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『赤輝血が照らす夜』
芳野la2976


 赤輝血の提灯へ、妖の血をひとしずく。
 墨を流したような夜に仄かな彩が生まれ、足元を埋める彼岸花の紅が浮き上がる。
 手を伸ばせば届きそうな空中には、ぼんやりとした弱い白い光球が無数に漂っていた。
『なにひとつ、怖いことはないんよ。御役目を果たした御霊が、次の御山へ向かうところやけん』
 幻想的とも狂気的ともとれる光景へ脅えを見せていた幼子へ、芳野(la2976)は慈愛の眼差しを向けながら語った。
 もしも他者が姿を見たのなら、睦まじい姉弟と思ったことだろう。
 落ち着いた色味の着物をまとう芳野の、年の頃は十あたりの童女であるから。
 しかし、その声音も、表情も、指先の動き一つをとっても、妙齢の婦人の如く優雅で落ち着きのあるものだ。
『この提灯で、迷わず行き先を照らしてあげるんよ』
 幼子は、芳野の瞳を見つめ返す。
 花よりなお深い紅の瞳。
 夜よりなお深い黒の髪。
 彼女より深い存在が、いま、この場所にあるだろうか。
『安心しぃ。そばに、儂がおるけん。一緒に、御霊を送ってあげようなぁ』
 幼子の表情が、ようやく和らぐ。
『御山の先には花畑。河原の向こうへ渡りましょ。もいちど天上の花を迎えましょ』
 御霊の行く先を唄にしてやれば、幼子は視線を空へ移した。そこにはもう、恐れの色はない。
『ええ子やね……優しいねぇ』
 芳野は、幼子へ持ち得る限りの愛を注いだ。
 やがて幼子が芳野の背に追いつき、越していっても。
 深く深く。




「そんな時期もあったのう……あったのう……」
 今はひとり。
 赤輝血の提灯で御霊へ道を示しながら、芳野は若干生気の薄れた眼差しで呟いた。
 ひとの子の、成長の早いことよ。
 手放すつもりはない。けれど、巣立ちは認めてやりたい。
 一人前になったのだ。
 己の意志を示すようになったのだ。
 愛しい愛しい子は、幾つになっても己の子。血の繋がりは無くともかわりない。
 時の中を進む人の子であればこそ、こんなにも愛したのかもしれない。

「これが……子離れ……」
 芳野は提灯を持つとは逆の手で、拳を地へ打ち付けた。
 濡れ羽色の黒髪が、肩からサラリと胸元へ落ちる。

 己が魂も肉体から離れてしまいそうに寂しい。
 別れはいつもそうだ、人の子へ情を傾けようなら、必然的に訪れる。
 何を今さら、とも思うし、それだけ特別だったのだとも思う。
 永い永い生の中で、そんな存在と巡り合い成長を見守り、巣立つ背を見届けられるのは幸福ではなかろうか。
「愉しいことなど、うつつ世に幾らでもあろうになぁ」
 愉しみのひとつである、傍らの焼酎の瓶を撫でながら。
 己のことは、己が一番理解している。
 愉しいと感じたものも、二度目の月が昇る頃には冷めている。そんなことは日常茶飯事だ。
 欲望を満たすためには己の身を削ぐことすら厭わないが、飽きてしまえば指一つ動かしはしない。
 手に入れ、壊し、打ち捨てる。
 襲い、奪い、喰らい、歌う。
 幾多の世界を渡り歩く中で、芳野が変わることは無かった。
「何事にも例外は付き物……それくらいが、生きていて面白いというもんや」
 例外が起きようとも、ねじ伏せてきたのだけれど。それも含め。
「儂を呼んだんが、あんさんやったら……もう、此処におる意味がなくなってしまうけん」
 特別なのは、本当。
 けれど、それが芳野の世界の全てではない……きっと。




 幾多の世界を渡る中、『呼び声』を感じ取った。だから来た。
 来てみたら、他の何処にも行けなくなった。
 そんなこともあるだろう、何処にも行けないのなら此処を愉しめばいい。
 ゆったりとした川の流れへ身をゆだねるように、芳野は思うがまま自由な時を過ごした。
 同類の『お仲間』も居たし、贔屓もできた。
 この『御霊送り』で導いた魂が、生まれ変わって知らぬ姿で芳野と顔を合わせているかもしれない。
 そう考えると、ひとつ所に長くいるのも悪くはない。

 しかして、ついぞ世界移動の枷は外された。

「隠居をするつもりもなし。さりとて、今すぐ世界を渡るつもりも……のぅ?」
 問わず語りに呟くと、闇の中から一羽のワタリガラスが声を上げた。
「急に出るでない、心臓が口からまろび出るかと思ったわ」
 あらゆる世界で『使者』『伝令』の役割を果たすワタリガラス。
 何を伝えに、今宵この場に現れたのか。誰が遣わしたというのだろうか。
「ふ……『呼び声』は聞こえんなぁ」
 懐から菓子を取り出し、ちぎって使者へくれてやる。
「孫の顔は見たいし、あの子の老後の世話は一人ではえらいじゃろうて。まだまだ儂が居てやらねばな。主へ、そうお伝え」
 唇を指先でなぞり、艶のある表情で芳野は告げる。
「欲というのは、尽きることなく厄介なもんやわぁ」
 恋を知り、この手から巣立っても、あの子は『私の』。
「結婚式……里帰り出産……いや、里は帰らぬか? ならば儂のところへ帰ってくればえぇやんなあ。となると腕のよい産婆を手配せんと」
 はたと気付いてから、怒涛の様に未来設計が組みあがっていく。
 助けは不要、と手をはねのけられるかもしれない。十割の確率でそうなると思う。
 しかし、何事にも例外は付き物だから。
 あの子と、あの子の大切な子らに、何かが起きようものならばあらゆる犠牲(他人含む)も厭わない。
「……のう。あんさんも一杯どないや? 儂の酒が呑めぬわけがないですやろ。これは知人が入手してくれた酒やさかい、一人で飲むには惜しいと」
 徐々にテンションの上がり始めた芳野は、他に誰も居ないゆえワタリガラスに絡み始めた。カラスは離脱するタイミングを完全に逸した。
「ふむ……? 孫がひとりとは限らぬな? 野球ができるくらい生まれるやもしれんね。なにしろ若いからのう……!」
 つい先ほどまで子離れの苦しさに呻いていたとは思えない切換えの早さ。
 愛しいあの子の血を継いだ子らが、それではどんな道を選んでゆくだろう。
 そしていつかは、あの子も子離れの苦しみを味わうだろう。
「あんさんに、家族はおるんかえ? そう、既に子は巣立ったんか。それはえらかったねぇ……」
 注いだ酒を、ワタリガラスは器用に飲む。
 気を良くして、芳野も一口。喉が焼けるような強度だ。もともと水などで割って飲むものをストレートで行くからこうなる。
「うむ。今宵はええ夜やわぁ。月の明るいことよ」
 なお新月である。
 提灯へ垂らした芳野の血が、主へ呼応して輝きを強めているのだ。

 ふわふわと、微弱な白い光球たちが、心なしか勢いづいて御山へ向かってゆく。

 花よりなお深い紅の瞳を、弓なりに細め。
 夜よりなお深い黒の髪を、無造作に背へ払い。
「迷わずお行き。天上の花へ会いにお行き」
 河を渡る際の試練。
 河を渡った先の試練。
 そこで待ち受ける審判。
 それらについて、今は触れない。
 優しい優しい歌声で、うつつ世に留まらぬようにだけ願い『送る』。

 今は、芳野ひとり。
 しかしもしかしたら、いつか誰かが、その傍らに座る時が来るかもしれない。
 宴が開かれる日があるかもしれない。
 こればかりは生きてみなければわからない。
 愉しき日々は、まだまだこれから。
 呆れたように、カラスが鳴いた。




【赤輝血が照らす夜 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせいたしました……!!
ご依頼、ありがとうございました。
素敵なピンナップをイメージとして、お届けいたします。
鬼灯の別称『赤輝血』は、八岐大蛇の瞳からということで、酒飲んだくれを付加。
一人酒も良いですが、絡み相手にどこかの何かのようなワタリガラスを。
夢は大きい方が良いですよね、野球できると良いですよね!!
全ては偶然です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
おまかせノベル -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月16日

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