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『ふたり、始める』
珠興 若葉la3805)&珠興 凪la3804

 珠興 凪(la3804)と皆月 若葉(la3805)の自宅一階……昨日までは資材置き場さながらだった空間を見やり、大きく息を吐いた。
「決めてた通りにいかないもんだなぁ」
 次いでうんと伸びをし、苦笑する若葉。
 ひとつひとつ吟味して買い揃えてきた調度品は当然、ふたりの思っていた通りの質と風情を備えていたのだが。問題は、取りつけ工事が終わった大窓。光の入り方が想定と異なっていたため調度の配置も変更せざるを得ず、ふたりが共に納得できるレイアウトを確定させるまでに一週間を費やすこととなったのだ。
「でも想定以上だよ」
 問題の窓を見やり、凪はうなずいた。
 大窓は風光を縁取り、映し出す。客は思い思いの席でくつろぎつつ、この裏通りの四季の有り様を存分に楽しむことができよう。
 ちなみにふたりが特にオススメしたいのは、春から夏へ移ろう頃――店先を爽やかな青で飾り立てる紫陽花だ。
「やっと、ここまで来たね」
 若葉の言葉に凪も「うん」、万感押し詰めたひと言を返す。

 ふたりでいつか喫茶店をやろう。
 そう決めたのはいつのことだったろうか? ふたりでいっしょに暮らし始めてから? 思いを通い合わせて恋仲となった頃? 不思議なほど感覚の合う友だちだと認め合ったあたり? それとも、出逢ったその瞬間?
 思い出せないのはきっと、ふたりにとってその夢が当然見るべきものであり、絶対叶えるべきものだったからなのだろう。

「本当にもうすぐだ」
 凪はカウンターに置いていた小さな看板を取りあげた。
 そこに書かれた店名は『Leaves cafe』。
 店名候補には所属小隊の名を冠した『喫茶 白椿』等もあったのだが、凪のひと言がそれを止めた。
『白椿を譲り受けるのもいいんだけど、僕たちの大切な場所を表わす名前だから――僕は若葉の“葉”をもらいたいんだ。『喫茶 葉』、『Cafe葉』、それとも……』
 当然、若葉は『ちょっと待って! だったら凪の“凪”も入れようよ!』と抵抗はしたのだ。しかし凪は笑みを深めてこう語る。
『この夢は、若葉がいてくれなくちゃ見ることすらできなかった。若葉が僕にこの夢をくれて、連れてきてくれたんだよ』
 そんな若葉への感謝と敬意を表わしたい。
 凪の心にそれ以上抗うことはできず、若葉も覚悟を決めてうなずいたのだった。
『ただし! これだけはちゃんと憶えといてよ。俺ががんばれたのは凪が夢を見てくれたからなんだって。これまでもだけど、これからはもっともっともっと、ふたりじゃなきゃだめなんだからさ!』
 凪の夢だからこそ、自分は全力でいっしょに見ることができた。そしてふたりの夢になったからこそ、これから叶え続けていける。それだけは忘れないし、忘れてほしくない。
 若葉の意を察した凪は、目を閉じてうなずいた。
『うん。ふたりで行こう。これからの先に』


 カウンターの上へ立て掛けた看板に見守られながら、若葉はノートに向かい、凪は火にかけたふたつのサイフォンと向き合っていた。
 凪が抽出しているのは店の主力となるブレンド2種類。充分に焦がして苦みとコクを引きだしたフルシティーロースト(中深煎り)と、豆本来の風味を味わわせるアメリカンロースト(浅煎り)だ。
 そしてサイフォンは、抽出時の湯温が他の方式よりも高いため、香りがよく立つ。豆の油分を吸わずに通し、味わいをそのままカップへ移すネルドリップを凪が採用しなかったのはそのためである。……飲む前からもうおいしい。友人がくれたひと言が忘れられなかったことも大きいのだが。
 でも、楽しんでもらいたいものが味だけじゃないのは本当だからね。
 凪は店の一角に飾った小隊エンブレムと、そのまわりに置かれた小隊の面々を写した写真へ目を向けた。あれらは自分たちの“これまで”を記す思い出だ。そしてそれは、“これから”が重ねられるにつれ数を増していくのだろう。
「アメリカンって書いちゃうと誤解されそうだよなぁ」
 と、メニュー表への表記案を書き連ねていた若葉は唸る。
 日本では未だ薄く量の多いコーヒーだと思われがちなアメリカンだが、実際は煎りが浅い豆を使うため、むしろ豆の必要量は深煎り以上かもしれない。しかも煎りの深さで味を均一化できないし、そもそも煎る前に十二分な水抜きをしておかなければ渋くて飲めたものではなくなる。非常に手間がかかる一杯なのだ。
「フルシティーも、そのまま注釈つけたら濃くて苦いだけのコーヒーだって誤解されそうだね」
 凪も眉を困らせ、考え込んだが……淹れてみたフルシティーブレンドを口にして、ぽつり。
「苦みとコクを生かせる芯の強さ。若葉みたいだ」
 アメリカンブレンドを味わっていた若葉が、こちらもぽつりと、
「やわらかくて甘みがあるんだけど、酸味が利いてて切れ味もいい。凪っぽいよな」
 ふたりは顔を見合わせ、てれてれと赤らんで。
「そう言ってもらえると照れちゃうけど。でも、フルシティーは『葉ブレンド』がいいと思う。いちばん注文が入るだろう主力メニューだし、お店の名前にちなんでわかりやすくしてもおきたいから」
「照れるっての、こっちのセリフだから! じゃあアメリカンのほうは『凪ブレンド』で! ……俺の名前ばっかりついてるのもちょっとアレだし。それにやっぱり、実は淹れるのすごいめんどくさいんだっての隠して笑ってる感じの奥ゆかしさ、凪だなぁって思うから」
 無意識に凪をもうひと照れさせておいて、若葉はノートにふたつのブレンドの名を記した。

「紅茶は、ストレート用にダージリンとキーマン、ミルクティー用にウバと……ラプサンスーチョンは抑えたいんだけど」
 と、凪が言い淀んだラプサンスーチョン、なかなかに難しいものがある。
 なぜなら茶葉を松のチップならぬ薪で燻製したこの紅茶、香りがまさに、日本で有名な胃腸薬のあれなのだ。
「あれかー」
 若葉も眉をひそめる。あの燻製香は、慣れればクセになるものなのだが、日本ではほぼほぼ馴染みがなく、売れない可能性は高い。
「でも、逆に売りになるかも。紅茶好きの人なら試してみたいって思うだろうし、ラプサンスーチョンのミルクティーってケーキと合うんだよなぁ」
 若葉の言葉に凪はうなずいた。
 アメリカンブレンドを用意したのは、「コーヒーは苦みばかりを楽しむものではない」からこそ。ならば紅茶とてさまざまな味わいを楽しめるべきだ。
「うちでは基本、軟水を使うつもりだったけど、硬水も用意しよう。ラプサンスーチョンにはそっちのほうがよく合うし、硬水なら他の茶葉をブラックティーにも仕立てられるから」
 コーヒー豆が煎りで変わるように、茶葉は水で変わる。同じ茶を二種類味わえたなら、楽しみも二倍になるわけだ。
 思考を高速回転させ始めた凪へ「ミネラルウォーター買ってくる!」と言い置き、若葉は店を飛び出した。急がば回れと云うものだが、今は思い立ったが吉日。回ってなどいられない。

「うまい!」
 ラプサンスーチョンミルクティーと共にナポレオンパイを味わい、若葉は満足気に息をついた。
 ナポレオンパイはカスタードクリームと生クリームを混ぜ合わせたクレーム・ディプロマート、そして苺をふんだんに使った菓子である。
 苺好きな友人からのリクエストでメニューに加えることになったのだが、この濃厚な甘さはラプサンスーチョンの強い香りに負けず、それどころか互いを引き立て合っていた。
「コーヒーにもよく合う」
 新たに淹れたフルシティーブレンド改め葉ブレンドとの相性を確かめ、凪も笑みをこぼした。
 ただ合うだけでなく、最後に苺の酸味が茶とパイのこってりした旨味を洗い流し、すっきりさせてくれるのが実にいい。これは店の定番になってくれそうだ。
「問題は、値段なんだよね」
 材料費がかかる上、専用の冷蔵庫を必要とするケーキ類は、どうしても値段を高くせざるをえない。ブレンドとストレートティーの値段を500Gに抑えたい凪としては、かなりの悩みどころである。
「学生からしたら、500Gだって大金だもんなぁ」
 メインターゲットは癒やしと美味を求める社会人だが、逃げ込む場所を探して来た若者へも、穏やかな非日常を提供したいのがふたりの共通した願いだ。そのために学割を採用する手もあるのだが。
「安直なサービスって、結局お互いのためにならなかったりするんだよな」
 若葉がしみじみと言う。
 安値をつければそればかりを目当てにした者ばかりが集まり、本当にこの店を必要とする者を追い出してしまう。さらにそのことで困窮した店は維持ができなくなり、潰れるよりなくなるわけだ。
「安く抑えられて、お茶一杯でそれなり以上に満足もできるもの……」
 悩む凪だったが――ふと思いついて、顔を上げた。
「どら焼き」
 あ。若葉もまた思い至った顔を凪と合わせ、
「どら焼き風ってことにすればホットケーキと同じ生地、使えるよな? 餡子と生クリームで濃旨(こいうま)にして! いやそれより茶に合わせて中身ちょっと変えるのもアリ?」
「うん。アメリカンじゃなくて凪ブレンドとか紅茶なら、ホイップクリームで軽くしたり――餡バタもいいかも」
 ホットケーキよりもサイズを小さくできるし枚数も必要ないから、値段もそれだけ抑えられる。セットで750、いや700Gまで下げられるだろうか。
 それ以外にも、半端に余った焼き菓子をいくつかセットにして“おまかせ”を作ってみようか。なにが出せるかわからない代わり安価にできるし、当たりが出るかも知れない期待感を上乗せられる。
「……だんだん何屋さんかわからなくなってきたけど」
 苦笑した凪に、ノートへ「どら焼き」と書きつけ注釈を添えながら若葉が返す。
「俺たちは誰かの味方でいよう。少しでもたくさんの誰かの味方でさ」
 いつかこの店で、子ども食堂をやりたい。
 心と体を冷やしてしまった子どもたちにあたたかな食事を振る舞い、彼らが明日へ進んでいくための手助けをしたいのだ。
 お人好しを自認する若葉と守りたがりを自認する凪だからこその、夢の先の夢。

 にゃあ。

 入るよ。とでもいうようにひと鳴き、二階の住居から店へ入ってきたのは愛猫だ。一応、敬称の“さん”まで含めてが本名……という認識がふたりの間にある。
 その猫はふたりに目もくれずに大窓へ向かい、縁へ登ったかと思いきや、器用に寝そべった。
「窓の側に猫草も置くべき?」
 若葉の問いに凪は神妙な顔でうなずき、
「うちの看板猫だしね。ご要望いただく前にご用意させていただかないと」
 ふたりは笑みを交わし、ひとつ息をついた。
「お客さんのご要望にはできるだけ応えていきたいな。食堂なんかでもあるだろ。食べたいものがあったら作りますから言ってくださいって」
 もちろん、喫茶店という場にある素材は限りがあるので、食堂ほどの融通は利かせられないだろうが、それでもだ。
「どれだけできるかわかんないし、目配り、気配り、心配り。もちろん俺が完璧にできるなんて言えないんだけどさ」
 友人が教えてくれた大切な三つの“配り”を思い出し、若葉は右手を強く握り込む。
「僕も、きりがないってあきらめるのは、できることを全部してからにしたい」
 若葉の拳を両手で包み、凪は祈るように言葉を継いだ。
「それにね。目と気と心を配って、ひとりでも多くの誰かの味方になりたいって願える若葉のことが、僕はなにより誇らしくて愛しいから」
 なにより誇らしくて愛しい若葉の意気を、僕が支えていっしょに実現していきたいんだ。心の内で唱える。そして。
「ここは一等地じゃないし、僕たちはまだ未熟だけど、でも。思いだけはいっぱいに込めて始めよう。――若葉とふたりなら、僕はその先にだって行ける」
 若葉はまっすぐ凪を見つめ返し、力を込めて応えた。
「凪の一杯は本物だよ。最初はそれに頼りっきりになっちゃうかもしれないけど、俺も気持ちだけで終わらないから。凪といっしょなら、俺はどこまでだって行けるんだ」

 開店日まであと少し。どんな“誰か”と出会えるものかを思いながら、凪と若葉は心を重ねて同じ先を見やる。
「あ、白椿のふたりにプレオープンの招待状出さなきゃ! せっかくだし俺、直接届けに行くよ」
「だったらクッキーもいっしょに。試食もお願いしたいから」
 ふたりはあらためて意気込み、急いで用意を始めるのだ。


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2021年03月04日

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