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『思い出は褪せない光』
桃簾la0911


 桃簾(la0911)が、故郷に帰るための支度をしていたある日のことである。マンション自室のリビングに、大容量スーツケースを広げて荷造りを行なっていた。既に書斎と寝室の私物も粗方片付いており、初めてこの部屋に入った時と近い風景になっていた。それを思う度に、少しの寂寥感を覚える。自分はもう、ここからいなくなるのだ。この建物からも、この世界からも。戻って来ることはないだろう。壁には、帰還に際して着用する予定の婚礼衣装がハンガーで掛けられている。

「……ふう」
 それでも、荷造りに没頭すると、その寂しさは少し紛れた。しばらくの作業の後、桃簾は息を吐く。何せ、持ち帰るものが多いので、スーツケースへ詰めるのも一苦労なのだ。頭も力も使う。そんな彼女の傍らを、二匹の猫が元気良く駆け抜ける。依頼でもらい受けた猫たちだ。桃簾がライセンサーになってから、比較的早い内に受けた依頼でのことだ。あれから、もう二年になる。元の飼い主は高齢だった。元気であれば良いと思う。今も、これからも。
「二匹とも、カロスに慣れてくれると良いのですけれど」
 リビングの空いたスペースでじゃれ合っている二匹を見ながら微笑む。当日はキャリーバッグで運ばれるが、ぶっつけ本番と言うわけにも行かないので、既に練習で何度か入っていた。最初の内は警戒しているようだったが、徐々に慣れてきていると思う。問題なく移動できるだろう。

 荷造りを再開した。義弟夫婦から贈られたトイピアノを膝に乗せる。鍵盤を軽く鳴らすと、聞き慣れたものよりも高く、小さな音が耳に届いた。その愛らしい音に、嬉しげな微笑みを浮かべると、道中で壊れぬよう丁寧に包んだ。職人が再現できるかもしれない、と言う義弟の言葉が、彼女の胸に一つの希望をもたらしている。皆も弾いてくれれば良い。ピアノを弾くことはとても楽しく、誰かの為に演奏する行いもまた良いものだから。カロスに戻ったら、あの曲を皆に聴かせたい。

 ハーブの種の説明書き。袋の裏には日本地図が描かれていて、気候ごとの蒔き時が記されていた。カロスと似たような気候の地域を参考にすれば良いだろう。移動中に袋が破損すると困る。別の袋に入れて、比較的動きの影響がなさそうなところへしまい込んだ。
 世界のスイーツについてのものを始めとした、本数冊。この世界で食べたことのあるものもいくつか。この菓子は故郷のあの人が好きそう。こっちは……ぱらぱらめくるだけのつもりが、いつしか没頭してしまっていた。
「皆に食べさせたいですね……」
 初めて食べた時の感動を、皆にも感じて欲しい。夢想している内に、時計の針が思ったより進んでいる。
「と、つい読みふけってしまいました」
 片付けや荷造りの最中にはよくあることだ。苦笑しつつ、傷まないように丁寧に詰める。

 地球でのアイスと言えば……先日、アイス教の広報担当と遊園地に行った際に買った、揃いのキーホルダー。遊園地のオフィシャルキャラクターがぶら下がっている。その帰る道すがらに、彼から貰った鍵付きのアルバムも。広報として撮り溜めていた写真をプリントして、その中に入れてくれたとのことだ。どれも覚えがある。これはあの人と、こっちはあの友人と、そしてこれは当の広報と行った海の家で……。
「色々なアイスを食べましたね。楽しかった」
 アイスを広めたい。その思いの根底では、アイスが楽しい気持ちと結びついているのかもしれない。故郷に帰る理由の一つに、領民の暮らしを安寧とすることがある桃簾らしいと言えるだろう。本来、他者の幸せを願う心がある。その他者とは親しい者だけではない。時として、敬意を払う敵に、戦闘の回避を提案することもあるほど。お互いの為の最善を尽くす。それが桃簾という人の在り方だった。

 聖典杖を眺める。先端の筒を回すと、鈴の音が響いた。幾度も戦場で聞いた音。アイス教徒と、ライセンサー。桃簾の二つの顔、その両方で活躍した杖だった。
「EXISでなくなれば持ち帰れるでしょうか」
 なお、筒に刻まれている言葉はカロスの言葉なので、それがアイス礼賛の言葉であることがわかる者は、地球ではなかなかいない(予想はつくかもしれないが)。桃簾はそちらもついつい読んでしまう。アイスがいかに素晴らしいか。そうしている内に、再び桃簾の中でアイスへの愛が膨らんでいく。
「やはり、なんとしてでもカロスでアイスを作らねば」
 拳を固めて、決意を新たにした。広報担当も言っていたではないか。桃簾がアイスを幸せそうに食べているところを見せるのが一番の布教だと。写真もそうだが、生で見せるのも布教活動の一環になる。そこでこの杖を鳴らすのだ。音に惹かれた人々は、そこにアイス礼賛の言葉を見るだろう。アイスを讃えよ、と。

 握りしめた右手、その中指には、温泉街で親友と買ったお揃いの指輪が光っている。同じデザインで、でも少し石の配置が違うもの。花の名前で結ばれた、けれどそれぞれが個性を持っていた三人に相応しい。
 方舟を導いたカンテラの様に、桃簾の行き先を照らしてくれる。彼女たちの行き先も。そう感じるのは石の言い伝えだけによらず、親友たちと揃いだから。

 そんな、思い出の品々を目の前にして、これまでにあったことを噛みしめる。
「転移したときは、よもやこのようなことになるとは思っていませんでした」
 故郷にいたときには、想像もしなかった経験がたくさんできた。アイスと出会った。戦う力を得た。友達もできた。それは桃簾に力を与えてくれた。心を支える力だ。
 少し寂しいけれど、泣いたりはしない。これまでも、これからも。
 皆との思い出を胸の宝石として、故郷で頑張ろうと思う。離れていても友達だから。

 物思いにふけっていると、猫たちが寄ってきた。構ってほしいらしい。彼女は我に返ると振り返り、大きな瞳でこちらを見ている猫たちの姿に頬を緩めた。
「ふふ、良いですよ。荷造りも全部終わっていませんから、少しだけですよ」
 この住み慣れた部屋で、こうしていられるのもあと少し。桃簾は猫たちのおもちゃを取ろうと、立ち上がった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
こんにちは三田村です。ご発注ありがとうございました。
「皆との思い出を胸の宝石として」と言うフレーズがめちゃくちゃ好きです。月日が経っても褪せない光ですね。
桃簾さんは献身的な人だな、と言うことを感じました。
またご縁がありましたらよろしくお願いします。
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三田村 薫 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年03月02日

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