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『おれと儂』
不知火 仙火la2785

 不知火 仙火(la2785)、3歳。
 不知火家現当主の長子で、次期当主の筆頭候補である男子なのだが……今の彼はまあ、よくも悪くも天真爛漫、サムライとニンジャをこよなく愛する元気な子どもである。
「かーさんのだいじなだいじなせんかをよねがるってゆってた」
 ぶはー。うろ覚えのセリフをなんとか言い切って、仙火はお出かけ用リュックを大事そうに畳上へ置いた。
「“よねがる”だ? ……そんな暗号式、不知火に存在せんぞ」
 よねがられた仙火の曾祖父――不知火の先代当主のご隠居はしわしわの顔を傾げて悩む。
 これはつまり、仙火の言い間違いなんだろう。大事な大事な仙火が主語だから、「よろしくお願いしまする」か? いや、それではおかしいか……
 ま、考えたところで面倒なだけよな。あっさり思考を放棄して、ご隠居は仙火に問うた。
「で、ぬしのリュックだが。ヒマ潰しのおもちゃがたんと詰まっとろうな?」
 面倒を見たくない余り本音を語れば、仙火はふるふるかぶりを振って、
「ひじーにもらったおかしでいっぱいいっぱいだ」
 先日、ご隠居こと「ひじー」に3つのゴージャスお菓子をもらった仙火である。
 しかし、その内のふたつがすでにふたりの女の子と分け合われたこと、ご隠居は知っていた。
 それなのに、菓子の袋ひとつしか入っていないわけがないリュックのぎっしり感。いったいなんなのか?
「きょおはな、ひじーにな、けいこつけてもらうってな、やくそくした」
「それ、儂じゃのうて母とであろうが」
「とーしゅめーれーだぞ」
 当主は今、不知火プレゼンツの婚活パーティーを仕切りに出かけている。そしてそれは、元々がご隠居の発案によるもの――意外にちゃんとした理由があるのは前作で述べた通り――なのだ。責任を取れとの名目でひ孫の世話を押しつけられるのはまあ、しかたないことではあったし、当主の命令を先代が破っては、それこそ示しというものがつくまい。
 ため息をつき、ご隠居は今一度仙火にリュックを背負わせて。
「……公園へ赴くぞ。忍術の粋、たんと見て学ぶがよい」


 晴れた日曜日の公園には多くの家族連れが集っており、それぞれに楽しんでいる。
「ひじー、さむらいせんたいにんじゃまんごっこしよー! おれにんじゃまん! ひじーがあくのぼす!」
 自分で考案したオリジナルヒーローを押し出し、当主が新聞紙を折って作ってくれた“あんぜんブレード”を抜き放つ仙火だったが。
 対するご隠居はぐうと息を溜め、くわっ。
「断るっ! なぜなら儂はいい忍である故な!」
 お、大人げねぇ……! 周囲のパパさん方が一斉に戦いたり。
 しかし仙火だけは「あー。ひじー、そーゆーとこあるな」とうなずいた。物心ついて間もない彼だが、すでに自分の曾祖父の質を理解しきっている。不憫と言うべきか、はたまたその達観を讃えるべきか。
 一方のご隠居はそんなひ孫へふんと鼻を鳴らし、怖ろしいほど恩着せがましく提案したものだ。
「鬼ならば務めてやらんこともない」
「おにごっこか!」
 周囲のパパママ、ほっこり。あのしわしわ爺、鬼はしてくれるんだ!
 生暖かい空気のただ中、仙火はリュックをごそごそ探り――
「じゃあおれ、ほんきだす」
 パパママ方は一様に我が目を疑った。幼児が小さな手で慎重に取り出したものが、どう見ても刃物(苦無)だったから。あと、釘でも詰めてあるようにジャラジャラ鳴る竹筒。
「よかろう。されば十数えるが故、儂の業(わざ)より逃げおおせてみせよ」
 語調が剣呑過ぎるし、目の光が物騒過ぎる! 我が子ほったらかしでつい成り行きを追ってしまうパパママ方が見たものとは?

「色失せゆく果てに空(くう)を為す」
 ご隠居の声音が紡がれるにつれ音を細め、かき消えた。枯れ木のような体ごとだ。
 複数人にガン見されていた老人が完璧に消え失せる様はもう、マジックやイリュージョンの逝きを超えて怪奇現象である。
「えっと、かぜがこっちからふいてるからな、むきあわせて」
 つるつるの額に皺を寄せて考えながら、風下へ向けて仙火は竹筒を振る。そこからこぼれ落ちるものは、鋼鉄製の撒菱だ。
 十。九。八。
 どこからともなく流れくるご隠居の声音は、音量も向きもばらばらで、けして出処を特定させなかった。
 しかし仙火は気にすることなく、ドーナツ型に拵えられた苦無の柄頭より結びつけていたワイヤーを伸ばして別の苦無と繋ぎ、地へ突き立てていった。トラップを張っているのだということは素人でもなんとなく察せられたが、それにしてもだ。
 鬼ごっこって、こういうのだったか?
 その間にも二。一。カウントは進んでついには尽き。
「狩ろうかよ」
 中空よりにじみ出たご隠居が降り立った。仙火の敷いた撒菱陣を大きく避けてだ。
「あー! ひじーずるいぞ!」
「見られておることを忘れ果て、形を整えるばかりに徹したぬしが責よ」
 一気に間合を潰したご隠居が、仙火の突き出した苦無、その尖先を人差し指の腹で受け止めた。こればかりはパパママ方にはわかるまい。尖先を押し止めるに足る力を込めつつ、指の皮が斬れる寸前で脱力するというご隠居の神業は。
 当然仙火は逃れようとするのだが、絶妙な力加減で押し引きされ、逃げるどころか苦無を手放すことすらかなわない。
「はてさて、どうしてくれようか」
ぐつぐつ喉を鳴らすご隠居の顔、まさに悪の忍そのものなわけだが、仙火は不敵に口の端を上げてみせる。
「おくのてあるからな! しらぬいにんじゅつ、ほうせんか!」
 抑え込まれた体ごと、苦無を捻り込んだ。
 仕掛けられた! ご隠居が気づいたときにはもう遅い。押さえていたはずの指先を逆に支点とされ、仙火の回転を見送ってしまう。
 果たして、引かれたワイヤーが地へ縫い止められた他の苦無の柄頭内をこすり、密かに結びつけられていた撒菱を打ちつけて……菱型の火薬玉が次々に炸裂、周囲の菱に混ぜ込まれた火薬玉がそれに応える形で爆ぜる。
 連鎖反応式撒菱爆雷。これはご隠居が言う「器用貧乏」の会社が作った試作品であり、ひとつを起爆させることで連鎖的に周辺の爆雷もまた起動する代物である。もちろん、火薬量は抑えてあるのだが、それにしてもだ。
「おいひ孫ぉ! 枯れ果てた老いぼれ相手になにしてくれやがる!? ただでさえかさついておる故、あっさり燃えて荼毘に付すぞ!?」
 いやいや、かなり深刻に人外のあんたがそれ言うんだ……周囲の誰もが心の中でツッコんだのはさておいて、相当な威力の爆発に追い立てられ、ご隠居は大きく飛び退いた。
 ご隠居からすれば実に忌々しいことに、爆雷が爆ぜるタイミングはまちまちに設定してあるようで、思わぬときに思わぬ菱が爆ぜるのだ。こうなれば撒菱陣の外まで逃げるよりない。
「えっと。しんへいき、ひじーやっつけました。ちょうすごかったです」
 ボイスレコーダーに吹き込んで、懐へしまう仙火。どうやら効果の程を「器用貧乏」に報告する条件で爆雷をもらってきたらしい。
「あやつ、幼子(おさなご)に斯様な任を押しつけやるとは……赦せん」
 仙火のために憤っているのではない。それはもう火を見るより明らかながら、ご隠居は苦々しくうそぶいておいて、仙火へと向き直った。
「儂を退けた術はぬしが力ではない故、この勝負は引き分けとする。なにせこの先儂が本気を出そうものならば、この場は地獄と化す故な」
「しょうち!」
 元気に右手を挙げる仙火の様に、ご隠居はあらためて気を引き締める。あのリュックにはどうやら、対ご隠居用兵器が詰まっているらしい。いや、容量的にはあとひとつか、せいぜいがふたつといったところだろうが、それにしてもだ。
 この上無様を晒しては、儂の看板に傷がつくというものよな。故にひ孫よ、面倒ではあるが我が業尽くしてぬしを叩き潰そうぞ!
 ……本当にまったくもって大人げない老人なんであった。

「かくれんぼーっ!!」
 勢いよく仙火が宣言し。
「よかろうーっ!!」
 ご隠居は同じテンションで応えた。
 互いに別の意味でやる気まんまんである。ついでに周囲のパパママ方も、心境的にはクライマックス。
「よし、先は儂が鬼であった故、次はぬしが鬼を務めい」
 この瞬間、人々は仙火の敗北を確信した。なにせご隠居は完全に姿を隠す能力を備えているのだ。目の前にいようと見つけられないのでは、初めから勝負にならないではないか。
 かくて今一度、パパママ方は戦慄する。
 どれだけ大人げないんだあのご老人は!
 引き絞られる空気のただ中、ひとりだけのんきに「しょうち!」と応えた仙火はその場へしゃがみ込み、掌で目を隠して「いーち、にーい」。
 今度はひと言も発することなく、ご隠居は先と同様かき消える。もう、そこから離れたのか、まだとどまっているのかすらわからない。完璧としか言い様のない隠形である。
 無音でざわめく注目の中心で「じゅーう」、数え終えた仙火はよいしょと立ち上がり、周囲を見渡して小首を傾げた。それはそうだろう。あのご隠居を、見つけられるはずがない。
 仙火は、リュックを探ってなにかを取り出した。今度は苦無や撒菱ではない。紐の先にころりとしたものがついた、不可思議な物体だ。鎖分銅に見えなくもないが、紐はごく普通の化繊編みだし、先の物体も金属で補強はされていつつ、主な素材はプラスチックのようだし、軽量化のためかいくつも穴が空いていて、打撃力は期待できない。
 注目の熱が上がる中、仙火は紐の端をつかんで円を描くように振り回し始めた。すると風を受けた“ころり”がぴゅうぴゅう鳴り始める。
「これがおれのひみつぶきだ!」
 それで知れた。あれは、振り回して鳴らす笛なのだと。
 しかもパパママ方は、もうひとつ気づかされた。あの音、ちょっと気持ち悪い!
 気持ち悪さの原因は、笛音の音域である。実際に聞こえている音に紛れて鳴る超音波が三半規管を揺すり、船酔いや車酔いの状態を聞く者に味わわせているのだ。そしてそれが「ちょっと」で済んでいるのは、設定されたターゲットがたったひとりの老人だからこそ。
『ひ孫、それも器用貧乏の家でもらってきやったかよ!?』
 どこかでたまらず発せられたご隠居の声音に仙火はうなずいて、
「ひじーみつけるやつだってゆってた」
 面倒事を押しつけられそうになる度、隠形からの逃亡を決めてきたご隠居である。それを封じるために現当主が作らせたのだろうが……ひとつならともかく、一族の追っ手が全員でこれを鳴らしながら押し寄せてきたらもう、無様を晒すだけでは済むまい。
『そこまでして儂に面倒を押しつける気かぐうぇっ』
 突き上げた吐き気をあわてて飲み下すご隠居。だめだ。このままではあと数十秒でリバースする。
 と、唐突に音が止んだ。
「ひじー、きもちわるいな?」
 おそるおそる訊いてきた仙火は笛をしまい、ボイスレコーダーを抜き出して「ふえはつかっちゃだめだ。ひじー、きもちわるいから」。
 そんなこと言ったら逆に量産化されちまうだろうがよ。思いながらも、ご隠居は隠形を解いて仙火の前に姿を現わした。
「此度は儂の負けでよいことにしておいてやらぬでもなくもない」
 言い様はともあれ、敗北宣言である。
「ひじーつかまえたぞ!」
 仙火にしがみつかせておいて、やれやれと息をついた。あれだけひ孫に気づかわれておきながら、それを逆手に反撃しようとは、さすがのご隠居でも思えなかった。昔の自分はそれほど甘くはなかったはずなのに……
 思わぬ情けに足を掬われたものよ。人である上は逃れられぬものよな、情やら八徳やらからは。
 そんなセンチメンタルに浸ってしまえばこそ、ご隠居はふと口してしまう。
「……儂は今をもって人間辞め」
「させるかー!」
 先日の母と同じツッコミで曾祖父を抑える仙火だった。
 そうして跳びかかってくるひ孫を指先で制し、翻弄しつつ、ご隠居はくつくつと喉を鳴らす。
「儂を負かした褒美に菓子を買ってやろうかよ。リュックにも程よく空きができたであろうし、ぬしらが食うたふたつを足して」
「おれ、さんさいだからみっつ!」
「足さば四つになろうが。それでは筋が通らぬわ」
「おれがよんさいだったらよかったのになー!」
 言い合いながら、ご隠居と仙火は並んで公園を後にする。
 それを呆然と見送った人々は、思うのだ。
 あれはあれでいい関係なんだろう、きっと。


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2021年01月14日

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