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『心技体』
不知火 仙火la2785)&日暮 さくらla2809)&不知火 楓la2790

 風へ酒精の息を流せば、鈍闇はかすかに朱を帯びて寸毫、艶めく。
「いい夜だ。少なくとも、僕にとってはね」
 今度は背中越し、ささやき声を放ったのは不知火 楓(la2790)。
 その声音はするすると伸びゆき、受け取るべき者の真ん中へと見事、突き立った。
 酔いを楽しむ楓に障らぬよう気配を薄めていた。それをあっさり読んでくるのは、武芸者だからなのか、それとも無粋だからなのか。ほろりと苦い笑みを頬へ染ませ、日暮 さくら(la2809)は一歩、闇の奥より踏み出した。
「今のあなたなら、晴れていようと雨だろうと関係なくいい夜に思えるでしょう」
 一応、言外からつついておいて。ふと楓の酒の敵方を務めていた人物を思い出す。
「仙火もいい夢を見ているといいですけれどね」
 夕食の後に軽く飲もうかと、純米酒の一升瓶を持ち出してきた不知火 仙火(la2785)。そこで無駄な男気を発揮した彼は飲み過ぎたあげく、見事な大の字を描いているわけだ。
「起きた後が大変そうだけどね」
 こちらも苦笑を返す楓。
 しかし、口ではそう言いながらも、起きだした仙火が頭痛やら吐き気やらを訴えてもいいよう揃えてきたし、その他にも水やら即席で味噌汁が作れる味噌玉やら、アフターケアの備えも終えていた。
 本当に完璧ですね、楓は。
 仙火が一端の顔をしていられるのは、彼を表裏で常に支え続ける楓あってこそだ。折々にぽつりぽつりと語られる昔話を聞くに、楓は幼少期、仙火から生涯を捧げるに足るほどの大恩を受けたらしいが……なかなかに信じがたい。
 世に三つ子の魂と語られはすれど、幼子がその後の人生をすべて差し出すほどの恩を与えられるはずがないし、受け取れるはずもない。道理を弁えれば、かつて絶対の価値を誇っていたものがその実ガラクタに過ぎなかったこと、気づかずにはいられないのだから。
 それをして楓が仙火に添い続けてきたのは、とどのつまり――
「あなたがいるのですから、心配はありませんね」
 ああ。楓がいたなら、仙火はなんの心配もない。この先に待ち受ける如何様な難所も、彼女という比翼あらば悠々と飛び抜けていける。
 仙火は楓へ、楓は仙火へ、己が先を預け合った。仰ぎ見るよりない私にすら、それがただひとつの正解であることはわかるのですから。
 ふたりの先に、幸いあることを祈っています。いえ、祈る間に、私が斬り拓きましょう。かけがえない友である楓を、かけがえない仙火と共に幸いへ届けるがため。
 と。
「きみがいてくれるから、心配してないよ」
 肩越しに返り見て、楓はまた笑んだ。
 濁の剣と清の剣。すなわち「フェイントと一打」を表わすふたつの剣技は、そもそもがひと振りの剣で成されるべきものである。しかし仙火とさくらは力を合わせてとある剣士と対するにあたり、それぞれが為す剣を分けた。体力と発想の閃きに勝る仙火が濁を、見切りと集中力に勝るさくらが清を。そして今、選んだ剣の道をふたりはひた駆けている。清濁併さった先に成る“一条”を目ざして。
 仙火の濁なければさくらの清はなく、さくらの清なければ仙火の濁もない。剣士としての仙火とさくらは、すでに無二の相方なのだ。
 ……それはきみたちほど剣の才に恵まれなかった僕にとって、相当痛い現実なんだけどね。だって、僕が踏み入れない剣の道の先へ、きみたちは行ってしまうんだもの。
 仙火の傍らにあるのは楓であるのに、対にあるのはさくら。普通なら痛さの余り取り乱し、さくらをどうにか遠ざけたくなるのが人情というものだろうが、しかしだ。
 僕は安心したんだ。失いたくない友だちだからってだけじゃない、きみの有り様に気づいたから。

「髪、切った?」
 唐突に、楓が問うた。
 さくらは表情を動かすことなく、小さくかぶりを振る。
「いえ」
「うん、そうだよね。さくらが髪を切ったのは」
 結構前のことだ。楓があえて一度言葉を切り、あいまいに告げたのは、知っていることを含ませるためだ。
「そのあからさまな含ませかた、あまり感心しませんね。さりげなく含ませられても感心しませんけれど」
 さくらの言い様に、目礼で謝意を伝える。これは僕の悪い癖だ。努めてあらためなくちゃね、なにせ先は、それほど長くないんだから。
「さくらの髪、伸びてなさすぎない?」
 すとん。さくらは芯を突き抜かれたように胸を押さえ、一歩、後じさる。
 そもそも髪は、長くなるほど伸びにくくなるものだ。そして多くの人の髪は一定の長さを越えた時点で力を失い、ひょろひょろと艶のない、見苦しい有様を晒す。
 しかし、さくらの淡麗なる紫を映す髪はどこまでもしなやかで、艶やかで。地へ届いたとて変わらぬ美しさを魅せるだろうことは明白だった。
 それなのにこの数ヶ月、さくらの髪は伸びることをやめ、そのままの長さを保っている。
 いや、正確には同じ長さのままではない。
 伸びているのだ。それこそわずかずつ、わずかずつ、わずかずつ。
「理屈まではわからないけど、さくらの加齢は確実に抑制されつつあるってことだよ」
 指摘されたさくらは少し唇を尖らせ、言い返した。
「加齢は言葉の選択としてどうかと思いますけれど」
 でも。
「自覚がなかったわけではないのです。女には、その、月々のものもありますし」
 さくらの母親は普通の人間ではない。しかし、仙火の父のように長命種ではなかったはずだし、だからこそ理由はわからない。そう、自分が常人の数倍を生きる体となりつつある理由は。
「データとしての信頼性がどれほどあるかわかりませんし、今後どうなるかもわからないのですが、このままなら、最低でも200年は生きることになりそうですね」
 楓はさくらの言葉にうなずき、深い息を吐いた。
「よかった」
 え?
 予想外の楓の言葉に、思わずさくらが聞き返したとき。
「清酒のがぶ飲みは危険だって知ってんだけどな……なんで懲りねえんだ俺」
 冴えない顔で水を飲む仙火が、ぞんざいな足で場へと踏み入ってきたのだ。


 仙火は楓とさくらの顔を見比べ、「邪魔か?」。
 さくらは応えず、楓を見る。
 これは当然のことだ。話の主導は楓なのだから。うなずきをもって引き受けることを示し、楓は仙火を招いた。
「いい機会だから、仙火にも話しておくよ」
 そして今度はさくらを見る。
 話していいかと聞いているなら、かまわないと応えよう。ただし自分から切り出したい。たとえ気の置けない友だとて、全部彼女に押しつけてしまう、あるいは持って行かれてしまうのは、女の矜持に障るから。
「実は、私の新陳代謝の速度が落ちつつあるのです」
 対して仙火の返事は、
「意味わかんねえ」
 まあ、そうだろう。わかりにくい言葉選びと表現、これはさくら自身のミスというものだ。
「母の血がなんらかの作用をもたらしたものと思われますが、寿命が数倍延びたのです」
「あー、そうか」
 ただそれだけを応え、仙火は水を呷る。
 正直、返事の正解がわからない。長く生きることにどれほどの価値も感じてはいないのだ。結局んとこ、そいつの価値なんて死ぬまでになにをどこまでできたか、だろ?
 それに、楓と添うことを決めて後、わずかずつではあるが感じ始めてもいるのだ。愛する者を見送らねばならぬ怖さと、時代というものから置き去られていく恐さとを。
 楓を始め、周囲の者たちは仙火より先に死ぬ。その数倍を生きることが定まっている彼はそれを見送り続けるよりなく、その中で時代の移り変わりにすら置き去られ、途方に暮れるよりないのだ。逝き過ぎた者たちの残した価値の残滓を抱え込んだまま。
 その怖さと恐さをさくらもまた味わわねばならないのならば――喜ばしからぬことである。
「仙火がなにを感じているのかはわかるけど」
 楓の言葉は促しだ。どう切り出せばいいかを迷っていた仙火はありがたく乗っておくことにして、ゆっくりと口を開いた。
「……アフリカで感じたんだよ。今度こそ、俺たちの一幕が終わったんだって。そいつは思い出になるんだろうさ。でも、語り合える連中は先に死んで、俺だけが残る」
 そして今はまだ彼方にある哀惜を映した目でさくらを見、
「理不尽だって、思ってたんだ。今はとなりにいてくれる楓だって見送らなきゃならねえのがさ。同じ気持ちをさくらが味わうのは――辛い」
 果たして押し詰められた重い沈黙を破ったのは、当のさくらである。
「剣士としては願ったり叶ったり、と思うべきところでしょう。人よりも長く剣と向き合い、その道を進むことができるのですから」
 そんな単純な話じゃねえだろ。音にできぬまま、仙火は息をついた。
 心は体の有り様に引きずられるものだ。経験はその者を賢しくはしてくれども、円熟をもたらしはしない。若いままの体が、熟考するより先に動き出してしまうから。同じほどの経験を積んだ年長の同僚の様を見ていれば、体の若さと心の熟度が反比例することは痛いほどに思い知れる。
 ああ、俺は経験のせいで賢くなっちまった。強くなりてえって思うだけだったころには考えなかったようなことで悩んでる。
「……心技体って云うけどよ。結局どれが欠けても突出してもだめなんだ。正直、俺って剣士はどれだけ体が衰えたら未熟な心と未熟な技と噛み合う? まるで見えねえんだよ」
「話がすり替わってるよ」
 喉を鳴らして楓がツッコみ、言葉を継いだ。
「少なくとも仙火は、今まで気づかなかったことで悩めるだけ成長したじゃないか。でも、その先へ行くにはまだ足りてないものがある」
 眉根を潜める仙火へ答えたのは、楓ならぬさくら。
「足りないものを自分ではないなにかへ求めること、でしょう」
 小さくうなずいた楓が、手振りでさくらを促した。うん。正解を語るのは僕じゃなくてさくら、きみじゃなきゃ。
 さくらは楓の意に押されるまま、紡ぐ。
「私は清ませるという、心技体の内で言えば技ばかりを追い求め、急いてきました。それがこうして長命を得て、顧みる機会をもらえたように思うのです」
 あらためて仙火を見て、
「仙火のような体の強さを持たず」
 そのまなざしを楓へ移して、
「楓のような心の強さを持たない私が、この先に己が技をもってなにを為すべきか」
「結論はもう出ているんだろう?」
 ああ、本当に楓は聡い。妬ましいと幾度思ったか知れませんが――
「私は体を仙火に預け、仙火は私に技を預けて、互いに技体を成しました。そしてそれを支えてくれたのは、結局のところ楓の心」
 今、さくらは語ることで問うている。仙火へ、楓へ、己という存在の価値を。
 そして仙火と楓は、それぞれに計っているはずだ。仙火は無意識に、楓はすべてを心得て。
「私は拘ることをやめようと思うのです。自分ですべてをそろえようとあがくのではなく、我が身の技を与え、仙火と楓に心体を与えられていくこと。それが私の選びたい、あなたたちとの先です」
 まったく、過ぎる身勝手を語ってしまったものだ。
 しかし、確信していた。これが唯一無二の正解ならぬ最適解であると。
「僕が心の役を全うできているかはさておくけれど」
 頬に薄笑みを、そして赤眼に真摯を乗せ、楓は語り出した。
「最終大戦で仙火とふたり、敵のただ中で『あとひと息なのに』って絶望したとき、それでも仙火は僕を守ってくれた。――うれしかったよ。でも、悔しかったんだ。ここにさくらがいてくれたなら、仙火の先を託していけたのにって」
 楓が仙火に守られるより仙火を守りたいと願った心は、痛いほど理解できた。だからこそさくらはただうなずき、待った。
 楓がこれほどの覚悟を据え、語ろうとしていることが、それで終わるはずがないから。
 私も覚悟を据えて聞き遂げます。あなたが今、ここで語らなければならないと決めた言葉を。
 楓は心を整えたさくらを直ぐに見つめ、
「僕が心であることは幸いだ。技と体はその人といっしょに終わるとしても、心だけは託せるものだからね」
 そして。
「僕が終わるとき、この心をさくらに託したい。その先も続く仙火の道に、共連れていってほしいんだ」
 自分が死んだ後、残される仙火をさくらへ託したい。
 言い渡された言葉の重さが、さくらの脚を震わせる。
 楓、自分がなにを言っているのか、わかっているのですか!? ああ、全部わかっていて言うのですね。あなたが死した後も私が生き続けるのだと知ったから――今際に言い残す狡さを自らへ赦すことなく、今このときに。
 ならばこちらも、流されるわけにはいかない。そんな身勝手な覚悟を押しつけられて、承知しましたなどと笑えるものか。
「そもそも仙火はあなたと添うことを選んだばかりなのですよ。受け容れられるはずがないでしょう」
「じゃあ、元の世界へ還る? 仙火を置いて?」
 できるはずがない。
 仙火は剣の相方。彼の濁なくしてさくらの清もありえない、まさに比翼というべき間柄にあるのだ。
 しかし。
 だからといって。
 さくらのとまどいを押し割るように、楓が静かに語る。
「さくら。僕はきみと立ち合ったときに思ったんだ。きみがあと40年後に現われてくれていたら――僕よりずっと長く生きなければならない仙火を支えてほしい。そう言えたのにって。それが実現できることがわかった以上、言わずにおく意味はないもの」
 清んだ声音で、言い切った。
「きみだから、僕は仙火の先を託すんだよ。日暮 さくら」
 撃ち抜かれた。楓の心の丈に。
 立ち尽くすさくらから言葉を引き継いだのは仙火。
「俺が惚れてるのは楓だ。それだけは思い違うなよ」
 前置いて、続ける。
「さくらは、俺のかけがえない対の剣だ。アフリカの決戦で一条を合わせたとき思った。俺たちの剣は、まだ先に行ける」
 あれは、これまでの半生の内で最高の一条だった。さくらとだからこそ成せた、さくらとでなければ成せなかった、一条。
「俺の剣の道がひとりで行けるもんじゃねえのはわかってるんだよ。さくらって相方が必要だ。それだけじゃねえ。約束を果たすにもだ」
 約束とは誓約だ。失意の底で死にゆこうとしていた仙火をこの世界へ繋ぎ止めたさくらの言葉は「誰かを救う刃であれ」。それを為すべく、仙火は立ち上がり、剣を取り、ここまで来た。
 故にこそ仙火は左の手を楓へ伸べ、
「楓が俺の未熟な心を支えてくれる」
 そうして右の手をさくらへ伸べ、
「さくらが俺の未熟な技を生かしてくれる」
 ふたりの手を引き、夜闇を押し割って進む。
「今、俺に答えられる言葉はねえけど。楓とさくらがいなきゃ、俺は半端な体でしかねえ」
 振り向いて楓を見て、仙火は問うた。
「いっしょに居てくれるか?」
「うん」
 次いでさくらを見て、また問うた。
「いっしょに行ってくれるか?」
「ええ」

 八咫の烏が三足ならば、仙火、楓、さくらは三翼の鳳となりて飛ぶ。
 同じ先を目ざし、託されたその先へまでも、遠く、高く。


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2021年02月04日

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