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『月朧』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790


 結び目を少し横にずらしたまとめ髪に、そっ、と、楓の簪を挿す。



 母が言っていた。

『不知火の男は皆ポンコツよ。……何故? 何故ですって? 私の旧家を見てご覧なさい。あなたの曾祖母が如何に偉大であったか! 御負けで言うなれば、現当主である桜餅中毒の統率力が如何に優れているか! それに比べ、不知火の血筋の者は(以下略』

 天上天下唯我独尊の母が発する言葉は、些か語弊があるように聞こえるかもしれない。だが、母は昔から臆せず直球を投げる人で、又、それをしっかり受け止める父がいるからこそ、母は何時だって偽りなく自由なのだ。
 その素直さに、どれほど羨望したことか。

 以前、二人で使いに出た帰り道、母がこんなことを言っていた。

『いい? 楓。女として生まれたからには、我が儘でありなさい。身勝手な振る舞いは、あなたのなりたいものなのよ。そんなあなたを真正面から見て、受け入れてくれる男を選びなさい』

 当時は、相変わらず個性が強いことを言う人だな、という印象ぐらいしか湧かなかった。だが、“今”ならわかる。



 フラワーティントリップの透明なヴェールで、唇に紅緋の花を咲かせた。



 思い返せばつくづく懐かしい。

 生きとし生ける者、役目を持ち、果たす為に生まれてきたのだとしたら、彼女は間違いなくそうであった。彼の肉体も、心も、未来も、明ける日の全てを支える夜陰の月。だからこそ、決して交わることのない隔たりは、自らの“女々しさ”を殺してくれた。
 しかし、誠意を尽くせば尽くすほど、長い月日を経て築いてきた想いは、どうしようもないほど欺けなくなっていた。
 
 彼を守る為なら幾らでも傷を負おう。それは紛れもない誠だ。しかし、彼を残してこの世を去ることは許されなかった。許されるはずもなかった。何時からだろう。終わりが訪れた時、唯、覚えていて欲しかったという願いは、彼の背中ではなく傍らに寄り添い、共に生きていきたいという欲へと変化していた。
 
 自らの命が潰えようと、彼の記憶の中で永遠となれるのなら――そんな想いは、月の露へと消えていった。

『想いが強ければ強いほど恐れを感じたり、大人になるからこそ躊躇することも増えるでしょう。けれど、妥協しては駄目よ。あなたは私と、私が一生をかけて愛する男の娘なの。折り合いをつけた幸せを選ぶようなことがあったら、承知しませんからね』

 一度限りの永遠を知っている母が言うことだからこそ、娘である彼女――不知火 楓(la2790)は、この胸の苦しみが愛おしいほどに生きるのを感じていた。

「……“君の為に死ぬ事が出来なかった過去を悔やむのは止めると誓おう。僕は君の傍で生きていきたい”」



 紫根染の濃紫に舞い躍る青楓と紅楓の着物を、細い肩へと纏い――



「何だよ、まるで愛の告白みたいだな……って――ん?」
「どうかしたかい?」
「なあ、前にもこんなことあったよな」
「へえ? デジャブかな」
「いや、そんなんじゃ――」
「そんなんじゃ?」
「……ねぇよ」
「おや」
「お前、わざと言ったろ」
「藪から棒だね。何のことだい?」
「何が藪だよ。お前の“蛇”、引っ張り出すぞ」
「ふふ。引っ張り出されて都合が悪くなるのは君の方だと思うけど。ねえ? 若様」
「……ったく」
「……」
「……」
「ねえ、仙火」
「何だよ」
「いい加減、こちらを見てくれないかな」

 御空には朧月夜。
 対して、足が地には不知火の邸。
 縁側に佇む京行灯。
 灯の火に揺らめく藤と月。心の火にさんざめく、雲雀と玉兎――。

「全く……。“わざと”はどちらの方だろうね?」

 楓の漏らした吐息が小夜風に絡み、

「いい加減、“私”を見てほしいな」

 不知火 仙火(la2785)の息が、熱を呑む。

「君の色に染めた私を、その真紅の瞳で閉じ込めてよ」

 品と艶を兼ね備えた垂れ目の双眸がそう切望すると、目許を仄かに赧らめていた幼馴染みの横顔が、出し抜かれたばつの悪さを眉間に刻んだ。

「お前ってやつぁ……歯の浮くような台詞を平然と言いやがって。今はこっちの番だろうが」

 楓は一瞬、視界の端でこぼれ落ちた梅の花弁に目線を奪われていたが、ふ、と、彼の面へ意識を戻す。そのひとつの瞬きの間、燃えるような紅い光が、楓の両の瞳を真っ直ぐに見据えていた。



 とくん。



 深く、しっとりと。けれど、ぱっと咲くような華やかさは、まるで鳳仙花だ。

「――綺麗だ、楓。やっぱりお前は俺の、俺だけの女神だな」

 それは、“調和”の女神の為だけに花めく“燃えるような愛”。

「とんぼ玉の一本簪、小学生の時に俺が贈ったやつだろ? ガキの頃のセンスも馬鹿に出来ねぇな……マジで似合ってる。まあ、あの頃からお前は綺麗だったからな。縁側で昼寝してる姿なんて、まるで眠り姫でよ」

 仙火の骨ばった掌が楓の左頬を通り過ぎ、簪のガラス玉に閉じ込めていた想いを慈しむかのように、指の背で彩りの秋月を撫ぜる。部屋で紫陽花の香を焚いていたのだろうか、黒檀染めの袖からは、仄かに優しい香りがした。

「そういや、六歳……か、七歳の時ぐらいだったか。覚えてるか? 腹ごなしに二人で稽古しようってなった時によ」

 引かれていく彼の手を、視線で名残惜しげに追いながら、楓は「……ああ、何時もの裏山で?」と、仙火の言葉を促す。

「おう。一勝一敗一引き分け、次の勝負で決めるぞ――って時の小休止。傍の茂みで野苺を見つけたじゃねぇか」
「あー……そう言えばあったね。丁度時期で食べ頃だったし、喉も渇いていたからつい」
「すげぇ食ったよな」
「食べたね」
「で、二人並んで昼寝しちまって」
「寝たね」
「夕暮れ時になっても帰って来ねぇ俺達を迎えに来た父さんと姫叔父が、その場で一騎討ちを始めちまって」
「ああ……確か稽古の末、私達が共倒れをしたと勘違いしたんだよね」
「で、何故か俺達に代わって勝負を着けようとして」
「結局、痺れを切らした母様達が迎えにきて……雷が落ちたんだったね」
「父さん達にな」
「あの時の母様、未だに覚えているよ。『私の喝をなくして貴方が勝てると思っているの!?』って。え、そっち? って幼いながらに思ったよ」
「まあ……あれだ。お互い、エキセントリックな親を持ったよな」
「まあね。と言うか……え? これって何の話?」

 彼への意識からふと我に返った楓は話を引き戻すが、きっかけの糸は宙ぶらりんだ。

「寝冷えしたせいで、翌日二人揃って風邪をひいたねってこと?」
「違ぇよ! 苺だよ! 野苺食った話!」
「ああ……うん」
「……」
「……美味しかったね?」

 一向に理解を灯さないその表情に、仙火の眉が、ぴく、と、跳ね上がる。

「仙火?」
「そうだな。じゃあ、“食わせろ”よ」

 仙火は唇の端を一瞬歪めると、楓の細い腰を強く腕に抱き寄せ、短く息を呑む彼女の唇に口づけをした。昨夜の穏やかで優しいそれとは異なる、鋭い意思を帯びた熱。目を見張る楓の睫毛が小刻みに揺れ、胸を打つ熱い鼓動に吐息が漏れる。その吐息すらも絡めるように、角度を傾けた熱がもう一度楓の唇を強くふさいだ後、夜風に攫われたのは二人の温んだ吐息であった。
 楓の瞳が、僅かな戸惑いと慣れない恥じらいで艶に濡れる。火照る頬、高鳴る想い。楓がどうしようもなく彼を仰ぐと、仙火は自身の唇に薄く色付いた楓の紅をぺろりと舐め――

「何だ、甘くねぇのか」

 まるで、幼児のように目を丸くしていた。

「(……ん?)」

 奇妙な温度差と、逃避する熱。
 楓が物問う視線を注いでいると、仙火が「ああ」と、悪びれた様子もなく応える。

「野苺食った時に唇が赤くなったろ? その時の色にそっくりだったからよ、美味そうだなって」

 きょとんとする楓とは対照的に、仙火は次第に唇を綻ばせた。

「……口紅、引いてくれたんだよな。俺達の日常の、何気ない幸せの色――俺の目にはそう映ってよ。なんつーか、嬉しかったんだ」

 語尾にそうはにかむと、幼馴染みは後頭部をわしゃわしゃと掻いた。
 彼の言葉に、愛情に呼応するように、楓の心はあたたかみに満ちていく。

 日常はするりと過ぎ去るからこそ日常で。だからこそ、何気なさの中に隠れた幸せは実に貴いもの。花が咲き、風が唄い、薫りが芽吹き、空へ舞う――その当たり前の力すら、あなたと一緒ならこの上ない倖せ。

「……ねぇ、仙火」
「おう」
「何時の日か訪れる未来より、日常が日常である今が、私にとっては何より大切なんだ」
「ああ」
「だから、今は……現在(いま)だけは――」
「楓」
「……ん」
「俺は、お前が好きだ」
「……」
「お前だけが、俺の唯一の暁月なんだ」
「……うん」
「それに、な。明ける日が、月と一緒に沈んだっていいじゃねぇか」
「え……?」

 仙火を見返した双眸を楓は僅かに細くし、理解しかねる様に首を傾げる。しかし、彼は受答を返してはくれなかった。唯――

「俺の心も、命も、楓だけのものなんだ。忘れんじゃねぇぞ。……な?」

 独白するかのように、仙火は笑った。その表情がどうしようもないほど忍びなく、楓は見守ることしか出来なかった。
 軈て、何かを吹っ切るような唐突さで、仙火に「月見酒でもするか」とこざっぱりと言われ、楓は瞳を丸くした。

 ……ああ。
 …………嗚呼。

「(全く……私の幼馴染み君は)」

 堪らなく、可笑しくなる。

「着物については何も言ってくれないのかい?」
「そいつぁ……酒が来てから」
「ふふ。まぁ、構わないけどね。月にばかり見とれないでよ?」
「わかってるよ」
「あと、飲んでも呑まれるな、だからね」
「ん」
「さて……じゃあ、とっておきの日本酒でも開けようか」

 機嫌に弾ませた足取りで、楓が内廊下へ折れていく。その姿が見えなくなるや、仙火は弱り果てたように長い溜め息をついた。耳まで熱くなった頬へ、手風を送る。

 ……ああ。
 …………嗚呼。

「……綺麗な月だな」





 見上げる月は美しくも、この心は既に、溺れていた。




━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お世話になっております、ライターの愁水です。
仙火くんと楓ちゃんの恋人ノベル、お届け致します。

シーンはどちらにするか迷いに迷いましたが、楓ちゃんが“私”を取り戻した内容にさせて頂きました。取り戻した……と言いますか、改めて目覚めたのは彼の方だったのかもしれません。
簪、口紅、着物――。仙火くんが籠めた、楓ちゃんへのひとつひとつの想い。当方なりの解釈で書かせて頂いた部分も多かったのですが、如何でしたでしょうか?(着物について本文で敢えて伏せさせて頂いたのは、仙火くんの意地でもあったりします。最後にひとり零した台詞をご参照下さい←)

お二人にとって大切なひとときのご依頼、誠にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2021年03月02日

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