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『死者の羽ばたき』
柞原 典la3876


 2066年10月。
 アメリカ・カナダ国境付近の海辺。
 柞原 典(la3876)はあの場所に来ていた。
(約束は守る言うたやろ)
(その顔で会いに来てくれ)

 地獄で待ってる。

 あれから6年。まだ地獄には行けていない。けれど、多分もうすぐ旅路には立てるのだろう。頭を軽く触る。

 あと1ヶ月です、と、検査の説明をしてそのまま主治医になった医者からはそう言われた。他にも、もっと色々と丁寧に説明してもらったが、典にはその情報だけで充分だった。

 本来は無謀なのかもしれない。それでも、否、だからこそ彼はアメリカに飛んだ。国境付近の、あの場所へ。

 夜の海には人気がなかった。空には月が浮いている。缶コーヒーを2つ買って、海辺を歩いていると、沖から人が歩いて来るのが見えた。水の抵抗を受けている様子はない。この世のものではない。その人の顔が見えるところまで近づいた。くすんだ金髪が月の色を反射している。典は微笑んで、声を掛けた。
「久しぶりやね、兄さん」
 ヴァージル(lz0103)の幻。これは自分が見ている幻覚なのか、あるいは、死期の近い自分を彼が迎えに来たのか。どちらでも良かった。いずれにしても自分は死ぬし、彼が典を求めて連れて行ってくれるのであれば、それでも構わない。彼の死んだこの砂浜で息絶えるのも、悪くないだろう。
「……見た目だけなら、俺の方が兄さんになってしもうたなぁ」
 ヴァージルが擬態している故人は30歳手前だった。当時の典はそれよりも年下で。そうであるから、多くの年上男性を呼ぶように「兄さん」と呼んでいた。
 死んで、時の止まった彼を置いて、典は年齢を重ねた。外見年齢は2、3歳若く見えるが、それでも、記憶の中のヴァージルに比べると年上に見えることだろう。肩ほどまで伸びた髪を無造作に縛り、黒い服にコート。スーツも彼にとっては似たようなものだった。組織の一員として行動する機会が減り、あまり服装を気にしなくて良くなったので、手入れも動きも楽な服装に替えた。
「何しに来た」
 幻は喋った。記憶の中と変わらぬ、傲岸な物言い。典は笑い、缶コーヒーを差し出した。
「何って、俺、毎年命日にここ来てたんやで。兄さんおらんようになって3年くらいは、心がしんどうて来られへんかったけど」
 好いた相手が死んでしまった。それに荷担した。自覚したころにはもう会えない、というのはなかなか堪えた。
 今見ている彼も、自分の願望が見せる幻なのかも知れない。本物であれば良いと思うし、本物のつもりで話しているけど。
「兄さん、笑うて?」
 典はフィルムカメラを構えて、パシャリと1枚。困り顔の相手にくすくすと笑う。
「そんなの持ってたのか?」
 ライセンサーの時は、カメラで写真を撮ることなどほとんどなかった。必要な写真は端末で撮影していた。自分のカメラを持つようになったのは、ヴァージルの死後だ。ヴァージルが生きているときも、彼の前で写真を撮ることはなかったのだけれど。
「今はこれが仕事やねん。風景専門で人は撮らへんけどな。『色を探す色の無い世界』とか言われて、そこそこ界隈で評判なんやで」
 色褪せた世界の中、いつも居るはずのない金色を探していた。それが写真を見る者に響いたらしい。モノクロ専門の写真家だ。SALFには、ライセンサー登録だけ残している。
「人を撮らないのに、俺を撮って良いのか」
「今日は仕事ちゃうもん。それに、多分俺にしか見えてへんし。どのみち、兄さん写ったら心霊写真になってまうからなぁ」
 心霊写真には別の需要もあるが、彼を晒し者にはしたくない。その時は、自分だけが大事にとっておくことにしよう。


「そう言えば契約書、『俺が作った方が良かった気がするな』言うてたけど、何で? 英文間違うてへんかったろ……」
 典は6年前に、カナダのインソムニアで言われたことを思い出した。約束を英語で書き連ねた「契約書」を作って渡した時のことだ。サラリーマンの意地である。6年間ずっと気になっていた。
「そんなことあったか?」
 ヴァージルは空を見た。浮いている月が答えを教えてくれると言わんばかりに。やがて、「ああ」と頷き、
「俺がしてやることの方が多かったからだよ」
「ああ……」
 今度は典が頷く番だった。それはそうだ。典はただ死なないようにしていれば良い。それがいつの間にか、彼以外には殺されたくない、になっていたのだけれど。ただの約束が、いつの間にか根付いてしまっていた。
「兄さんからぽんぽん約束持ちかけたくせに、ぜーんぶ破りよった」
「お前のバックについてる連中は、俺が約束守ったらまずいから死ぬ気で阻止しただろうな。どっちにしろ守れなかったと思うよ。俺はそんなに強くなかったし」
 一般人相手であれば、多くのナイトメアがそうであったように、躊躇わない攻撃行動、リジェクションフィールドによる一般兵器の遮断含めて強かった。体格が良いので、素手でも戦える。
 ただ、それは一般人相手である。ナイトメアの強さはリジェクションフィールドによるところが大きいので、個体によっては、実力の付いたライセンサーの前で形無しになることも多いのだ。ヴァージルもそのタイプだったのだろう。だからあの時も「数で押す」と言って20体のマンティスを言いくるめて協力させていた。結局それでも全滅したのだけれど。
 その一方で、コートジボワールを牛耳っていた蛇たちの様に、EXISでフィールドを破られてもなお、攻撃に耐えうるタイプもいたが。
 コートジボワールのナイトメア。典に「羨ましい」を与えた少年の顔が過ぎった。彼も死んだ。典も立ち会った。
「地獄の住み心地はどない?」
 典は話題を変えた。ヴァージルはうんざりした顔をして、
「最悪に決まってんだろ」
「どう最悪なん?」
「来てからのお楽しみにしとけ。つーか、お前ライセンサーしてたのが善行に当たるんじゃねぇのか」
「はぁ? 何でそないなこと言うねん。兄さんのうんつく。そんなに約束破らせたいんか」
 あんまりな物言いにむくれるが、
「な、ちょい手ぇ貸して」
「ん?」
 ヴァージルは目を瞬かせて手を出した。典は両手で取ると、その手首に口づけた。突然の振る舞いに、相手は驚いて手を引っ込める。
「なん、なに、え?」
 典は相手の顔を、眩しい物を見るかのような目で見て、告げた。
「俺な、兄さんが初恋やったみたい」
 ヴァージルは、初めは意味がわかっていなかったようだった。けれど、理解したのかその顔が歪む。嫌悪と言うよりも、予想外で何を言ったら良いのかわからない、という顔だ。典は続けた。
「左目は持ってけ言うても拒んだのに、心は奪って逝くとか……ズルいわ」
「お前が勝手に寄越したんだろ。目玉だって、俺は花畑で断ったぞ。俺はこの顔から鞍替えしない」
「ひっど。折角人が愛の告白しとるのにそれはないやろ」
 典は大袈裟にむくれて見せつつも、
「まー、自覚したんは少し後やけどね。討たれた時に自覚してへんで良かったかも。兄さん動けへんのいい事に、皆の前で唇奪うてたかもしれへん」
 それを聞くと、ヴァージルは目を逸らす。典はその様子を見ながら、
「今はせぇへんし警戒せんでもええよ。……拒まれたら傷つくもん」
 弱々しく笑う。何なら、今しがた手を引っ込められたのも、目を逸らされたのも、少しだけ痛い。色んな意味で脈がなかった。そうは言っても、口づけた手首を拭う様子はなく、ヴァージルはただ視線を彷徨わせるだけだった。
「兄さんが好きなのは顔だけやん? けど顔も本物兄さんの方が特別やもんね。勝てるとこあらへん」
 気に入ったのであろう典の顔にも、アメリカにも山ほどいたであろう美形の顔にも鞍替えするつもりはなかった。当人が自覚しているかどうかは別として、一目惚れの恋は長い。それに、恋において死者というのは最大のライバルなのだ。その一方で、故人からしたら自分を殺した悪夢でしかないので、ヴァージルもそこが後ろめたいのだろう。
 ただ、人との関係が長い付き合いで構築されるのであれば──自分が時間を掛けた付き合いで彼を慕う様になったのだとすれば──まだ自分にも機会はあるのではないか。
「せやけど本物兄さんは地獄行くようなお人やないし、地獄で兄さん口説くから。地獄のデートは長いんやろ? ……そう長うせんで行くわ」
「……何をする気だ」
 宣言を聞いて、警戒するようにヴァージルが問う。
「ん? 兄さんが思うてるようなことはせぇへんから」
 典はへらりと笑い、自分の病気のことを告げた。
「あと1ヶ月。せやから……今連れてってくれてもええんやで?」
 ヴァージルはその言葉を聞くと、しばらく俯いて考えていた。その表情は翳っていて見えない。苦悩しているようにも、無表情でいるようにも見える。やがて、顔を上げた彼は少々困った様な笑い顔だった。
「お前の良いようにするのは癪だな。それに、俺もお前も、地獄行きが悪行の罰であるなら、俺の気持ちがお前に傾いたら、また離されるんじゃないのか」
「それって」
 典はその言葉の意味を吟味する。
「傾いてくれる可能性はあるって、期待してええんか」
「地獄は案内してやるよ」
 いつもこうだ。はぐらかされる。典は相手を睨んだ。けれど、ヴァージルがまだ困り顔をしているのがなんだかおかしくて、
「そんな顔せんといて」
 いつかに言われた言葉を返す。
「いつもみたいに笑うてや」
 それでもあの軽薄な笑みは戻って来なかった。

 彼の前では、典ももう出会う前の様に笑えないだろう。一度自覚してしまった気持ちを、なかったことにはできないし、ヴァージルも知ってしまったことを素知らぬふりはできないのだ。
「どのみち、時間がいるな。ここで話すことじゃない。1ヶ月じゃなくても待っててやるよ」
 困った様に笑うままの彼に、典は近づいた。頬に手を伸ばし、触れるか触れないかというその瞬間。
 ヴァージルの左肩から何かが飛んで行った。それが黄金の蝶であることに気付いた時には、彼の全身が崩れ……たくさんの蝶々になって沖の方へまとまって飛び去った。水平線から浮かぶ太陽の方へ。光が飛ぶように。
 呼び戻されたのだろうか。

 1羽だけ、はぐれた蝶が典の傍にやって来た。労るように左肩に止まるが、すぐに沖へ飛んで行く。

「……唇とまってくれてもええんやで」
 本当に、典の思い通りになってくれない男だ。でも、だからこそ口説き甲斐があると言うもの。再会を楽しみにするとしよう。

 笑うように蝶がはばたく。典は最後の1羽が見えなくなるまで、それを見送った。


 典がアメリカから帰国して1ヶ月ほど。
 訪問看護師が彼の部屋を訪れた。呼び鈴を鳴らしても応答がなかったため、事業所と警察に連絡。管理会社から合い鍵を借りてドアを開けたところ、彼はベッドで眠るように死んでいた。
 幸せそうな表情をしており、苦しまずに死んだのがせめてもの救いだと、知人たちは口を揃える。才能ある若い写真家の早すぎる死を、誰もが悲しんだ。

 モノクロ写真家がカメラに1枚残した遺作には、金と銀の蝶が連れ立って飛ぶ様が映っており、不思議な出来事として語り継がれたと言う。

 迎えが来たのかもしれない。後日、典と交流のあったメキシコ出身のライセンサーが、ぽつりと呟いた。


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三田村 薫 クリエイターズルームへ
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2021年01月25日

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