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『百年の花畑』
柞原 典la3876


 2063年3月。
 柞原 典(la3876)は、撮影の為にとある山を歩いていた。春の山野草や木々、川や湖の水辺などにレンズを向け、シャッターを切る。それを繰り返して、彼は山の中を進んで行く。
「平地やったけど歩くのは営業で慣れとったし、ライセンサーやって体力もついたんかなぁ。そんなしんどくないな」
 思いのほか負担がないことに驚きつつ、これまでのことを思えばそう意外でもないかと考え直す。
 鳥が鳴いていた。呼ばれたのか、応じるようにもう一羽がさえずる。呼んで応えてもらえるとは結構なことやね、などと頭の片隅で思いつつ、典は森の中を歩いた。

 やがて、木々が途切れた。その先には、季節外れの黄色い落ち葉が一面に──。
 否、葉ではない。花だ。
「ああ」
 喇叭水仙が一面に咲いている。思わず目を瞠った。
 いつしか、北米のエルゴマンサーがワンダー・ガーデンとして造った、あの花畑によく似ている。ヴァージル(lz0103)が潜んでいたあの花畑。

「日についでめぐれる月や水仙花……と。まぁこれは喇叭なんやけど」
 百年ほど前に没した俳人の句を呟きながら撮影した。ファインダーから顔を離すと、改めて花畑をしげしげと眺める。やがて、その唇が淡い微笑みを浮かべた。
「銃弾飛んでこぉへんかなぁ……なぁんてな」
 この場所であれば、きっとその犯人は彼だ。それなら、約束も違えない。

 けれど、何も典の体に当たらないし、静寂を引き裂く銃声は聞こえない。呼吸も心臓も止まらない。彼は両脚で立っている。

 銃弾でこの胸を貫いてくれるなら、自分はきっと防がない。仰向けに倒れられれば、近寄る彼の顔が見えるだろうか。そうしたら自分は笑うだろう。花が咲くように。
 抱きかかえて、地獄に連れて行ってくれたら良いのに。その胸で息絶えられたら、それは幸せな最期になるだろう。

 空想を描きながら、いつまでもその花畑を眺めていた。


 2064年1月。
 覆面写真家「柞原典」のささやかな初の個展が開催された。ポスターにもチラシにも、彼の写真は入っていない。顔を晒すことで生じるトラブルを避けるためだ。
 そのため、師事している写真家に手配をしてもらうことも多かったが、無事に始まって安心もしている。

 暇だったら来ないかと連絡すると、エマヌエル・ラミレス(lz0144)は一も二もなく飛んで来た。待ち合わせの最寄り駅で「おめでとう」と大袈裟に喜ぼうとするのを押しとどめる。
「俺、覆面でやっとるから客のフリしたいねんな」
「お、じゃあ偽名でも名乗るか? 何て呼ぶ?」
 まるで共犯者のように声を潜める。友人と思っている典の晴れ舞台を、我がことの様に喜んでいてテンションが高いらしい。典はその勢いに苦笑して、
「『つかさ』はそう珍しい名前とちゃうから、苗字呼ばれなかったらええわ」
 身元不明の赤ん坊に付ける名前が、そう奇抜であるはずもなかった。
 エマヌエルがちらりと中空を見たのは、普段呼ばない典の苗字を思い出そうとしたのだろう。その様子が面白くて、吹き出す。
「ラミレスさんはそれでええねん。いつも通りで頼むわ」
「おうよ。で、どこでやってんだ?」
 楽しみにしているらしいエマヌエルは、そわそわしたように周りを見た。


 小さな街角のギャラリーには、少し狭いと感じる程度には人が入っていた。展示されているのは、全てモノクロの写真。時折、客同士が感想を呟く小声がぽつりぽつりと浮かび上がる他は、表で走る車と、空調の唸る音しか聞こえない。

 「色を探す色のない世界」というのが触れ込みだった。エマヌエルは、いつか桜を見に行った時のことを思い出す。見えている色がよくわからないと。その世界に一滴落ちたインクの色は恐らく金色で、それはアメリカ・カナダ国境で海水に洗い流されたのだろう。
 撮った本人が隣にいることを忘れて、エマヌエルは写真に見入った。典も静かにそれについていく。やがて、見覚えのあるような風景写真が目に入り、写真家が囁いた。
「これ、似とるやろ」

 喇叭水仙。

 何に、と言わずとも、エマヌエルには通じると典は思った。相手は静かに頷く。過去を回想する目。ヴァージルのことを敵として恐れていたエマヌエルには、典とは別の感慨があるのだろう。色のない、写真の花畑をとっくりと眺め、
「俺には黄色に見えるよ」
 小さな、けれどしみじみとした声で言った。


 小さな展示ではあったが、エマヌエルが一枚ずつ立ち止まってしげしげと眺めていたために、全て見終わる頃には結構な時間が経っていた。
 物販で、エマヌエルはポストカードを数枚買い求める。自分用と、元妻用と、娘用だそうだ。ギャラリーを出てから、彼は言った。
「まー、変わりないって言うか、順調そうで何よりだよ。安心した」
「せやねぇ。俺のお師匠さんが、窓口してくれはってるおかげもあるな」
 顔を出さずに済んでいるので、魔性の美貌が招く厄介事からは距離を置けている。静かに日々を生きている。今日、彼を誘った理由の一つには、心配性のエマヌエルにそれを見せる目的もあった。

 ヴァージルが死ぬまで、自分の人生は、随分とかまびすしく、また激動であった。その後も何もなかったわけではないが、随分と静かになってしまったような気がする。厄介事は避けたかった筈なのに、常識的に考えて一番厄介だった筈のヴァージルを求めてしまった。その「厄介」がいなくなってしまったら、後の時間など静かな物だ。こうして静かなまま終わるのだろうと典は思っている。エマヌエルは新しい恋の一つや二つしたって構いやしないとは言うが、そんな激動がまた来るとは到底思えなかった。

「そう言えば、ラミレスさんはどのポスカ買ってくれはったん?」
「やっぱこれかなぁ。なかなか衝撃的だったね」
 エマヌエルは紙袋から一枚取り出して典に見せた。喇叭水仙の花畑。自分と典の、共通の記憶。
「娘と妻には別の花買った」
「おおきに」

 エマヌエルは大事にポストカードをしまい込む。

 この写真が、百年の後にも残ると言うことを、今はまだ誰も知らない。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
こんにちは三田村です。ご発注ありがとうございました。
CLヴァージルがエマヌエル枠では? というのは私も思っていたところだったりします。
今まで色々あったからこそ、残りの時間は穏やかに過ごして欲しいとも思います。
またご縁がありましたらよろしくお願いします。
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三田村 薫 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年03月02日

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