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『爪先に灯す』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785

 不知火邸に併設された剣術道場。そこに押し詰まるは、日ざしに当てられてなお緩まぬ厳冬の気だ。
 空いているのに詰まっている……そんな空間のただ中で、日暮 さくら(la2809)と不知火 仙火(la2785)は木刀を手に向き合い、ゆるやかに打ち合っていた。
 振り込んだ木刀を触れ合わせて、カツリ。互いにふわりと身を巡らせ、またカツリ。端からは悠然と舞っているように見えるのだが、ふたりは限りなく真摯で、文字通りの真剣である。
 これは極限まで速度を落とした形での乱取り稽古。目的は自らの剣筋――姿勢、重心、捌き等々、すべての挙動を含む――を確かめるためのものだ。迅さでごまかせないだけに自身の技とまっすぐ向き合えるし、相手の返しを見ることで技の隙を探り、さらに次の手を試していける。
 かくて大きく一歩分退いた後に再びまっすぐ踏み込み、さくらが正眼に構えた木刀を霞に押し上げて突きを打った。
 待ち受けていた仙火がそれを柄頭で打ち落とした、そのとき。
「っ」
 さくらの手の内でねじれ、躍った木刀が、彼女の右手の人差し指爪を強くこすりつけて。思わず取り落とした木刀を、さくらはすぐに拾い上げようとしたのだが。
「爪、大丈夫か!?」
 文字通り血相を変えて駆け込んできた仙火に手を取られ、ぎくりと硬直。
「だいじょうぶですけどっ!?」
 同じテンションで叫び返してしまった直後、なにをしているのですか私! と後悔した。
 かつて倒すべき仇敵のひとりであった仙火は今、さくらの恋人になった。そこへ至るまでに演じてきた数々のドラマは、我ながら名作級だったと讃えられるものであるのだが、しかし。
 ヒロインの不器用さで盛り上がれるのは、それによって波立った恋が見事成就するまでのことだ。実際の物語はその後へ続いていくというのに。
 思えば思うほど、気が重くなった。
 付き合うまでがドラマチックだっただけに、事件のひとつも起こらない、付き合った後に続く今へ不安を感じてしまう。
 私と仙火は本当にこのまま、同じ物語のヒロインとヒーローを演じ続けられるのでしょうか? 私は仙火のヒロインであり続けられる?
「爪は割れてねえな」
 さくらの不安に気づかぬまま、彼女の爪の容態を確かめた仙火はうなずいた。
「……はい、ご心配をおかけしました」
「にしても爪薄いな。戦闘で割っちまいそうなもんだけど」
「それはその、防具で保護していますので。あの、仙火?」
「さくら、マニキュアみてえなの持ってなかったっけか?」
「ヴァンプネイルくらいです。でもあれはボトルがEXISなので、持ち歩いているだけで実際に塗ったことは――ですので、仙火?」
「稽古じゃナイトメア用の防具が使えねえしな。いい機会だし、塗りかた憶えとけ。ああ、心配すんな。足のほうだけど、女の爪塗んの手伝わされたことあるからよ」
「いえですから仙火!」
 さくらはここでようやく、握られていた手を仙火から取り戻した。
 ごくごく自然にこんなことができるなんて、仙火はあれですかたらしですねそうですね!
 さくらがぐるぐるしている隙に、しれっともう一度彼女の手を取った仙火が容赦なく告げる。
「塗ったことねえなら道具もねえだろ? 必要なもん買いに行って、爪塗ろうぜ」
「それはいいとして! なぜ仙火が私に教える? 塗る? というのです!?」
 こちらも一応は女子。男子に装いかたを教わるばかりか実際にしてもらうなどありえない。それこそ女子の面目丸つぶれではないか。抗議の意を込めて超えを荒げてみたのだが。
 仙火はほろり、困ったように笑んで、
「俺の剣じゃさくらの爪まで守ってやれねえから。せめて俺の手で整えさせてくれよ」
 ああ、仙火は本当にその、私たらしなのですね……。
 女たらしとしなかったあたりに自身の独占欲を自覚して、さくらは照れの朱に色づく面をうなずかせた。


 香料を溶かした湯で、ゆっくりとさくらの指先をあたためる。
「いい香り、ですね」
「皮、やわらかくする薬も入れてるから、臭い消しにな」
 この薬湯にはトリートメント効果があるということか。納得したさくらの指から強ばりが解けたところで、仙火は力を入れすぎないよう注意しつつ揉みほぐしていった。

 剣の柄と銃のグリップを握り続け、稽古し続け戦い続けてきたさくらの指は、繊細さを保つため入念に手入れされているのだが、やはり固い。
 その固さはすなわち、彼女の努力の程だ。やわらかくしておく努力を超えた、強くなるがための努力をしたからこその成果。
 さくらの固さは仙火にとってはなによりも頼もしく、好ましく、愛おしくて。
 それをしてこんな節介を焼きたくなるのは、せめて健やかさを保ってほしいという男の欲なのだろう。好いた女を傷で飾らせるのは耐え難いから。
 こんなことしかできねえから、精いっぱいやる。言っちまえばそれだけのことだけどな。

 さくらの指が程よくふやけた頃合いで湯から引き上げて水気を拭き、専用のニッパーで甘皮を切る。この作業をぞんざいにすると周囲の皮がささくれるので、慎重に、慎重に、慎重に。
 そんな仙火の真摯な顔を新鮮に感じてしまうのは、いつもは見上げているからなのだろう。こうして見下ろしてみれば、格好よさよりもかわいらしさを覚えるものだ。
 仙火が少年のように真剣だから、そう思ってしまうのでしょうけれど。少々、うずうずしますね。
 思わず彼の頭をなでてしまいたくなる衝動を抑えながら、ごまかすように言葉を発した。
「小柄のほうがよく切れそうですけど」
「刃が長くてやり辛い。万が一さくらの指が斬れちまったら困る」
「困ったら、どうなるのです?」
「俺が泣く」
 軽口すらも真摯だったから、さくらは「それは私も困りますね」と返し、口をつぐんだ。
 これは仙火にとって真剣勝負なのだ。
 ならば、立ち合った自分もまた真剣であろう。
 ただし、仙火が頭をなでる隙を見せなければの話ですけれどね?

 それが済んだら、220グリッドのネイルファイルで爪を削り整えていく。
「さくらの爪に目の荒いやつ使うと砕けるかもしれねえし、元々長くしてるわけでもねえし。細かいやつがいい」
 なんでもない口調で言う仙火に、さくらはつい訊いてしまった。
「それも、女子のお手伝いをしたときに教わったのですか?」
 自覚していながらも焼かずにいられないのが悋気というものである。
 そもそも女がマニキュアどころかペディキュアを塗らせる男など、相当に近しい間柄でなければありえない。つまり、これほど器具ややりかたに詳しい仙火は、そうなるだけの相手との付き合いがあったわけで。
 しかし仙火は渋い顔を左右に振って、
「そんとき失敗して、後で調べた。実際試す機会はなかったけどな。ただ、自分の爪の手入れに活用はしてるぜ。切るよか削るほうが割れにくいからな」
 それこそ小柄とかで切っちまいたくなるけどよ。苦笑しつつ、綺麗になったさくらの爪に保湿オイルを乗せ、やさしく擦り込んだ。
 思わず声が漏れ出てしまいそうになって、さくらはあわてて唇を噛んだ。薬湯に浸されているときより、爪や指の表皮がやわらかくなっているせいだろう。仙火の指が――その動きひとつにまで込められた心までもがくっきりと感じられるのは。
 ……これが、触れられるということ。なんとも思わない誰かでなく、気の置けない友でもなく、かけがえない家族ですらない、心を預けたただひとりの男に触れられるということか。悟ったと同時、思い知った。
 私は自分が思っていたよりずっと、仙火のことを好いているのですね。
 さくらはなにより辛いはずの“負けた気分”を、心地よく噛み締める。

 それがしっかりと馴染んだらベースコートを乗せ、ついにヴァンプネイルの登場だ。
 レッドというよりバーガンディの色合いを映すマニキュアだが、これまでの下準備のおかげか深々と艶めき、よく映える。
「綺麗ですけど……これではかなり目立ってしまうように思います」
「中国剣術で剣の柄頭に長い房つけるよな。あれって敵の目惑わす用だけど、さくらなら同じことできんだろ」
 確かに。この五指を彩る深い赤を忍術と併せたなら、敵の目を如何様にも惑わせられよう。
「それに」
「それに?」
 小首を傾げたさくらを仙火はまぶしげに見やり、笑んだ。
「サムライガールはみんなのヒロインだけど、綺麗なさくらは俺だけのヒロインだからな」
 ヴァンプネイルはEXISですし、それを塗るのはサムライガールでしょう。思ってみて、思い直す。
 父母の宿縁を私が断つんだと意気込んで、飾ることも装うことも振り捨て真っ向勝負。私はこれまでずっとそればかりで生きてきました。
 でも。
 私はもう、それだけのものではないのですよね。
 いや、これからも悋気をささいなことで起こさずにいられないだろう。不安になったり苛立ったり疑念を抱かずにも、いられまい。
 しかし、けして降りない。仙火だけのヒロイン役を、他の誰にも渡したりしない。
 だって今の私は、仙火だけのヒロインなのですから。

 仙火はさくらの爪の上で乾いたヴァンプネイルにトップコートを乗せ、包み込んだ。
 これが乾けば完成する――どうにも名残惜しい。いや、不安なのかもしれない。これでちゃんとさくらの爪、守れるか? 未熟な俺は、ちゃんとさくらを守れるか?
 どれほど想いを重ねても足りない気がするから、必要以上にコートもマニキュアも塗り重ねたくなって、必死でこらえた。
 過ぎたるは及ばざるが如し。重過ぎる想いが相手をどれほど追い詰めるかは、我が身で十二分に味わってきたのだ。もちろん、追い詰められる側としてだが……それでも。
 俺のせいでさくらの足が鈍るんじゃ意味がねえ。わかってるのに俺は、俺の全部を被せちまいたくなる。
 サムライガールじゃねえ大事なさくらを、俺だけの手で守りたくて。
「――困りました」
 さくらのうそぶきで我に返る仙火。
「なにがだよ?」


 さくらは言葉ばかりでなく眉を困らせ、応えた。
「これは、だめです」
 上がっていた眉根から力が抜けて、さくらの表情が無へ。
 仙火はぞくり、背筋を震わせた。やべえ、やっちまったか? 俺は俺の気持ちばっかり押しつけ過ぎたのか? いや確かに、男にマニキュア塗られるとか気味悪いか――
 さくらは無表情のまま、言葉を継ぐのだ。
「これでは、サムライガールに戻れません」
 さくらの無表情が表わす真意に、仙火はまた背筋を震わせた。同じように、ぞくり。ただし恐怖ではない、甘やかさばかりを乗せた、ぞくり。
「さくらは、戻りてえのか?」
 声音がかすれて、浮かされる。
 さくらは今すぐ、剣士に戻りてえのかよ?

 仙火がなにを訊いているものかは察していた。
 ただ、どう応えるべきか。それだけがわからない。伝えるべきことはわかっているのに、なにを言ってもこの想いに届かない気がして、音にできなくて。
 爪を鎧うこの深赤は、さくらを守りたいという仙火の願い。それを灯された指先が熱くて……その熱は心にまで届き、彼女を内から燃やしていた。
 私はサムライガールに戻りたいのですか――花も嵐も踏み越えてここまで来ました。この期に及んで戻りたい場所などありはしません。だから、私は。
「行きたい。あなたと、この先へ」


 仙火の手がさくらの赤い爪先を取り、そのまま指を、手までもを包み込んで引き寄せた。
 抗うことなくまっすぐに仙火の胸へ飛び込んださくらは、彼の顔を見上げて問う。
「連れていってくれますか?」
 この恋はふたりのもの。サムライガールではないさくらと、不知火の次期当主筆頭候補ではない仙火の――ふたりが選び、行く道。
 連れて行ってくれますか? たとえ互いの背負ったものを打ち棄てることになっても、私たちだけが行く道の先へ。
 仙火は歪めていた口の端を伸ばして表情を整え、うなずいた。
「今までだったら、斜に構えちまうとこだけどな」
 前置いて、あらためて笑む。
「俺はさくらと行く」
 連れて行くなどというおこがましいことは言えないが、共に行く。
 どれほど険しい道であっても、ふたりなら行けると信じているから。
 音にしてしまえば頼りないばかりの言の葉を、ひたすら真剣に紡ぐ。

 果たしてさくらの唇に唇を重ね、仙火は思うのだ。
 ああ、俺は間違ってた。
 さくらはこんなに、やわらかい。


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2021年02月09日

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