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『144』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790

 思いつく限りの細工はしてきた。
 だから、彼は未だ彼女が自室にいるものと思い込んでいるはず。
 不知火 楓(la2790)は気がつくと上がってしまう口角を指先で押し下げ、解けていきそうになる緊張を絞り直した。
 待ち合わせは場所は、彼女がいるビルの2階の喫茶店の斜め下、待ち合わせによく使われるオブジェの前だ。
 小細工を弄して約束の時間の90分も前に現地へ着き、こうしてオブジェを見下ろしている理由はいくつかあるのだが……もっともたるものをひとつ挙げるなら、「楓を待たせぬようかなり早めに来るだろう相手のメンツを保ち、その上で待たせすぎないため、時間調整をする」ことだ。
 わざわざ外で待ち合わせたいって言うんだから、そういう雰囲気を楽しみたいんだろうしね。だったら僕は、最大限その意志を汲むだけだよ。
 我ながらかわいくない気づかいではあったが、こればかりはしかたない。
 ずっと、彼を立てるために生きてきた。公では堂々と、プライベートではさりげなく、後ろ暗い暗闘の場においては密やかに。
 生涯、僕はそうして生きていくんだって、思ってたんだけどね。
 コーヒーをひと口含み、かすかに眉をひそめる。喫茶店を開店しようと奮闘中の友人の一杯は、どうやら並の専門店を大きく超えるレベルにあるようだ。
 と、知らぬうちに肥えてしまったらしい舌を嘆きつつ、ふと視界の端をよぎった赤に引かれ、目を向けると。
「あ」
 オブジェの真ん前を飾った赤い薔薇の花束。
 おそらく100本分はあるだろう大きなそれを両手で抱える青年の周囲から、人がじりじりと遠ざかる。それはそうだろう。ただ立っているだけならいくらでも女子が寄ってくるだろうイケメンでも、あの薔薇のプレッシャーを押し退け、踏み込める者はそうそういない。その気がなくとも威圧され、押し退けられるほどなのだから。
 果たして楓は悟った。彼――不知火 仙火(la2785)がわざわざ同居している不知火邸からいっしょに出ず、外で待ち合わせようと言い出した理由を。
 仙火って実はかなり深刻にロマンチストなんだよね。
 漏れ出るため息。しかしそれは甘く彩づいて……ああ、指一本では上がりきってしまった口角が押し下げられない。
「でも、周りの人の迷惑は考えてほしかったなぁ」
 こうなればもう、程よく時間を空けて登場などとは言っていられない。
 自分でも信じられないくらい浮き立つ足で、楓はいそいそ仙火の元へ向かう。

「仙火、さすがに早すぎない? それにその花束は大きすぎるよ」
 努めてあきれた声音をかけると、仙火は花束の向こうから生真面目な顔をのぞかせ、言った。
「楓がさっさと出て行ったって母さんから聞いたから、急いで俺も出てきたんだよ」
 当主! その気配りはしちゃだめなやつだよ!
 思わず胸の内で仙火の母=不知火現当主を責めてしまう楓だったが、当主は当主で、息子の恋人にばかり気づかわせたくなかったのだろう。不知火の女は皆それぞれ苦労しているので、互助の意識が高いのだ。
 楓にあきらめがついたあたりで、仙火がそっと花束を差し出して、
「101本の赤い薔薇の意味は“最愛”。俺は未熟で言葉じゃうまく伝えられねえからさ、まずは形からってことで」
 セリフはまるでロマンチックじゃないけど。楓は仙火がいっぱいの想いを込めた101本を受け取り、実感した。
「仙火、重すぎだよ」
 喉を鳴らして言ってやると、仙火はまた生真面目な顔で返してきた。
「俺の愛は最高に重いんだよ。……これまでいろいろあって、俺はその度に情けねえザマ晒してきて。それでも楓は俺といっしょにいるって言ってくれた。俺はせめて俺の全部をおまえに捧げて、誠を証明してえんだよ」
 全部をくれると、仙火は言い切る。
 でも、仙火はまるでわかっていない。彼に捧げられるより早く、彼が捧げてくれるより多く、楓が彼にすべてを捧げてきたことを。それはこれから先にも変わらないのだということを。
「決意より覚悟して。僕の愛はもっと重いから」
 すると仙火は唇を尖らせ、「負けねえよ」。こういうところは本当に昔から変わらない。一時はねじ曲がってしまったこともあるけれど、誰よりまっすぐで、負けず嫌いで。
 楓は薔薇の香を深く吸い込み、惜しみながら吐き出して、仙火へ問うた。
「この花はどうしたらいい? 抱えたまま歩くのはさすがに辛いよ」
「花屋で預かってもらえるように話つけてある。帰りに寄って家まで持って帰るってことで」
「ふーん。仙火ってそんな気、回せるんだ?」
「……そうしたらいいって、まあ、助言もらったんだよ」
 面映ゆい仙火の表情から助言の主が当主であることを察し、楓はまた笑んだ。当主にバレているなら、帰った後で訊きほじられる心配はないだろう。代わりにつつかれる覚悟はしておかなければならないとしても。


 名園と謳われ、一般に開放されている日本庭園。
 仙火と楓は玉砂利が敷かれた遊歩道をゆっくりと歩き、繊細に調律された草木の妙をながめやる。
「不知火の庭もいいけど、やっぱりスケール感がちがうだけに壮観だね」
「ああ。手入れの手間考えたらうちの庭だって相当だけどな」
 手伝わされた雑草抜きのことを思い出し、仙火はげんなり息をついた。父親などはその手間すら楽しんでいるようだが、若い彼にとっては苦行以外のなにものでもありえない。
「もう少し老いればわかるよ、きっと」
 なにげない言葉を交わしながら、楓は窺っている。すなわち手を繋ぐタイミングを。
 関係性は手を繋ぐ以上に深まっているというのに、なかなか今までの距離感を崩すことが難しい。こんな他愛のないことをわざわざ計らねばならぬほどにだ。
 繰り言ではあるが、しかたない話ではあるのだ。楓は誰より親しくしてきたとはいえ世話役として仙火の下についてきた身。心に染みついた気後れは色濃い。
 と。
「手、繋ごうぜ」
 半歩前へ出た仙火が固い声音で言い、ずいと手を伸べてきた。
 こちらを見ないのは、赤くなった頬を隠したいからだ。
 それでもぞんざいに手を伸べてきたのは、この状況を打破したいからだ。
 いや、それ以上に、
「楓と手、繋いで歩きてえ。俺が」
 101本の薔薇まで贈ってくれていながら、こんな中学生みたいな有様を晒すなんて。
 いや、驚くことではあるまい。若と世話役を演じ続けてきた末に恋仲となった今、気後れや気まずさを感じているのは楓ばかりではないのだから。
 世話役じゃない僕が、若じゃない仙火に返すべきものはなに?
 それこそ考えるまでもなかった。
「ずっとチャンスを狙ってたんだけど、先に言われちゃった」
 中学生のように手を繋ごう。先へなんて行かせず、ぴったり並んで肩をつけて、繋いだ手をうきうき揺らして微笑んで。
「すごくうれしい」
 本気で本音を伝えよう。自分の全部を込めて、全部全部全部。
 楓の子どもっぽい有り様に目を丸くしていた仙火だが、すぐに同じほど子どもっぽく笑い返し、足を速めて。
「俺もうれしい」
 出会った頃には知らなかった。出会いは出会いならぬ出逢いだったのだと。思い知った今、気後れている暇など1秒だってありはしないのだ。
「ただな。あんまりかわいくされっと困るから。ふたりっきりってわけじゃねえからさ」
 言われてはたと気づけば、周囲の人々から生あたたかい視線が寄せられていて。さすがに全力はよろしくないかな。と思い直す楓だった。
「ごめん。こういうの僕、まだ慣れてないから」
「いや、俺も正解わかんねえし、なんかごめんな」
 神妙な顔で言い合った後、楓は一気に真っ赤になって、
「かわいいはだめだ。ものすごく、だめ」
 綺麗と言われることへは一定以上の耐性を備えた楓だが、“かわいい”へは無防備で……それも好きな人からの「かわいい」はクリティカル級で。
「え? 楓はかわいいだろ。って、なんだおまえ、自分のことかわいくねえって思ってんのか」
 ずっと彼女といっしょにいた仙火は、楓に対する一般評へぴんときていない。見目形や所作ではない、人としての本質を見てきたからこそ彼女が愛しく、ことさらにかわいらしくて。
「あー、もう。手なんか繋がなきゃよかった」
 あまりの伝わらなさ具合に、重い息を吐く楓だったが。
「なんでだよ!? 俺今うれしくてたまんねえんだけど!?」
「僕だってうれしいよ! 仙火と手繋げるようになるなんて思ってなくて――たまらなく、うれしい」
 仙火があまりにまっすぐ言い貸してくるものだから、つい本音で返してしまい、
「じゃあいいじゃねえか。俺もうれしい、楓もうれしい。問題ねえだろ」
「はいはい、もうそれでいいから」
「はいは一回だろ」
「……はい」
 結局、丸め込まれる形で事は収まってしまった。一度も繋いだ手を放さぬままに。

 侘びや寂びを楽しみ、時に足を休めながら大きな池を一周すれば、そろそろ夕刻へ踏み込む頃合いとなっていた。
「なんか、ゆっくりしちまったな。ほんとは他にも行きたいとこあったんじゃねえか?」
 仙火の言葉に楓はかぶりを振った。
「ふたりでゆっくりする以上にしたいことなんてないよ。家じゃなかなか、ふたりきりにもなれないし」
 ふたりの仲が不知火一族公認だからこそ、公私の線引きはいろいろ難しい。だからこそ「ふたりきり」は、楓にとってなにより貴重なものなのだ。
 うんと伸びをした仙火はあらためて楓の手を握り、
「花受け取って帰るか。あと家に菓子でも買ってくべきか」
「時間的に、夕食に添えられるもう一品のほうがいいかも」
 応えた楓は強く手を握り返す。
 まだまだ気合が必要なことではあるが、これが当たり前になる日がくるのだろう。その先には、互いの手の間に子を挟む日も。
 こんな日が来るなんてって、思ってた。でもこんな日は来て、それどころか未来へ続いていく。仙火といっしょに行く未来へ。


 花束を預かってもらっている花屋へ着いた仙火は、礼を言ってそのまま受け取ろうとしたが。楓はそれを一度止め、店員へ告げた。
「あと7本、足してもらえる?」
 薔薇の数が表わす意味、楓は仙火とちがって調べるまでもなく知っていた。なぜなら――
「7本の薔薇の意味は、密かな愛。報われなくていいって想い定めてきた僕の想いを咲かせてくれたのは仙火だから」
 そして朱の差した頬を傾げ、言い添える。
「それからね。108本の薔薇は、求婚を意味するんだよ」
 今すぐに、じゃないけど。楓はさらに付け足し、言葉を切った。
 仙火のくれた最愛に僕の想いを添えて、その先へ。それが僕の、今はまだ言えない本当の気持ちだよ。
 泣きそうな顔で仙火は口を開き、結局なにも言えずに息を吐いた。そのまま店の奥へ向かって、最初に持ってきた薔薇よりはかなり小さな束を抱えて帰ってくる。
「……36本ある。意味はロマンチックだっけか。俺にはまるで似合わねえけど」
「薔薇の花束で伝えてくれるなんて、十二分にロマンチックだと思うけど?」
 こみ上げる涙を押し込め平然を装い、返した楓だったが。
「さっき楓が足してくれた108本と合わせりゃ、144。意味は、何度生まれ変わってもおまえだけを愛す」
 108本に添えた144本を、仙火は片膝をついて楓へ差し出した。
「ただの口約束だけど、俺は本気だからな」
「仙火――ふたりきりじゃないのに――だめだよ――こんなの――」
 予想外の展開に立ちすくみ、かぶりを振る楓。
 溢れてしまった涙は引っ込んでくれることなく、次々と流れ出て。
 だめだってば。店員さんが見てるし、店の外の人も見てて、化粧も崩れるし。だめ。
「だめじゃねえ」
 強く言い切った仙火は、花束ごと楓を抱きかかえて歩き出す。人々の視線も楓の気後れも「だめ」も全部置き去って。
「俺が本気になるのは楓だけだ。心してあきらめとけ」
 怒ったような声なのは、それを口にするため、彼が相当な覚悟をしていればこそ。
 そんなことまで察しちゃうんだから、そうだね。僕は心してあきらめなくちゃいけないわけだ。でも。
 楓は止まらない涙をそのままに笑み、宣言する。
「あきらめるのは仙火だよ。言っただろう? 僕の愛は、仙火の愛よりずっと重いんだから」
 これからも自分は、不知火の闇底で密かに戦い続ける。たとえ何度生まれ変わっても、仙火へ告げることなく彼を守るがために。
「愛してるよ、仙火」
 かくて楓は144本の薔薇に誓い、心を決めるのだ。


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2021年02月26日

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