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『送り舟』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790)&日暮 さくらla2809

 礼服に身を包んだ不知火 仙火(la2785)と不知火 楓(la2790)が向き合う中、両家の間で口上と結納品とが交わされる。
 幾久しくお収めを。
 本家の嫡男であり、次年度には不知火の当主へ就く仙火と、世話役並びに補佐役として彼を陰に日向に支えてきた楓。ふたりが正式に結ばれることは、不知火一族の内に不満の火種を生みながらも概ね受け容れられ、喜ばれていて。
 立ち合い人として見守る日暮 さくら(la2809)もまた、深い一礼と共に祝った。
「こうしておふたりのご婚約が成されたこと、祝着至極に存じます。日暮 さくら、不知火の門客としておふたりと、いずれ生まれ来る子らをお守りすることを誓います」
 相変わらずの固い物言いと、それを裏切るやわらかな声音。
 楓は朱の差した頬に笑みを浮かべてうなずき、「よろしくね、さくら」。
 どこか決まり悪げな顔をした仙火は、それでも背筋を伸ばして一礼を返し、ただひと言「おう」。


 いくらかの後。仙火と楓の婚礼を見届けた前当主と夫は、息子である仙火へすべてを託して旅に出た。たまに顔を見せるつもりらしいが、果たしていつになることか。
「ほんとに帰ってくる気あんのかよ。隠居して自由になって、行方も決めねえ夫婦旅に行くって、俺だって今すぐ行きてえっての」
 就任わずかですでに多数の問題と行き合い、苦闘している仙火はぼやいたが、さくらはしたり顔でかぶりを振った。
「仙火と楓の間に子が生まれれば、それはもう飛んで帰ってくるでしょう」
「孫かー。いや、うちは先々代の例もあるからなあ」
 情が淡白な曾祖父を思い出し、仙火は眉根を引き下げたが。
「帰ってきてくれることは疑ってないけど」
 いつになく楓は表情を沈み込ませ、言ったものだ。
「それ以前の話、私に母親を務められる自信がない。だって赤ん坊に話は通じないし、自分は三歳だからお菓子も三つもらうって主張するんだろう?」
「さらっと俺の過去話ネタにすんなよ。おまえだって分け前のチョコ食ったろうが」
 言い返しておいて、仙火はため息をついた。
 一族の重鎮どもは一刻も早く子を作れとうるさいが、親とは子に途方もない責任を負うもの。剣士としても人としても未熟な自分に、それが背負えるのか。
 自分ですらそうなのだから、並外れて聡明な楓はもっとずっと深刻に、未来を懸念してしまうわけだ。
 押し黙る夫婦。
 そんなふたりの肩をぽんと叩き、呪縛を解いたのはさくらだった。
「試してみませんか? 案ずるより産むが易しの格言が正しいものか、正しくないものか」
 ふわりと笑んだ彼女は、仙火の胸へ楓を押し込んで、さらに言うのだ。
「お世話のお手伝い、日暮 さくらがしかと承ります。誓いましたからね、あなたたちとその子らを守ると」
 その後、仙火と楓の間は男子を授かるのだが、さくらのおかげで「産んでしまえば意外と易い」の答を得るのである。


 仙火と楓の子は、一族の子らと共にすくすくと育っていった。時に競い合い、時に分かち合い、時に共謀してやらかしながら。
「こら! 悪さをする子はどこですか!?」
 木刀を手に子らを追い回すさくら。
 子らは習い覚えた技や業(わざ)を駆使し、必死で隠れたり逃げ回ったり反撃を試みたりするのだが……どこからでも、どこへでもさくらは現われ、子らをきつく縛り上げてみせるのだ。
 そうなればもう、子が最後に頼れるものは親しかなくて。
 母の執務室へまで逃げ込んできた我が子に、楓は手を伸べて微笑んだ。
「さくらはいい子を追いかけたりしない。罰をしっかり受けておいで」
 かくてさくらへ引き渡された子は、母は鬼だとわめき散らしながら引きずられていった。
 ひらひら手を振って見送る楓へ、遅れて駆けつけてきた仙火が言葉をかける。
「不知火の次代、みんなさくらに頭が上がんなくなりそうだな」
 楓は面を傾げて仙火へ視線を送り、艶然と笑んでみせた。
「さくらが皆の鬼になってくれるおかげで、私は“不知火菩薩”に徹せられるんだよ」
 不知火菩薩は彼女を知る者たちが、彼女の目の濃やかさと鋭さとが菩薩の目のようだと言い出したことに依る。そのレベルで褒めておかなければならないほどの利を、一族が彼女から受けていることもあるのだが。
「うちの息子にはまあ、二匹めの鬼みてえなもんだろうけどな」
「仙火にはどう? 私は菩薩じゃない?」
 それは他愛ない、妻が夫へ甘い言葉をねだるための誘い水だった。
 しかし仙火は生真面目な顔で固い言葉を返すのだ。
「楓は楓だ。だからどこにも飛んでくなよ」


「正眼構えで切っ先を下げねえってのは、上中下段、どっから敵に斬り込まれても最短距離で受けられるよう、真ん中に置いとくってことだからな」
 仙火の主な仕事は、父が残していった剣術道場の師範業である。
 父の剣才を継げなかったことは長らく彼を苦しめてきたが、その中で学び、創意と工夫を凝らしてきた経験は、彼をなかなかにいい師として成り立たせていた。
「型はただなぞるだけでは意味がありませんよ。受けの型ならその次に繋がる攻めの型を、攻めの型なら斬り返された際に対処すべき受けの型を、それぞれ考えながら行うように」
 仙火と共に師範を務めるさくらも努力型であり、故に仙火の教えをさらに噛み砕いて伝えることに長けている。
 不知火一族の内ではなかなか恐れられている“鬼”でありながら子らによく慕われるのは、その公正さと面倒見のよさとが浸透していればこそだ。
 一方の楓は一日の半ばを執務室で、残る半ばを家庭で過ごし、職務と生活とを両立させていた。
 不思議なもので、我が子は自分よりも仙火やさくらと共にある時間のほうが長いにも関わらず、母を特別に思ってくれていた。なるべく皆で摂るようにしている夕食の場でも、真っ先に楓へ一日のことを報告してくる。
「薄々私が産んだのではないかと勘違いし始めたところなのですが……」
 初めて飲んだ瞬間から惚れ込んでしまったのだという淡麗甘口を注意深く――なにせ彼女は酒に弱いので――ちびちび傾けながらさくらがぼやく。
「俺だって母さんより父さんが好きって思い始めてんじゃねえかって、期待してんだけどなあ」
 こちらは豪快に濃醇辛口を干す仙火である。
 楓は渋い顔のふたりへ思わせぶりな笑みを返し、膝の上に乗ってくる息子をぎゅうと抱きしめた。
「ふたりは一族中の子どもたちの人気者でしょう。我が子の人気くらいは独り占めさせてよ」
「いや待て。俺の人気もおまえが独り占めしてんだからな!」
「私の人気も楓が独り占めしているようなものですからね?」
 だからその子の人気を独り占めにするのは筋が通らない! と主張する剣士どもである。
 楓は思わず苦笑して、言った。
「子どもみたいなこと言わないで」
 ただでさえ見目の変わらぬ長命のふたりだ。中身くらいは歳相応に育ってほしいと思うのだが……
 でも、こんな軽口を言えるのは、今の内しかないんだね。
 もうじきに、冗談じゃ済まされなくなる。


 さらに月日が過ぎた。
 仙火と楓の子は両親に背を押され、さくらに導かれて、ついに己が道を歩き出す。
 それを見守り、見送った仙火と楓は顔を見合わせ、笑みを交わした。
「さて、これで親の務めは果たせたね。一族の先も、次代の彼らにお任せだ」
 楓の言葉にうなずいた仙火は、あらためて妻の姿を眺めやる。
 息子ばかりでなく、一族の先についてもすべての段取りをつけた楓。
 より強かに、よりしなやかに円熟した彼女は、今なお美しかった。――そう、今なおだ。まるで様も中身も変わらぬままの自分とは違う。
 俺はこうやって、楓に置いて行かれるんだな。
 いや、そうじゃねえ。
 俺が楓に、置いて行かせちまってるんだ。
 わかっていた。天使の血を引く自分が、普通人である楓と共に老いてはゆけぬことは。
 子が幼かった頃、ふとしたことで楓に飛んでいくなと言ってしまったことがあった。そのときには靄めくばかりだった恐怖が確かな形を得た今、考えずにはいられない。
 俺は楓をちゃんと見送るんだって、それが俺の責任なんだって、心を据えてきたつもりだったんだ。でも、いっしょにいる毎日が当たり前になって、失くしちまうのが怖くなっちまって……。
 たまらない寂寥が胸を突き、仙火を暗く曇らせる。
 楓はその頬に指を伸べ、やさしく撫でてやりながら言った。
「大丈夫だよ。大丈夫。大丈夫」
 それは忘れがたい思い出。高熱を出した弟が死んでしまうのではないかと不安に駆られた幼い楓へ仙火が贈った、なんの力も持たない、ただただ心を尽くした言葉。
 今こそ私は仙火へ返す。ずっと大事に預かってきたこの言葉を。

 それを物影から見守っていたさくらは、仙火と同じく幾十の年月を経てまるで様相の変わらぬ面を伏せ、静かに息をついた。
 楓。あなたは私と仙火の心です。それを喪った後、心なき技と心なき技とはどうすればいいのでしょう?


 さらに時は過ぎ、不知火は代替わりを経てその有り様を大きく変えた。
 その奔流をやわらかく御し、ゆるやかに先へと送った“不知火菩薩”だったが。人としてもけして長くはない天寿の火を燃やし尽くし、彼の岸へ旅立とうとしている。
「せめてもの幸いだね。老いさらばえた姿を仙火へ焼きつけるより前に逝けることは」
 あのときよりわずかに見かけを老いさせた仙火は、細った楓の指に己が指を絡め、額へ寄せる。
「楓が妖怪みてえな因業婆に成り果てたって、俺はぜんぜん気にしねえよ」
 だからもっともっと、もう少しだけでもいい、生きてくれ。言えずに消えた言の葉が胸へ押し詰まる。
「安心したよ」
 弱々しく喉を鳴らした楓は、仙火に少し外してくれるよう頼み、寝室の端に座していたさくらを呼んだ。
「今度こそ、さくらに私の全部を託す。……全部と言っても、心ひとつきりなんだけどね」
 さくらは小さく、次いで大きくかぶりを振った。
「私はまだなにも、据わっていません。あなたの心を託されようにも、私は私の心すら見いだせてはいないのに」
 かくて彼女は語る。
 楓へ仙火の父との宿縁を預けるにあたり、さくらは秘密裏に彼の元を訪れたのだと。彼に受けてくれるよう念押しをするがためにだ。
 結果、彼はあっさりと了承し、理由を問うたさくらへ答えた。
 仙火は技なき体、楓は体なき心。しかしふたりが互いを遣い、己を遣うことで心技体を全うできるやもしれん。胸が躍るだろう?
『では、楓でなく私ならば』
 浅ましさを自覚しつつもたまらず訊いてしまった彼女へ、彼は静かに目を向けて。
「私は心なき技。無心の技がいくらはしったとて、どこへ届くこともない。仙火と組もうと、有心ならねば技も体も、ただただ空(から)に過ぎぬのだから」
 空のさくらに剣を交わす価値はない。突きつけられた後、彼女は今まで以上に励んだ。彼の言は、いわば宿題なのだと思い定めて。
「しかし、有心の答は見つかりませんでした。鍛錬の日々のどこにも、後に果たした彼との再戦でも、それどころか今に至ってなお。だというのに私は、あなたという心を喪おうとしていて――」
 この期に及んでこのようなことを言う自分に、楓は失望するだろう。さくらは青ざめた面を緊張で引き絞り、せめて楓の憤りを受け止めようと力を込めたが。
「大丈夫」
 え?
「さくらは大丈夫」
 伸べられた指……命の熱を損なった冷たい指がさくらの膝へ触れ。その心からあふれ出る限りないぬくもりを注ぎ込む。
 楓にとって、大丈夫という言葉がどれほどの重さを持つものかは知っている。だからこそさくらはとまどうよりなくて。
「でも、私は」
「すぐに気づくよ」
 楓は笑み、枕に乗せた頭を小さくうなずかせるのだ。
 なにをと問うこともできぬまま、さくらはただ楓の手に手を重ね、惑い続けた。


「今日は最高の天気だぜ」
 器用に櫂を繰り、舟をゆるゆると川の流れに乗せる仙火。
 両岸には藤の紫花が咲きこぼれ、やわらかな春の日ざしを受けて美しく輝いていた。
「藤は父君と深い縁を持つ花でしたね。きっと、待ってくださっていたのでしょう」
 そしてさくらは、舟に横たわっていた楓の体を支え、起こしてやった。
 気持ちはすでに据えてきた。今日という、本当に特別な日を穢さぬように。それはさくらばかりでなく、仙火も同じであろう。
「うん。本当に、いい日だ」
 果たして楓は半ば閉ざした目を悠々と巡らせ、細い声音で言う。
 もう、首をもたげる力も残されてはいない。目も霞み、ほとんど見えてはおらぬのだろうが、それでも。いつか仙火に贈られた青楓と紅葉を散らした訪問着をまとう彼女は感じている。
 藤、日、水、風、そしてさくらの手と、逆から添えられた仙火の手を。
「ああ」
 静かに息をついて、彼女はかけがえないふたりのぬくもりを味わった。
「名残は尽きないけど、そろそろ行くよ」
 応える声はない。ただ、手へ込められた想いにさらなる想いが重ねられて――楓は笑むのだ。私をこんなに想ってくれて、ありがとう。
 不思議なほど恐れはなかった。向こうの岸から伸べられる手が、見えぬ目に見えていたから。
 こうして人は、渡っていくんだね。送った人に迎えられて、送られる人を迎えて、その先へ。
「大丈夫。ほんの少しの別れだよ。だから、大丈夫」
 仙火とさくらへ歌うようにうそぶき、楓は目を閉じた。

「俺はちゃんと、楓を送れたか? って、迎えに来てもらうまで答合わせもできねえか」
 楓を抱えたまま、仙火は直ぐに前を向いて問うた。
 胸の内に空いた風穴は、心と同じ形をしているようで……空虚であるはずなのに、とりとめなく万感があふれ出ては押し詰まる。
 仙火と共に楓を支えるさくらは、うららかな春の気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ええ、気づきましたよ」
 楓。あなたという心を喪い、空(から)になって、やっと。
 心あればこそ、私はそれを失くして空になった。
 だからこそ私は私の空に、あなたが託してくれた心を納めます。
「仙火。行きましょう。そして精いっぱい、生きましょう」


 当主を正式に辞し、意見役という名ばかりの籍を不知火へ残すこととなった仙火は、剣術道場の脇に小さな庵を建て、移り住んだ。
 家事にはそれなりの覚えがあるし、毎日のように押しかけてくる連中もいるので、独り暮らしに不自由はない。なかなかに落ち着く暇がないことを除けば、だが。
 と。
「仙火、支度はできていますか」
 迎えに来たのは、門客の立場を降りてただの道場師範となったさくらだ。ちなみに彼女もまた“連中”のひとりだったりするのだが、さておいて。
「入門を希望する子らが集まっていますよ」
 楓の拓いた先を行く、不知火の子らが。
 仙火はうなずき、すでに身へ着けていた道着の衿元を正した。
「じゃ、今日も行くか」
「ええ、存分に」
 楓に託された心を、空いた胸に半分ずつ分かち合ったふたりは、歩を揃えて進み行く。


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2021年03月17日

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