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『いつもみたいに笑っていよう』
柞原 典la3876


 一つ前の生で柞原 典(la3876)の人生を生きた男は、出張先のアメリカで、ヴァージル(lz0103)が地獄から出てきたと思しき警察官と出会った。これはもうアプローチするしかない。人生を跨いだ片想いを実らせることができなくても、せめて好きな人の傍にいたい。
 その思いから、アメリカ支社への転勤願いを出し、半年後にアメリカ勤務が決まった。両親は可愛い息子の転勤に寂しがり、とんこつラーメンが恋しくなったら帰ってくるようにと言って送り出した。アメリカにもとんこつラーメンの店があるらしいと言う情報は事前に得ている典だった。麺の茹で具合もちゃんと博多仕様なのだろうか。紅しょうがや高菜のトッピングはできるのか。いや、我慢だ。どうせ盆暮れ正月には帰ってくるんだから。

「何だお前、最近よく会うな」
 転勤してしばらく、ヴァージルを見掛ける度に挨拶をしていると、彼はある日そんなことを言った。典は気に掛けてもらったことが嬉しく、
「俺、アメリカ支社に転勤になってん。よろしゅうに」
「ああ、気を付けろよ」
「……! 気を付ける!」
 ウキウキしながら出勤していた。


 典はヴァージルが毎朝立ち寄るコーヒーショップを突き止めていた。ただし、典が勤める会社から、電車で二駅手前だ。どうにかして会えないだろうか。そこで、彼は考えた。
「途中下車したらええんや」
 ウキウキしながら毎朝途中下車、ヴァージルが来店したら挨拶して去って行く、と言う事をしている。
「幹事さんおはよう」
「あ、おはよう。今日は会えたの?」
 地蔵坂 千紘(lz0095)が、自分もコーヒーを飲みながら振り返る。前の人生とまったく変わっていないのですぐにわかった。
「会えた」
 典はにこにこしながら頷く。毎朝、今日は会えなかっただとか、今日は挨拶を返してくれただとか、そう言うことを報告している。千紘もコイバナには興味があるのか、毎朝その報告を楽しみにしている節があるようだ。表情がくるくる変わる自分を面白がられているようにも思うが……。
「付き合ってとか言わないの?」
「……顔見て声聞けたらええねん」
 やはり同性だからと言う理由で拒まれるのは怖い。そんな恋心ゆえの臆病さと、生きているヴァージルの傍にいられるのが嬉しい、と言う事で、典は関係を進めることについてはそこまで貪欲ではない。
「へー、何それ可愛いじゃん」
 千紘はニヤニヤしている。
「でもさぁ、そのままアタックしたら案外行けるんじゃないの?」
「もー、期待させんといて!」
 典は千紘の肩をぺしぺしと叩きながら席に就いた。


 ヴァージルは慌てて出て行く典を見送ってから、店主のグスターヴァス(lz0124)にコーヒーを注文した。
「いつもの」
「コナコーヒーでしたっけ?」
「ブレンドだよ。覚えてねぇなら『いつものって言ってください!』とか言うな」
 目に光のない店主は「てへぺろ」などと言いながらコーヒーを準備する。カップを差し出されたヴァージルは、
「あいつ、何でいつも慌てて出て行くんだ」
「会社が二駅先なんだそうです」
「それじゃ、どうしてここで飲んでいくんだ?」
「私の事が好きなんじゃないですか? それは冗談ですけど、あなたに会いに来てんですよ。だから、あなたがあと五分早起きしてあげれば良いと思いますよ」
「何で俺が?」
「慌てて転んだら可哀想じゃないですか」
 警察官の良心に訴えられる。ヴァージルはむすっとして支払いをすると、カップに口を付けながら店を出た。

 コーヒーを啜りながら、ポケットに入れている写真を取り出す。昔のモノクロ写真家の作品で、一面に花開く喇叭水仙を写した物だ。呼ばれたような気がして衝動買いしたもので、なんとなく持ち歩いている。
(初恋の人が兄さんそっくりなんやけど、どうしたらええと思う?)
 典のあの言葉が蘇る。喇叭水仙の花言葉の一つには「報われぬ恋」と言う物があるのだそうだ。あれを聞いた時、不意にこの写真のことが思い浮かんだ。何の根拠もないが、その恋は報われなかったのだろうと思う。

 それから数日後の朝、典がコーヒーショップに赴くと、
「よう」
「ひょえっ!?」
 ヴァージルが仏頂面で声を掛けて来た。典はぽかん、と彼の顔を見上げてしまう。しかし、すぐにぱっと顔を輝かせ、
「おはよう!」
 元気良く挨拶を返した。それからそわそわして、
「今日早いん? 何か事件とかあったん?」
「守秘義務だ。あばよ」
「……またな!」
 さっさと出て行ってしまうヴァージルの背中に手を振る。典はウキウキしながらコーヒーを買うと、そのテンションで出勤し、千紘に「元気じゃん。良いことあったんだ」と言われるのだった。


 典は町中で会っても手を振って挨拶を続けた。警察官の相方に、恐らくエマヌエル・ラミレス(lz0144)であろう、メキシコ系の青年がいる。彼の方は典を早い内に気に入ったらしく、よく構った。その雑談の中で、典がヴァージルを想うことはすぐにエマヌエルの知るところになる。
「どこが好きなの?」
「えー、どこやろ。なんやかんや、俺のこと構ってくれるとこかなぁ。兄さん、恋人とかおるん?」
「兄貴につきっきりで恋愛どころじゃねぇよ、あいつは」
「お兄さんおるの?」
「双子の兄さんでそっくりだよ。同じ顔なのにブラコンなんだよな」
「ははあ」
 故人か。典は納得した。
「誰がブラコンだって? 個人情報ベラベラ喋ってんじゃねぇよ」
 買い物から戻って来たヴァージルが眉間に皺を寄せている。エマヌエルはニヤニヤしながら、
「お前から兄貴取ったら何が残るんだよ」
 典は思わず吹き出した。

「健気だねぇ。もう少し愛想よくしてやればいいのに」
 典と別れてから、助手席に乗り込んで、シートベルトを締めるエマヌエルがニヤニヤしながら言う。ヴァージルは肩を竦め、
「初恋の奴が俺に似てるんだと。別人なんだから思うようにいくわけねぇんだよ」
「まー、そう言うところから始まる恋もあるんじゃねぇの? 前向きに考えても良いと思うけどね。関係なんて切れるときに切れるから」
「お前も大概ドライだよな……」
 ヴァージルは苦笑しながら、パトカーを発進させた。

 後日、非番の日に兄と買い物に出掛けたヴァージルは、こちらに向かってくる足音に覚えがあったが、わざと無視をした。
「やっぱり兄さんや」
 案の定、声の主は典で、それは明らかに自分に向いていた。驚いた兄が振り返り、お友達? と自分に聞いてくる。ヴァージルは観念して振り返った。目をきらきらさせた典がこちらを見ている。
「よくわかったな」
 こんなお友達がいたんだね、と言う兄に対して、典は、
「はい、柞原典言います。よろしゅうに」
 ぺこ、と頭を下げる。こちらこそ、弟をよろしく、と言う兄に、
「別にお友達でも何でもねぇから。行くぞ兄貴。お前は気を付けて歩けよ」
「兄さんもな」
「うっせ」
 兄を促してその場を離れた。
(それにしても、ほんとよく俺と兄貴の見分けがついたなあいつ)
 昔から、見分けがつかないとよく言われた物だ。ヴァージルが兄に寄せた、と言うのもなくはない。思えば、この兄に対する執着じみた慕情も不思議なものである。小さい頃からそうだった、と言われるので、何かがあったわけではない、と思うが……。


 なんてことを繰り返していたある日、典がコーヒーショップに来なくなった。一日二日ではなく、それが二週間も続いたものだから、グスターヴァスはしきりに心配し、
「火星人に連れて行かれたのかもしれません」
「どうしますか、洗脳されてアイドルになってたら……」
「実は暗殺者で招集がかかり、もう戻って来ないとかだったら……」
 などとヴァージルに訴える。
「お前のそのわけわかんねぇ発想がどうしようだよ。飽きたんだろ」
「そうかなぁ、はい。キリマンジャロです」
「ブレンドだって言ってんだろ……ブレンドじゃねぇか……」
 コーヒーを飲みながらも、何故か典の事だけが頭の片隅に残っていた。

「おい」
 地蔵坂千紘は、昼食の帰りに呼び止められて振り返った。目つきの悪い金髪の警察官がこっちにやってくる。
「何? 別に悪いことした覚えはないんだけど」
「お前、典と一緒にいた奴だよな」
「は?」
 最近彼と外に出たっけ……? 結構前にお昼食べたくらいだけど……ああ、そう言えばあの人、最近出勤してないからな。そこで、相手の素性にもピンと来た。
「もしかして、あなたがヴァージル?」
「そうだよ。あいつ、俺のことそんなにベラベラ喋ってんのか?」
 こいつ、雑談する同僚もいないのか? 千紘は呆れかえりながらも、
「それより、典くんのこと聞きたくて声掛けたんじゃないの?」
「あいつ最近見ないけど、どうしたんだよ。日本に帰ったのか?」
「え? あー、えっとね、会社で階段から落ちた人庇って足折った」
「は?」
「は? じゃねぇよ。もっと心配しなよ。だから、今おうちからリモート勤務なんだよね。パトロールのついでに見てきたら?」
 千紘は手帳のページを一枚破ると、住所を書き付けた。
「彼には僕から言っておくから。じゃ、よろしくねおまわりさん」
「おい、ちょっと待て、なんで俺が……」
 聞こえないふりをして、千紘は端末から典に、「部長がそっち行くかも」とだけメッセージを送った。

「おい、ちょっと待て、なんで俺が……」
 ヴァージルは千紘を呼び戻そうとしたが、既に彼は遠く……数十分後、ヴァージルは渡された住所にいた。インターフォンを鳴らす。同僚の個人情報を、そんなほいほい渡して大丈夫なのかあのモブ。
『はい』
「警察です」
『え? はーい』
 中から慌てた様子の足音がする。すぐにドアが開いた。チェーン越しに、眼鏡を掛けて松葉杖を突いた典が見える。それでなくても驚いた様な顔が、ヴァージルを見て更に驚き、転び掛けた。
「兄さん!」
「モブみてぇなお前の同僚に言われて来ただけだ」
「ほんまに!? 地蔵坂さん、部長やって言うてたのに……! もう、サプライズするところちゃうやん……ま、ええか。上がって上がって」


 やりかけの仕事があるから、と言って、ヴァージルを座らせると、典は真剣な顔で仕事を始めた。ものすごく仕事が溜まっている様子はない。リモートでは勝手が違うだろうが、会社員としては優秀な様だ。
(仕事が出来て顔も良くモテそうなのに、なんで俺なんか構うんだろうな、こいつ)
 やがて、仕事を終えると、典はコーヒーを淹れ始めた。
「俺、珈琲淹れるのは結構上手いんよ」
「その『初恋の人』って奴がコーヒー好きだったのか?」
「他飲んどるの、見たことないから。せやからたくさん練習したんよ」
「似てても俺は初恋相手じゃないぞ」
 前から思っていた。初恋の人によく似ていると言われたが、本人ではない。すると、典は少しもじもじしていたが、やがて意を決したように、
「違うけど、そうで……作り話や思うかもしれへんけど」
 前世の記憶がある、と彼はコーヒーを差し出しながら言った。
「あー、悩みがあるなら、カウンセリング紹介しようか?」
「そーゆーのとちゃうの! で、あんたはその時の初恋の人の生まれ変わりや」
「俺を巻き込むなよ……」
「だって、初めて会うた時、兄さん昔と同じこと言うたんや。それに」
 典は人懐っこく微笑んだ。
「ずっと見てて、やっぱり今のあんたが好き」
「そりゃどうも」
「嫌やないの?」
 そう尋ねられて、ヴァージルは不思議と拒絶感のない自分に驚いてもいた。普通なら、何らかの勧誘と思って即座に席を立ったに違いない。
「……テーブルひっくり返すほどじゃねぇな」
 コーヒーは美味かった。


 典の足も完治し、またいつものように街角で会えば挨拶をする日々が戻って来た。ヴァージルも徐々に挨拶を返すようになる。別に、前世云々を信じたわけではないが、無視するのも警察官らしくない。

 そんなある日、警察官らしい仕事──窃盗犯の追跡をするハメになった。幸いにも足には自信がある。歩道を追い掛けた。窃盗犯の先に、見覚えのある顔を見てヴァージルは息を呑む。典だ。窃盗犯は、ぼーっと歩いている様に見える彼を格好の人質と見たのか、ナイフを向けた。人質にするつもりか。ヴァージルは即座に銃を抜いた。撃ち殺すことだけは抵抗があったが、最悪の展開は覚悟しなくてはならない。
 しかし、次の瞬間、窃盗犯が宙を舞った。歩道に放り出される。何が起こったか、ヴァージルも一瞬理解できなかったが、どうやら典が投げ飛ばしたらしい。彼は窃盗犯を押さえ込みながら、
「兄さん! 現行犯逮捕!」
「あ、ああ」
 典が無邪気に呼ぶ。ヴァージルは手錠を掛けた。追いついたエマヌエルがパトカーに引っ張っていく。
「助かったけど、無茶すんなよ」
「あれくらい平気やて」
「銃持ってたらどうすんだよ! 日本じゃねぇんだぞ!」
 自分でもわからないまま、声が大きくなった。日本はアメリカに比べて遥かに銃規制が厳しいとは聞いている。だから銃の脅威が身近ではないのだろうが……アメリカで働くなら、もう少し警戒をした方が良いに決まっているのだ。
 ヴァージルの厳しい声音に打たれた様に、典は身を竦めた。
「かんにん……」
 しゅん、と肩を落とす。


 それから、ヴァージルは少しだけ典のことを気に掛けるようになった。典もそれが嬉しくて、できるだけ危なっかしく見えることは止めておこう、と思いながら日々を過ごしている。

 その日は、朝からヴァージルもエマヌエルも忙しそうにしていた。何か事件があったのかな、と思いつつ、挨拶だけして会社に向かう。千紘と夕食を食べて別れ、駅のホームで電車を待っていた時だった。端末が震える。着信だった。
 エマヌエルだ。連絡先は交換したが、今まで電話なんて……。
「もしもし? どうしはったの?」
『典か? 良いか、落ち着いてよく聞いてくれ』
 落ち着けと言う、当のエマヌエルの声が切羽詰まっていた。嫌な予感がする。
『ヴァージルが撃たれた』

 病院に駆けつけると、廊下のソファに座っていたエマヌエルが出迎えた。
「兄さんは……」
「お前も青い顔してんな……急所は外れたが、撃たれるってのはそれだけで結構な負傷だからな」
「会える……?」
 エマヌエルはちらりと病室を見る。
「家族のみ可だ」
 それからわざとらしく、
「家族の中ではお前が真っ先に来ると思ったよ」
 背中を叩かれて、典は病室に飛び込んだ。

 怪我人が起きないようにするためか、病室内は電灯が消されていた。窓から月明かりだけが入っている。青白い光に照らされた顔は、同じような色に見えた。例えるならば、死者の相貌。典はベッドに近寄り、手を取る。
「またおらんようになるのは、嫌や……」
 声が震えた。あの痛みが、遠い記憶の向こうから急速に迫ってくる。昔は流れなかった涙が、今では望まなくても溢れた。眠っているヴァージルの胸にひしと縋って、彼は泣いた。


 誰かが泣いている。兄かエマヌエルかと思ったが、違った。典だった。ヴァージルを失うことへの恐怖を、途切れ途切れに溢している。
「……」
 夢で断片的に、地獄のような場所を見た。その景色を自分は知っている。典の言うとおり前世と言う物があるのなら、きっと自分は相当悪いことをしたのだろう、と思う。その自分のどこを気に入ったのかは知らないが、典は地獄でも自分のことを慕っていた。
 真っ直ぐ嬉しそうにそうするのが不思議だった。そんな感情を向けられるのは初めてで。そんな時間を過ごす内に、少し気持ちが傾いたかもしれない、ということを躊躇いがちに伝えた。
 それを聞くと、相手は幸せそうに、それは綺麗に笑って。
 そこから先はメモリ切れの様に途切れている。
 恋を貫けるほど、地獄は甘くないのだろう。
 じゃあなんで今回もう一度引き合わせたりしたんだ。いるのかどうかも知らない神様に問いかけるが、当然返事はない。
「つかさ」
 口の中はカラカラに乾いていた。しわがれた声で、格好がつかない。典が弾かれた様に顔を上げる。白目は充血して真っ赤だった。不安のせいか、眉間に皺が寄っている。
 自分の知らない所で、彼は泣いたのだろうか。

 恋を貫けるほど、地獄は甘くないのだろう。
 じゃあなんで今回もう一度引き合わせたりしたんだ。いるのかどうかも知らない神様が黙っているのは、もうヴァージルの中に答えがあるから。
 記憶がなくとも、典の魂が地獄での別れを覚えているのなら。その時に、自分の気持ちが彼に傾いたのであるならば。
 運命はあるのかもしれない。
「そんな顔すんなよ」
 相手の涙をそっと拭ってやる。鎮痛剤が効いているのか、はたまた彼に全て注意を持って行かれているのか、不思議と傷は痛まなかった。片手を頬に添える。
「いつもみたいに笑ってくれよ」
 震える唇に顔を寄せた。

 百年越しの口付けで、ようやくスタートラインに立てるのだろう。ここから先は、きっと二人で歩く道。
 人類が恋と呼び習わした関係をここから始めよう。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
こんにちは三田村です。ご発注ありがとうございました。
人間に生まれたヴァージルは案外良い彼氏になる……と良いなと思いました。エルゴマンサーよりちょっとマメそうな。割と奴からいちゃいちゃを仕掛けそうな。空想のお供にどうぞ。本編、CL、来世と三つの世界で典さんの笑顔をせがんだヴァージルです。
たくさんありがとうございました! どうぞお元気で。
またご縁がありましたらよろしくお願いします。
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2021年03月04日

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