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『泡沫の空』
柞原 典la3876


 2061年4月。
 柞原 典(la3876)はふらりとSALFを訪れた。廊下を歩いていると、あくびをしているエマヌエル・ラミレス(lz0144)を見掛けて、足早に歩み寄る。
「平和そうなあくびやねぇ」
「うお、びっくりした。典か」
「ラミレスさん、暇? 明日明後日」
「特に予定はねぇな」
「ほんだら、一泊旅行付き合うてや。旅費は経費で落ちるさかい。懐は痛まんし」
「え?」
「集合場所と時間はあとで送るわ。よろしゅう」
 半ば強引に言いくるめて、典はエマヌエルに奈良行きを了承させた。


 当日、新幹線で京都まで行き、そこから在来線で奈良へ向かった。
「仕事頼まれてんけど、他人の『目』が欲しかったで丁度良かったわ」
 そう話す典は、カメラを持っている。
「……目は無事だったろ」
「そーゆーのとちゃうねん」
 あれから半年経っていた。典は笑った。

 行き先は吉野山だった。桜の写真を依頼されたらしい。
「花見がてら付き合うてよ」
 事情を説明すると、エマヌエルは快諾した。最初から言ってくれたって断りゃあしねぇよ
、と苦笑いしていた彼だが、淡く色付く山を見るや目を瞠る。
「すっげぇな。壮観だ。良い眺めだよ」
 モノクロの写真をよく撮ることは、道中で説明された。けれど、今日はカラーなのだと言う。彼はやや釈然としない顔をして、
「カラーはお勧めせんしこれっきりや言うたけど、引受けたからにはなぁ……」
「何でだよ。どうせフィルムも経費で落ちるんだろ?」
「経費だけやったらこんなに悩まんわ」
 そう言いつつも、典は見えている景色について解説を始めた。
「吉野っちゅうのは、昔から桜の名所でな。和歌にも残っとる。千年くらい前の歌や」
「和歌?」
「日本の定型詩やね。今も詠む人はぎょうさんおる」
 三十一文字で見たこと、思ったこと、感じたことを表現する。たった三十一文字か、と言われそうな物だが、読み解いてみると結構な情報量である。
「桜は散る様が印象的や言うて、そう言う歌が多いんよ。まあ、今日は歌詠みに来たわけやないから、和歌の話はこの辺にして。ほんで、ここは三万本の桜があるって言われとる」
「三万!? ちょっとした町の人口くらいあるな」
「そう考えると凄まじいな。で、一目千本っちゅうてな、こう、視界に収まっているだけで千本の桜が見えとるとも言うなぁ」
「密度が高いんだな」
 エマヌエルは自分も端末のカメラを起動して写真を撮り始めた。案の定、娘と前の妻に見せるのだと言う。
「外国の花畑なんて、そんなに見られるもんじゃねぇからな」
 と、エマヌエルが見ているのと同じ景色を、典もカメラに納めた。それから、はたと何かを思い出した様に、スマートフォンでも撮影する。
「去年、吉野山の桜見に行ったら写真送ってなぁて、エルフの嬢さんに言われとったわ」
 典は元来、約束はしないことにしている。だから、思い出した時に、と答えていたのだそうである。
「良かったな、思い出せて」
「せやねぇ」
 約束について、自分とエマヌエルの温度差をよくわかっている典は、それ以上コメントはしなかった。エマヌエルであれば、恐らく帰路に就いてから思い出して頭を抱えるのだろう。想像すると面白くて、くすりと笑う。同行者は、桜にはしゃいで気付いていないようだった。
「──俺な、見えてる色がようわからんのや」
 世界の色は判別できているが、ずっと感じることは出来ないでいる。視力検査で指摘を受けたことはない。心にインクが入っていない。インク切れの警告もいつしか鳴りを潜めた。
 だから、モノクロ写真を撮るようになった。自分の見えている景色に……あの仏頂面を擁する金色を求めて。
「なんつーか、アレだな。よく、良いことがあると『世界が鮮やかに見える』って言ったりするけど、お前はその逆なんだな」
「そうかもわからんな。せやから、カラー写真はこれでしまいや」
 かつての同級生や、同僚や、ライセンサーたちが心に描く景色とは違う色味で刷られる典の心象風景。
 なんてことをつらつら考えながら、典はカメラを起動した。
「写真で食うていこ思うたら、自分が感じへんもんは映せんわなぁ」
「受け手に任せるって手もあるぜ」
「言うて、撮った人間がなんの意図も込められへんちゅうのもどうなん」
 彼はエマヌエルがはしゃぐ景色をカメラに納めた。世界に色が付いているらしい彼の心に引っかかる物であれば、ある程度の質は担保できるだろうと考えたのだ。
「ラミレスさんにはこの景色、どない見えてるんやろか」
「綺麗」
 エマヌエルは笑った。
「また見たい、娘に見せたい、友達に教えたい」
 愛と希望に満ちた言葉を聞きながらシャッターを切る。感想を聞き出しながら、彼と自分の選んだ景色をフィルムに収めた。


「あ、せや。前に、俺捨て子やったって言うたやろ」
 何枚か写真を撮ると、典はまるで、かつて所属していた部活の話でもするような気軽さで声を掛けた。エマヌエルも同じくらい軽い調子で、
「おう。桜並木の下にでも捨てられたのか?」
「雪ん中や。ここよりもっとずっと山奥な」
 典は笑いながら掌で庇を作って遠くを眺めやる。この山に遺棄されていた。別段気にしてはいない。エマヌエルはその肩を叩き、
「生きてて良かったよ」
 それだけ言った。

 その後も、しばらくシャッターを切っていた。これだけあれば、何かしら向こうの気に入るものもあるだろう。仕事を終えて、エマヌエルの花見に付き合った。誘った典よりも、誘われたエマヌエルの方がはしゃいでいる。

「夜は花見酒や。シングル二部屋で取ったで、荷物置いてから行こうや」
「夜桜ってのも良いんだろうな」
 酒、と言うワードに、心なしかわくわくした様子のエマヌエルだった。
「せや、人慣れしとる鹿とか構ってく?」
「お、良いな。そうすると、どこ行くんだ?」
「一旦戻るわ。行こ」

 二人は桜並木を抜けた。

 高い所で春風が吹くと、さぁ、と枝が揺れた。細波の様な眺め。桜色の泡は木からはぐれて、少しの間、青い空を漂っていた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
こんにちは三田村です。ご発注ありがとうございました。
エマヌエルとは「ツアーでツインが手配されてたら拒否しないけど、自分で選べるならシングル二部屋かな〜」と思いました。
またご縁がありましたらよろしくお願いします。
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三田村 薫 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月12日

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