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『ポレポレ』
佐和 千昂la3236


 2060年、4月6日。
 長い長い一日を終えて、佐和 千昂(la3236)は自室にたどり着いた。
 帰り際に買い込んだ荷物を床に下ろすと、忘れていた疲れが時間差で襲ってくる。
 上着も脱がずに横たわると、伸ばした腕がケージに当たり扉が開いた。キジトラ猫が、パッと飛び出す。
「あっ」
 トイレや爪とぎ段ボール、餌皿など必要な物を買いそろえてきたけれど設置はまだだ。
 ヤンチャ盛りの推定3歳のオス猫は、室内を全力で走り回る。
「……大丈夫、かな。壊れて困るものは置いてないし」
 千昂が焦りを覚えたのは一瞬。
 少なくとも、破壊されるものは無い。
 爪とぎとトイレだけは至急案件だと思うので、どうにか身を起こして走ってくれている間に整える。
「猫は匂いを大事にする……かぁ。公園の草を少し持ってきたけど、これで良いのかな?」

 エルゴマンサーからの宣戦布告と共に巨大なナイトメアがお台場襲うという、派手な戦いがあった。
 千昂が参加した戦域では、何故か自由猫救出もミッションに追加され、紆余曲折を経て千昂はその一匹を家族として迎えることとなったのだ。
 それまで何かを飼うことなんてなかったし、とりあえずネットで調べられる限りを調べ、最低限必要な物を買ってきた。
 任務に同行したメンバーには猫を飼っていたり面倒を見ている人もいて、アドバイスももらった。
 アドバイスの一つが、『それまで生活していた場所の匂い』。
 きちんとした譲渡であれば、お気に入りのブランケットと一緒に渡すこともあるのだとか。

 見知らぬ場所。見知らぬ匂い。
 隅々までパトロールしつくした猫が、馴染みのある匂いに気づく。
「そうそう。おいで、ここがトイレだよ」
 猫、実に良い顔をしながらトイレを覚える。
 ふと視線を上げた先には、軽くまたたびを振った爪とぎ板。
 ご満悦でガリガリを始める。
「猫同士で社会性を学ぶって言ってたけど、本当なんだ……」
 キジトラ猫は、他に2匹の兄弟がいた。遊ぶ力加減や、生活習慣などは既に身につけている様子。
 今度こそ、千昂から肩の力が抜ける。
「お腹すいた……。僕も夕飯にしよ」
 あり合わせでチャーハンをざっと作り、インスタントのスープを添える。
「ご飯……、いや、君はそこじゃなくて」
 当たり前のように千昂と同じ食卓 ※テーブルの上 に鎮座する猫を前に、はたと気付く。
「あ。名前」
 決めていなかった。
 特につけなくても良いような気もしていた。
 しかし、こういった時に呼びかけるものがないと不便だ。
「『トラ』だと別の人の所に行った兄弟に付けられているかもしれないし、『ネコ』ではあんまりな気がするし」
 食卓から抱き上げて床に下ろし、餌皿の前に着地させながら千昂は考えこむ。
 考えこむ間に、猫は再び食卓へ上がる。
「……そこが良いの?」
 千昂と同じ高さで。この猫は、そんな意志を持っているのか。
「どうなんだろう……こういうのって、始めが肝心だって言うけど……」
 厳しくするべきか、緩くするべきか。
 動物と暮らすことが初めての千昂には判断が難しい。動物以前に、『家族と暮らす』ことすらなかった。




(……あれ。僕の名前は?)
 『移植や輸血用の生きた容器』として生まれ、育てるというより飼育という形容が近い生活を送ってきた。
 その頃は番号で呼ばれ、名前なんてなかった。
 『千昂』という名を与えられたのは、その身を提供するはずだった子供が手術前に亡くなってしまったから。今度は、その少年の『代用品』として、育てられるようになったから。
 血肉の移植元として適合しても、姿かたちや人格まではままならない。
 『飼い主』にとって、『千昂』は不要の存在となった。
 名前だけをそのままに少年は逃げ出し、生まれ育った世界のことすらよくわからないまま異世界へ飛んでいた。
 だから、千昂にとっての名前とは。
(個体識別出来れば、別に良いだろうと思うんだけど)
 あの少年の親は、何か強い思いをもって付けたのかもしれない。自分の名は千昂だけれど、自分のために付けられたものではない。
 名前が無かったこと。
 己の血肉を与えるはずだった相手の名が降りてきたこと。
 そのどちらにも、自分の心が揺れることはなかった。はず。
(……でも、まあ)
 自分の例は、置いておいて。
「それでもやっぱり、猫には良い名前を付けてやりたいよね」
 ずっと前からそうしていたかのように、同じ目線でカリカリを食べる猫のうなじをツイと撫でて、千昂はほんの少しだけ表情を和らげた。




 キャリアーと同じく星からとるか。
 千昂の『昴』も星団だ、お揃いでいいかも……いや、うーん。
 あれこれ考えこむうちに、いつの間にか眠りに就いていた。
 朝食を所望する激しい鳴き声がモーニングコール。
「ごめんね、今あげるか、……ら」

 朝食の用意が遅いので。自力で開けました。

 床に、キャットフードが散乱している。
 食いちぎられた袋がむなしく倒れている。
「……っ、…………!」
 怒ろうと思った。名前がなかった。
 怒るも何も、猫はお腹を空かせていて、自分は寝入っていたから、自分で何とかするしかなかったんだから。怒ることじゃないんだ。
「ごめんね」
 猫は千昂の姿を見て、パッと足元へすり寄ってくる。ピンと立てたしっぽはご機嫌の証拠。
 悪いことをした意識は皆無だ。
 その体は、ひんやりしている。夜は寒かっただろうか。寒くて、お腹を空かせていたんだろうか。
「名前、ちゃんと考えよう」




 アパートの隣人たちにも案を出してもらい、千昂自身も名づけの例を調べた。
 呼びやすいもの、猫が理解しやすいもの、できれば他と被りにくいもの。
 床へ大きな紙を広げて、思いつく限りを書いた。
 書きすぎて、どれがしっくりくるのかわからなくなってきた。
「どれが良いと思う?」
 猫はどうやら、千昂の目線に居るのが好きらしい。
 ふっと顔を上げた先には猫がいた。
「君の名前だよ」
 猫は紙の上をゆったりと歩き、ど真ん中に座った。見事に何もかも見えなくなった。
「……」
 自由すぎる。
(少し休めってことなのかな) 
 千昂は眼鏡を外し、しぶしぶする目をこすった。
 距離を置いたことで気が付く。猫がしっぽをパタリパタリと打ち鳴らしている先。
 二つの名前の、下の二文字だけが覗いている。
「……それが良いの?」
 あまりにも、よくできた光景だったから。ついつい笑い声になってしまう。

 『幸太(コウタ)』。

「幸太。コウ」
 試しに呼ぶと、まんざらでもなさそうな声が返る。
「僕のところに来て、君が幸せかどうかわからないけど」
 しっかりと、幸せに生きていってほしい。
 などといった願望を抱くなんて、珍しいこともあるものだ。
 何しろ、相手はお猫様だから。
 彼が幸せであるように尽くすことが、人間に出来るせいぜいのご奉仕なのだ。
「裏庭も探検しようか。畑は荒らしたらだめだからね」
 ネズミやモグラ退治隊長として、仕事先が見つかるかも。


「今日は良い天気だよ。おいで、幸太」
 毛づくろいを終えたキジトラ猫は、名前を呼ばれてご機嫌に声を返した。




【ポレポレ 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせいたしました……!!
ご依頼、ありがとうございました。
名前を巡るお猫様との一幕をお届けいたします。
『ポレポレ』は、外国語で『ゆっくり』という意味。
ゆっくり、幸太くんとの関係をはぐくみ生活を楽しんでいただけていたら。と思いました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年02月26日

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