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『雲の郷、春のおと花のあと』
黒帳 子夜la3066


 岐阜県飛騨市。
 二年ほど前、この街の一部はナイトメアに制圧されていて。
 解放したのも束の間、それらを統率していたエルゴマンサーが攻撃を仕掛けてきて。
 全てに決着がついた時、気が付くと戦場の山は荒れ果てていた。

 山の復興は、街の復興。

 舞台となった北西部の山を、温泉宿の庭園の縁側に腰掛けて黒帳 子夜(la3066)は見上げる。
 街中では雪も随分と減ったが、さすがに山はまだまだ白い。
 秋の始まりに植林をし、それからも手入れは続けられていた。
 ナイトメアによる被害で故郷を追われた人々の受け入れ先として飛騨が手を挙げたことから、街の雰囲気は良い意味で変わりつつある……と、子夜は見守っていた。
(たった二年……されど二年、ですねぇ)
 SALF本部で依頼を目にした時は、ここまで長く関わることになるなんて思いもしなかった。
 変化は、子夜の身体にも起きている。
 ただしくは、それまでの積み重ねが表面化してきた。『そう長くはない』。
 街を見守りたいと思ったことは本当だし、そこへこの温泉宿の存在は相性が良かったともいえる。
 今は、湯治のように滞在していた。
 全く働けないわけではない、グロリアスベースへ戻ることもあるし友人知人の誘いがあれば喜んで出かける。
 一日一日を、大切に有意義に過ごしていた。
 穏やかで、とても充実している。


「ずいぶんと暖かくなってきましたね。黒帳さん、お茶はいかがですか?」
「有難うございます。頂戴いたします、十和様」
 温泉宿『京極』の孫娘・京極十和が、茶と桜餅を乗せた盆を、子夜の隣へそっと置く。
 事件に巻き込まれた少女を助けたのは、彼女が小学生の頃。
 今年の春には中学二年生になるというのだから、時の流れは恐ろしい。
 惑うばかりだった少女は、今となっては祖父を支え母を助ける旅館の看板娘だ。
「いい香りですねえ」
 塩漬けの桜の葉を剥がし、道明寺粉で作られた餅を和菓子切で一口大に切り分ける。
 桜の香りが移った餅生地と、こしあんが口の中でゆるりと溶け、緑茶と調和する。
「午後から、山の麓を散策しようと思いまして。……こんな穏やかな天気の日に、あの山へ行けるとは」
「ふふふ。……いえ、笑いごとではないんですけどっ」
「笑えるようになったということです。そのために、私たちは戦ってきたのです」

 春の桜。川遊び。夏の登山。秋まつり。

 楽しい思い出もたくさんあるのに、ナイトメアとの戦いはいつも背景が雪だった。
 冬の終わり、春の始まり。
 祭りが開かれるでもないなんでもない一日を、特別な一日へ。




 日当たりのいい場所では、路面が見え始めている。
 街を外れ山道に入ると、斜面には黄色い花がいくつも咲いていた。
「これは……見事な」
 群生地があると聞いていて、それを楽しみにしていたのだけれど。
 雪を割り、陽光を一身に受けるべく花弁を広げた福寿草は圧巻だ。
 天然記念物に指定され、地元の人々からも愛され見守られているのだという。
(写真を撮るべきでしょうか……)
 そんなつもりはなくて、今日は持ち合わせがないけれど。
 甥が見たら喜びそうだ。
 かといって持ち帰るわけにもいかないし、場所だけ教えて来年どうぞも酷いだろう。
「明日も、天気が良ければ来てみましょうか」
 しゃがみ込んで、指先で花弁に触れる。
 こんなに愛らしい姿だというのに、この花は毒をもつ。
 正確には葉や根に毒性があって、調合次第では薬にも成り得るというのだからたちが悪い。

 山菜採りでの遭難。
 間違った種類を取り、食中毒に。
 幸いと厄災は、表裏一体。

 春先の山には、人間を相手とした罠がたくさんある。
 移住者の多い今年は、確かな知識を持つ地元人が彼らを案内したり、大人数だからこそ獣の被害や遭難といった話も聞かない。
 この先、気のゆるみによる事故や個々人の独断による乱獲が起きないとは言い切れない。けれど。
「この花を、大切にする思いが継がれていくなら……きっと、大丈夫でしょう」
 今時期に咲く花々は、『スプリング・エフェメラル』春植物と分類されるものが多い。
 『春の儚いもの』『春の短い命』というような意味だ。
 花こそ儚く終えてしまうけれど、それらは夏までに葉をつけたあと、地下で生きている。
(散った後も、見えない場所で)

 自分の命はどうだろう。

 散ったあと、何か残るだろうか。
 何も残らないのも自分らしいとも思うし、甥が憶えていてくれればそれで、とも思う。
「私は何も残らなくとも、この花々を残せたことは、せめて誇れるでしょうか」
 当時の戦場は、山の木々全てを焼き払うくらいの勢いだった。
 木々を案じて敵を街へ侵入させては本末転倒だし、あの時はそうすることが最善だった。
 ただ、もし、何かの手違いで、戦域が変わっていたら。
 対応策次第で、麓にも陣を張っていたら。
 この景色が残ることは、無かったかもしれない。
「この街が『永遠の幸福』で包まれるよう……見守っていてください」
 花言葉の一つを取って、子夜は福寿草へ語り掛ける。
(もしかして、十和様の名は)
 十和は自身は都会の生まれ育ちで、ナイトメア騒動や祖父の後継の関係で越してきたのだけれど。
 この景色を見て育った十和の父が、妻である一花の名からもイメージして思いを込めたとも考えられた。
(名前……名前、か)
 黒帳 子夜。
 この世界で生きていくと決めた名前。
 しかし――ほんとうは ほんとうの名は
 永くを生き、2つの世界を渡り、それぞれで命を懸けた場に身を置いて。
(在った、のだろう)
 それも今は忘却の彼方。
 それでいい。
 しばし瞑目し、子夜はゆっくりと立ち上がる。
 過去の世界で『自分』が散った後も、世界を渡り根をもって生きてきた。
 それで、充分だろう。
「今度こそ、最後というなら、それも」
 大切な存在を遺していくことはつらい。
 しかし、大切な存在が生きていてくれることは、幸せだ。
 彼に、どうか祝福を。幸福を。自分が受けてきたものを、そのまま手渡したい。
「どれほど長生きの植物も、いつかは終えるものですから」
 土に還り、どこかで新たな命の源となる。
 福寿草の寝床の様に顔をのぞかせる枯草は、新たな命の前身だ。
「……。写真も良いですが、やはり直接見た方が良いでしょうね」
 写真が苦手な子夜は、撮影する側なら問題ないのかと自問してから答えを出す。
 花期の短い春告げ草とはいえ、明日や明後日で枯れはてることはない。

「――……私ですが。今、お時間大丈夫ですか?」

 通話の向こう、甥の慌てふためいた声。
 くすくす笑いながら、子夜は飛騨へ来ないかと誘いの言葉を掛けた。




 満開の桜で街が賑わうまでは、もう少し。
 その頃には福寿草も姿を消しているだろう。
 長くはない春と春の合間。
 春が過ぎ、花が見えなくなっても、消えてなくなるわけではないように。
 根が果て命が潰えようとも、『次の命』の基へなるように。


 昼は見えない星の下。
 全ては巡り、継がれてゆく。




【雲の郷、春のおと花のあと 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせいたしました……!!
ご依頼、ありがとうございました。
深く縁を頂きました、飛騨を舞台として花をテーマとしたものをお届けいたします。
全ての始まりだった、京極十和嬢もご一緒させていただきました。

『福寿草』
花言葉は、永久の幸福・思い出・幸福を招く・祝福。など。

お楽しみいただけましたら幸いです。
おまかせノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月12日

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