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『姫の手に咲く粋夜の華』
不知火 仙火la2785)&神取 アウィンla3388)&常陸 祭莉la0023)& 狭間 久志la0848)&ミラ・ケートスla0103)&Sla0007)&LUCKla3613)&六桜 莢la0038)&吉良川 鳴la0075

 毎日毎日、顔を合わせるのはナイトメアばかり。おかげでGはあるのにイケメンとの出逢いはなく、これでは心がカサつくばかり――そんな女性ライセンサーたちの間で話題の店がある。
 従業員は同じライセンサーで、しかもここが肝心、イケメン揃い。愚痴りたい女子、癒やされたい女子、盛り上がりたい女子等々、どんな女子へも完全対応(有料)な上、おイタが過ぎても店内処理(物理)でなかったことに。さらには回復サービス(有料)までついてくる!
 そんなライセンスホストクラブ『クラブAチーム』は、本日も18時に開店。なにかを求めて訪れるお客様――姫を笑顔で迎えるのである。


「よく来てくれたな。姫が本命を見つけるまでの間、となりにつかせてもらってかまわないか?」
 タイトな白スーツでボディラインを強調する“セン”こと不知火 仙火(la2785)は、優美な一礼を決めた後に初回(初めて来店した客)の姫の右へ座した。
 ラフな挙動でありながら乱暴に堕ちないなめらかさは、初対面の固さを解して親近感を与えずにいられない。これを意識して実行できるところが、セン最大の強みであろう。
「……よろしく、ヒメ」
 かくてヒメの左へついたのは、センと色違いの黒スーツをまとう常陸 祭莉(la0023)だった。
 いい仕事があると誘われて来た彼は、教育係を買って出たセンと共にとにかく卓を回っている状況なのだが。
 ぞんざいさと丁寧さとが両立する彼の様は、女に「がんばっている男子」を感じさせる代物で、歳上の姫の真ん中にずきゅんと刺さる。
「依頼でいっしょになったことねえよな? そうじゃなきゃ、憶えてるはずだし」
 こんな美人のことは。言外にそんなセリフを匂わせつつ、センはやわらかな笑みを傾けた。
 あ、これプロだわ。スマートさがコンパの男子と違いすぎる。思わずそのまま指名を入れてもいいかと思いかけた姫だったが、危うく思いとどまった。クールにならなきゃ。探したらもっといいホストいるかもだし。
「頭、痛くない……?」
 と、初回セット――店によっても異なるが、初回は飲み物つきで2時間数百〜数千Gでサービスされる――の缶チューハイのプルタブを開けてやりながら、祭莉が姫に問うた。
 なにそれ超能力!? 言い当てられた姫は驚いたが、別に謎能力やらスキルやらを発揮したわけではない。頭痛のエキスパートである彼だからこその洞察だ。
「……手、触っていい? 頭痛に効くツボが……あるから」
 と、人差し指と親指の間にある合谷(ごうこく)のツボをやさしく押してやる。
 ちなみに、商売的なスキンシップを取っているわけではない。ホストという商売をよくも悪くも意識しておらず、ごく普通に目の前の女子を気づかっているだけのことだ。
 しかし。
 ああ、癒やされていく。イケメンの指とプラシーボ効果で体が。
「少しだけでも……楽になったら、いいんだけど、な」
 おいおい、追い討ちまでごちそうしてくれんのボーイ!? こっちはもう、でろでろだよぉ! 胸の内で咆吼する姫へ、さらにセンが甘やかな声音を差し出した。
「戦場はどうしたって歯も心も食いしばるからな。今夜は溜まっちまった重たいもん全部棄てていってくれよ。俺たちは、そのためにいるんだぜ」
 ああ、回復していく。イケメンの優しみと共感で心が。
 カロリーオフがうれしくておいしい缶チューハイを呷り、姫はふたりも飲むよう威勢良く促した。
「じゃあ姫と同じのをもらう。ああ、この後もずっとおそろいで。――悪いか? 姫にもっと寄り添いてえんだよ」
 センの照れ隠し風な殺し文句に、フェニル・エチル・アミン噴射!
「ボクはまだ、飲めないんだけど……姫のプルタブ開けるのは、ボクの仕事」
 祭莉のいかにも歳下男子っぽい突っ張り具合に、オキシトシン全開!
 姫は手を挙げ、ふたりの即指名と掟破りの追加オーダーを決める。

 こちらは何度か来店していて、まだ本指名――特定のホストを自分の担当とすること。目当てのホストにかならずついてもらえる代わり、他のホストを指名することはできなくなる――をしていない姫の卓。
「……よろしく。いつもはスナイパーやってるナルだ、よ。今日は、俺が担当させてもらう、ね」
“ナル”の源氏名で店へ出ている吉良川 鳴(la0075)は、鋭い身ごなしで姫のとなりへ滑り込み、片目を閉じた。
 当然、姫はスナイパーだけにいきなりスナイプ(この店の用語で、100万G以上の高額ボトルを入れてもらうこと)ー? などと笑ったが、ナルは目を開けずにかぶりを振って、
「こうしたほうが、姫の顔、よく見えるから」
 一拍待って、姫といっしょに「スナイパーだけに」と締める。そしてひと笑いが落ち着いた後、ふと真面目な顔をするのだ。
「……スナイプできるといいんだけど。姫の、ハート」
 カジュアルなグレースーツにワインレッドのネクタイを合わせた彼はイケメンだし、言葉がまた淡々としていながら甘々で。これってもしかして食え――いや落ち着けここはそういう店じゃない。
「ああ。やっぱり、スナイプは無理かも。スコープに、姫の顔が映ったら……鎮められないから」
 そこで微笑むのは反則でしょうよ!? 姫が音にならない抗議をしたときにはもう遅かった。撃ち抜かれてしまったから。ハートの芯をあっさりと。
 だからってスナイプは無理だからね。自らを諫めつつ、とりあえず5万Gのスパークリングワインを入れてしまう姫だった。

 それなりに粋も甘いも噛み分けたお年頃である姫には、カジュアルよりもフォーマルが好まれる。
「ご指名いただき感謝する」
 藍。ただひと文字を刻んだ名刺を差し出して、神取 アウィン(la3388)は薄笑みを向けた。
 育ちをそのままに映した厳かな品格は、光沢のあるシルバーグレイのスーツをこの上なく映えさせる。このダンディズムは匂い立つ程度の表現には収まらない。逆巻く嵐のごとくである。
 かくて正気を奪われた姫は、藍へごく自然に手を預けてしまい、卓へとエスコートされて座したところでようやく我へ帰った。このホスト、できるわね!?
 しかし、それだけでは終わらない。横についた藍が濃紺のタイを緩めて黒のシャツの第一ボタンを外して――あえて崩した様を露わして。
「姫も楽にしてほしい。私の前だけでなら、という注意書きつきだが」
 ギャップ萌えという言葉が世界に存在することは、年齢的にそうした流行から離れてしまった姫も知っている。しかし実際見てしまえば誰より思い知らされるのだ。これは、やばい。
 だがしかし。
 運ばれてきた姫のキープボトルを受け取ろうとして、なぜか落ちていたバナナの皮で滑ってダイブ! 彼を知る者なら、完璧のしわ寄せがここで来たかと思うだろうし、本人も慣れたもので、華麗に一転して立ち上がったりしていたわけだが……ブランデーボトルはそうはいかない。宙を舞い、壁のモニターに激突しかけたそのとき。
「藍の無様を謝罪させてほしい。こちらのボトルは新しいものと交換させていただく」
 店で“翡翠”を名乗るLUCK(la3613)は寸手で受け止めたボトルが割れていないことを確かめ、内勤へ交換を指示した。
 彼もまたセン同様の初期メンバーであり、その視野の広さと気づかいの濃やかさで存在感を発揮しているキャストである。
「あらためてご挨拶を。翡翠の名、憶えていただければ幸いだ」
 ツーポイントフレームで鎧われた端正な面とその無造作に洗練された物腰は、色として相当に難しいはずのスーツの純白にまるで負けていない。
 藍が席へ戻るのを見届け、翡翠はヘルプ席へついた。新たなボトルを姫へ示した後、姫の好む濃さの水割りを作りあげる。
 どうしてわかるの? 姫は初対面のはずの翡翠がなぜそこまでできるのかを問うが。
「俺の体は機械なのでな。この店のすべてのデータがインプットされている――というのは冗談だが」
 データは目視で記憶しているので、確かに半分は冗談なのだが、正直冗談で済ましていい作業量ではありえない。それを苦と思わず遣り果せるのがLUCKの性(さが)であり、そのデータを元に完璧な接客を為すことが翡翠の正義なのである。
 計算されたあざとさを魅せるのが藍ならば、ただ誠実に、実直に在ることで魅せるのが翡翠。
 ふたりのフォーマルスタイル眼鏡イケメンに挟まれ、姫は極上のひとときを堪能するのだ。

『姫とはまだ出逢ったばかりで、俺にできるのは話聞くくらいしかないんだけど。今日の1本めを入れてもらって顔を立ててもらっただけのことは返したいから――相槌2倍で話聞かせてもらうよ。本当にありがとう』
 3人めの眼鏡……狭間 久志(la0848)はマイクで軽く姫の笑いを取っておいて、シャンパンが注がれたグラスの縁を彼女のそれと合わせた。
 ヘルプたちがすかさず、ホストクラブでは定番の「ぐいぐい」コールを飛ばし、久志は拍子に合わせてグラスを干す。
 シャンパンコールはもちろんだが、マイクでのコメントも一定以上の値段がつけられたボトルを注文した姫にのみ贈られるサービスである。そしてそのサービスを実施している久志の売りは、いわゆる「聞き上手」というやつなのだ。
 もともと空気を読むのは得意だし、必要に応じて動くのはもはや本能レベル。姫の心に添い、その上で煽る(注文を促す)ことは彼にとってそう難しい任務ではない。
『同じライセンサーだから、抱えてる悩みに先回りできるだけなんだけどな』
 彼は新しく入店した若手たちへそう語り、教えている。ライセンサーが愚痴りたくなる話題を先読め。クラスが同じならそれを手がかりにしろ。そして心からうなずけ。
 周囲の普通じゃない女子との関わりから学んできたことを織り交ぜつつ、彼は見た目の地味を男の滋味へと昇華する。そして千日を費やし成り仰せた聞き上手は、まさに伊達ではないのである。


 開店から1時間が過ぎて、最初は固さを含んでいた店の空気が程よくこなれてきた頃。
 六桜 莢(la0038)はクラブAチームの荘厳な扉の前で足を止めた。
 その手には、スパークリングワイン1本サービスの旨が手書きで記されたオーナーの名刺がある。これを店員に見せれば2時間無料で楽しめるとのことで、だからこそバーの経営者である彼女は勉強のため、訪れてみたのだが。
「ぅー」
 莢の背中にべったり貼りつき、なにやら尖ったうなり声を漏らしているS(la0007)である。
「別に取って喰われるわけじゃなし? ちょっと男子とお話してちやほやしてもらうだけだから」
「ぅーぅー」
 ちなみにふたりは恋人同士。しかし、Sとしては別に莢が男と話すことが嫌なわけではない。そもそもバーではカウンターに立つ莢である。その程度で唸っていてはキリがなかろう。
 単純に、慣れない場所だから警戒しているのだ。子猫のように、あるいは子犬のように。
「ほら、中に入るわよ。出発しんこー」
 Sの手を引き、莢は重たげに見えて簡単に開いた扉をくぐった。

 ふたりが入っていった3分後のことだ。
 莢が持っていたのと同じ名刺をポケットに収めたミラ・ケートス(la0103)が、妹であるSが最後に立っていた場所に辿り着いたのは。
 バーはともかく、ホスクラって初めてなのよね。
 ホストクラブはGと引き換えに一夜、姫となれる場所。普通ならけしてミラが訪れるような店ではないのだが……失恋という絶望で裂かれた心の傷を一時でも癒やせるならば、いつかあの人のために使うのだと貯めてきたGを、使って使って使いまくってやろう。そうして置いていくものがなくなったなら――
「前に踏み出してくしかないものね」


 各席はプライバシー保護用の高い仕切りで隠されており、客の入りは見えない。が、なかなかの音量のBGMをすら突き抜けてくる嬌声、歓声、笑声が、相当な混雑を報せていた。
「ついさっきまでお客さんがいたみたいね」
 案内された席に座った莢はすぐに気づく。
 綺麗に片づけられ、セッティングされていても、人の気配が消えるにはしばし時間がかかるもの。バーでは客をくつろがせるため、そうした“名残”をコントロールすることも重要になってくるのだが。
 と、ふたりの元にオーナーからのウェルカムドリンクですとノンアルコールカクテルが届けられた。
「ぅー」
 Sは指先でグラスをちょいとつつき、びくっと離れてまたちょいちょいつつく。その去りようはまさに、ぐるぐるした猫である。
「せっかくだし飲まない?」
 シンデレラという名のカクテルは、オレンジ、パイナップル、レモンのジュースで爽やかに仕立てられた一杯だ。激しく警戒していたSも、その香りに鼻をひくつかせて――
「……飲む」
 果たして、ようやく空気が落ち着いた頃。
「……はじめまして、姫。となりに、座らせてもらって、いい?」
「最初の15分、とりあえずは俺たちがつかせてもらうけど、写真見て気に入ったヤツがいたら教えてくれよ。他の卓から引き剥がして連れてくるから」
 祭莉とセンが卓へ現われ、そして。
「常陸さん?」
 目を丸くした莢に、祭莉は眠たげな顔を左右へ振り振り、
「あ、今日のボク、常陸じゃなくて……源氏名なかったから、常陸だった。……じゃあ、ヒタチで」
「まつ――ヒタチの知り合いか? で、おとなりの姫は」
「ぅー」
 びくっと警戒するSに、センは両手を挙げて敵意がないことを示しつつ、「にゃー」。そのままとなりへはつかず、虚を突かれたSやおもしろげに見ている莢と向かい合うヘルプ席の丸椅子へ腰かけた。
「あらためて、センだ。今日の仕事は一応イケメンってことになってるんだけどな。実は猫もやれるんだ」
 機嫌が悪い姫や気乗りしない姫をも楽しませたい。そのためならイケメンを崩すことを辞さないのがセンである。
「ボクも、猫やったほうがいい、にゃ?」
 こちらはセンがSをなだめている間にするりと莢の横へついた祭莉である。
 本人にどれほど自覚があるのか知れないが、この溢れる弟力は、鍛え上げれば彼を極上の歳上キラーへ押し上げることだろう。まあ、しっかり自覚できたなら、だが。
 これ、大丈夫? 怖くない? ちらちら窺ってくるSへうなずきを返し、莢はオーナーの名刺を取り出した。
「サービスボトルで悪いんですけど、とりあえず持ってきてもらって乾杯しましょう。シルもほら」
「……お願いする」
 小さくSのゴーサインが添えられて、初回卓の第1ターンがスタートした。

 一方、少し遅れて入店したミラは、莢とSから少し離れた位置にある卓へ案内されていた。
 所属ホストの宣材写真を確認している中で、顔見知りのアウィン(藍)と祭莉(ヒタチ)を見つけたのだが、いきなり知り合いに姫扱いされるのはハードルが高過ぎる。と、いうわけで。
「姫のお呼びを賜り、翡翠が参じた」
 片膝をついた翡翠が恭しくミラの手を取り、額へつける。
 その完璧な騎士ムーヴに、ミラは思わず「大儀だわ」と姫ムーヴを決めてしまった。ああ、いけない。没落貴族なのにこんな上からえらそうに! でも――悪くないわよね。
「翡翠みたいには、できないけど。姫の御身、後ろから守らせてもらう、から」
 ヘルプにつくナルが捧げ銃のポーズで敬礼し。
「眼鏡成分の補強は俺が担当するんで、お任せあれ」
 同じくヘルプに来た久志は眼鏡をことさらに押し上げてアピールを。
「こういうお店は初めてで、いろいろ迷惑かけるかもしれないけど。ちょっと落ち込んでるの。だから……盛り上げてくれるとうれしいかな」
 ナルが用意した缶チューハイをひと口飲んだミラは深い息をついた。酒に弱いのは自覚している。できればノンアルコールがいいのだが。
「姫、こちらを」
 翡翠がそっと、チューハイのグラスをウーロン茶のそれと取り替えた。
「酒は無理に飲んでも心を塞ぐばかりだ」
 余計な装飾のない言葉が、思いがけず胸へと染み入る。
 翡翠は自分の顔色や表情を細かに観察していたのだ。そして、無理矢理に酒を飲ませることなく気づかってくれた。
「まずは当たり障りねぇとこから話してくれよ。こんな商売だから説得力ねぇかもだけど、話は真剣に聞かせてもらうぜ」
「ここだけの話で、誰にも言わないし、ね」
 久志とナルもまたうなずき、促す。
 ふたりとも少し斜めに構えることで目線をずらし、言いにくい話を切り出しやすくしてるところが心憎い。
 そうよね。今夜は、それでいいのよね。
 弱い心を鎧おうとする強い体裁を振り落とし、ミラは細い声音を漏らすのだった。
「私ね」

 それぞれ盛り上がり始めたふたつの卓をよそに、藍は独り宙を舞っていた。
 なにを踏んで滑ったかは問題じゃない。なにかを踏んで滑ってしまわずにいられない不幸――あるいはドジっ漢(こ)の必然が問題なのだ。
 しかし、この角度なら姫も店も巻き込む心配はないな。不幸中の幸いだ。
 絨毯の上を一転した藍は、彼を指名した姫の卓前でちょうど立ち上がって言い放つ。
「とんだ失態を演じたが、姫を待たせずに済んだことでよしとしていただきたい」

 莢とSの卓。
 結局最初の15分の後にあらためて指名を入れ、センと祭莉についてもらっていた。莢とSは恋人同士なので、ホストに色恋――恋人のような態度で接客する方法――をしかけられるのは困るし、それにだ。
「……ぐいぐい、ぐいぐいよしこい」
 グラスを呷るセンへ、Sがぺちぺちした手拍子とぐいぐいコールを送る。
 彼女はヴァルキュリアで、莢を始めセンや祭莉が表わす各種データを読み取り、『ホストクラブとはこのように楽しむ場所』であることを理解していた。が、それだけでなく、センと祭莉の気配りによって整えられた場の空気に馴染んだことで、ようやく自分も乗っていけるようになっていて。もちろんそれは、センの臨機応変のリードが彼女をうまく乗せてくれていたことも大きい。
「約束通りに姫からもらった一杯、こぼさず飲み切ったぜ!」
「……褒めて、つかわす」
 ふんすと胸を反らすSへ、仙火は剣士ならではの美しい所作で一礼を返す。
「光栄の至り」
 そんなSとセンのやりとりを微笑ましく見やっていた莢へ、ヒタチがほとんど空になったブランデーボトルを示した。
「なくなったら……余ってるお酒、入れてこようか?」
 どこの卓でもそうなのだが、彼の気づかいはホストならぬ同僚ライセンサーのそれである。まあ、弟力を発揮して懐までまっすぐ詰め寄ってきながら固いガードで姫を焦らし、煽ってしまうあたり、結果的にホストとして仕事をこなしているわけなのだが。
「それじゃ稼ぎにならないでしょう。そんなところまで気、遣わないでください」
 莢はかぶりを振って、思いついた顔をヒタチへ向けた。
 ヘルプのホストと他愛ない話をしつつ、今は新しく入れたブランデーを飲んでいる彼女。ブランデーを水割りにするのはいかにもホスクラらしいなと思うのだが。
「そういえばヒタチさん、距離感なんだか遠くありません? まさか好きな女子がいたり?」
 商売故の目敏さで突っ込めば、ヒタチは無表情の端に思わせぶりな表情を引っかけ、応えるのだ。
「今はサヤ? だけど……」
 女子はこういう、男の子っぽさにほだされるんでしょうね。冷静にジャッジしておいて、莢はついと立ち上がった。
「指名中はってことですね。未成年じゃなかったら飲ませて聞き出すところですけど。――ちょっとお化粧直してきますので、シルのことお願いします」

 ミラ卓は今、静かに盛り上がっていた。
「辛いことは忘れちまえ、って言えりゃいいんだろうけど、忘れられねぇ辛いことはあるからな。でも姫はそれに沈んじまう楽を選ばなかった。すげぇな。ほんとに」
 久志が心からの賛辞を贈り、ミラを癒やす。
 言葉を尽くすのは、それこそ商売だからというばかりではないのだろう。たとえばそう、言えずにした後悔を思い出しているとか。とはいえ、そんなことをおくびにも出さないところが彼の美徳である。
「姫のためにおろしたトーション(膝掛け)だ。戦場の怪我と同じように、心の傷は人の芯を冷やす。少しでも凍えた心をあたためられるといいんだが」
 細やかに、濃やかにミラの世話を焼く翡翠。ヘルプに仕事をさせない目配りと手配りは、いつもながらそつなく完璧だ。
 が、彼としては努めて我慢しているところではある。世話を焼きすぎては依存を生む。弱みにつけこんだ商売は、彼の本意ではないのだから。
「ん」
 ナルは両手を拡げ、いつでも倒れ込んでおいでとミラを誘った。ひどくあけすけで無防備な有り様が、弱った女の心には殊の外染みる。
 しかし騙されてはいけない。やさしいふりをして、寸手でかわすのだこの男は。でも、それを思い知った後ですら飛び込んでしまいたくさせるあたり、本当にうまい。言うなればナチュラルボーン・ホストというやつか。
 ああ、もう。こんなに甘やかされたら……だめだわ。いえ別にハマったりしないけど、でも。
「お酒、少しだけもらえる?」
 セットではなく、単品注文で持ってきてもらった甘いカクテルを味わい、息をつく。
 おいしい。さっきとぜんぜんちがって、甘くて、楽しくて。
 今夜だけは、いいのよね?
 ちょっとだけ泣いたり甘えたりしても、いいわよね。
「このお店でいちばん高いボトル入れるわ。そしたらもっとこう、甘」
「ミラさん?」
 酒のブーストで口走りかけた言葉が、聞き慣れた声音に遮られ、斬り落とされた。
 恐る恐るミラが声のしたほうへ向けば、そこに立っていたのは。
「莢、さん」
 妹の恋人、莢だったりして。

 マダムな姫の煙草へ優美な手捌きで火を灯し、藍はショットグラスを傾げてストレートのブランデーを飲み干した。
 彼は酒に強いばかりでなく、飲み方が綺麗なので、客も気分よくいい酒を入れてくれる。おかげで今夜の売り上げも上々だ。
 と、やってきた内勤が小さな声で彼になにかを告げる。
「……失礼、姫。ここで席を外させていただく。どうやら私が赴かねばならん場があるらしい」


 莢に発見されたミラはSが待つ卓へ合流することとなり、そうなれば翡翠、ナル、久志も移動してくるし、なにやら藍も駆けつけてきたりして、合同卓はなかなかのカオスに。
「うん、まあ、いろいろありますよね。大丈夫、秘密にしておきますから」
「そこは疑ってないけど! 莢さんとSに目撃されたこと自体があれなのよ!」
「恥じらう、姉は……いいもの」
「Sぅ! キャラおかしくない!?」
 右の右に座す莢へ言い訳、左の左に座すSへツッコミ、たまらずミラはキーっと爆発した。
「ああもう! 私だって甘えたい夜があるのよ! Sも莢さんも甘えたらいいでしょ!? 私だけ恥ずかしいのはアンフェアよー!」
「……わかった」
 ミラ魂の叫びに、Sはこくりとうなずいて、莢の膝にちょこんと乗っかった。まあ、当然といえば当然だ。甘えるべき相手も甘えたい相手も、Sにとって莢以外にないのだから。
「ごろごろ、ごろごろ」
「あら、今夜のシルは猫で通す感じ?」
 Sの頭をなでてやりつつ、莢は周囲に目配せを送る。ミラさんのことお願い。
 彼女へハンドサインで了解を告げたのは、エアリーディンガーの久志だ。
「そろそろ俺たちのことも思い出してくれないか、姫?」
 彼女の右についた久志が、あえてぞんざいにミラの肩を抱きかかえ、そっと引き寄せる。ミラが本音を自分の奥へ封じて前を向く、強い女性であることはこれまでの会話の中で読み取っていた。その心の壁に罅が入っていることも。ならばあとひと押しして、溜め込んだものを吐き出させてやるのが自分たちの仕事だろう。
 やさしい久志の手に、思わず高鳴るミラの心臓。
「姫の明日が今日より少しでも明るくなるように、俺たちは全力で応援するからな」
 これは商売抜きでさ。左からミラへささやきかけ、センが笑みを送る。色恋を売らないのは結局そういうことなのだ。ここを女子の逃げ場にするのではなく、明日への中継地点にしたいから。
「いつでも、飛び込んできていいから。そのために、ここは空けてある」
 ナルがまた両腕を拡げ、ミラを誘う。飛び込む代わりにかわしぼ(乾いたおしぼり)を投げてやれば、手榴弾でも投げられたかのようなお手玉を披露する。オーバーアクションで、少しでも彼女の心を和ませるため。
「じゃ、ボクに飛び込む……?」
 ヘルプ席で、こちらも両手を拡げたヒタチこと祭莉。情があることはまちがいないが、その先につく字は愛ならず友だろう。でも、それがミラにはありがたい。勘違いせず寄りかかれる先を見つけられて。
「カクテルを用意させてもらった。“舞姫”という桂花陳酒をベースにした酒だが、酒精はかなり抑えてある。ほんのわずか、姫の心を軽くしてくれるはずだ」
 端正な面をふわりと笑ませ、翡翠がカクテルグラスを押し出した。酒に強くないミラのために彼自身が調整した一杯。それはまさに、翡翠の心そのものである。
 かくてホストたちの言葉と舞姫の心地よい甘さに心を押し上げられるミラ。
 うん、ちょっとだけ、泣きそうかも。
 ――突然、店内の全モニターがとある映像を映しだした。どこかの宮殿なのだろうか。居並んだタキシード姿の楽団が古い映画のテーマ曲をゆるやかに奏で始める。
 すると周囲の仕切りで隠された席から次々、ホストに手を引かれた姫が踏み出してきて、店の中央部に空けられた空間へ立った。
 ホストが皆スーツで身を固めていた時代の定番だったチークタイム。オーナーの古なじみである姫らの要望で週に二度催されているサービスタイムが今、始まろうとしているのだ。
「姫。一曲、お付き合いいただいても?」
 すらりと一礼した藍がミラへ手を伸べる。顔見知りである照れは微塵もない。プロとして、“王子”であることに徹していて。
 だからミラも自然にその手を取ることができた。さあ、桂花の香をまといし舞姫の舞い、ここに魅せよう。
「リードはお任せするわ」
「承った」
 果たして藍はステップを刻み始める。定石をわざと崩しながら品を失わぬその流麗な足捌きが、ミラを心地よく揺らし、ダンスへ引き込んでいった。

「姫たちも体験していってくれよ。黄金時代の空気ってやつ」
 立ち上がったセンが、莢の膝上で香箱座りを決めるSを誘った。
「いってらっしゃい。せっかくだし楽しみ切らないとね」
「……わかった」
 莢に送り出されたSがおずおずとセンへ手を預けると。
「信じて、預けてくれ」
 剣士ならではの体幹の強さで自らを直ぐに保ち、Sをかろやかに舞わせていく。チークの形を保っていながら、どこか70年代のディスコダンスを匂わせるリードだ。
 奔放なセンとは逆に、ソシアルの風情を匂い立たせるのは翡翠である。
 先についた年配の姫から指名された彼は、戦場においては肚の底へ据える重心を鳩尾へと引き上げ、大きなステップワークを展開する。しかも姫へ余計な体力を使わせぬよう計算しつつ。
「姫は思いのままに。俺が支える、どこまでも」
 この上ない美丈夫ぶりを魅せる翡翠の傍らでは、久志がチークのお手本を演じていた。
「思いきり楽しむのは、思いきり動くってだけのことじゃないからな。今夜はまだ飲むんだろ? 大丈夫、最後までゆっくり付き合うから」
 エアリーディング能力全開で姫を気づかいながら、さりげなく煽っておくあたり、年の功というものか。実は彼、ラストソング――その日の売り上げナンバーワンのホストが、営業終了時に一曲歌うこと――の筆頭候補である。
 そんな営業力を発揮する久志をひっそり脅かすのはナルだ。
 今、彼と踊っている姫は、その手を放せば彼が別の姫と踊りに行ってしまうことを知っていたから。行かせたくない余り、彼へしがみつこうとして。
 が、ナルは器用に体を返して逃れ……行ってしまうと見せかけ、姫の手を取って引き寄せた。
「この曲が終わるまで、俺は姫のものだから。その後は……姫次第?」
 スナイプを決めたナルを含め、男たちの舞う様を見やっていた莢の袖を、ついとヒタチが引く。
「サヤも、どう?」
「あら、常陸さんってこういうのも行ける人でした?」
 ヒタチは口の端に薄笑みを刻み、席から滑り出た。
「……仕事だし。ボクだけ働いてないの、よくないかなって」
 未だホストの仕事は理解しきれていないヒタチだが、責任を放棄するつもりはないんである。
「じゃあ、ちょっとだけ混ざりに行きましょうか」

 見知った同士と知らぬ同士が、同じ場で輪を作る。
 明日という日に同じ依頼で会ったとしても、姫だった彼女とホストだった彼は、なにもなかった顔をして、同じ先へ向かうのだろう。だからこそ、今このときだけは――もう少しだけ――
「明日には全部忘れるから! 思い出さないって約束よ!?」
「約束は……できない。甘える姉は、いいもの……」
「他のお客さんにも目撃されてますしねぇ」
 ――ミラ、S、莢、それぞれいろいろありつつも、夜は1秒ずつ更けゆくのだった。


〜おまけ〜 クラブAチーム従業員募集動画
ナル「クラブAチームでは、従業員を、大募集中、だ」
翡翠「未経験者でも問題ない。俺が責任もって指導させてもらう」
藍「不器用で自信のない者もだ。私は少々粗忽だが、店のバックアップは完璧だからな」
久志「今なら日給保証だけじゃなく、ヘアメイクと従業員食堂の無制限使用権、それに俺が話聞く権もついてくる」
セン「チームメイトの背中は俺たちが預かる。今夜からでも全力でな」
ヒタチ「(無表情で手を振り)……応募、待ってるよ」


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2021年02月26日

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