▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『熾火』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790

 薔薇の約束から一週間。
 不知火 仙火(la2785)と不知火 楓(la2790)は特に有り様を変えることもなく、修練と依頼とを行き来していた。
 しかし、事情を知る当主は気づいている。変わることない日々の端々、それぞれがひとりで過ごしていたはずの時間をふたりそろって過ごすようになったことを。

 仙火の私室。いつになくぎこちない部屋主の肩へ寄りかからせていた背を起こし、楓は読みかけの本をそのまま放り出した。
「仙火? きみがそれじゃ、さすがに落ち着かないよ」
 確信するまでに5ページを費やしたのは、添わせた体で彼の様子を把握することにまだ慣れていないからだ。
 これまでは背を見、挙動を見、最後に顔を見て確かめてきた。ゼロ距離での仙火観察術へ開眼するには、もうしばらくの時間が必要となろう。……などということはさておき。
「俺、つくづくサプライズに向いてねえな」
 指摘されたおかげで力が抜けたのか、仙火はやわらかな手で楓を引き寄せる。
「嘘がつけない誠実さは仙火の美徳だよ」
 フォローではなく本音で応え、楓は仙火の胸に背をつけた。先ほどとは比べものにならないくらいの密着度。うん、あったかくて、うれしい。
「で、サプライズって?」
 楓に言われて仙火は「あ」。隠し事ではなくサプライズと言ってしまったことに今さらながら気づき、激しく悔いた。
「あー、俺本気でサプライズ向いてねえ」
 がっくり落ち込む仙火の頭を肩越しに伸べた手でなでてやり、楓はくすくす喉を鳴らす。
「仙火はそうだからいいんだってば」
 嘘は僕が引き受けるから。胸中にて付け加え、楓は背を仙火へ押しつけた。彼の心臓はリラックスどころかかなり激しく跳ねているが、そうでなければ困る。せめてあと20年――互いに不惑の年代へ踏み込むまではときめいてもらいたい。
 そんな楓の思いを知らぬ仙火は、楓の肩へ手をかけ、名残を振り切り立ち上がる。ほんとは離れたくねえんだけどな!
「楓、不知火の名代で出かけることも多くなってきただろ? もう一枚訪問着があってもいいかなってな」
 そして仙火がドレッサーを引き開ければ、黒地へ青楓と紅葉とを流した、なんとも瀟洒な訪問着が現われたのだ。
 紅の華やぎとあたたかみを凜と締める青。見た目にもおもしろく、美しいのだが。
「どうして青楓と紅葉にしたの?」
「紅葉だけだと秋しか着れねえけど、青楓が入ってれば春も大丈夫だろ」
 一度言葉を切った仙火は、覚悟を決めて深呼吸。言葉を継いだ。
「少しでも長い時間、楓を守ってやりてえ。いや、着物が守ってくれるわけじゃねえんだけど、そういう気持ちでってことでさ」
 仙火は嘘が下手だ。それは美徳だと、本当に思う。本気でそう言ってくれていることが声だけで知れるから。
「困る」
 ぎくりと動きを止めた仙火へ、楓は薄笑みを向けた。
「そんなこと言われたら、脱げなくなりそうで」
 仙火は大きく息をつき、楓をお姫様抱っこして引き上げた。
「脱がす役は俺が仰せつかるさ。謹んで、喜んで」
 そのまま楓をベッドまで運んでいって、そっと下ろす。
「ん、まだ着てないよ」
 逃れ出ることは容易い。仙火にしても、楓がそうできるよう隙を空けているし。
 でも、だからこそ逃げたりしない。
 それが男の誠実へ返すべき女の意気というものだろうから。

 朝方、仙火がまだ目覚めていないことを確かめ、楓は気配を忍ばせてベッドから滑り出た――と、視線を感じて身構える。忍の嗜みとして、そして世話役として、次代当主筆頭候補の身を守る備えは怠っていない。抜き落とした暗器を手の内に含め、視線を辿れば。
「仙火?」
 楓はすぐに正体を察した。あれは、カイロの戦いで仙火が楓へ送った幻影・影分身。仙火の有り様を映した、影なる彼であるものと。
「――どうした?」
 起きだしてきた仙火もまた影に気づき、「なんでいるんだよ!?」と声を上げる。
 引き開けられたままのクローゼットの前へなにかを守るように立ちはだかった影は、応えることなくただ楓ばかりを見つめているのだった。


 イマジナリードライブが仙火の思いに反応し、自動的にスキルを発動した。
 SALFの技術者はそんな推論を送ってくれたが、影を消す方法についてはまったくわからないとのこと。故に影は今も楓の左に貼りつき、彼女と共にソファへ座している。
「仙火も座ったら?」
 空いている右側を示して楓が言えば、忙しなくうろついていた仙火はおもしろくない顔で腰を下ろした。
「おもしろくねえ」
 口でも言っておいて、仙火は影をにらみつける。
「なんで俺差し置いて影が楓にくっついてんだよ」
 本体から苛立ちを突きつけられながらも、影はまるで反応を示さないが。
「とりあえずお茶でも飲んで落ち着こう。時間が経てば収まるかもしれないしね」
 楓が立ち上がると共に立ち上がり、いつでも影刃を抜けるよう構えて周囲を警戒するのだ。
「おもしろくねえ!」
 語気をさらに強め、仙火も立ち上がる。しかしながらそれ以上どうすることもできず、結局は影と共に楓を挟んで歩き出すよりなかった。
 楓はそんな仙火に笑んでしまう。不謹慎は承知しているが、自分の影にすら嫉妬する仙火の想いがうれしくて。
 そしてあらためて思うのだ。
 僕はずっと、自分が女だってことがくやしかった。
 あのとき、きみの代わりに死んであげられなくて、いつかそのしくじりを取り戻すつもりで修練を積んできたけれど……僕にはきみの剣を務められる才がなくて、しかも育つほど、女に成り仰せたこの体じゃ、影武者を務めることもできなくなって。
 男でさえあったなら、なにも悔やむ必要はなかったんだって、そう思ってきたよ。この世界で剣の相方を得て羽ばたいたきみの背中に、本当の気持ちを気づかされてなお。男でさえあったなら――好きになることなんてなかったはずなのに。
 でも。僕は今、自分が女だったことに感謝している。
 きみに無意識の中ですら守りたいと思ってもらえる僕であることを、なによりもうれしく思うんだ。
 ……仙火はきっと不本意だろうが、彼と、彼の影とに守られる現状は楓を浮き立たせる。仙火の気持ちを倍、感じられて。
「そういえば影ってお茶、飲めるのかな?」
 楓の疑問へ、なにやら自信ありげにうなずく影。しかしながら仙火は苦い顔でツッコんだ。
「気合でどうにかなるもんじゃねえだろ。……俺でもわかるんだから、おまえもわかっとけよ」
 結果はまあ、案の定である。


 それから数日、楓と仙火と影との不可思議な共生が続いた。
「ありがとう」
 楓がなにかをしようとすれば、影が先回りしてそれを助ける。仙火とちがい、楓しか見ておらぬからこその気配りである。
「こう言うとあれだけど、気の利く仙火がもうひとりいてくれるのも悪くないね」
 冗談半分で言う楓に、仙火は言い返せる言葉を思いつけなかった。実際のところ影のほうが彼よりずっと楓の役に立っている。
 その一点においては影のことを認めざるを得ないわけだが、仙火と楓の間へしつこく割り込んでくるのはどうにも腹立たしくて……素直な俺って、こんなにあからさまかよ。

 そんなふうに、昼はぴたりと楓に添い、なにかと仙火へ張り合ってくる影だったが、夜になると楓と未だ贈られておらぬ訪問着との間を行き来する。
 今はクローゼットの前へ立つ影へ、ベッドに腰かけた仙火はうんざりと言った。
「いいかげんにしろよ。おまえがいたら楓呼べねえだろ」
 正式に付き合い始めたばかりのいちばん楽しいはずの時期を、よもや自分の影に潰されようとは。いったいどんな因果が巡ってこうなってしまったものか。
 いや、予想はついているのだ。そもそも自分の心が原因なのだから当然だが。
「守りてえんだ。俺が、楓を」
 訪問着に思いをかけたことは間違いない。たとえそばにいられないときにも楓を守りたいと願って、しつらえた。
 影が訪問着に拘るのは、イマジナリードライブを起動した仙火の心が、まさしくその一枚に込められていればこそ。
「おまえもそのつもりで出てきたんだよな。俺の手が届かねえとこでも楓を守る気で」
 影がかすかに揺らぐ。うなずいたのだ。仙火の心をそのままに映した暗い面へ力を込めて。
 虚ながら実の刃を備えた影ならば、思いばかりでなく実際に楓を守り抜ける。いや、たとえ仙火がそこにいても、後れを取るつもりなど毛頭ないはず。眠る必要なく、迷うことも揺らぐこともなくただただ楓を守る。確かに影ならばすべてをやりおおせるだろうが、しかしだ。
 もうひとつの思いまでは果たせまい。
 いや、果たさせるものか。
「俺のその気、見てろ」


 凝視してくる影を無視し、仙火は楓と向き合う。
「うやむやになっちまってたけど、この訪問着をもらってくれるか」
「ありがたく。他の誰かじゃない、きみからの贈り物だから」
 楓は訪問着を受け取り、一度その場から離れた。さすがに影も追ってはこない。楓がそれをまとうつもりであることを察していればこそだ。

 楓は襟を合わせて下帯を巻く。ひと巻きするごと、実感が募りゆく。ああ、僕は仙火の心に包まれているんだ。
 髪をゆるく結い上げ、簪で止めれば、さまざまな思いが縫い止められ、鎮まった。
 さらに化粧を整え、最後に紅を差すことで、心が決まる。
 襟や帯を直す必要はなかった。踏み出すことをためらう必要も、告げることを迷う必要も。

「どうかな?」
 楓をあしらった訪問着は、この上なく楓を美しく引き立てていて。仙火と影とは呆然とうなずくよりない。
 鮮やかに彩づく唇で、楓は紡ぐ。
「簪と、口紅と、着物。全部きみがくれたものだよ」
 促され、仙火は浮かされた声音で応えた。
「おまえが言ったんだ。その三つを贈る意味」
 簪、口紅、着物。すべてを贈ることがすなわち、おまえのすべてが欲しいという意味であることを。
 仙火は力を込めて楓を抱きすくめ、耳元でささやく。
「俺の何十年かはおまえに預けた。だから、おまえが生きてる時間全部、俺にくれ。俺は俺の全部でおまえを守るから」
 もどかしく重ねられた言葉に、彼が伝えたいことは半分も込められていないはず。言葉に詰め込めきれぬほどの思いが彼の心に押し詰まっていることがわかるから、楓はすべての力を込めて仙火の胸へ我が身を押しつける。
「あげる。私を全部」
 嘘がつけないきみに、嘘をつかない私を全部あげる。仙火にだけ、きみの影でありたかった僕じゃない、本当の私を。
 かくて楓は目を閉じ、言葉を継いだ。
「仙火。私はきみが思うよりずっと脆くて弱い。失いたくないならきみ自身で護りに来て――どこへでも、どこまでも」
「承知。その役は誰にも譲らねえ。影にもだ」
 仙火の視線を突きつけられた影は揺らぎ、踏み出した。仙火への敵意も悪意もなく、楓へのひたむきな思いばかりを映し、そして……訪問着の黒へと溶け込み、消えた。

「俺の影が染み込んだ着物って、なんか怖くねえ?」
 冴えない顔で言う仙火に、楓は甘い笑みを返した。
「防御力は上がったのかな? でも、仙火がその手で護ってくれるんだから、上がってなくてもいいけどね。私は」
 最後に付け加えられた“私”に、仙火は目を丸くして、
「そういやさっきから僕じゃなくて私になってんな」
 次いで笑み崩れ、強く楓を抱きしめる。
「会ったばっかの頃、わたしはーって言ってたよな。思い出してきた。あの頃から楓は楓で、賢かったし綺麗だった」
 ここで一度楓から体を離し、万感に目をすがめてしみじみと。
「今は綺麗よかかわいくてたまんねえけど」
 簪を抜き、解け落ちた彼女の髪を梳いて、唇に指先を這わせてささやいた。
「かわいい楓は俺がもらった。もらわれる覚悟はもちろんしてあるんだろうな」
 そして。
「今すぐにじゃねえつもりだったけど、あと少しして、おまえの気持ちが決まったら――俺のものになってくれるか。そのときはもちろん、ちゃんと申し込むけどな」
 こんなとき、どう応えるのが私らしいのかな?
 迷っている間に唇を塞がれ、着整えた訪問着が解かれていく。それにつれ露わとなる“私”は、嘘をつくことすら思いつけずにただ返すのだ。
「待ってくれなくていいよ。私はとっくに仙火のもの」

 種火は僕という装いを焼き尽くし、私という熾火へと成り仰せた。
 あとはもう、青楓のごとく匂い立ち、紅葉さながら燃えあがるばかり。


パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月24日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.