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『あの花が咲くころには』
千種 樹生la3122


 平和を取り戻すために戦ってきた。
 厳しい冬を越えた先に暖かな春が待っていると、誰もが信じていた。
 それは決して、間違いではないけれど。




 最優先すべきは何か、その少年はわかっていた。
 だからミーティングの場で、私情を口にすることはなかった。
 誰もがどこかで察していたれど、具体的に助けとなることはできなくて。
 千種 樹生(la3122)もまた、かける言葉を持たない一人だった。


 長い戦いが決着し、グロリアスベースへ戻ったある日。
 少年の落ち込む姿を見かけた樹生は、言葉の代わりになるものを贈ろうと考えた。
(リンゴが安い……。作ってみようかな)
 アパートへの帰り道に寄った食材店で、真っ赤な果実が目に留まる。
 料理全般は無難にこなせるが、本格的な菓子からは遠ざかって久しい。それでも、これなら作れる。
 アップルパイ。
 樹生にとって、甘いだけではない思い出が絡むもの。

 リンゴと無塩バター、小瓶の洋酒。普段使いより多めの卵。
 それから焼いたまま渡せるアルミ製の小さな焼き型を、買い物かごに追加した。




 この世界へ来る前。樹生がずっとずっと幼い頃。
 樹生と家族同然に過ごしていた一人が、樹生へ料理の基礎を叩き込んでくれた。
 養父の部下である彼には、年の離れた妹がいた。彼は、妹の親代わりでもあった。
『妹の好物でね』
 厳つい容姿をした男性は嬉しそうにそう言って、幼い樹生へリンゴの皮むきを教えてくれた。
 彼の妹は当時、『対侵略者の養成校』へ通っていて。いつかは警官である彼と共に、世界の脅威へ立ち向かうものと思われていた。

 養父や仲間たちが殉職したのは、樹生が養成校へ入ってからだった。
 『侵略者』への対抗手段が確立される前で、警察も軍隊も文字通り『命懸け』が求められていた時代にあって、しかし彼らは英雄と称賛されることはなかった。

(それでも、彼女は……戦い続けてた)
 遺された妹は、兄の分までと戦い続けた。
 痛々しい表情も、文字通りの負傷も、鮮明に思い出せる。
 当時の幼い樹生でさえ、彼女の胸中を思うと『無理をしないで』とは言えなかった。
 だからせめて、彼女が好きなアップルパイを作った。
 戦いで傷ついた体を、疲労困憊の心を、労いたくて。
(たくさん、作ったな)
 たくさん作って、たくさん失敗した。
 失敗したアップルパイを、彼女はたくさん食べた。
 アップルパイひとつにつき、彼女は兄の思い出をひとつ語った。
 彼女の中の『彼』の姿は、樹生の中のものと少し違う。
 樹生が思い出を語ると、彼女もまた意外そうな顔をした。
 たくさんたくさん、失敗作のアップルパイを食べた。




 折りパイの温度管理は、第一にして最大の難関。
 バターを包み込んだまま、生地を伸ばし折り重ねてゆく。
 生地が破れてバターが表に出てしまうと、膨らみも風味も逃げてしまう。
 手早く、力を入れて、しかし生地を傷つけないように。畳んでは生地をしっかり休めて。
 冷凍パイシートで良いんじゃないかと思ったこともある。使用するバターの違いか、記憶の風味と全く違っていて一度で止めた。
 比較的簡単なタルト生地での代用も試みたが、パイのサクッとした歯触りには敵わない。もちろんタルト生地でも美味しいが、あの味ではない。
 生地を素早く型へ敷き、カスタードクリームを絞って、キャラメリゼしたリンゴを並べる。
 リンゴの火の通し加減は、歯触りを楽しめる程度に留めること。
 最後に網目状にパイ生地を被せてオーブンへ。


 ようやく記憶の味へ辿り着いた日、彼女は戦地から帰ってこなかった。
 美味しく作れたはずのアップルパイ。
 行く当てを失ったパイは、樹生が一人で食べた。
 生地作りもフィリングも焼成も完璧なはずなのに、何の味もしなかった。




(あれ以来、か)
 樹生は背が伸び、筋力もついた。
 苦戦した生地づくりも、基本を体が覚えている。
 当時の苦労が嘘のように、容易く生地を伸ばしていく。
 隣には幼い自分が四苦八苦している姿が見えるようだ。
 励ましたかった。元気になってほしかった。
(あんなに必死に何かへ打ち込んだのは、最初で最後……は、言い過ぎか)
 自分の中の何かが死んで、そのままにしていたことは確かだと思う。
 体に染みついた手順で、作り進めていく。
 途中で、リンゴの火の通り具合を確認するため、一口。
 どんな季節でもリンゴは手に入るが、製菓に適した酸味の強い品種は一般的なスーパーには滅多に並ばない。
 その代わりに、レモン汁を絡めて使う。仕上げに洋酒を少し入れて香りを引き立たせる。
 最良の品種を追い求めることも手段の一つだけれど、彼は無理なく日常の範囲で楽しめるものを作っていた。
「…………美味しい」
 懐かしい味がする。
 鮮やかな色を帯びた記憶が、脳裏を巡る。
 悲しいばかりではなかった。悔しいばかりではなかった。
 彼らが残してくれたものは、樹生の体に間違いなく刻まれている。




 ひとつ、ふたつ。
 小さなアップルパイが、オーブンから出てくる。
 出てきては、次を入れる。
 寒かった部屋が、リンゴと洋酒の香りで暖まり始めてきた。
 懐かしい香り。懐かしい温度。
 リンゴの皮を煮出した湯で、紅茶を淹れる。
「……よかったら、一緒にどうぞ」
 カップをひとつ、追加で用意した。

『良いじゃない。見た目は悪いけど味はいいよ。兄貴には負けるけど』

 昔の声が聞こえたような気がした。
「あの頃は、失敗作ばかり食べさせて済みませんでした」
 声の方向へ視線を合わせ、樹生は困り顔で謝罪を。
 どんな失敗であれ、いつだって食べきってくれたことを思い出す。
 食べ物を大切に。
 さすが、あの人の妹だ。
 全てのパイを焼き終え、樹生もエプロンを外してテーブルに着いた。
 さっくりしたパイ生地。
 シャクっとした歯触り、フレッシュな香りのリンゴ。
 パイとリンゴを受け止める、カスタードクリーム。

「うん。美味しい」

 ようやく。ようやく、納得の味になった。納得の味を、感じられるようになった。
『大丈夫だよ、あの子は一緒に食べてくれるよ』
 待っていてくれたのに、帰れなくてごめんなさい。
「そんなふうには思ってませんよ」
 味を感じることができたのは『そう』であるかのように、声が降ってきた。
 
 これからは、美味しいアップルパイをたくさん焼いていけるだろうか。




 長く長く厳しい冬を越えて、春が来る。
 桜の花が散る頃に、淡いリンゴの花が咲く。
 秋に実るリンゴが多くの幸せをもたらすように。

 後悔も悲しみも乗り越える時間には個人差があるけれど、いつの日か淡い花が開いて。
 かけがえのない果実を得られるように。

 いつだって笑顔を絶やさなかった少年の、気持ちが少しでも上向きになると良いのだけど。
 アップルパイを箱に詰める。薄手のジャケットを羽織る。
 こっそりと差し入れすべく、樹生はアパートを後にした。
 3月。
 山から遠く離れたこの場所には、春の香りが漂っている。




【あの花が咲くころには 了

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お待たせいたしました……!!
ご依頼、ありがとうございました。
アップルパイにまつわるエピソードをお届けいたします。
あの時のアップルパイの背景を、こういった形で描けるとは。
誰かを思って作るお菓子には、特別な味が宿ると信じています。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年03月01日

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