▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『桜の先』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785

「満開だな」
 不知火 仙火(la2785)は目を細め、咲きこぼれた桜の薄紅を見やる。
「はい。毎日じりじり待ち続けただけの意味がありましたね」
 となりに並んだ日暮 さくら(la2809)もまた、視界を満たす薄紅の揺らぎに目を奪われた。
 不知火邸からほど近い川縁に並ぶ染井吉野。それが満開になる日、花見をしようと示し合わせていたふたりである。雨がちな天気が続いてそこそこ待たされたのだが、ようやくその日を迎えることができた。
 そも、染井吉野はふたりの母――異なる世界に生まれた同一存在を象徴するものだ。実はどちらも父親似である仙火とさくらだが、やはり母を映した花には思い入れがあるものだし、特にさくらは名としてつけられてもいる。

 私は今なお蕾んだ八重の桜なのでしょうし、そのことで焦ることはもうしないつもりなのですけれど、でも。
 焦ることなく、しかし一日も早く咲きたい。そう願うようになりました。

 薄紅に写る母へ語りかけたさくらは笑み、手の内の風呂敷包みを抱え直して、
「さ、敷物を敷いてください。見とれるのは落ち着いてからゆっくりとでいいでしょう」
「だな」
 仙火は片手で手早くシートを拡げ、その四隅へ重石代わりの一升瓶を計四本、一本ずつ置いた。
「まさか、全部飲むつもりではありませんよね?」
「さすがにそこまで笊じゃねえよ」
 さくらから包みを受け取って中央へ据え、仙火は苦笑する。そして心得顔で仙火の斜め前にさくらが座すのを見て、言葉を継いだ。
「甘口から辛口まで、おすすめを見繕ってきた。ひと口ずつ試して、好きな味があったら教えてくれ」
 今日は花見。花見に酒は欠かせない。仙火としては必然の思考だ。
 ただし、相方のさくらの酒の弱さは正しく理解している。だからこそ「ひと口ずつ」と言うわけだが、300ミリや750ミリの小瓶ならぬ一升瓶を4本も抱えてきてしまうあたり、酒好きの業というものなのだろう。
 誕生日に使ったぐい飲みではなく、猪口を渡されたさくらはやれやれと息をつく。
「では、それぞれのお酒の特性は聞かずにいただきます。そのほうが公正な判断ができるでしょうから」
「承知」

 今朝方満開になったばかりの桜だが、それでもわずかずつ、はらはらと花弁が舞い落ちる。
「桜は本当に、徒なるものですね」
 咲いてすぐ散る桜にものの儚さを見た先人は、「徒桜」なる例えを生み出し、士道の象徴としたものだ。
 さくらもまた士として幾多の戦場を駆け抜けてきたが――散り落ちることなく、こうして“あわれ”を噛み締めている。
 不思議なものですね。本当に。
「桜は散るのがいいんだろうけどよ」
 唐突にさくらの肩を抱き寄せ、仙火は顰め面で言った。
「俺は散らねえ。だから安心して見とけ」
 さくらが桜ばかり見ているのがおもしろくなかったらしい。そんな仙火の子どもめいた心情を察したさくらは笑ってしまわずにいられない。
 仙火もずいぶんと成長したはずなのに、遭ったばかりの頃の捻くれた腑抜けどころか、幼ない男子のようですよ。
 ただ、さくらにしても、恋路については大人の女になりきれてはいない……それはもう幼い女子のような有様だ。口づけるだけで相当な覚悟と決意をしなければならないなど、同世代の女子からすれば信じがたいことだろう。

 いえ、初心なだけなら仙火に任せておけばいいのですが。
 問題は、初心なくせに容易く覚悟と決意をする場へ踏み込みたがる私です。

 愛しい相手に触れられることと同じほど、触れることはうれしくて。ならばもう少し落ち着ければいいのだが、生来の固さはなかなかに解けてくれないのだ。
 少しずつ解けていければいいのですが……仙火のためにも、私自身のためにも。
 仙火の腕に我が身を預け、つと仙火の顰め面を見上げれば、彼は決まり悪げに、しかしうれしげに笑みを返してきた。
「あんま見られっと、減るぞ?」
 そんな照れ隠しの拙さにまた微笑し、さくらは猪口へ注がれたひと口分の酒を舐める。
 軸の太い甘みから立ち上るフルーティーな香。舌触りは重いのだが、嫌な感じはまるでなかった。言うなれば料理の供ならぬ宴の主役となろうか。酒好きが魅入られそうな酒である。
 と、思ったところで包みのことを思い出した。
「箸を使わず片手で食べられるものを用意してきました」
 言いながら風呂敷を解いて重箱の蓋を開けると――
「大福か?」
 打ち粉を打たれた白く丸い餅が、ずらりと居並んでいた。
 甘党ならずとも、酒の肴に甘味を嗜む者は一定以上の数存在する。菓子作りに長けたさくらだから、そういうつもりかと仙火は思ったのだが。
「おひとつどうぞ」
 促され、ひとつ口に入れてみて、目を見開いた。
「!」
 餡に当たるものばかりと思い込んでいたのに、そうではなかったのだ。
 そう。餅の中に詰まっていたものは、きんぴら牛蒡。通常よりも強く甘辛い味をつけられたきんぴらが、餅の噛み応えの中、しゃくりと小気味よい歯触りを響かせる。
「きんぴら餅と言うそうです。――おむすびを結んでは餅ばかり拵えていたあの頃を思い出して、作ってみたくなりました」
 出遭ったばかりの頃、さくらの料理の腕はなかなかに酷かった。強火で全力、そればかりを押し通し、おかげで仙火は餅状のおむすびを、男気で平らげたものだ。
「うまい」
 心から告げ、仙火はもうひとつきんぴら餅を頬張った。
 俺は大して変わっちゃいないが、さくらは変わった。剣士としても、人としても。前は“固いおかげで強い”だけだったのに、今は名品級の刀みてえに鋭くて強靱だ。
「そりゃ惚れるよな」
 思わず口にして、仙火はあわてて付け加えた。
「餅の話じゃねえぞ。俺がさくらに惚れるのは当然だって、そういうことだから勘違いすんなよ」
「話がまるで見えませんけれど、仙火に惚れてもらえる私であること」
 さくらは面を傾げて仙火をまっすぐ見、
「なによりうれしく思います」
 薄紅に彩づく頬を笑ませた。
 何度見ても飽きることない、何度見直しても胸躍らせずにいられない、最愛の女の笑顔。
 仙火はたまらずさくらを抱きしめ、ささやく。
「うれしく思ってくれるおまえが、俺はなによりうれしいんだよ」
 少しぎこちなく体を預けてきたさくらを潰してしまわぬよう注意して、仙火は苛々と言葉を継いだ。
「あー、悔しいな。言わなきゃ伝わらないってのが家訓だってのに、俺が言えんのはこんな野暮なことばっかでよ。もっとこう、さくらに染みる名台詞が言えたら」
「以前も言いましたが、そうした誠実さと実直さこそが仙火の美徳ですよ」
 言わなければ伝わらないは、日暮家でも常々子へ言い聞かされる教えである。でも、言葉にしきれない想いは確かに在るのだ。恋人を甘やかに褒めてやりたいのに、こんなことしか言ってやれないさくらが今、体現しているように。
 それでも。
「修練を積んでいけば、いつか心に言葉も追いつくでしょう」
 仙火は父の血により、人を超えた寿命を備えている。それは祝いならぬ呪いとして彼を苛んできたものだが。
「私も共に努めます。同じ時間をかけ、同じ道を行く共連れとして、相方として、妻として」
 さくらが母の血により、長寿を得ていたことが知れたのはつい最近のことだ。そのときさくらはとまどい、そして安堵した。縁を結んだすべての者を見送らねばならぬ仙火を、自分だけは残して逝かずに済むのだと、そう思えたから。
「私だけが長く生きる身の上だったなら、狂い果てて自刃していたかもしれません。でも私には仙火がいてくれました」
 仙火はまたきんぴら餅を口にして、味わいと共に思いを噛み締めた。
「俺がさくらに感じてるのと同じくらい、安心してもらえてるといいんだけどな」
 一応は歳上で、だからこそ精いっぱいさくらを護り慈しんでいるつもりだ。しかしながら、いくら努めようと足りているとは思えなかったし、相当に空回りしている自覚もあるのだ。
「俺はまだまだ未熟だけど、いつまでもそれを言い訳にしたくねえ。でもまあ、下手に焦って考え込んだって、それこそ休むのと変わんねえんだよな」
 新しい酒を開けてさくらの猪口へ注ぎ、促す。
 飲んでみると最初に甘みが立ち、するする舌の上を滑りゆく中で隠れていた香がこぼれ出て、甘みを鮮やかに飾った。こうしてみると、先の酒は濃密な甘さの奥に酸味が立っていたが、これにはあのような“棘”がない。
 ああ、そんなことを考えている内に、もう喉を滑り落ちてしまった。惜しい気持ちでもう一度猪口を傾げれば、内の酒はあっさりと消え失せる。
 先日飲んだ淡麗辛口かと思ったが、違う。絹さながらの口当たりと華やかな甘さ、初の出逢いである。
「まだ全部いただいたわけではありませんけど、私はこれが好きです」
「じゃあ、今日はこのまま淡麗甘口で行くか」
 淡麗甘口。飲み口のよさと甘さを併せ持つ酒だ。
 ちなみに仙火は今日、日本酒を分類する四種を携えてきていた。最初に出したのが濃厚で甘い濃醇甘口。そして今出したものが淡麗甘口で、開けなかった2本が先日さくらに贈った淡麗辛口と、甘みを抑えて旨みを強く押し出した濃醇辛口である。
「なんでしょう。飲みきってしまうのが惜しいのに、もっと味わいたくなるこの感じ……桜のようなお酒です」
「桜か」
 さくらの言葉を聞いてから飲めば、鼻の奥に桜の香がかすめ、仙火をほろりと酔いしれさせた。まだまだ酒飲みとしちゃひよっこもいいとこだってのに、こんなこと悟っちまうかよ。
「さくらと飲む酒は旨いって、この前は思ったんだ。それはもちろん変わらねえんだけど」
 ああ、間違いねえ。
「さくらが桜みたいだって言っただけで、この酒は俺にとっても“桜の酒”になっちまった。いろんなもんがあって、いろいろ影響もされて俺は変わってきたけど――俺を変えるいちばんは、さくらだ」
 さくらから与えられたものを糧に、仙火は大きく変わる。この桜の風情を帯びた酒と甘くない餅のように、彼女が日々与えてくれるなにかが、彼を次の彼へと導くのだ。
 と。
「私を変えるいちばんは、仙火です」
 さくらもまた仙火へ言う。
 酒ばかりの話ではない。頑なに尖ってばかりいた彼女に居場所を、戦う意味を、背を預ける背をくれたのは仙火だ。その上深い愛までもを惜しみなく。
「私は変わりました。まだ、ほんの少しのことかもしれませんけれど……仙火がいてくれなければ、私はきっと、この世界であなたと対したときのままの小娘でした」
 返したい。
 ただひとつでもいいから、この与えるばかりの男へ、与えられてきたばかりの女から。
「私があなたと共に在ります。命尽きるまで、叶うなら命尽きた後にまでも共に次へ向かい――ずっとずっとずっと、共に」
 今返せるものは言葉だけ。ならばせめて、隠すことなくまっすぐ差し出そう。
「返事は、しばらく待ってもらえるか?」
 仙火は困り切った顔でさくらを押しとどめ、髪を掻く。
「今の俺には、おまえの本気に返せるだけの言葉がねえ。修練積んで、いつか心が言葉に追いついたら、そのときちゃんと応えるからよ」
 やっと言い切った仙火は大きく息を吐き、酒を呷った。
「勘違いすんなよ。気持ちはちゃんとあるんだからな。未熟が祟ってうまく言えねえってだけで。待ってろよ、その内おまえのこと、感動と感謝と感慨で泣かしてやっから」
 なかなかに情けないことを長々語っているし、すでになかなかのボキャブラリーを持ち合わせているようにも思うが、ともあれだ。
「ええ、気長に待っていますから」
 あらためて仙火の腕の内へ収まり、さくらは応えた。
 と、いつも感じてきたぎこちなさはまるでなく、それこそ淡麗甘口の酒のようにするりと入り込めたことに驚く。
 そういえば、剣の振り方を覚えたときもこんな感じでしたね。できなくてできなくてできなくて、あるとき突然、できるようになって。
 なんでしょう……私は結局、仙火にくっつくコツを掴めていなかっただけですか。尖っているとか頑なとか、それ以前の話ではないですか。不器用にも程があります。
 でも。
 焦らずに変わっていきましょう。仙火がくれる全部をこの心身へ染ませて少しずつ。
 そう。互いに多くの課題を抱える身の上だが、それを解いていくに充分な時間がふたりにはあるのだから。
 さくらは仙火と共に桜を見やり、心を定めた。


パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年03月04日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.