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『白と黒の世界にて』
柞原 典la3876


 人とナイトメアとの戦いに決着がついてから時は流れ、2063年――。

 柞原 典(la3876)はひとけのないバスに揺られていた。
 目を伏せ、手元の携帯端末を操作しているのは、端末からメールを確認しているからだ。相手はかつての依頼人であり、クライアントであり、師匠でもある写真家。
『何でもいいから写真を撮って欲しい』という不思議な依頼――その縁から、典は件の写真家に時おり写真を渡すようになっていた。その出来栄えに納得すれば写真家が買い取る。ようはちょっとした副業のようなものだった……当初は。
 オリジナル・インソムニアが陥落し、全てのインソムニアも消滅して久しい時が流れ、ナイトメアの目撃情報も日々レアなものになっていく中で、当然ながらライセンサーであった典のライセンサーとしての仕事は減っていった。
 それはそれでいいことだと思う。ライセンサーが休む間もないほどナイトメアが湧いて誰かが犠牲になっていることよりも、仕事がないほど平和な方がずっといい。典は悪がいなければ生きられない正義などと傲慢な存在ではなかったし、むしろそんなモノを軽蔑するような心の持ち主だった。
 とはいえ、「よかったね」で生きられるほど人間社会は甘くない。ナイトメアがいなくなってめでたしめでたし、で物語が終わっても続いていくのが人の営みだ。つまりは金が要る。今はまだライセンサー業の『命懸けの仕事』に相応しい報酬の貯金があるけれど、収入はゼロより1でもあった方が安心できる。
 そういうわけで、典は件の写真家のツテで写真家となった。保険としてライセンサー登録はしたまま、最初はバイトのような助手として。少しずつ撮影技術や様々なことを学び、潜在的な才能も相俟ってか、いつしか典は写真家として相応に評価されるようになっていた。

(……もう『写真家モドキです』とは名乗られへんな)

 師匠とのメールの内容は、典の写真家としての個展に関するものだった。小さくささやかな個展だけれど、それでも評価の証に変わりはない。個展が決まった時は驚いたものだ。
 添付されていた画像ファイルは個展のポスター案だった。『柞原典作品展“色を探す色の無い世界”』――そんなロゴと、タイトル通りのモノクロの色彩で構成されている。
 典が撮るのはモノクロの風景写真だけだ。それは個展のタイトルにもある通り「色を探す色の無い世界」と謳われて評判だった。「どうしようもなく広がる寂寥と、一抹の憧憬を感じる」とは誰の評価だったか。

(色が分らんわけやないけど、俺には世界は色褪せてしか見えやんのや)

 それがなぜ、人の心を魅了するのかは分からないけれど。それを求められるのならば、撮るだけだ。
「ありがとうございます。そちらでお願いします」、と典はメールに返信を終えた。典の願い通り、ポスターやチラシに典の顔写真は掲載されていなかった。彼はその美貌が厄介事を招くことを嫌なほど知っている。それに自分の写真を「顔の良い男が撮っているから」で評価されるのは虫唾が走った。だから未来永劫、『写真家柞原典』は顔を出すことはしない。そのことで、窓口になってくれている師匠に手間をかけさせてしまうのは些か申し訳ないけれど。止むを得ないことなのだ。
 さて、返信を終えれば「次、降ります」のボタンを押した。ほどなく目的地だった。


 ●


 奈良県奈良市、新大宮駅近くのバス停で降りる。
 10月の奈良県は、真夏に比べれば涼しくなったものの未だ残暑を感じる気候だった。

 踏切の音を背後に、古都から少しだけ離れたエリアを歩く。隣の大阪や京都と比べて、奈良県は2060年代になってもこれといって目立った発展はないし、相変わらず大阪や京都の方が派手で華やかだ。土を掘れば遺物が出てくるのは1000年前から変わらず、この町のホテルの発展を妨げて観光客の宿泊を逃していく。電線が覆う空とチビのビジネスビルと住宅街と1000年の遺跡が一緒くたになった、典の育った県である。
 秋という行楽シーズンだから、興福寺や東大寺や春日大社のあるメインエリアの方は賑わっていることだろう。新大宮辺りにはそういった観光客はあまり見られない。蝉の声はすっかり消えた、晴れ晴れとした空の下を典は歩く。
 平日の日中ど真ん中、道を行く人はほとんどおらず、車だけが忙しなく通り過ぎていく。歩いてほどなく、目的地はあった。
 橋の上から望むのは、佐保川。万葉集にも登場する、1000年以上の歴史を持つ古都の川である。川を挟むようにずらりと並ぶのは桜の木々だ。秋口になったそこは真っ赤に紅葉している――のだけれど、典にはやはり色褪せて見えた。

「――……」

 橋の真ん中で、ぼうっとその風景を見る。褪せた桜並木の赤。秋晴れの青。彼方に望む若草山の緑。きらきら輝く佐保川の水面。褪せたモノクロの世界。提げていた鞄からカメラを撮り出した。最初の最初はスマホで撮影していたものだ――商売道具を構える。もう久しくEXISには触れていない。シャッターを着る。鮮やかで色のない世界を、切り取っていく。そのモノクロの中に――この世界にはもういない存在を、煌めく金色を、心の中のあたたかな熱を、無意識的に探しながら。

 そのまま川沿いのアスファルトの上を歩いた。時折シャッターを切りながら。世界はとても静かだ。時が止まったかのような昼下がりだ。はらりと一枚の赤い葉っぱが足元に落ちる。典は立ち止まってそれを見下ろした。カメラを黒いアスファルトに横たわる赤い色に向けた。

 どんなに眩しい色であろうと、写真という世界で全ては色を失って白と黒になる。
 この葉っぱも、モノクロになれば元の色は分からない。はたして見た者は青々とした葉に感じるのだろうか、赤い葉に感じるのだろうか。


 ●


 暗室で現像した日は、奇しくも『初恋』が死んだ日だった。
 時が経てば……なんて安っぽいラブソングは口を揃えるが、典の心にポッカリ開いた寂寥が埋まる気配は終ぞない。しかし後を追うつもりだけは決してなかった。それが彼との約束だから。
 それでも――『それでも、』が湧いてくるのは人の情。その証拠に、未だ典は彼が討伐された場所へは苦しくて足を運ぶことができないでいた。あの瞬間を思い出すと心の穴がもっと深くなってしまうから。忘れたいとは思わないし、忘れることもできないけれど。

「……あれ俺の顔、庇ったんよねぇ?」

 暗い部屋の中、ふっと思い出す。呟きに返ってくる言葉はなかった。典の声だけが暗闇の中に染み渡って消えていった。木霊もない。

(結局……俺がどう思われてたかは、分からんままなんやな)

 束の間だけ目を閉じる。目蓋の裏の生温い闇の中、いつだって思い浮かぶのはあの色彩で。

「地獄行ったら教えてくれはるやろか」

 そんな『いつか』を思い描く。そんな『希望』が、それでも生きようという力を与えてくれる。
 今日もどうにか典は生きている。きっと明日もどうにか生きていく。

 ……そうして積み重ねた日の先を、ずっとずっと想いながら。



『了』

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました!
奈良県民なので典さんに奈良県を歩いてもらいました。
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グロリアスドライヴ
2021年02月04日

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