って、力になれないと判断したら帰ろうと思った。
 何も出来なくても、せりかが多少恥ずかしい思いをするだけで済むのだから。

 大仰な身振りで嘆くのは南欧あたりの人だろうか、せりかより遥かに高い身長は180cmをゆうに超えていそうで、見上げると少し首が痛い。ダークブラウンの髪を整髪料で整えた品のいい男性だった。
 対応している事務員はややおっとりした恰幅のいい40歳ほどの中年だ、少し困った様子をしている。
 聞くに、何か大切なものをなくしてしまったこの男性がSALFの事務所に押しかけてきたらしい、確かに、遺失物があったら此処に届けられるのだろう。だがどうやら目的の物はなく、この大騒ぎらしい。

「あの……」
 少し控えめに声をかければ、二人が一斉にせりかの方を振り向く。
 一斉に向けられた注目に驚いて、思わず首を竦めてしまうが、此処はちゃんと話さないといけないとこだから、せりかは手にした傘の柄を握りしめながら続きの言葉を口にした。
「な、何かお困り……?」
 力になれるかもしれないとまでは言えなかったが、意図は伝わったらしく、大柄な男性はなくしものをした経緯を語った。

 どうやらこの男性は上司に命じられて、今日予定されてた会議に使う研究資料を用意していたらしい。
 数時間前に到着して準備を進めていたが、少し席を外していた間に資料がなくなってしまったと。

『大切なものなのだ、君は見なかったか!?』
「…………」
 当然だが見ていない、せりかは少し申し訳無さそうに目を伏せて首を横に振る。
 見つけたら教えてくれ、そんな定番のような言葉と資料の外観を言い残し、大柄な男性は聞き込みに戻ってしまう。

(資料……資料かぁ……)
 多分、これは世界を揺るがすような大事ではない。
 多少回り道にはなるだろうけど、元データくらいはどっかにあるだろうし、今日は『諦めて』――また用意しなおして後日、というのも十分可能なように思える。
(……でも)
 多分あの人は今日のために頑張った、それを軽率に「諦める」の一言で片付けてもいいものか。
(……やだな)
 せりかは決して押しが強い方向ではなかったが――諦めるという一言を安々と口に出せないくらいには、頑固で、往生際が悪かった。
 そうやって些細な事を取りこぼしていっては、そのうち大切ななにかも「諦める」事を選んでしまいそうで。
(……だから)
 ちょっとくらいなら諦めずに頑張るのを許して欲しい。
 そう誰ともなく心の中で言い募って、せりかは男性が去って行った方向を追いかけていた。

 +

『おお……!』
 資料を取り戻した男性はせりかの傍らで感極まった声を上げている。
 一方目的を果たしたせりかといえばちょっと疲れを募らせた様子で、更にテーブルを挟んだ向かい側には会議に携わる職員が申し訳なさそうな様子で頭を下げている。

『資料の取り違えでした、申し訳ありません!!』
 ――せりかが取ったのは探偵らしく、可能性を一つずつ虱潰しにしていく事だ。
 まずはどっかに落とした可能性。
 最後に資料が手元にあった時間を男性から聞き出し、それがこの館内である事を確認して、路上で落としたという可能性を排除。
 次に男性が今日使ったというデスクを徹底的にひっくり返し、どこかに混入した可能性も排除。
 ――後は誰かに持っていかれたという可能性だが、会議があるというだけあって今日は確かに慌ただしい様子であったという。

 資料の紛失を職員に告げ、探させてもらうようにお願いしたが――流石に会議資料というだけあって部外者であるせりかに触らせる事には難色を示された。
 向こうの言い分にも一理あるだけにせりかはむむと言いよどむ。
 せりかはライセンサーだ、その事を告げれば恐らく身元の保証はしてもらえる。
 しかしせりかは別段依頼を受けた訳ではなく――そのような振る舞いは望むところではなかったので、手っ取り早く資料を探していた男性を引っ張ってきて事情を説明し、一緒に探す事にした。何しろ会議参加者なのだから。

 そして資料が発見され、どうやら慌ただしい中で持ち去られたらしい事が判明して――こうして謝罪を受けている。

『有難う、お嬢さん、これで安心して会議に臨めるよ!』
「う、うん……」
 せりかの手を握り、オーバーアクションで上下に振り動かす男性に対して、せりかは上手く返事出来ないながらもこくこくと頷く。
 多少動揺してはいたが決して嫌がる素振りではなく、それどころか男性の喜びがうつったかのようにほわと口元が綻ぶ。

 ――多分、資料はそのうち発見された。
 でもそれは会議が終わった後かもしれない、男性は落胆と不安のまま今日を過ごさなきゃいけなかったかもしれないし、男性の準備は全くの空振りに終わっていたかもしれない。
 資料が見つかったことでそのような結末は回避された、せりかの努力も、男性の準備も、全ては報われた、だからせりかは嬉しいって思う、だから。
「……良かった」
 感情表現は不得手、口数も少ないせりかだったが、そう微笑んで告げた言葉は紛れもない本心だった。

 職員と男性に別れを告げ、少し軽い足取りでSALF事務所を後にする。
 今回せりかがしたように、探偵というのは案外地道で、肉体労働だ。資料をひっくり返す作業はなかなかに骨が折れた、疲労もしている。
 だが――その甲斐はあった、せりかの頑張りで救われた誰か、それはせりかの心を軽くして、せりかの憧れを誇らしく思わせる。

(お父さん……あたし、頑張るね……)
 父さんのような名探偵になれますように。


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グロリアスドライヴ
2021年01月13日

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