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『深濁』
不知火 仙火la2785)&不知火 仙寿之介la3450)&不知火 楓la2790

「“蕾”から宿縁を預かってきた」
 不知火 楓(la2790)に告げられた不知火 仙寿之介(la3450)は、ふたつの事柄に引っかかり、眉根を下げた。
 ひとつめは、一人称。過去の事件以来、頑なに「僕」と言い続けてきた楓が、それ以前の「私」を取り戻した。つまりは彼の息子である不知火 仙火(la2785)と彼女との仲が変化したということに他ならない。
 そしてふたつめは、預かってきたという宿縁だ。そもそもの宿縁は、楓曰く「もうひとつの蕾」の両親とのものであり、蕾はその縁に決着をつけるべくこの世界へと乗り込んできたのだ。それを預かったということは、彼女が仙寿之介に対するということになるのだが。
「……おまえは俺の刃になにを問う?」
 対して楓は迷いなく応えた。
「仙火の濁と、それを支える私の濁を」
 手数を尽くして敵を惑わせ、その奥底へ隠した必殺の一条(ひとすじ)を打ち込む濁剣は、一閃を清ます才に恵まれなかった仙火が辿り着いた唯一無二の正解だ。しかし、未だ完成にはほど遠く、約束した再戦はまだずいぶん先のことと思っていた仙寿之介である。
「非才のおまえが支えた程度で、仙火の濁はどれほど高まる?」
 突きつけられた楓は、息を詰めてしまわぬようゆるやかに吐き、平静を保つ。
 彼の言葉は辛辣に見えて、ただ事実を述べて確認しているだけのものに過ぎなかった。型を棄て、気迫を棄て、ただはしるままに剣を繰る“天衣無縫”。仙火と蕾にすら剣才で遙か及ばぬ楓が加わった程度で、どうなるものか。
「技を支えるものは技だけじゃないよ。まあ、それがなんなのかまでは晒せないにしても。格下が手の内を曝け出して慮ってもらうのは無礼でしょう?」
 薙刀の技、忍の業、あるいは陰陽の術。思いつくのはそのくらいだが、ほかになにがあるのかを楓に問うことはできない。彼女は対する敵である仙寿之介に、礼をもって言わぬ体をとっているからだ。
 仙火を伴って来なかったのは、技ならぬ手があることを匂わせるためなのだろう。嘘のつけぬ仙火がいないことで、彼女の言は嘘とも真とも読めぬ代物と化した。
 さて、鬼手があるものか、それすらもはったりに過ぎぬものか?
 ――そこまで考えてみた仙寿之介は苦笑し、楓を追い払う。
「ならば立ち合いの中で見せろ。この場で斬り合うのでなければ、なにを仕掛けられようとどうでもいいことだ」

 仙寿之介が見えぬところまで離れた楓は、小さく肩をすくめてためいきを漏らした。
 立ち合う前に可能な限り、仙寿之介の心を乱しておきたかった。結果としては一蹴された形だが、それでも。
 私に鬼手があるのかないのか、それだけは迷ってもらえるかな。今はそれでよしとしておくよ。


 一方、仙火はひとり、竹藪のただ中にて腰を据えていた。
 左に佩くは稽古用の木刀ならぬ真剣――愛刀たる守護刀「寥」。柄にかけた手へ力を込め、鞘を突き放すがごとくに抜き打って、眼前の竹へ刃が当たる寸前で止める。
 抜き打ちは右手ひとつで為すものだ。重い刃を空で止めるにはおそろしいまでの握力と腕力とを必要とする。それを難なく演じてみせるほど、彼は自らを鍛え抜いてきたのだ。
 体は充分に備わった。
 その内に在るなけなしの心はとうに据えている。
 問題は、技だ。
 胸の内にわだかまる古い息を吹き抜き、新たな息を吸い込んで、丹田へと落とす。
 天衣無縫の剣士である父、仙寿之介と立ち合うを決めたことに悔いはなかったが、それだからこそ、挑むに恥じぬ剣を見せたい。自身が選び取った濁りの剣、その流れの太さを、強さを、迅さを。
 ……って、欲かきすぎだぜ。
 欲は心を頑なに押し固める。ひとつの完成へ至ったはずの体を拙く力ませ、未熟な技からさらに鋭さを奪い去るのだ。
 俺のこの技なき体、どこまで父さんに通じる?
 濁と対をなす清を振るう剣の相方は、自身を心なき技と評しているようだ。そして共に天衣無縫へ挑むことを切り出してきた楓は、体なき心であるという。
 ひとつを持つ代わりにひとつを持たぬこと、それこそ人の宿命なのだろう。足りぬものに拘ったところで先へは進めぬことも。ならば、在るものをいかに遣いこなすかが重要だ。
 技のねえ俺の体にゃ、なけなしの心が宿ってる。でも、その心が欲を生んで、俺を鈍らせる……無心が剣の極意なら、実は持ってねえほうがマシだったんじゃねえか?
「うまくいかねえもんだよな、ほんとに」
「なら、うまくいく方法をいっしょに考えようか」
 仙火の言葉尻を吹き消すように重ねられた、声音。
 仙火はそちらを見ることなく、鞘へ剣を納める。これで右は空いたぞと示すだけで、思った通り、ぬくもりが右腕の内へ滑り込んできた。
「今考えてたの、父さんに勝つ方法だぜ?」
「ああ、それは私ひとり足したくらいじゃ無理」
 仙火に体を添わせた楓が、大げさに顔を顰めてみせた。
「実はさっき、仙寿さんに立ち合いを申し込んだついでに揺さぶってみたんだけど、小揺るぎもさせられなかったよ。それだけ自分の剣に自信があるんだろうね。でも、格下の必死に少しは応えてくれるのが格上の務めじゃない?」
 楓を抱き寄せ、匂い立つ香で胸を満たした仙火はしたり顔で言ったものだ。
「刃への問いには刃で答えるが剣士ってもんだからな。語るも揺らぐも、立ち合いの中でだけってことさ――」
 と、仙火はようようと気づいた。
 楓がこれほどに道理を弁えないことを言うものか。それをあえて口にしたということは、つまり。
「おかげで気持ちが据わったぜ。そうだな。立ち合うしかねえんだから、ここで下手に悩んでたってしかたねえ」
 楓は悩む仙火を導いたのだ。わざと物わかりの悪いことを言って、とっくに仙火が弾き出していた答まで。
 そんなおまえがいっしょにいてくれるから、俺は父さんに見せたいって思えたんだ。今の俺の丈ってやつを命懸けで。
「俺に足りねえ心を足してくれ。おまえに足りねえ体は俺が務める。あとはおまえと俺の技を足し合わせて、心技体の完成だ」
 うなずいた楓は仙火の腕へ我が身のすべてを預け、目を閉じた。
 この立ち合いは、仙火と私が先へ進む意志を仙寿さんに見せる晴れ舞台だから――かならず全うしてみせる。


 楓に挑まれたふた月後の5月。藤が咲く園に、仙寿之介は踏み入った。
 正直、八重桜が咲く4月の内に勝負をかけてくるものと思っていた。息子の仙火と“蕾”が共に自らを重ねた花ではあるし、かつて仙寿之介が結んだ宿縁とも縁深い時期だったから。
 さて、どんな思惑があるものか。
 惜しむことなく左に佩いた君影を引き抜き、右手へ提げる。型などというものはとうに棄てた。敵よりも先に、あるいは敵よりも後に剣を繰り、敵刃が届くより迅く自らの刃を当てる……天衣無縫の剣は、ただそれだけのものだ。
 と。仙寿之介の足がするりと横へ滑った。
 爆ぜた咆吼が園と揺るがし、その片脇を双銃「八峰金華」の吐き出した鉛弾が飛び去っていく。
 123456789、心の隅で数えつつ、仙寿之介は前へ。
「尋常を謳ってくるかと思ったが、この奇襲もおまえたちの濁りか」
 銃手はこちらの歩を予測して撃ち込んでいる。それを外してやるだけでいいのだから、急ぐ必要もなかった。
 ――普通は自分がどう動くか予測されてるなんて考えないし、考えたところでそれを裏切れるはずもないんだけどね。
 すっかり花の落ちた八重の枝に足をかけ、ぶらさがった楓は引き金を引き続ける。
 剣才で仙火に大きく劣る彼女。勝るものは、戦術眼と術数……と言いたいところだが、天剣相手に通用する気はまるでしなかった。
 しかし。
 あきらめるつもりはないから。私の心が折れない限り、仙火の体も折れはしない。
「本当の本気、必死でやらせてもらうぜ!」
 銃弾の豪雨、その狭間をくぐって踏み出した仙火が、寥を抜き打った。
 滝を登る鯉のごとくに力強くはしった刃は、仙寿之介の体を捕らえることなく天へ至る。
 せめて受けてくれればって思ったんだけどな。やっぱ甘やかしちゃくれねえか。
 ふわりと体を巡らせた仙寿之介。その背が前へ向いた瞬間、仙火は鳩尾を突かれて噴き飛んだ。蹴りだ。それも剣術のではなく、格闘術の。
 古流は剣を遣う中で肘や脚を繰る技を含むが、仙寿之介のそれは根本から違う。これまで貪欲に学びきた数多の技を自らの剣へと併せ、自在に顕現させる彼の技は極論、剣というよすがすら必要とはしない。天衣無縫はまさに、伊達ではないということだ。
「――っ!」
 仙火が背を丸めて一転するを助けたのは楓である。
 地へ跳び降りた彼女の体は途中で止まり、大きく跳ねた。銃を放した両手に取った薙刀「凜月」、その石突を地へ突き立て、棒高跳びの要領で仙寿之介へと跳びかかったのだ。
「はっ!」
 気合を発し、大上段から凛月を振り下ろせば、仙寿之介は鎬を立ててこれを受け流す。
 先のようにかわさなかったのは、体の中心軸、すなわち正中線目がけて薙刀が振り下ろされればこそ。わずかにも左右へ刃がずれていたならくぐり抜けられたものを……。
 流したにせよ、受けの姿勢を固めたことで仙寿之介の動きは止まる。
 その間に駆け込んできた仙火が、勢いを乗せて寥を父へと叩きつけた。
 雄叫びは上げない。息を止め、その体に封じた意気を燃え立たせて、剣を打つ打つ打つ。
 虚(フェイント)が通じる相手じゃねえんだ! 剣全部、技全部、俺全部、実で打つ!
 弾かれた刃を引き戻して打ち、くぐられた刃を体の捻りで反転させて打つ。斬り返された剣が加速するより先に肩でその鍔元を抑えて押し返し、膝蹴りで仙寿之介の腿を突いて、浅いと見ればそのまま蹴り足を踏み落とし、柄頭を打ちつけた。
 まだ足りねえ! まだまだ! 濁れ濁れ濁れ!
 加速する仙火の連撃を寸手で返しながら、仙寿之介は胸の内で薄笑む。
 一見闇雲なばかりの野暮な手だが、敵から離れず逆巻き、その内へ巻き取る。芯の太いいい濁りだ。
「それでも俺を巻き取るには足りん」
 うそぶきと共に仙寿之介が突き込んだ剣はしかし、仙火へ届く前に押し退けられた。
「だったらもう少しかき回そうか」
 石突を地に立てた凛月の柄で、楓は仙寿之介の剣を阻む。確かにこれならば振り回すに必要な時を省けるだろうが、しかし。どこから飛び来るか知れぬ剣へ対するには石突を押さえつけるわけにいかず、故に薙刀は受ける都度、ずるりとずれて楓の体勢を崩していく。
 が、それを仙火もただ見てはいなかった。
 楓に受けを任せ、その後ろから剣を繰り出すと共に刀子を投じ、スイッチして前へ出た途端、また遮二無二剣を打ち続ける。
 そして仙火が詰めた息を切らす寸前、また楓がスイッチ。受けの合間に含み針を吹き、仙火の攻めに己が攻めを併せて仙寿之介を押し込んだ。
 間断なく重ねられる得物の技と忍の業は、さながら返ることなく寄せ続ける波だ。津波程の高さは持ち得なかったが、仙寿之介の足が踏む地を侵蝕し続け、わずかずつ崩し続ける。
 悪くない濁りだが、それ止まりと言うよりないな。
 仙寿之介は息をつき、ふたりの攻めを弾き飛ばした。
 結局のところ、ふたりそろって練りの足りぬ技と業とを弄しているだけだ。未熟と言えばそれまでのことだが、さすがにこの体たらくではなにを教えてやることもできん。
「早きに過ぎたな。縁を語るも、立ち合うも」
 仙寿之介はふたりを弾いたことで取り戻した間合を測り、君影をかざす。ここで仙火と楓がスキル――先だって楓が匂わせにきた鬼手であろう――を出すなら、こちらもエリュードワープで踏み抜けるだけだ。
 しばらくは伏せり、傷の痛みと己が浅慮を噛み締めるのだな。
 振り下ろされた刃が仙火の腹を浅く裂き――抜けることなく止まった。
「……格好悪過ぎて笑えねえ有様だけど、止めたぜ」
 腹を裂く刃へ我が身を押し込み、深くくわえこんだ仙火は全身の筋力をもって押し止め、青ざめた顔をぎちりと笑ませた。そして。
「急急如律令。我が前方より義学、我が後方より義賢、疾く参じて敵を逆巻け」
 楓の呪句に召喚された無数の前鬼と後鬼とが、ようようと刃を引き抜いた仙寿之介へ群がりその体へしがみつく。
 思いついていたというのに、考えもしなかった。楓の陰陽の術を――いや、それ以前に、仙火の強健を。
 仙火と楓は足りぬ技と業とで敵へ向かうことで包み隠したのだ。仙寿之介がとどめを刺しに来るそのときまで、己を。
 仙火は楓が呪句と唱える時を稼ぐがため、体を尽くした。
 楓は鋼の心もて仙火の捨て身を踏み石とし、術を飛ばした。
 そしてさらに気づく。楓が仙寿之介の刃を受けて踊る石突で、地に陰陽陣を描いていたことへだ。
 それにしても、楓の鬼手が本当に鬼を遣う手だったとはな。胸中で苦笑した仙寿之介が鬼どもを振り切った、そのとき。
「おおっ!」
 疾風のごとくに駆けた仙火がすべての力、その重さをかけて右足を地へ突き立て、怒濤の突きを放つ。
 直ぐに伸び来た八重の遠は、仙寿之介が咄嗟に押し出した君影の鍔元へ吸い込まれ――天剣たる父を一歩、二歩、よろめかせた。
「これが俺の一条だ」
 果たして仙火は、右膝からゆっくりと崩れ落ちる。
 技に込めた想い――楓を二度と傷つけさせぬとの誓いを引きながら。


「父さんの腹にも穴開けてやるつもりだったんだけどな」
 手当を受けながら顔を顰める仙火。臓腑に傷がついていないことは確認済みだが、痛みばかりはどうしようもない。
「ならば死に物狂いで精進しろ」
 にべもなく応えた仙寿之介は、あらためて先の立ち合いを思い起こす。
 至近距離に貼りつかれ、剣を自在に繰れる間合を潰された。おかげで泥臭い闘いを演じさせられ、果てには仙火へ一条を打たせることになったのだ。
 終わってみれば、まんまと濁りに巻かれたわけだ。それも楓という、濁りを支える濁りあってこそ。
 ふと、仙寿之介は仙火の面倒を見る楓へ目を向けた。
「そういえば、なぜおまえたちは桜の時期が終わった今に立ち合いを挑んだ?」
 対する楓は薄笑み、穏やかな声音で応える。
「仙火を象徴する八重桜の先に、私たちが行くことを示したかったから」
 なるほど。示したかったのはふたりの成長ぶりなどではなく、心か。
 うなずいた仙寿之介は、咲き誇る藤へと視線を移し、
「いい共連れを得たな、仙火。藤の名を持つ我が友も、娘の成長に涙することだろうよ」
 もっともそれはうれし涙ではありえまいが……失うばかりの男親の複雑な心中を察しはするが、だからといって得がたい“娘”を返してやるつもりはない。
「清まぬ濁りがどのように仕上がるものか、期待させてもらおう」
 期待を込めて仙寿之介はふたりへ言祝ぎを贈る。
 これから息子と娘がふたりで行く濁剣の道、その先へゆるやかな目を向けながら。


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2021年03月12日

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