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『続く、ふたり』
珠興 若葉la3805)&珠興 凪la3804)&ルシエラ・ル・アヴィシニアla3427)&ラシェル・ル・アヴィシニアla3428

 扉を開けば、それは程よい重みをもって間を作り、訪れた“ふたり”の心に準備をさせる。この向こうには、今自分が在る通りとは異なる場が待っているのだと。
 定番のドアベルは存在しない。“彼”の目配りは場の隅々にまで行き届いており、音を鳴らす必要はないからだ。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
 いつもは元気に跳ねる声音をやさしく落ち着かせ、彼はふたりを促した。言い置いて奥へ引いたのは、席選びを急かさぬため。
「師から見た弟子の出来はどうだ?」
 訪れたふたりの内のひとりであるラシェル・ル・アヴィシニア(la3428)が薄笑みを傾げてもうひとり――妹のルシエラ・ル・アヴィシニア(la3427)へ問えば、彼女はふむと鼻を鳴らし。
「かろうじて合格だの。でも奥に引く足が速すぎて、目に障るの」
 ラシェルはかすかに眉根を上げる。驚いたのだ。妹が、出だしから及第点をつけたことへ。
 なるほど、彼はあれから相当に修練を積んできたらしい。ラシェルはひとつうなずき、場を見渡した。
 やさしい光に浮き彫られた、限りなく穏やかな空間。充分な間を空けて配置された座席と座席の間にはさりげなく衝立や植物が配置され、それぞれの席から他の席が見えないよう工夫されている。そして黒檀と思しき一枚板で作られたテーブルはふたり掛けの席でも充分な広さがあり、茶や軽食を楽しむ以外にもあれこれと使えそうだ。
「ここにしよう」
 ラシェルが選んだのは、大窓の前にあるソファ席。窓が場を象徴するものであり、だからこそここが特等席であると察すればこそだ。

 Leaves cafe。
 珠興 凪(la3804)がキッチンを、皆月 若葉(la3805)がホールを担当するこの喫茶店は、彼らの夢の到達点であり、この先もずっと見続けていこうという、夢の開始点。
 プレオープン――と言ってもオープン当日の三時間前なのだが――に招かれたふたりだけの客であるラシェルとルシエラは、若葉と凪のかけがえない友であり、小隊【白椿】の得がたい同僚で、今日に限って言えば店の仕上がりをチェックする監査員である。

 絶妙のタイミングで注文を取りに来た若葉へふたりは告げた。
「俺はカレーライスを。食後に凪ブレンドとどら焼きのセットも頼む」
「私はラプサンスーチョンミルクティーとナポレオンパイ……どら焼きもだの!」
 ルシエラがかなり悩んだ末、追加のどら焼きを頼んでしまったのも当然だろう。喫茶店らしからぬメニューには凪の熟慮が込められているはず。ならば味わわなければ。
 ふたりと目線を合わせるため膝を折り、注文を書き留めた若葉は内容を復唱し、一礼。ふたりに背を見せぬよう体を捌いて厨房へ向かった。

「カレー1、食後にNブレDセット1。RミルクとNパイセット1、D1」
 レシートと若葉の報告でダブルチェックした凪は「了解だよ」。すぐに準備を開始したのだが……いつの間にか、手の速度が落ちている。迷うはずのない手順につまずいて、思考が淀む。
 僕、緊張してる? そうか。そうだよね。お客さんはかけがえない友だちだけど、ほんとにおいしいものを知ってる人たちだし……
 と。
「凪」
 声をかけられ、振り向けたその頬に、若葉の指がふにりと食い込んで。
「大丈夫! 凪の腕はすごいんだから!」
 若葉は顔いっぱい笑ませてサムズアップ!
 凪もつられて笑みを返し、いつしか押し詰まっていた息を吹き抜いた。
 僕がなにか思い詰めてるとき、若葉はいつもこうして引き上げてくれる。
 ゼロからのスタート、緊張するのは当然だ。でも、若葉がいっしょにいてくれて、支えてくれる。だからもう大丈夫。
「僕を大丈夫にしてくれる若葉のほうがすごい」
 体温を取り戻した指先でコゼーをかけたティーポットへ触れ、ジャンピングが終わりかけていることを確かめた凪は一気に加速。すべての用意を調え、若葉へと送り出した。
「お願い」
「任せて」

 運ばれてきたカレーライスをひと口頬張ったラシェルはそのままもう一杯頼みかけ、あわてて口をつぐんだ。そしてしっかり味わった後、あらためてルシエラへ告げる。
「ルシも頼むべきだ。今すぐに」
 スパイシーでありながらまろやかで、全体で言えば欧風なのにどこか和の風情もあって、ひと言でまとめるならうまい。和食の出汁が利いている? いや、欧風だからフォンか?
 が、ルシエラはルシエラで、それどころではなかったのだ。
「ラシェルも今すぐ、ラプサンスーチョンミルクティーを追加するべきだ。これはすごい」
 強い燻製香を心地よく包み込むミルクの強さ。まちがいなくジャージーミルク。なのにこのくどさのない切れは……ああ、悩むまでもない。水が硬いのだ。先に出された水は軟水だったのに、こちらは硬水で淹れられている。
 それからこのナポレオンパイ! さくさくのパイ生地は、中にたっぷり詰め込まれたとろとろのクレーム・ディプロマートを楽しむための最高の“台”だ。しかも普通は上に生クリームを添えるものだが、こちらはさらにクレーム・ディプロマートを追加してあって、本当にもうクレーム尽くし――と言いたいところだが、ふんだんに散らされた苺の爽やかな酸味が「とろり」と「さくり」を最後に引き締める。この、とろさくきりりの組み合わせ、文字通りの三位一体である。
 なんて説明はどうでもいい! ただただおいしい!
 ついつい足先を躍らせるルシエラの向かい、なかなかのスピードでカレーを平らげたラシェルへ、絶妙な間を置いてコーヒーとどら焼きのセットが供された。
「ああ」
 まずコーヒーを飲んで、ラシェルは思わずため息を漏らしてしまった。
 色味の薄さに反して豊かに立つ香りは、淹れる際の湯温を高くしているからでもあろうが、焙煎を浅く留めることで染み出る豆本来の香りだ。妹の言に「飲む前からもうおいしい」というものがあったが、まさにそれである。そして実際に飲んでみれば、淡い苦みと酸味をまとった香りが爆ぜ、口腔をいっぱいに満たす。
 次いで、示し合わせたわけではなかったが、ルシエラと同時にどら焼きを食べれば、かるくなめらかなホイップクリームと漉し餡が押し出されてきて、ふわりとやわらかな生地を鮮やかに飾り立てた。
「ブレンドの味わいに障らないためのホイップクリームと漉し餡か」
「え? 私のは生クリームと粒餡だの?」
 ラシェルのそれとは中身の違う、ルシエラのどら焼き。しかし兄のコーヒーと自分のミルクティーの“濃さ”を考えれば答は明白だ。濃いミルクティーに負けない味と存在感を成すため、このどら焼きの中身は変えられている。
 あっと言う間にどら焼きを平らげたふたりは、ソファの背もたれに身を投げ出し、窓の外を見やった。
 植えられた草木によってコントロールされた光は目に障ることなく、艶やかな風光ばかりをふたりへ届けて……心は浮き立ったまま鎮まりゆく。
「最悪だな」
 ぽつりと言ったラシェルにルシエラは大きくうなずき、
「最悪だの」
 ふたりは顔を見合わせ、ため息をついた。
「この時間が、たった3時間で強制終了させられるとは」
「最低でも半日は欲しかったの」
 共に苦笑して、茶を味わう。
 もう少し和んだら立ち上がり、店主ふたりへ文句をつけに行こう。しかしその前にあと一杯ずつ茶を頼みたい。
「ブラックティーで楽しむならキーマンか。だがオータムナル(冬摘みのダージリン)はこの時期を逃すと次の冬までお預けだしな」
「トラジャにするべきか、葉ブレンドにするべきか、それともウバでミルクティーの飲み比べをするべきか……悩ましいの」


 結局、ふたりが凪と若葉へ文句をつけるために席を立ったのは1時間以上後のことで、グランドオープンが30分前にまで差し迫ってからのことだった。
「味は申し分ないを遙かに超えてすばらしい。前にも言ったが、詩心を備えて生まれ出でなかったことを深く悔いるばかりだ」
 凪に告げ、降参の握手を求めるラシェル。
「最初はちょっと急ぎすぎていたが、後に行くほど落ち着いて目配り、気配り、心配りができていたの。特にお客さんがいない席も常々チェックできていたのは言うことなしだの」
 こちらは礼儀作法の師匠として、ルシエラは若葉に好評を贈った。
「ふたりが目ざした居心地のよさも十二分に実現できていたしな。ただしだ」
「グランドオープン当日じゃなく、その前に丸一日味わわせてほしかったの」
 文句を付け加えることも忘れずに。
「それはほんとにごめん。食材の都合があったから」
 凪は眉を困らせてあやまったが、ケーキを始め、次の日に持ち越せない生物は多いのだ。
「まあ、俺たちが夕食に食べきれないくらい余っちゃう可能性もあるんだけど」
 兄妹をなだめつつ、若葉は力なく笑う。
 ここは街の動線から外れた裏通りだし、できる限り宣伝はしたものの、いちばん馴染みの多いSALFではあえてそれを避けてきた。友の情にすがらなければならないようでは、自分たちの夢を叶えられるはずがないから。
 ラシェルは大げさに肩をすくめてみせ、やれやれ。
「報酬にカレーを取り置いておいてくれと言えない自分の生真面目さが恨めしくなるが……まあ、これも友の務めとあきらめるか」
 ルシエラも同じくやれやれとかぶりを振って言い足すのだ。
「猫の手が務まるかわからないが、洗い場を手伝うの。閉店後のまかないに期待するの」
 凪と若葉は顔を見合わせ、右と左に首を傾げた。
 兄妹が手伝うと言ってくれているのはわかるのだが、どうしてそこまでこの店を高く評価し、意気込んでくれるものかがまるでわからない。それにだ。
「せっかく手伝ってくれるんだったらさ、ホールのほうにも回ってよ。ルシエラは俺の師匠だし、ラシェルもそういうの得意だろ?」
 若葉の疑問に、ルシエラが答える。
「店員じゃない私たちが、店員面をしてお客さんの前に立つのは仁義にもとるだろう? このお店は凪と若葉のふたり――と猫さんで営んでいくものなんだからの」
 言われてみれば当然のことだ。ルシエラやラシェルは見目麗しく、礼節と作法を非常に高いレベルで身につけている。ホールに立てば客の目を惹きつけ、話題を呼ぶだろう。
 が、今日を限りにいなくなる手伝いが人気になってしまえば、それ目当てで訪れた客を酷く落胆させ、店の味や雰囲気を楽しんでもらえなくなる。
「そういうことだ。それと、俺たちはフードにも手は出せんぞ。調理師の免許を持っていないこともあるが、下手に手伝おうとして凪のセンスや技を穢すのは不本意だ」
 腕をまくりながらラシェルが言った。
 実際、料理は作るばかりのものではない。カレーライスひとつ取ってみても、ライスとルーの配分、含める具の量や盛りつけ……実に多くの要素が含まれる。そしてそれを店の品として出す権利と資格を持つ者は、凪以外にいはしないのだ。
 凪と若葉は顔を見合わせ、強くうなずき合った。
「若葉」
「凪」
 互いの名を呼ぶ声音は鋭く引き締まっていたが、引き絞られた緊張の気配はなかった。
 不思議なほど落ち着いている。浮ついていたものが全部すとんと体の奥に落ちて、据わった感じ。
 そうなれば、あとはもうやり始めてやり抜いてやり終えるだけだ。
「楽しんでいこう!」
「了解! って、心配なんてしてないけど。だって俺たちは“大丈夫”だから!」
 かくてLeaves cafeはグランドオープンする。


 ふと足を止めた彼女はドアの脇に出されたマーカーボードを見て、ここが今日オープンした喫茶店であることを知った。
 そしてオープンの報せよりも大きな文字で書きつけられた、気まぐれに猫が顔を出すこともあるとの注意を見て、決める。おすすめに紅茶が入っているのは自信があるからだろう。紅茶好き兼猫好きとしては試すしかない。
 雰囲気は実にいい。誰かに見られることなく、大窓からの景色も楽しめて、落ち着く。
 が、注文したストレートのキーマンを口に含んだ瞬間、ぶっ飛ばされて。
 渋みはないのに芯の太い、まさに茶葉のうまみが口腔を満たし、喉の奥へと流れ落ちていく。しかし惜しんでいる暇はなかった。次いで開いた芳香のせいで。
 キーマンの香りは蘭に例えられるものだが、これほど甘やかに円熟した蘭香を感じられたのは初めてだ。そも、キーマンは春から夏にかけて収穫されるもの。超特級にランクされる葉を使っているのか? いや、冬を抜けきっていない今の時期に残っているはずがないし、あったとしてもこの値段で出せるものか。
 ああ、だめだ、ひとりで納得しているだけでは満足できない。友だちを呼んでこの感動を共有しよう、今すぐに!

「オーダー、スコサンセット1」
 若葉から託されたオーダーへ即かかりつつ、凪は盛りつけを終えたカレーライスをふたつ、カウンターへ押し出した。
「お願い」
 席を言い添える必要はない。若葉は客の顔とその注文、提供順のすべてを記憶しているからだ。
「コーヒーを注文した客はカレーの注文率が高い。必然だな」
 下げられてきた皿やカップをていねいに洗いながら、ラシェルはしみじみつぶやいた。
 コーヒーとカレーは竹馬の友さながらの間柄だ。というか、試すつもりでこの店のコーヒーを飲んで、それだけで出て行けるような者はなかなかいまい。
 徐々に増えつつある客。その半数以上がすでに席へついている者と合流していく様を確かめ、ルシエラは満足気に息をつく。
「お客さんがお客さんを呼んでいるようだの。これから本格的に忙しくなるぞ」
 スポンジへ新たな洗剤を吸わせ、兄妹は気合を入れ直す。皿やカップの数が限られている以上、それを切らさず提供し続けることが洗い場の任務だ。故郷では叔父たちの店を手伝っていたふたりは、為すべきことを正しく弁えていた。
 ――と、レジで代金を払いつつ、若葉へ興奮気味に感想を述べていた客が、背伸びしてカウンターの奥にいる凪へおいしかった、また来ますと告げた。
「ありがとうございます。お近くを通りかかっていただいた際にはぜひ、お気軽にお立ち寄りください」
 ドアの外までその客を見送った若葉が、抑えきれない小走りで駆け戻ってきて凪と笑みを交わし、すぐさまホールへ戻っていった。
 彼の背を見送った凪は、拳を握り締めて、よし。
「次も同じように「また来たい」って言ってもらえるように、僕もがんばらないとね」
 火にかけられていたサイフォン、そのフラスコから漏斗へ湯が押し上がり、中細挽きにしたコーヒー豆を包んだ瞬間に立ち上る芳香。その香に惹かれた客があわててメニューを開く様を確かめることなく、凪は真摯にオーダーと向き合うのだった。


 用意していたケーキやカレーは綺麗に売り切れ、残された炭水化物はパンの耳のみという有様だったが……それを円形にロールしてフレンチトーストに仕立てたものをまかないに、4人は閉店後の店内でようやく顔を合わせて息をつく。
「女性人気は断然紅茶だったな。お客さんの数も女性多めだし、サンドイッチとスコーンのセット、もうちょっと用意しときたいかも」
 若葉の報告に、ラシェルが重々しく添える。
「明日からはわからんぞ。ひとり客は男性が圧倒的だ。男性はコーヒーを好むし、ここと決めれば通ってくれる者が多い。……コールドコーヒーとカレーの仕込みはぜひ、増やすべきだ」
 どこか恨みがましさをにおわせた兄の言葉に苦笑して、ルシエラはたっぷりとメープルシロップをかけた耳ロールフレンチトーストをぱくり。
「これもすごくおいしいの。ほかのフードが売り切れた後の限定メニューにしたら、お客さんも喜ぶだろうの」
「それ、いいアイデアかも」
 開店前にラシェルが飲み損ねたキーマンのブラックティーを淹れてやりながら、凪は兄妹へ礼を言う。
「今日は本当にありがとう。明日からふたりがいないんだって思うとちょっと寂しいけど」
 と、ここで昼間はさっぱり顔を出さなかった愛猫がやってきて、にゃあ。ルシエラの膝へ跳び乗って香箱座りで落ち着いた。
「知らない者が多くて、落ち着かなかったんだろうの」
 言いながら、ルシエラはその背をなでてやる。
「あー、そうだよな。慣れてきたら顔出してくれよ。今日も待ってたお客さんいたしさ」
 若葉のお願いは知らんぷりの猫に、ラシェルと凪は思わず笑みをこぼした。
「明日からは客として顔を出す。試していないメニューもまだまだあるしな」
 凪はラシェルへもう一度「ありがとう」と告げ、カップを取った。他の三人もそれに続き、そして縁をカチリと合わせて乾杯。
「終わってみればあっという間の今日だったけど、明日はどうなるんだろう」
 ふとした凪の疑問に、若葉が力強く応えた。
「明日もあっという間に終わる!」
「うん。そうだね」
 キーマンの蘭香を吸い込んで、凪は若葉を見た。
 若葉とふたりで1日を重ねて、未来へ進んでいく。
 あっという間に過ぎるばかりでなく、きっと迷って立ち止まることも、じりじりと焦ることもあるだろうが……ふたりならどんな1日でも楽しめることはわかっているから、不安はなかった。
 そんなふたりの門出を見送るラシェルとルシエラもまた、あたたかな視線を互いに交わしてうなずいた。
 果たして。
「明日もがんばろう」
「もちろん!」
 凪と若葉は恐れることなく、明日へ向けて踏み出していくのだ。


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2021年03月08日

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