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『金丁』
不知火 仙火la2785)&日暮 さくらla2809

「仙火、支度はできていますか」
 いつものごとくに日暮 さくら(la2809)が庵へ踏み入り、いつもと同じ台詞を口にする。
「おう」
 庵の主である不知火 仙火(la2785)はひと言応え、姿を現わした。
 彼がまとうのは、丈夫さに定評のある会津木綿で仕立てられた袷。鳩羽鼠と呼ばれる灰紫に染められた生地が仙火の白銀の髪を際立たせている。それをゆるりと着流す様、なんとも粋で艶やかだ。
「袴までつけろとは言いませんけれど、せめて羽織を合わせなさい。あなたが目ざしているのは歳相応の有り様なのでしょう?」
 ため息をついてみせたさくらの装いは、多彩な色合いが魅力の遠州綿紬のひとつ、縦糸に黒茶を用いて横糸の色を浮き彫る無地紬の付下げだ。その横糸を藍の一色である淡い青、薄花桜とすることで滋味の深さを織り成していて――さくらの凜然によく映えていた。
 互いに和装をつけるようになったのは、仙火の父母から受けた影響ばかりのものではない。長命故に変わらぬ様を少しでも落ち着かせて見せるがためなのである。
「いいな。どっから見ても完璧なサムライレディだぜ」
「気のない褒め言葉は結構です」
 仙火の言葉をばっさり切り捨てておいて、さくらは彼を追い立てた。
「とにもかくにも急ぎなさい。今日という時は有限で、なにより特別なものなのですから」
「わかってるって」
 苦笑いをこぼし、仙火は庵のブレーカーを落として火の元を確認。最後になにやら書きつけた紙を茶卓へ置いて、待ちわびていたさくらへ合流した。


 藤の花に彩られた岸辺を、仙火はゆるゆると歩く。
 あれほど急いていたはずのさくらも彼の左隣で歩を合わせ、同じようによく晴れた春の日を噛み締めていて。
「今日も最高の天気だぜ」
 仙火はあの日口にした言葉を今日という日へ映し、うそぶいた。
「彼女を迎えた藤に送られて、私たちは行くのですね」
 あの日送った仙火の妻――かけがえない友を想い、さくらはうなずいた。

 今日、ふたりは不知火を後にする。
 移りゆく時代と不知火の内、ふたりは頼りとなるよりも障りとなりつつあった。それはそうだ。次代、次々代、次々々代……先の先まで生き続けて不知火を左右し続ける存在など、呪い以外の何者でもあるまい。
 だからふたりは不知火で過ごす中、それぞれに身辺を整理して準備を進め、信頼できる者たちへ諸々の仕末を頼んで――実際は置き手紙で押しつけて――きたというわけだ。

「母さんが父さんと旅に出たのも、こういうことだったんだろうな」
 仙火の父は天使。寿命は半ば人である仙火をも遙かに凌ぐ。しかも無双の剣士でもあった彼は一族内でも相当な支持を得ており、障りの度合いもまた仙火とは比較にならぬほど高かったはずだ。
 だからこそ母は自分の体が十分な健康を保っている内に仙火へ当主の座を託し、一族を離れたのだろう。
 げんなり息をついた仙火へ、さくらは傾げた笑みを向けて言葉を投げた。
「胸を張りなさい。成すべきを為した上で、私たちは踏み出して行くのですから」
「出て行くんじゃなくて、踏み出して行くか」
 さくらはこの数十年で大きく変わった。やわらかくなったというか、丸くなったというか、前向きになったというか。
 積極的に人と関わり、全力で受け容れて全力で対し、全力で護る。
 彼女に面倒を見られた者は、かつて打ち据えられた尻の痛みを噛み締めつつ「鬼」と呼んだものだが、深い親しみが含められていることは明白で。
 ならば仙火はどうかと問われれば、それはもう停滞していると答えるよりない。
 体が老い、十全を損ないゆくからこそ人は、己が内と向き合い心を磨き、円熟へと向かうものだ。しかし怖ろしく歩みの遅い仙火の老いは、彼をいつまでも円熟させることはなくて。
 いや、老けねえからじゃねえのか。俺が熟さねえのは、無心だからだ。
 かつて妻とさくらとが、父から語られたという「有心」。
 剣士の十全を表わす“心技体”。仙火は体、さくらは技、妻は心をそれぞれに担い、互いを支え合って生きたのだが……彼の岸へ渡る際、妻は己が心をさくらへと託した。心を失くしてしまったのは仙火も同様であるはずなのに。
 なんでそうしたのかがわからねえのは、結局俺が未熟だからってことだろうけどよ。
 思いに沈む仙火へふと、さくらが指を伸べて頬をつついた。
「あちらの岸から見送ってくれているでしょう彼女に、あなたが笑顔を返してあげずにどうするのですか」
 ――あの日からずっと、仙火はこうしてさくらに背を押され、手を引かれてきた。彼女がいなければ剣術道場の師範をして誰かと関わることも潮時を見て旅立つこともなく、ただ無為に座り込み、生き続けるばかりだったのだろう。
「剣の相方ってだけで、さくらにゃ面倒ばっかかけてんな。弟と妹、故郷の世界で元気にやってんだろ? やっと不知火と縁切れたんだし、今度こそ俺置いて帰らねえのか?」
 世界を渡り来た放浪者の帰還。SALF主導で進められてきたその事業は、放浪者たちの郷里の側が独自に進めていた“消失者”帰還事業の助けを借りる形で実現し、今は各世界へ渡る門が常設されるに至っていた。
 その中で、さくらもまた家族との再会を果たしたのだが。彼女は故郷へ留まることなくこちらへ帰り来て、仙火のとなりに在り続けた。
『あなたと私は剣の相方ですので』
 そういうことか、と思う。
 なんでそうなるんだよ、とも思う。
 思いながらもさくらがとなりにいてくれることは心強くて、だから彼は疑問を口にすることなく、頼りきってきたのだった。

 と。さくらが足を止め、対岸へ向いた。
「仙火、憶えていますか?」
 忘れるはずがない。この場所こそは、妻が彼の岸へ渡った対岸なのだから。
「あいつはおまえに心を託して逝った。俺にはなんにも置いてかなかったくせによ」
 拗ねてしまう自分がまた不本意で、仙火は口の端を歪めて目を逸らす。
 その冷えた両頬が固い指――剣を握り続けてきたからこその剣士の指で挟み込まれ、無理矢理に前を向けさせられた。
「つつくだけでは足りないようですから、手を加えました。さて、ずっと抑えておきましょうか?」
 自分が子どもじみた振る舞いをしていることは承知していた。だから「わかったから勘弁してくれよ」、ため息を交えて告げる。
 あらためて向き合って、さくらは言葉を継いだ。
「これから大事なことを語ります。あなたと彼女に。ですので」
 さくらが跳び退き、仙火と数メートルの間合を空ける。裾を一切崩すことなく。その足を繰らぬ足捌きは、さくらが修練を重ねた末に得た尋常超えし技である。
「いざ尋常に勝負」
 なにが起きているものか飲み込めず、うろたえる仙火。
「いやちょっと待てって」
 背から抜き出した守護刀「寥」を抜き、手本のような正眼構えで据えたさくらは、そんな彼をまた促した。
「勝負にいやもちょっともありませんよ」
「だから! なんでいきなり立ち合うことになるんだよ」
 眉をひそめながらも左に佩いた寥を引き抜き、斜に崩した正眼で対する仙火。結局のところ、答を聞くまでもなくわかっていたからだ。
 問いも答も刃で語るが剣士の流儀。
 不知火と日暮は、互いにそうして問い、答えてきた。故に仙火とさくらもまた、刃で語り合うのだ。


 構えたまま、ふたりはじりとも動かない。
 いや、動いているのだ。さくらは目線、呼吸、気配を駆使した虚(フェイント)を重ね、仙火はすべての虚に対して息を合わせて。
 さくらの剣は、極限まで研ぎ清ませた一条で敵を討つ、一刀必殺の清剣。
 しかし彼女は、清ます中に超人的な迅さによる体捌きを重ね併せ、変幻自在の虚実を成せるまでの域に達していた。
 宿縁の敵は天衣無縫と呼ばれたものだが、今の彼女に値する言葉を無理矢理探すなら清流に散る桜花となろう。突き込まれた手をするりとかいくぐっては知らぬ内に撫ぜてゆく薄紅。
 対する仙火の剣は、虚実を織り交ぜた手数で敵を圧倒し、その内に隠した一条へと繋ぐ濁剣である。
 その彼が不動を保つのは、手数という濁りを自らの内へ押し詰め、挙動の無駄を極限まで削いでいればこそだった。
 この剣の有り様を例えるならば、押しとどめられた泥水となろうか。静やかに堰切られるときを待ち、いざ放たれれば鉄砲水さながら敵へと迫り、ひと息に押し潰す濁り水。
 果たして、先(せん)を取ったさくらが仙火へ押し迫った。
 掌を舞わせて剣閃を隠し、剣閃に隠して身を捌き、捌きに隠して一条を打つ。
 仙火が反応したのは、一条にのみである。
 濁りという虚と向き合ってきた彼にとって、虚が虚であることを読むのは容易いことだ。たとえさくらの虚がいつなりと実へ成り仰せるものだとしても、タイムラグの寸毫を見過ごしはしない。
 清と濁とを突き詰めた末、互いの剣の在りようが逆を成したは奇しきことだが、ともあれ。
「私の技が見えていますか、仙火」
 一条を肩で押し止めた仙火へさくらが問い、
「全部じゃねえけどな」
 押し止められたはずの剣を再び舞わせたさくらへ仙火が応える。
「って、刃で語るんじゃねえのか」
 今度は外されぬよう全力で、さくらの寥の鍔元を鍔元で押し込む仙火。
「言わなければ伝わらないが日暮の家訓です」
 自らを横回転、囚われた刃を引き抜いて取り戻したさくらは、真っ向から振り上げた寥をまっすぐに斬り下ろした。
 ぎぢっ。再び彼女の鍔元と仙火の鍔元が打ち合い、どちらもが弾けることなく互いを押し合って、拮抗。
「私の技に、心は有りますか」
 仙火はさくらの剣の重みに耐えながら、考える。
 超越した技であることはもちろんわかっていた。しかし、心の有無はどうだ? そも、自分の濁りはひとつの完成を見たものと思っているが、あの日に妻という心を失くして空(から)になった自分の剣は、
「俺の剣は、さくらの剣と同じだけの重さ――心を持ち合わせてるのか」
 言わなければ伝わらないは、不知火の家訓でもある。それに甘えて問うてしまったことが正しいものとは思えなかったが、それでも問わずにいられなかった。
「体でこれほど劣る私に打ち込まれ、押されているあなたの剣は、無心だからこそ軽い」
 突きつけておいて、さくらは花のように笑んだ。
「彼女から託された心をもって、空(から)を塞ぎましょう。これから先、長い時を共に渡っていく剣の相方――私がただひとり愛した仙火の」
 返すべき言葉は、思いつかなかった。
 仙火は小娘のように体を強ばらせ、すべての動きを止める。
 さくらが俺を……だって!? いや、そんな話がなかったわけじゃねえけど、でもよ、だってよ、今さらよ。
 動揺する仙火から目線を外し、対岸にある彼の岸へ向けたさくらは、直ぐに告げた。
「自分の心と仙火とを託したい。そう私に言ったあなたへ、私は今こそ誓いましょう。あなたの心を分かち合い、仙火とふたりでこの先へ行きます。もちろん、あなたと再会したからといって素直に返しはしませんよ。次の世へ渡るとき、果たしてどちらが仙火と共連れて行くものか」
 尋常に勝負です。
 仙火は痺れた胸へ必死で息を送り込む。いや、確かに俺はさくらといっしょに行くんだけどよ。って、約束してねえよな? なのに俺は、当たり前にそう思ってた!

 つまり俺は、そういうことかよ。

 思い至ってしまえばもう、観念するよりなかった。
「愛してくれずともかまいません。時間の問題でしょうし、そもそも時間だけはたっぷりとあるのですから」
 刃を越えて舞い込んださくらの唇が仙火の唇へ触れる。
 ああ、こいつは金丁だ。
 金丁とは互いの剣の鍔を打ち鳴らす約束の有り様を指す。それで言えば、先の鍔迫り合いでそれは成されているのだが……などと屁理屈を捏ねたくなる気持ちを抑え、仙火は応えた。
「後のことはともかく、いっしょに行くのはまず剣の道だな。父さんに再戦申し込みに行こうぜ。すっかり行方不明だけどよ」
「噂を辿ればすぐに見つかるでしょう。あれだけの剣士が隠遁しきれるはずもありませんからね」
 ふたりはうなずき合って剣を納め、示し合わせたように彼の岸へ向き直って。
「行ってくるぜ」
「行ってきます」
 かくて踵を返し、此の岸を進み行く。
 ふわりと吹き寄せた春風――かすかに匂い立つ青楓の香を背に受けて、確かな足取りで一歩ずつ、一歩ずつ、一歩ずつ。


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2021年03月19日

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