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『今日は梔子』
黒帳 子夜la3066)&灰空 散華la2998


 ――『この世界』の脅威は去り、世間にはようやっと平和な静けさが馴染み始めていた。

 嵐のような日々が過ぎて、今は夏が少し過ぎた頃。とはいえ残暑がじわりと暑く、いささか出遅れたツクツクボウシが鳴いている。
 黒帳 子夜(la3066)は黒い日傘の下で、アスファルトから立ち昇る陽炎を――そして青く晴れ渡った空を見上げていた。8月は過ぎたというのに今日は夏に帰ったかのような暑い日で、入道雲が天高く伸びあがっていた。
 カンカン照りの平日日中、町にひとけはなく。ありふれた町の歩道を子夜はゆっくり歩いている。その横顔も、日傘を持つ手も、見た目で言うのなら青年の若々しさではあるのだが、どこか老女のようにも見えた。それは子夜自身の生気が希薄になっているからで――そのことを、彼女自身が誰よりも把握している。
 ……体が鉛のように重い。あちらこちらに不調が出ている。だから今はちょうど病院に行ってきた帰りだ。タクシーで帰る手段もあったのだが、なんだか、なんとなく、理由はないのだけれど、この残暑の中を歩いてみたくなったのだ。
 子夜は放浪者だ。そして、先は長くない。元の世界に帰る手段もあるけれど、彼女は眠りに就く場所を『ここ』に決めた。なにせ――元の世界では、もう亡き者だから。
 だから、だろう。もう次の夏を目にすることはできない……そんな予感がするから、最後に目蓋に終わりゆく夏を焼き付けたかったのかもしれない。

 ――そんな時だった。

「さく、だー」

 幼い声が聞こえて、子夜は正面を見た。
 そこには小さな子供――灰空 散華(la2998)がいた。散華は無邪気な笑顔で子夜の傍に駆け寄ってきた。じっと、緋色の前髪に隠れた黄金の瞳で子夜を見上げる。
 子夜はその子の名前を知らない。なのに、その眼差しにはなにか、どこか――懐かしいような、胸の奥がチクリと痛むような、不思議な心地がした。

(『さく』、……)

 身に覚えはない、なのに子夜には懐かしい響きだった。足を止めた彼女は、見上げてくる童子に首を傾げる。

「失礼ですが、貴方は……」

 そう言いかけるも、直感が心の中でこう言うのだ。この子は、元の世界の関係者だと。

「さんげは、さんげ。さくは、さく、でしょ?」
「さんげ――散華、」

 名を口にすると、随分と舌に馴染んだ。一寸、子夜は目を見開く。

「さく、という名は覚えがありませんが……散華、か?」

 そう言った途端、散華はパァッと嬉しそうに表情を花開かせた。まるで真昼のヒマワリのようだった。小さな子の無邪気な振る舞い――本来であれば心が和むような光景のはずなのに、なぜだろう、子夜の心をじわりと冷やしたのは『恐怖』だった。

(なぜ……俺は)

 子夜には、心臓が変に脈打つ理由が分からない。浮かびかけたその感情を心の底に押し込んだ。
 そうして思い浮かんでくるのは、元の世界の記憶達。かつて子夜は茶屋をしつつ情報屋をしていた……と思う。そして左の目が義眼だった。そこには『散華』と名付けた悪食で大食いな妖を飼っていた。
 散華。――目の前のこの童子は、どうやらその散華らしい。
 故郷の世界の存在との再会、普通なら喜びが浮かぶはずなのに。
 子夜が覚えたのは……そう、「後ろめたさ」だった。あまりにも真っ直ぐ見上げてくる童子の眼差しを直視できず、子夜は日傘の中で視線を揺らした。

「俺を……覚えている、のか」
「うん!」

 元気よく散華は縦に頷いた。

「あの、ねー、われ、さっきごはん、たべてて、ねー、おなかいっぱいになって、ねー、るんるんしてたら、なつかしいにおい、した。そしたら、ねー、さく、だった!」

 散華にとっては最後の主人。
 散華はずっと覚えていた。この人ならざるモノはかつて、蛇に似た土地神紛いの妖で、子夜の左の義眼に飼われていた。餌である妖を定期的に与えてくれるし、心地のいい宿り主だった。『散華』の名を与えてくれたのも彼女だった。

「さく、さく、あいたかっ、たー!」

 声を弾ませ、散華はくるくるきゃあきゃあ子夜の周りを駆け回った。
 そして、その無邪気な様子のまま、言う。

「われ、にんげん、たべちゃった、から。だからさくは、さいご、『おれをたべろ』、って。なのに、たべたとおもった、らー、ここにいた、のー。たべそこねちゃった、さくを。だから、ちゃんと、めいれい、いうこと、さくのいうこと、『だれかがいったものいがいくうな』、こんどこそ、きかない、とー」

 子夜の正面で童子は足を止める。背伸びをして、鎌首をもたげる蛇のように、子夜の顔を覗き込んだ。

「さく。われ、さくのこと、たべていー、い?」

 その言葉に。その眼差しに。その微笑みに。
 子夜は思い出した。散華のことを。『それ』が人間を食らって殺してしまったことを。そして『それ』に自分を食うよう命令したことを。そうだ。子夜は自身の最期を「自害を求めていた」とぼんやり覚えていたが、そういうことだったのか。

「散華……」

 子夜は真っ暗な自分の左目にそっと掌を触れた。
 ツクツクボウシが鳴いている。夏の終わりを知らせている。
 深呼吸をひとつした。最期の夏のにおいがした。
 太陽だけが二人を見下ろしている。
 そして、子夜は左目に触れていた掌で、そっと散華の小さな手を握った。ヒンヤリとした、蛇らしい温度だった。

「散華。俺は、もう食べなくていい。その姿でいる間は、人間も、無機物も食べるな。……あんたが食べるのが好きなのは覚えてる。だからこそ、食うな。
 元の世界の姿の時は別だが……食って自らが討たれようとしないでくれ。妖として生きるには理不尽だが、この世界で生きるには必要なことだからだ。あんたは……ライセンサーなんだろ、SALFの」

 靴や、装飾。それらがEXISであることは子夜にはすぐ分かった。放浪者ならばSALFに所属しているであろうことも。

「あんたにそのつもりがなくっても、あんたはもう、『正義の味方(ライセンサー)』として戦って、誰かを救っているんだから――救った命を裏切るな。食らった命が血となり肉となるように、救った命だってあんたの一部になってるんだ。あんたは、ここではもう、バケモノになっちゃいけないんだ」

 生きてくれ。
 それが傲慢な願いであることは、子夜は理解しているけれど。それでも、言わずにはいられなかった。
 ずっと――気懸りだったのだ。最後に散華に下した命令が、妖が生きるには理不尽であることが。

「すまなかった、散華」

 日傘が落ちる音がした。
 子夜は散華を抱き締めていた。
 温かい、人間の温度――散華は抱き締められて棒立ちのまま、その目を細める。

「わかっ、たー」

「誰かが言ったもの以外食うな」――その命令からの解放を、散華はどこかでずっと願っていた。
 けれど、『さく』の言った答えに散華は納得していた。盲目的に頷いたのではなく、『納得』をしていたのだ。……元の世界の命令が遂行できなかったのことは、残念だけれど。

「さくのこと、たべない。ほかのにんげんも、たべない」
「ああ。それからお皿やお箸を食べるのもダメだからな」
「うん。おぼえて、るー。それか、らー……」

 散華は両の手で、抱き締めてくれる子夜の頭をよしよしと撫でた。

「『すまなかった』、って、さく、いったけ、どー。われ、おこってない、よー」
「……そうか」

 ふ、と子夜は笑った。なんだか心の中の鉛がすべて消えたような、晴れやかで軽やかな気持ちになっていた。
 同時に。自分の知らないところで、知らない間に、散華も散華として、いろいろなことを見聞きして、感じて、成長していたのだろう。
「もうあの時のふたりではなく、もう二度とあの頃には戻れない」――それは寂しい意味ではなかった。

 これでよかったんだ。
 子夜は子夜、散華は散華、それぞれの命を生きて、そして、生き抜いていく。

「さく、さく」
「……この世界では、『黒帳 子夜』だよ」
「う? じゃあ、しやー」

 抱擁から離れて、散華は子夜の手を取った。

「ごはん、たべに、いこー。われ、さく……じゃなくて、しやと、たべたい、なー」
「やれやれ……まさかあんたから茶の誘いを受ける日が来ようとはな。……さっき食事をしたところと言っていたが、大食らいなのは相変わらずか」

 子夜はくすりと笑った。それから投げ出した日傘を手に取ると、散華と並んで歩き始める。

 ●

 近くにあった小さな喫茶店に二人は入った。
 散華は小さながま口財布を誇らしげに子夜に見せた。ライセンサーとして稼いだまっとうなお金がそこにある、と得意気に言った。そして「きょうは、われの、おごりー」とまで言った。あの散華が人間のようにお金を稼ぐようになるとは……もっと言うと、よもや散華とテーブルを囲んで飲食することになるとは。子夜は感慨深い気持ちと共に席に着いた。クーラーが涼しい。窓からはきらきらとした夏日の町が見えた。

「この調子だと、涼しくなるのは当分先かな」

 涼しい場所でようやく一息を吐けた。その呟きは、散華の耳には入っていないようだ。童子はメニューを食い入るように見つめていた。

「われは、これー」
「メロンクリームソーダか」
「しや、は?」
「じゃあ……温かいダージリンをストレートで」

 子夜は店員に注文してやろうかと思ったが、それよりも先に散華が「すいま、せーん」とウェイトレスへ片手を上げた。どうやら散華はこの世界での食事に随分と慣れきっているようで――メニューを指さし「これと、これー」と流暢に注文する姿に子夜は驚かされる。

 やがて運ばれてきたのは、透明で分厚いグラスに注がれたメロンクリームソーダと、白いティーカップの紅茶だった。前者には真っ白なバニラアイスと氷のキューブできんと冷えており、後者は温かな湯気が立ち昇っていた。

「あついの、のむ、のー? さっき、あつーい、っていってた、のにー?」
「ここはクーラーで涼しいし……温かい紅茶はおいしいからな」
「アイス、わけるー?」
「……あんたがまさか、食べ物を分けようとするとは……」

 子夜は苦笑する。彼女の味覚はほとんど機能していない、だから「それはあんたが食べたらいい」と断った。
 そういうわけで、いただきます。散華は細長いスプーンを手に、透き通った、宝石のような緑色の甘い炭酸水にバニラアイスを溶かし込む。からころ、氷がグラスの中でくるくる回る。炭酸の気泡が踊った。砂糖水は、ミルキーな緑色へと変わっていく。グラスの表面には冷たい水滴が浮いて、つうと伝った。
 ストローに口をつけて飲めば、甘くて冷たくて、スッキリした甘い味。バニラと香料の香り。夏に火照った体にしみこむ、冷たい心地。

「おいしー、あまーい、つめたーい」

 にぱーと笑う散華。正面の子夜は、ゆっくり少しずつかぐわしい紅茶に口をつけながら、それを見守っている。爽やかな風味と程よい苦みが、臓腑にじんと染み込んでいく。

(あの散華が……肉以外を食らって、うまいと笑っている……)

 朧な記憶を引っ張り出しながら……こうして目にする散華は、子夜にとって何もかもが新鮮だった。

「散華は……元の世界には戻るのか?」
「んー、わかんな、いー。でも、まだ、ここにいるー。だって、ここ、ごはん、おいしー、から」

 ストローを咥えた散華が、そこに息を吹き込んでぷくぷくして遊んでいる。「こら、行儀が悪いからやめなさい」とたしなめれば、童子は「はーい」と従った。

「しやは、どーする? このせかいに、いる? それとも?」
「俺は……戻らないよ。ここにいる。ここで――」

 言うべきかどうか一瞬悩んだが、それでも、子夜は真っ直ぐに相手を見据えて本当のことを告げた。

「ここで、死を迎えるつもりだ。そしてその日は、もうすぐ来る」
「……そっかー」

 あっという間にメロンクリームソーダを飲んでしまった散華は、子夜の目を見つめた。

「しや、たのしかっ、たー?」

 その問いに。
 子夜は目を丸くすると、一瞬笑い、ティーカップを手に窓の外へと目をやった。
 きらきらした世界が見える。
 平和になった世界がそこにあった。
 子夜は花のように笑って、こう言った。

「どうかな」

 今日は梔子。
 死人に口無し。
 これでいい。



『了』

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました!
グロドラではたくさんお世話になりました。
ふたりの未来に幸せがありますように……。
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2021年03月10日

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