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『栞』
神取 アウィンla3388

 2061年3月23日。

 この地球に来て幾度目かの誕生日を迎えた神取 アウィン(la3388)は自宅の書斎で一人、机の前に座していた。
 机の上には便せんが広げられている。中は、まだ何も記されていない。
 アウィンはペンをとり、それを少しばかり手の中で弄び――それから、静かに文字を書き付け始めた。


  前略

   貴女がこの手紙を読んでいる時、俺はまだ学生だろうか

   それとも医者になれているだろうか


 愛する妻への、内緒の手紙。春の挙式を控えて、今この時に書いておこうと決めた。直接手渡すつもりはない。だから、いつ読まれるかはわからない。
 そのとき、アウィンと妻と――家族はどうなっているだろうか。
(せめて、医学部生になることは決まっていればよかったんだがな……)
 今年挑んだ大学受験は、残念ながら失敗に終わった。もともとかなり性急なスケジュールだったとはいえ、後期試験の結果を受け取った直後は大いに落ち込みもしたものだ。
 だが、挫けることはない。すべてが順風満帆に進むはずもないのだから。

 そもそもが、異世界に転移するなんて出来事に比べれば、受験に一度失敗したくらい、なんてことはないともいえる。
 いち領主家の次男坊だった自分が、ある日突然に縁もゆかりもないこの世界に飛ばされた。積み上げてきたもの、将来への道筋、そうしたものがすべて白紙に返され、根無し草になった。
 戸惑いも失望も、後ろめたさももちろんあったが、それでも――いやだからこそ、アウィンはこの世界で、かけがえのないものを手にすることができた。
 その最たるものが、愛しの妻の存在だ。


   家族は増えただろうか

   幸せな未来を想像しながら、変わらぬ愛を込めて認めています


 いずれかけがえのないものは、アウィンの両手からあふれるほどに増えていく。彼が想像する『幸せな未来』の絵図にはたくさんの家族がいて、みんな笑顔で――もちろん彼の隣には妻が穏やかに笑っている。
 それは誰もが思い描くような、当たり前で平凡な未来。だが、年上の妻の身体は十全なものではない。アウィンが今、医師になるという目標に向けて挫けず邁進するのは、そんな彼女と少しでも長い時をともに過ごすためでもあった。

 元の世界でそのまま暮らしていたならば、存在を知ることもなく、すれ違うことすら決してなかった人が、今では己の一番近くにいて、なくてはならない人になった。出会いの不思議、人生の不思議に思いを至らせながら、アウィンは筆を走らせていく。

「2枚目……と」

 文字で埋まった1枚目をそっと脇に置き、新しい紙を取り上げる。


   貴女と出会い、初めて自分の目標を得る事が出来た

   貴女は俺の人生の標です


 出会いが人を変えるとはよく聞く話ではあるが、それが己に当てはまるとは、かつてのアウィンは考えていなかったかもしれない。だが、彼女と出会い、彼女を知っていくうちに、アウィンは確実に変わっていった。
 医師になりたいと願ったのも、この地球で生きていくと決めたことも。すべて彼の意志であり、彼女を支えたいという思いが根底にある。
 この世界で、アウィンは確固たる自分を手に入れたのだ。


   これからも手を繋ぎずっと一緒に歩いていこう


 ずっと一緒に――どこまでいけるかわからないけれど、その瞬間まで、手を取り合って。
 ふたり、笑い合えているように。
 手紙の末尾には、どれだけ伝えても伝えきれない気持ちを、せめて心を込めて書き込んでいく。


   もっともっと甘えてくれ

   何度言っても足りないが、愛しています

  25歳のアウィンより


「……ふう」
 紙からペンを離し、アウィンは詰めていた息を吐いた。1枚目と合わせて内容を確認し、よし、と小さく頷く。
 便せんを畳んで封筒にしまい、しっかりと封を施した。

 立ち上がり、封筒を手に本棚に向かう。
「さて、どれがいいか……」
 あまりすぐに見つかってしまっては面白くない。そんな、少しばかりのいたずら心を自覚しながら、アウィンは手頃な本を探す。
 いかにも彼女がよく手に取りそうな本は避けて――といって、いつまでも見つけてもらえないのも寂しいし、古本屋にでも持っていかれては事だ。
「この辺かな」
 アウィンのちょうど目線の高さにしまわれていた、ハードカバーの学術書を取り出し、ぱらぱらと中身を確認する。
 その丁度真ん中あたりの頁に、栞のように封筒を挟み込んだ。

 不思議と、晴れやかな気持ちになった。

 今日という日は、自分の人生において一つの区切りとなるような、そんな気がする。だからこそ、今の正直な気持ちを、手紙に残しておきたくなったのかもしれない。

 愛しの彼女がいつこの手紙を読むことになるのか、それは何か月後か、何年後か、もしかしたら何十年後かわからないけれど――。
 たとえいつになったとしても、この手紙に書かれている気持ちは確かなもので、そしてその時になってもきっと変わっていないと、アウィンは自信をもって言い切ることができる。

 その時、彼女はどんな顔をするだろうか。

 その様子を想像して微笑みながら、アウィンは本を本棚にそっと戻すのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
 ご依頼ありがとうございました! 永遠の愛情をしのばせる、ある日の一幕をお届けいたします。
 すっかり愛妻家になられたようで何よりです。内緒の手紙、いつ気づいてもらえるでしょうね?
 少しでもイメージに沿う内容になっていれば幸いです。
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嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2021年03月17日

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