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『マルディ・グラの誘惑』
霜月 愁la0034


 近年まれに見る悪天候だった。
 霜月 愁(la0034)は自室の窓から外を覗いて、無言となる。
 これでもかと雨風が窓を叩きつけ、視界ゼロ。昼間というのが嘘のように暗い。
 時折、稲妻が落ちる。
 こんな時でもSALFへ依頼が入ればいくらでも出動するつもりであったが、幸か不幸か緊急を要するものはないと、朝から本部へ出かけていた友人から連絡が入る。
 彼は彼で、帰宅に難儀して天候が落ち着くまでは向こうにいるとのこと。
「……お菓子を作ろう」
 そう呟いた愁も、動揺していたかもしれない。
 自分で何かを作る時間を取りにくかったとか、話題のアレが気になっていたとか、出かけ先で食べたものがイマイチだったので自分の手で作ってみようとか、言い訳だけはありったけ。


 気が向いたら、いつでも何がしかは作れるように。
 お菓子作りが趣味の愁の冷蔵庫の中には、いつでも最低限の……
「卵とバターと牛乳がたくさん。生クリームがあるのはラッキーだったかも」
 いつでも最低限の材料が整っているかと思わせて、賞味期限が関係するものは買い置きしない。
 大喰らいでもない青年の一人暮らしだ、常備しているのはそこそこである。
「そうだな……折角だし」
 誰かのために。誰かと一緒に。
 それが、今日は難しそう。
 自分のために、自分が美味しく食べられるタイミングのものを。
 粉と卵とバターで魔法を紡いで見せようか。
 堅実なゼルク、知覚のネメシス。双方の本領を発揮というところで。




 考えが纏まれば、行動は早い。
 黒髪を結び、使い慣れたエプロンを着けて、袖を捲ればスイッチon。紫眼に、独特の灯火が宿る。
 レポートパッドに必要な材料と分量を書き起こし、道具を揃え、無駄のない動きで計量を進めていく。
 厚手の片手鍋に、牛乳と、乾燥させてあるバニラビーンズのさやを放り込んで火にかける。
 牛乳が沸くまでの合間に、ボウルでは卵黄にグラニュー糖を加え、リボンの帯のようにとろみがつくまで強く混ぜ合わせる。最後には小麦粉を。
 カスタードクリームは、シンプルな材料で美味しくたくさん作れるけれどなかなかに力技だ。
 衛生面への配慮もしっかりしないと食中毒を招く。
 卵黄が熱で固まらないよう、沸いた牛乳を段階的に注いで混ぜ合わせたあとは一気に炊き上げる。
 氷を敷いたバットに流し、ラップで密閉。

 カスタードの粗熱を取る間に、次の計量を。
 
 水。無塩バター。塩。薄力粉。卵。
 これらで出来上がるシュー生地は、なんという低コスト。
 前者3つの材料を鍋で沸かしたところで、粉を投入。水気が飛ぶまで炊く。
 カスタードと連続での作業は、量によっては一般人なら腕が悲鳴を上げるだろう。
(このために、ライセンサーとして鍛えてるわけじゃないんだけどね)
 細腕の愁だが、筋力はしっかりある。
 この辺りは苦ではなく、むしろ負荷を楽しむ感じ。
 シュークリームは贈って喜ばれることが多い。
 かといって最初から上手に作れたわけではない。
 本だけではわからない、動画でも伝わりにくい、実際に作らなければわからない『感覚』こそがシュー生地の決め手となる。
 どれだけ水気を飛ばしたか。
 そこへ、どれだけ卵を加えるか。
 これだけは『分量通り』とは、ならない。
 生地が熱いうちに、最善のバランスにしなければ焼いた時に膨らまない。
 お菓子作りは、魔法じゃない。
 魔法に見せた科学であり、体で覚える体育会系的な何かであり。
 そのくせ、とっておきの誰かのために作る時は最高に美味しく仕上がる憎い側面もある。
 だから、楽しい。
「今日は硬めの仕上げだから……これくらいかな」
 木べらですくい落として感触を確かめる。うん。いい感じ。




 雷鳴とどろく平日の昼間。
 いつ停電になってもおかしくない本日は、オーブンを使わないお菓子。
 160度を少し超えたくらいの揚げ油へ、星型口金で絞ったシュー生地を切り分けたクッキングシートごと投じてゆく。
 あとは、じっくりと火が通るまで。
 
 フレンチドーナッツ。

 そう呼べば、ピンとくる人も多いかもしれない。
 シュー生地を揚げて作るドーナッツは食感が軽く、クリームとの相性も最高。
 ホイップクリームだけでも良いけれど、本日はカスタードとのダブルで贅沢に。
 あまった生地は丸く絞って、あとでシナモンシュガーに転がしておこう。
「断食前の御馳走、かー。さすがに、天気は回復するとは思うけど」
 本来の名は『ベニエ・スフレ』。
 フランスはアルザス地方の菓子で、謝肉祭の時期に食べられるものだ。
 カーニバル。謝肉祭。
 歴史が長すぎて諸説ある宗教行事のひとつで、断食を前にした祝祭の期間だ。
 祝祭期間の最終日を『マルディ・グラ』と呼ぶのだそう。
 断食や懺悔の期間へ入る前日。
 食べるとしたら、どんなものが良い?
(とびきり甘くて、ふわっと溶けてしまうような。天へ昇るような。幸せな記憶があれば……それは)
 過酷な状況であろうと、前進していける力になる気がする。
 悔いて。許しを請うて。苦しんで。
 それでも、生きていきたいと思えるなにか。
 自分は生きていていいと、思えるなにか。
 あるのだろうか。そう考えていた頃もあった。
 今は。

 きつね色に揚がった生地を引き上げる。大切な友人たちが持つ、熱量に近いと感じた。

 


 揚がった生地を半分にスライス。
 オレンジのブランデーを混ぜたカスタードクリームと、軽やかなホイップクリームを二層に絞って。
 バナナや、砕いたチョコレート、軽く炒めたリンゴを挟んだり。
 粉糖を振って出来上がり。シナモンを振りかけたバリエーションも用意する。
「……ふふ」
 今日は、自分が楽しむためのお菓子を作ろう。
 そう思ったはずなのに。
 気が付けば、大事な誰かたちを思い描いたものになっていた。
 彼は、こういう香りが好きだろう。
 あれが苦手な彼なら、このアレンジは気に入るはず。
「何もない日は退屈だなぁ」
 ありあわせの材料だけど、出来る限りの贅沢を尽くしたお菓子を一人占めは、愁にはどこか物足りない。
 でも、これは出来たてが最高の逸品なので。
 紅茶のお湯を沸かす合間に洗い物を済ませ、来客の予定はないけれどテーブルセッティングも完璧に。
 髪を下ろしてエプロンを外すと、途端に気が抜けてしまう。
 お菓子作り中の集中力が切れた反動で、一気に素に戻る。
(明日には、天候も回復してると良いけど)
 天気予報では、夜に大荒れしてからは晴れるという話だけれど。
「まあ、たまにはね」
 寂しいと感じるのは、大切な存在が増えた証だろうから。

「さて……いただきますか」
 『ベニエ・スフレ』にナイフを入れる直前に、インターフォンが鳴る。
 少し雨足が緩んだから油断をした、という友人から雨宿りの申入れ。
「早くおいで。タオルと着替えと、出来たてお菓子を用意して待ってるから」
 ふわりと笑い、『こうでなくちゃ』と愁は一人で呟いた。




【マルディ・グラの誘惑 了】


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせいたしました……!!
ご依頼、ありがとうございました。
『お菓子』をテーマに、シュー菓子を作りつつ色々と書かせていただきました。
シュー生地は、材量こそシンプルですが経験値がモノをいうトライ&エラーの賜物だと思っています。
洋菓子には色々な背景もあり、2月は謝肉祭ということで、その辺りも絡めて。
お友達は、きっとそれらしい方が浮かぶだろうと思って。
お楽しみいただけましたら幸いです。
おまかせノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月08日

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