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『次へのきざはし』
LUCKla3613

 映画鑑賞仕様のイシュキミリ(lz0104)が、すがめた鳳眼をもってLUCK(la3613)を見やる。
「で。今日はいつもの奇遇じゃないんですよね?」
「最近は普通に誘っているはずなんだが」
 すっかり常連となった喫茶店で、LUCKはいつもと同じベロニカを注文した。
『こんなところで会うとは奇遇だな』を決め台詞にしていた頃は、イシュキミリと会う時間はかけがえなく特別なものだった。しかし、それを唱える必要を感じなくなった今は、このなんでもなさがなによりも愛おしい。
 俺だって思っていなかった。当たり前というものが特別を超える価値を持つなんてな。
「いやいや、いつも言ってたこと言わなくなられると、なに企んでるんだーって気になりますって」
 疑うイシュキミリにかぶりを振ってみせ、LUCKはベロニカをすすった。
「俺は駆け引きを楽しめる質じゃない。あれこれ考え込むのは戦場だけで充分だ」
 少し、口に入れた量が多かったのだろうか、コーヒーの熱で舌が焼けてしまった。たかだか85度程度と侮るなかれ、ということか。以後気をつけよう。
 こうしてみれば極当たり前の思考だが……主が機械体となれば話は別だ。
 中枢神経系を除くすべてを機械に置き換えたLUCKの舌はもちろん造りものである。搭載された各種センサーは生身の脳を補助するための副脳が管理していて、自動で出力を調整しているのだ。つまり、舌を火傷するなどありえない。
 そのはずがLUCKは舌を火傷し、ひりひりと不愉快な痛みを感じていて。まるでそう、生身のように。
 ……過去をわずかずつ思い出すにつれ、生身の感覚を取り戻しているように思う。文字通りの五感をだ。
「舌、火傷しました? 気をつけないと」
 イシュキミリにうなずきを返し、LUCKはふと手を伸べて彼女の手に重ねてみた。
 センサーを伝うデジタル信号が再現した、依代の感触。デジタルデータならではの雑味のなさ、そのどこかにアナログのぬくもりを感じるのはただの気のせいか。いや、ちがう。気のせいなどではない。
「ああ、気をつける。どうやら感覚が生身に近づいているようだからな」
 イシュキミリの表情に変化はなかった。アルカイックに保った面をかすかに傾げ、LUCKの次の言葉を待っている。
 言葉よりも、問いをか。LUCKは肚を据え、彼女の促しに乗って疑問を投げかけた。
「気のせいじゃないんだろう? 過去を思い出すにつれ、俺の義体に生身の五感が蘇っていくことは」
「知ってどうするんです? ――って、そんなの決まってますね。選ぶしかないんですから」
 イシュキミリは肩をすくめてベロニカをすすり、熱そうに眉根を顰めた。
「記憶っていうのは極論、魂に刻まれるものなんですよ。ただ、魂は体っていう器の質によって有り様が変わるわけでして、ラクさんの魂はその義体に最適化した状態だったわけです」
 LUCKはイシュキミリの言葉を頭の内でなぞり、うなずく。
「つまり、今の俺は最適化されていないということだな。それは記憶を取り戻すことと関連しているのか?」
「ま、そうですね」
 あえて短く切られたイシュキミリの返答が、かえって真実を浮き彫ってしまった。
 記憶が魂に刻まれていて、その魂は体という器の質によって状態が変わる。義体に収められ、それを動かすに最適化された魂が、代償として生身の記憶への経路を遮断しているのだとしたら……簡単な話だ。記憶を取り戻したければ機械の体を捨て、元の生身を取り戻せばいい。
「機械の体を生身に戻す。実際のところ、どうやって変換しているのかはわからんが……俺の中でそれが行われているらしいことまでは理解した」
 察しのいい子は嫌ですねぇ。薄笑んで、イシュキミリは言葉を継いだ。
「神経系の半分くらいはもう生身ですよ。今はそこで止めてる感じですけど。ってのはさておきまして」
 イシュキミリは話題を断ち切り、LUCKの手から自分の手をするりと抜いて立ち上がった。すでにその依代は映画鑑賞仕様から挨拶回り用の銀へと変化している。
「もうじきにこの世界を離れます。その前に張った縁の糸の仕末だけはして行かなければ不義理を犯しますので」
 その首に緑のマフラーをかけ、身を固めた礼装の上へアフガン巻きでざっくりと巻き付ける。まさにフォーマルとカジュアルの両立であったが、それよりも。
 あの緑は――冬だ。聖なる輝きに、ホットワイン。黄金に波打つ髪とやわらかな石の体。俺は、寒くないように。巻き取られた、緑の縁。
 それらはぶちまけたパズルのピースさながら、ひとつの光景を映しているはずなのにうまく噛み合ってくれない記憶の欠片だ。
 しかし。
 間違いない。あのマフラーを、俺は知っている。
 ああ、そうだ。なぜならあれは、俺が――俺の眼の色を映した――巻き取らせるものか。俺はその端を放しはしない。
 輪郭のぼやけた思いが胸の底へあふれ出す。そしてついに。

『末永く息災たれ……そして末永く幸いたれ、ザウ――』

 呼ばれた名は半ばでちぎれ失せたが、今、LUCKは見ていた。異世界と思しき街の冬夜、こちらを返り見たイシュキミリの顔を。
 俺の幸いを、おまえは願った。
 しかし俺の幸いは、そこになかった。
 だから俺は、俺を捨てた。
 そしておまえを追って、この世界にまで来た。
 逆巻き、心をかき乱した万感がふと鎮まった。
 今こそ、俺の肚は据わったということだ。そんなことを思いながら、LUCKは静かに切り出す。
「俺はおまえに伝えたいことがある。それだけのために、おまえを追ってきたんだ。なにを伝えたかったのかはまだ思い出せていないんだが」
「このまま生身化が進めば、自然に思い出せましょう」
 イシュキミリは感情の色のない薄笑みを見せ、LUCKへうなずきかける。
 だからLUCKは、あえて口にしたのだ。
「おまえが言うなら間違いないな。なにせ思い出せん内は選べんだろう。生身へ戻るか、機械へ戻るか」
 かすかに跳ね上がるイシュキミリの眉根。
 先の会話の中、イシュキミリは言った。知ってしまえば選ぶよりなくなるのだと。それがなにかは、考えるまでもなかった。
「どちらを選んでも代償が必要になるんだろうから、それは覚悟しておくさ。ただ、いずれにせよだ」
 LUCKはまっすぐイシュキミリを見上げ、強く告げる。
「おまえが“次”へ行くなら、俺が行く先もまたその“次”だ。だから、それを為せるほうを選ぶ。どれほどの代償を支払うことになってもな」
 これを聞いたイシュキミリは眉を困らせ、
「本当にあなたは数寄者ですね。わたくしが戸惑わずにいられぬほどの」
 次いで眉根を引き下げ、鋭く言い置いていく。
「選択の時はじきに来ましょう。敵を追うか人に残るか」
 かき消えることなく、自分の足で出て行くイシュキミリの背は、どこかくすみ、靄めいて見えた。

 数寄者か。
 反芻した瞬間、すり切れてなにが映っているものかまるで知れぬ情景が目蓋の裏をはしり――LUCKは思わず目をすがめた。かつて俺は、イシュキミリにそう呼ばれたことがあるのかもしれん。
「まあ、俺が数寄者であることに反論の余地はない」
 だからこそ、迷わない。
 LUCKは手に残るイシュキミリのぬくもりを握り込んだ。
 強く、
 やわらかく。


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2021年02月12日

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