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『大団円は残念の果てに』
狭間 久志la0848)& 音切 奏la2594

「なぁ、奏。鶴、不味いらしいんだけど」
 暦はそろそろ2月。お出かけしてきた帰り道で狭間 久志(la0848)が思い切って切り出せば、音切 奏(la2594)はふふり、口の端を上げて。
「久志様が想像されている鶴はこちらの丹頂鶴ですね? あれは鴎と同じくおいしくありません。――食べるのはこれです。鍋鶴ですわ!」
 たどたどしく久志のスマホを操作し、2羽の鶴を見せる。
 日本で鶴と言えば丹頂鶴を指す感じだし、実際久志もそれを想像していたのだが、実際示された鶴はハゲタカを思わせるハゲっぷりで……しかも字がそのまま鍋の鶴!
 どやどやどやどや、どやぁ。それはもう誇らしげな奏へ、久志はそっと悦明文を指してみせた。
「鍋鶴、天然記念物だ、狩るの犯罪だぞ」
 すると奏は――
「知りません! だって私、貴種流離譚の姫ですし!? 異世界の有象無象が私の得意料理を勝手に禁じようなど不敬不遜不幸!」
 最後の不幸被ってんの、主に俺だなぁ。のんびり思う久志である。とはいえ奏の残念は昨日今日始まったものではないし、それすらもう奏らしさだと受け容れているので、実のところ不幸でもないのだが。
 と、奏が久志を見つめ、問うた。
「仮にですわ? “鶴と野草を煮たやつ”をあきらめるとします」
「仮じゃなくて絶対だけどな」
「……断腸の思いであきらめるとします。私はいったい、なにを久志様に振る舞えばよろしいのでしょう?」
 怖ろしいほど真剣であるが、しかし。かわいい彼女を犯罪者にはできない。
 ああ。
 久志はしみじみと噛み締めた。そうだよな。俺と奏、恋人同士ってのになったんだ。おじさん気取りでひねくれてた俺と、残念かわいい、姫じゃない奏。
 そして考える。こんなとき、彼氏は彼女になんて言うべきなんだ? 「奏が作ってくれるもんならなんだってうれしい」はだめだな。ならば最高の味を! とか言って鶴狩りに行くだろうし。じゃあ、「奏の肉じゃがが食いたい」は? いやいや、肉っていったら鶴になるから! 魚は――一本釣りしに行くとか言いそうだし。
 独り苦悩する久志の様を見、奏は途方に暮れた。
 久志様が困ってる! 私が察しなくちゃいけない正解を丸投げにしちゃったからだよね……。
 そこそこ以上にストライクゾーンから遠い誤答へ辿り着き、悲嘆して。
 私、姫じゃないけど姫なのに、久志様のこと困らせてばっかり。ああもう! せめて得意料理が“鶴と野草を煮たやつ”じゃなかったら!
 せっかく恋人同士になったのに今ひとつ関係性が進展しないのは、こうしたささやか――と思っているのは奏だけだ――なズレのせいなのではなかろうか。
 正直、奏には焦りがある。命を懸けて臨んだ最終決戦で、戦後に婚活をすると宣言した所属小隊の隊長の盛り上がりに煽られ、「私はこの戦いが終わったらプロポーズします!」と言い切ってしまっていたので。
 しかし。冷静になってみれば、姫からプロポーズなんてはしたない真似ができるはずはなく。しかし諸々の問題は結局、結婚してしまえば全解決しそうな気もしていて……故に、是が非でも久志に言わせなければならなくて。
『俺の心も胃袋も、全部おまえに掴まれちまった。ああ、ラブアイアンクローとラブストマッククローでな。――俺のスイートハニーになってくれないか、奏』
 勝手に想像しておいてなんだが、久志はこんなことを言わないだろう。恋人になって、奏はあれこれ覚悟を決めて待ち受けているのに、触れる程のキスをしてくれる距離までしか久志は踏み込んできてくれないのだから。
 私、魅力ないのかな。
 ぽつりと思いついたことが不安を吸い込み、彼女のささやかな胸を重く塞ぐ。嫌な想像が次々と形を得ては襲い来て、奏の鎧われていない心を傷つけて……
「あ」
 久志が天啓を得た顔を上げて。
「チョコレート。もうすぐバレンタインだろ? 俺、奏の作ってくれたチョコ食いたい」
 チョコレート? バレンタインデーというものはすでに学習済みだし、日本では女子が男子にそれを贈ることも知っているが……
「この国で、カカオ豆というものを見たことがないのですけれど」
「日本じゃ出来合のチョコ溶かして固め直すんだよ。それが絶対常識で、究極正義だから」
 奏がカカオ豆を刈りに行くと言い出さないよう予防線を張っておいて、久志はあらためて言うのだ。
「奏が溶かして固めてくれたチョコ、食わせてくれよ」

 奏を送ってひとりになって、久志はようやく息をついた。
 今んとこうまくできてるよな、俺。
 相手に自分のすべてを晒し、預けるような恋愛しかしてこなかった。つまるところそれは甘えであり、依存だ。
 そんな自分の性(さが)を知っていながら、奏にも過去の話をぶちまけてしまったのは、すでに後悔していることである。まだ物も知らない少女へいきなり自分の半生を預けてしまうなど、暴挙以外のなにものでもないのに。
 だからせめて、大事にしたかった。未だ無垢な彼女を傷つけてしまわないように。彼女がなにひとつ捻れることなく、まっすぐ大人になれるときまで。
 いや、これは奏の問題じゃねぇ。俺の問題だ。俺が真っ当な大人になれるまで、安直によっかかっちまったらだめなんだ。
「……なんか俺、思ってたよりずっとまじめに大事にしてぇんだな。奏のこと」
 あまりに青臭くて、奏には絶対言えないひと言をつぶやき、久志は思わず震え上がった。なんか俺! 思ってたよりずっとまじめに恥ずかしくねぇ!?

 そんな久志の悶絶を知る由もない奏は、製菓用の板チョコレートというものがあることを調べてうなずいていた。
 これなら大きいハートのチョコレート、できるよね。上に文字書いたりするのもありみたいだから、それで久志様に伝えるの、私の覚悟。そしたらきっと応えてくれるはず。
 そうなると、なにを書くかだが……なにを伝えればいいものか? 理想は読んだ瞬間、彼が感涙して、プロポーズしたくなるような言葉。だからといって、さすがに「プロポーズ待ってます」は露骨過ぎて興醒めだ。
 チョコレートの制作に手間がかからない分、悩む時間はある。慎重に考え抜いて、その上で最高の誘い文句を書きつけよう。


 世界に残るナイトメアとの戦いや日常のあれこれをこなし、空き時間を共に過ごしたりしている内、バレンタインデー当日はやってきた。
 久志の家のドアベルを鳴らし、迎え入れられた奏は、まっすぐ伸ばした背が反り返らないよう注意しながらリビングへ。導く久志もまたかなり緊張していることへは、必死過ぎて気づかないまま。
 で。こたつへ入らず床に正座、奏は厳かな手で大きな紙袋を向かいに正座した久志へ押し出し、
「ご用命の本命チョコ、お持ちいたしましたわ。何卒お納めくださいませ」
「謹んで拝領いたす……って、武士か。いや騎士か?」
 軽くツッコんでおいて、久志は綺麗にラッピングされた袋を胡座に崩した膝の上へ置く。……ずしりと重い。大きさもそうだが、相当に気合の入った一品であることが知れた。
「リボン、奏の腕んとこのとおそろいだな」
 彼女が常にまとう姫衣、その肩を提灯型に膨らませるため結ばれている桃紫色のリボン。おそらくは実物なのだろうそれを解き、中に収められたチョコレートを抜き出せば。
「でかいな」
 ブラックチョコレートで拵えられたハートは大きいばかりでなく、厚い。そしてその表には、ブルーベリーの香りをまとった白紫色のチョコレートで書きつけられた、読むことのできない文字が。
「私の想いを表わすにはまったく大きさが足りていませんけれどね!」
 怒りを含めた刺々しい声音で言い切って、奏はおそるおそる付け足した。
「その文字は、故郷のものです。……なにを書くべきか、いろいろ考えたのですよ? “この生涯を懸け、貴方だけをお慕いいたします”とか、“これを受け取る意味と返すべき言葉は存じていらっしゃるでしょうね?”とか」
 この巨大チョコより重たいことを言う奏は、いつも通り残念で。
 しかし、久志は察してしまったのだ。
 そんなこと言わせちまってんの、俺じゃねぇか。
 大事にしたかったこと、大事にしてきたこと、どちらも嘘ではない。でもそれにばかり必死で、結局奏の心を汲んでやれてなどいなかった。
 奏は、本気なんだ。
 こみ上げる万感を噛み殺し、久志は静かに問いを返す。
「なんて書いてくれたんだ?」
「それは」
 一度口ごもり、奏は今度こそ覚悟を決めて答えた。
「鶴は千年と云うなれど、我が魂、千年を越えてあなたへと添わん」
 ああ、そこは姫っぽい感じなんだな。でもそれ、さっきの重たいセリフといっしょだぞ。
 だとしてもだ。久志が彼女を結ぶリボンを解き、真実の心を受け取ったこともまた確かなことで。
 俺も応えなくちゃいけない。千年どころじゃない先の先までいっしょにいたいって言ってくれた女に、本気で。
「まだナイトメアの問題が片づいてないし、だから今すぐってわけにはいかねぇけど」
 気合を入れてチョコレートをひと囓り、かなり深刻に固い甘塊を噛み砕いて飲み下して、久志は言葉を継いだ。
「千年先まで約束できるかもわからねぇ。それでも俺は全力でずっといっしょにいられるようにがんばる。だから」
 久志はチョコレートを丁寧にしまう。自分を燃やす燃料は十分にもらった。そして、これを受け取っただけでなく、体の内に収めたことの意味と返すべき言葉はもう、準備ができている。
 果たして彼は奏の手を取り、笑みを浮かべて、
「俺と結婚してくれ、奏」
 奏は即答した。望むところですわー! でも、それは音にならなくて――溢れ出た涙に押し流されて、かき消えて。
「わだっ、みりょぐっ、ないがらっで、だがらひざっま、わだじのごど」
 なにを言っているのかわからないが、わかる。久志の大事にしていたつもりが、奏を不安にさせていたことだけは。
「って、結局奏が泣くのかよ。いや、泣かせたの俺だよな。ごめん」
 久志は姿勢を正し、奏を引き寄せ、抱きしめて。
「いろいろ考えてるつもりで、的外してて。言わなくちゃいけないことも言ってなかった」
 今こそ言おう。思い違えて大事にとっておいてしまったことを。
「俺を大好きになってくれてありがとう。俺も奏のことが好きだ。愛してる。奏はいくつになったって俺だけの姫だから」
 ぐう。想いきり涙を詰めた奏はぱくぱく息継ぎ、ようやく言葉を絞り出す。
「本物は、私の想像よりずっと殺し文句でしたわ。なんですのこの破壊力」
「うん、そういうとこだぞ奏」
 いつもの決めゼリフをかまして奏の髪を梳き、久志は彼女の耳元でささやいた。
「返事、聞かせてくれるか?」
 奏は久志の指に手を添え、ゆっくりと深呼吸。
 この返事だけは、残念も失敗も乗り越えて、完璧に届けてみせる。
「喜んでお受けいたします」
 ふたりの唇が重なった。
 触れるより深く、深く、深く。

「綺麗」
 久志から贈られた婚約指輪を日に透かし、奏はほうと息をついた。
 プラチナリングに据えられた石はムーンストーン。6月の誕生石であり、放浪者である彼女を象徴するこの世界ならぬ世界――月をイメージしたものである。
 これを用意すると決めた久志はそのことと共に、こうも伝えていた。
『指輪は結婚の約束って意味もあるけど、遠い場所から来た俺とおまえがこの世界で出逢って結んだ絆の証だから』
 思い返してみて、あらためて奏は思うのだ。
 これは私を久志様に結ぶ約束の軛。もう離れられないんだよね。あーあ、ずーっといっしょにいるしかないのかぁ。困ったなぁ。
 抑えきれない笑みがこぼれて、ついに弾ける。うれしくて、うれしくて、うれしくて。
「どうした、急に?」
 さすがに訊いてくる久志へ「なんでもありません」とかぶりを振って、奏は青い空へ投げかけた。
「もういくつ寝ると披露宴ですかしら?」
 奏の皇国は彼女と久志のふたりきり。周囲の国々からたくさんの賓客を招いて、できるかぎり盛大に祝おう。
 それにだ。やがて国には奏と久志の間に生まれた皇子や皇女が加わって、賑やかになるだろう。ああ、そうなるまでに、ふたりきりの国も楽しまなければ。
「やるべきこともやりたいことも、たくさんありますわ!」
 振り向いた奏の笑みに、久志も笑みを返してうなずいた。
「ああ」
 そしてふたりはやるべきこととやりたいことへ向け、足早に歩き出す。


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2021年01月29日

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