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『深く重なる』
LUCKla3613

「話したいことがある。が、その前に訊きたいこともある」
 いつもの喫茶店のいつもの席で、LUCK(la3613)は映画鑑賞仕様のイシュキミリ(lz0104)へ切り出し、反応を待つ。
「義体のことですか。まあ、今は生身化止めて、再機械化してます。変換終わるまでもうちょっとかかりますけど、それ以外に訊きたいことあります?」
 まあ、当然知っているか。俺が義体と生身に分かれようとしていることは。
 LUCKはうなずき、淹れたてのベロニカをすすった。リミッターで熱が遮断されるこの感覚、やけになつかしく感じられる。
「なるほど。取り戻したはずの記憶がまた失せつつあるのもそのせいだな。人や土地の名を除けばかなりを思い出していたはずなんだが……。いや、おまえがかつての俺を封じたいわけじゃないことはわかっているが、ただしだ」
 先に技師である“弟”へ伝えたLUCKの選択。
 強欲で我儘で自分勝手なその希望を叶えるため、弟と共にイシュキミリは準備をしてくれている。だからこそ。
「かつての俺と今の俺がひとつの体に詰め込まれている今の内に、伝えたい」
 LUCKの希望が叶えば、この想いは魂と共に半ばへ分かたれる。今だけなのだ。厳冬の夜に黄金を見送った自分と、ようやく追いついた黄金と向き合う自分を認識できるのは。両者の真意を、ひとつの言葉に込めて紡ぐことができるのは。
 果たしてLUCKはかつての己が名を語る。さらには彼の故郷たる世界でイシュキミリが名乗っていた名を。
「不思議なものだ。記憶がまた大きく欠け始めているのに、これだけは褪せることがない。あの夜、俺の眼の色を映したマフラーを巻いたおまえと交わした言葉だけは」
 ツーポイントフレームのレンズ越しに向けられるLUCKの強い目線。
 イシュキミリはゆるやかにすがめた両目でそれを受け止め、息をついた。
「末永く息災たれ。末永く幸いたれ」
 低く唱えた彼女は、姿を変じることないままチャーチワーデンを口の端へ引っかけ、煙草に火を点す。
 コーヒーから立ち上る香ばしい湯気に甘やかなベリー香まとう紫煙が絡まり、LUCKの嗅覚センサーをほろりとなぜた。
「息災ではあったと思う。だが、幸いは見つけられなかった。気づくまでに、いや、認めるまでにそれだけの時間がかかったんだ。俺の幸いが、故郷から失せてしまったことを」
 だからこそ飛び出したのだ。己が体を故郷に縛りつける理を引きちぎるべく義体へ乗り移り、記憶のすべてを代償として、幸い――イシュキミリ在る在る異世界へと。
「おまえの永の孤独を理解できるはずはないが。それでもこうして追いかけ、何度でも縁を結びに行く俺がいることで、おまえの孤独がわずかにも癒えるなら。それが俺の幸いだ」
 イシュキミリは面をかすかに傾げ、聞き入っている。表情を消しているのは、LUCKが言葉に込めた想いへわずかにも障らぬためなのだろう。あるいは、すべてを聞き遂げると決めているだけかもしれない。
 カチリ。固い音をたてて過去の記憶がまた欠け砕けた。しかし、この想いだけは、この言葉だけは、欠けさせない。
「かつての俺からの伝言だ。おまえを愛している」
 祈るように語り、次いで捧げるように語る。
「そして今の俺から伝えたい。おまえを愛している」
 やっと、伝えられた。あのときの俺と、今の俺との本当の想いを。
 LUCKはこみ上げる万感を噛み締め、かぶりを振った。
「だからといって、おまえの枷になるつもりはない。応えてくれる必要はないし、拒んでくれていい。それでもだ」
 我儘を通すと決めた以上、弁えはしない。すべてを晒して突きつける。
「すべてを忘れ果ててなお、迷うことなくおまえという黄金を求めた俺だ。追うことを止めるつもりはないし、また忘れ果てたところで新たに始めるだけのことだ――いや、けして受け容れろと迫っているわけじゃないんだが、そうだな」
 一拍置いて、最悪な我儘を押しつけた。
「俺が……俺の半分がおまえの側に在ることは、しかたないものと観念してくれ」

 イシュキミリの返事は、淡い苦笑。
「拒まれても追っかけるからあきらめろって、ラクさんはほんとに我儘で困りますねぇ」
 かつての名を思い出したLUCKは、彼女がなぜ自分を「ラクさん」と呼ぶものかも理解していた。なぜならその名は、かつての彼の名の半分だから。
「それなり以上の縁の糸を人類と結んできたつもりですけど、その1本がこんな特別なものになるなんて思ってなかったんですよ」
 永の時を渡ってきたうちにも、意外なことってあるんですねぇ。イシュキミリは笑み――黄金の有り様を取り戻す。
「人の敵たる宿命にて縛られし妾故、愛語ることはかなわぬが、汝(なれ)は妾の無二なる縁者なれば――情もて応えよう」
 イシュキミリの指先がLUCKへ触れて、染み入った。
 不快さはない。黄金の神経糸を巡る彼女はとてもあたたかくて。LUCKは自分の内がイシュキミリに満たされゆく喜びに酔いしれる。
 俺は今、ひとつになっているんだな。追い求めて追いすがって、やっと追いついた黄金と。
『この世界に残る“俺”はこの幸いを忘れない。おまえを追う俺は、たとえ忘れようともかならず思い出す、俺の唯一無二の幸いを』
 生身を取り戻し、記憶を完全にすることが待ち遠しい。しかし、この一体感は機械という、イシュキミリの依代に近しいものであればこそ味わえるものなのだろうから、それを失うことはなんとも惜しい。
 そんなLUCKの思いに、イシュキミリは涼やかな微笑の波動を重ね合わせた。
 笑ってくれるな。今の俺は本心を隠せないだけで、ちゃんと弁えている。ひとつを得るためにひとつを失うのが理だろう? 黄金を味わう愉悦は、謹んで“俺”へと進呈しよう。


「記憶が粉々になっちゃう前にラクさんが分離できるように準備しときます。もっとも弟さんの準備次第ではあるんですけど」
 別れ際、イシュキミリは言った。
 生身と義体、ふたつの器の準備がどのように行われるものかは知れないが、鍵はイシュキミリよりも弟が握っているものらしい。
「……それなら心配いらないだろう。あのときのように、万事うまくやってくれる」
 揺るぎない信頼を込めて応えるLUCK。
 その指の間に、イシュキミリの指が滑り込んで、手を握り締めて。
「半分になるのは怖くないです?」
「今の俺をかつての俺から切り離すだけだからな。いや、それなりに混ざり合っているんだろうから簡単ではないんだろうが」
 イシュキミリの手を握り返し、LUCKはかぶりを振った。
「この世界に放っていけない縁のため、今の俺を残す。追い続けたいおまえとの縁を手繰るため、かつての俺は行く。決めた以上は完遂するだけだ」
 言い切って、イシュキミリを抱きしめる。やさしく、しかし強く強く強く。
「次の世界でおまえが名乗る名を教えてくれ。それが俺の標になる」
 LUCKの腕の中、イシュキミリは低くその名をつぶやいて、ぼろりと崩れて消え失せた。
 もう少し余韻を楽しませてくれてもいいだろうに。そう思うと同時、余韻を引かないことが彼女の情なのだとも思えて……ひとつ息をついたLUCKは歩き出す。未だ義体の内に余韻を引く、イシュキミリのぬくもりを共連れて。


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2021年03月08日

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