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『なにもなかったとは言わせません』
狭間 久志la0848)&日暮 さくらla2809

「俺は、どこに行けばいい?」
 すべてを失った狭間 久志(la0848)が、どうしようもなく漏らしてしまった疑問。当然、応える者などあろうはずがない。そのはずだったのだ。
 ふと上げた目線が捉えたものは、ゆっくりと押し開けられつつある“門”。
 これ、世界と世界繋ぐあれだよな? 決まったポイントにしか開けらんねぇんじゃなかったっけか?
 久志がぼんやり思う間にも門は開き続け、ついに観音開きを達成して。その奥に仁王立つひとりの女を露わしたのだ。
「さて。訊きたいことは山ほどありますけれど、その前に済ませておくべきことがあります」
 開門と同じほどゆっくりと彼女は踏み出し、久志の50センチ前で止まって。
「まずは選びなさい、狭間 久志。恋人に殴られるか、友人にあきれられるか」
 同じ小隊の同僚であり、それよりもなによりも恋人である日暮 さくら(la2809)は胸の前で組んだ両腕に鬼気と剛力とを滾らせて促した。
 彼女に突きつけられたものはつまり、さくらと恋人でいたいのか友人に戻りたいかの二択。
 そんなの決まってんだろ。俺の勝手で置いて来ちまったさくらに合わせる顔なんてねぇよ。なんでおまえがここにいるのかわかんねぇけど、俺なんか棄ててけ。いろいろとその、お手つき? しちまったけどさ。ほんとにおまえのこと大事にして守りてぇって男、いくらでもいるし。
 肚決めようぜ、俺。
 さくらにすがりついていい資格なんざ、俺にゃカケラもねぇんだから。
 自分と向き合い、言い聞かせた久志は息を吸い込み、全力の覚悟をもって答える。
「俺に殴ってもらうしか」
“く”の形に整えた唇が歪み、ひしゃげた顔ごと右へ吹っ飛んだ。
「――危ないところでした。あとひと文字言わせていたら、殴れなくなるところでしたね」
 たった今久志の左頬を張り飛ばした右掌をひらつかせ、大きく息をつくさくら。
「それ、事実上の一択じゃね?」
 平手で打たれた頬はかなり深刻に腫れる。せめて拳で来てほしかった……と思う久志だったが、体術を極めたさくらに拳で殴られたら、頬が腫れない代わり奥歯が全部へし折れかねない。
 結局、さくらはこんな俺のこと想ってくれてんだな。痛みより申し訳なさに顔を顰め、久志は先に封じられた言葉をあらためて紡ぐ。
「殴ってもらう資格なんかねぇんだよ、俺は」
「その資格とやらは誰が認可するのですか? 久志ですか? ちがいますよね?」
 ぐっと詰まった久志の胸の真ん中へ人差し指を突き立てて、さくらは傾げた面を逸らして彼を睨み下ろした。
 そして。
「私です」


 路地裏の喫茶店へ久志を引きずり込んださくらは、席へつくなりコールドコーヒーを注文し、一気に半ばを飲み下した。
「久志はあの世界で私と共に生きるつもりでいたものと思っていましたのにという恨み言は置いておいて説明してください。姿を消すならなにも言わずに行くだろうことは承知していますがその上で故郷へひとりで帰りたかった理由を私が正しく理解できるよう端的に」
 息継ぎすらせず綴りきったさくらに久志は戦く。
 さくら、超怒ってんじゃねぇか! 肩ロースとまちがってバラ肉買ってきちまったときだってここまで怒らなかったのに……
 つまり今の今まで、これほど真っ向から怒られたことはなかったということだ。
 だとすれば、それほどまでに怒らせるだけのことを、自分がやらかしたわけで。
 あらためて胸が詰まる。
 ジャンピングでもスライディングでも五体投地でもいい、今すぐ土下座を決めて赦しを乞いたくなるところだが。その資格すら今の自分には与えられていない。
 だから、語るよりなかったのだ。故郷への帰還、その理由と心情を、プライドも体裁も全部放り出して剥き出し、できる限り端的に。

「事情は理解しました。その上でお訊きします」
 からからに乾いた喉へ無理矢理コールドコーヒーを流し入れて湿し、久志は「ああ」とだけ応えた。こうなれば、なにを問われようとできうる限り誠実な返答を――
「久志にとって私は、春の一時に愛でるばかりで足る桜花に過ぎなかったのですか?」
 叙情的表現! さすがに意味を計りかね、久志は疑問符を飛ばしてさくらへ訊き直す。
「悪い。意味わかんねぇからもうちょい端的に言ってくれ」
 は? さくらの面が撓む。朱を越えた黒赤に頬を滾らせ、背筋が反れる勢いで伸ばされて……え、え、俺なんか地雷踏んだ!?
 無理矢理表現するなら阿修羅の怒り面と化したさくらの面が細かに震え、果たして。
「私は久志にとって都合のいい現地妻に過ぎなかったのですかと訊いているのですっ!!」
 他の客がいなくてよかったと安堵しつつ、久志はさくらへ言葉を返した。
「そんなわけあるかよ。心底好きだったし、今も好きだ。それだけはほんとの本気だから」
 ったく、こんなこと言っていい資格だってねぇのに。
 久志は口から出ていってしまった言葉を巻き取る術を探り、そんなものがあるはずもないことを思い知る。やらかしたことも言っちまったことも、取り消したりできねぇ。当たり前のことだってのにな。
 後悔を噛み締める久志の向かい、とりあえずの平静を取り戻したさくらは空咳をひとつ鳴らして言葉を継いだ。
「この世界は今のあなたにとって、どのような場所なのです?」
「“僕”を見ちまうまでは故郷だって、思ってたんだけどなぁ」
 俺を一人称とする久志は、僕を一人称とするこの世界の久志のコピーだ。理由や過程はわからないが、本体から写し取られた久志は実体をもって異世界――ナイトメアの侵略を受ける世界へ流れ着き、悪夢祓う戦士として刃を取った。
「俺に故郷なんてもんはねぇんだよな。あいまいな記憶は模写されただけのもんで、ナイトメアとやり合ってた3年ちょいだけが俺の人生ってわけだ」
 寂寥が先に潤したはずの喉をまた乾かして、声音を乾かした。
「僕が見た夢の産物でしかねぇ俺は、ナイトメアみてぇなもんだ。でも俺はライセンサーみてぇに俺を祓ってくれる相手がいなくてさ。醒めねぇ悪夢なんて、マジで洒落になんねぇよ」
 苦笑いをカラカラとこぼす久志。
 いっそさくらが俺を祓ってくれたらいい。あ、撃たれるよりは斬られるほうがいいな。俺も一応は剣士だし、さくらの剣でなら成仏できそうな気、するし。
 そんな思いを差し向けてみた久志へ、さくらは据わった目で静かに告げる。
「なら、私が為すべきことはひとつですね。悪夢を祓う――ライセンサーとしてではなく、日暮 さくらとして」
 ああ、俺の願いは正しく伝わっちまったか。久志はうなずき、立ち上がった。己という悪夢をさくらの剣で祓わせるがために。


 人の姿も気配もまるでない河川敷の片隅で、久志とさくらは向き合った。
「構えなさい」
 言われるまま、久志は快速刀「隼」を抜き放つ。真剣で立ち合うことはすなわち、命をやりとりすること。彼にさくらの命を取る気がない以上、これは命を渡してやるための儀式に過ぎないのだが、それでもだ。
 様式美は大事だよな。
 さくらもまた守護刀「寥」を抜き、八相に掲げて立つ。
 そして久志が正眼に構えた瞬間、鋭く踏み込み、剣を振り下ろした。おそろしくゆるやかにだ。
 斬られるつもりでいた久志はとまどい、どうすればいいのかわからぬまま固まるばかりだったが。
 眉間の数ミリ上で止められた刃を見上げ、訊いてしまった。
「なんだよ、これ」
「あなたにそれを訊いていい資格はありません」
 にべもなく言い切ったさくらは、続けて同じゆるやかさで剣を薙ぎ、久志の首筋に触れる寸前でまた刃を止める。
「訊きましょうか。この世界は今のあなたにとってまだ故郷ですか?」
「さっき言ったとおりだよ。故郷なんかじゃなかった」
 ゆるやかに斬り上げて久志の横腹の寸前で止め、さくらがまた問うた。
「なら、この世界に愛着はありますか?」
「それも“僕”のもんで、俺のじゃねぇ」
 それを聞いたさくらは久志の隼の切っ先へ寥の切っ先を合わせ、
「あくまでもついでにお訊きするだけのことですけれど。この世界におられる奥方に愛着ないし未練はありますか?」
 久志は反射的に目蓋の裏へ“妻”の笑顔を写し……って、あいつ、どんな顔してた? なんだよこれ、思い出せねぇ。
 そりゃそうか。僕だってそこまで俺にくれやしねぇよな。俺は僕じゃねぇ、ただの他人なんだからよ。
 そう思ってみれば、驚くほどあっさりと妻への執着は消え失せた。彼の人生は3年余りに過ぎず、その中で出逢った愛すべき人は、妻と思い込んでいた女ではないのだから。
「未練なんざねぇよ。俺が初めて惚れた女はさくらなんだ」
 言った途端、自分の中でなにかが据わった。
 なんで俺はこんなことにも気づけなかったんだよ。そっか、そうだ。僕じゃねぇ俺は、あの悪夢みてぇな故郷でさくらと逢って――
「では。あなたに命じます」

 久志の寂寥と哀惜を、さくらは理解している。と、少なくとも思っている。
 自分は研ぎ澄ませた刃だった。鋭く、迅く、しかし容易く欠けて折れ砕ける、誰の頼りになるはずもないか弱いばかりの代物。
 しかし、人並を遙かに超えて繊細なくせに図太くて、斜に構えてため息をつきながらも誰かのためなら迷わず死地へ飛び込んでいく久志と出逢って、“鈍る”ことの意義を知った。
 なまくらな刃は斬れ味こそ鈍くとも強かで、だからこそ損なうことなく振るわれ続ける――誰かを救い続けることができるのだと。
 張り詰めてばかりだったさくらは自らを緩め、結果、すぐに損なわれることのない、誰かを護る刃であり続けることを成した。
 そして。そうでなければ久志を愛し続けることもできなかっただろう。思ってみれば不思議な話だ。彼を愛したからこそ彼女は自らの志を成し、志を成した結果、彼という目に余るほど欠けた久志を愛し続けることとなったのだから。
 でも、そんなことはどうでもいいことですね。大切なのは――

「いらないものは今ここで、すべて棄てなさい」
 隼を切っ先で巻き上げて吹っ飛ばし、さくらは自らも寥を放して一歩、踏み込んだ。
「いらないものもなにも、な」
 額と額を突き合わせて久志の“んにもねぇ”を遮り、ささやきかける。
「いい加減気づきなさい。あなたにあるのは私だけ」
 そのまま唇に唇を合わせて彼の次の言葉を封じ、一歩離れて。
「私にとって大切なのは、私の前に現われた後のあなただけ。その前のあなたが存在しないというなら幸いです。すなわち、私と歩んだ時間だけがあなたのすべてなのですから。そして、だからこそです」
 さくらは直ぐに手を伸べる。
「今後一切、あなたになにもなかったとは言わせません」
 久志はその手を呆然と眺めやり、思った。
 俺に昔はねぇ。あるのは今と、この先だけだ。さくらといっしょにいる、今と先。
「……なんだろうな。なんか、そういうことなんだなぁって気、してきた」
 うまく言葉が見つからなくて、とんでもなく情けない有様を晒している。しかたねぇだろ。俺が俺になってまだ3年ちょいだぜ? いろいろ仕上がってなくてあいまいなのはよ。
 あいまいな自分の中で確かなものはただひとつきり。
「どうやってあやまったらいいかわかんねぇけど、ごめん。俺のこと頼むわ」
 さくらに手を預けた途端、それは強く握り締められて――痛くて、痛くて、痛くて、でも彼女の力強さが頼もしくて、預けてしまった。
「かかりましたね? これであなたはもう、私だけを頼りに生きるしかありませんよ!」
 悪役が罠に嵌めてやったような表情で久志へ言ったさくらはふと表情を消して。
「それはそれとしてです。私に対するあなたの信頼は地に墜ちました。命懸けで回復していただけましたら幸いです」
「それさくらの気持ち次第じゃねぇか。一生かかるやつだろ」
 さすがに顔を顰める久志へ、さくらはびしりと言の葉を叩きつけた。
「不服を述べる資格があなたにありますか?」
「……ないですすみませんごめんなさい」
 さくらが久志の手を引いた。離れないように、進む道を違えぬように、痛いほどの力を込めて。
「では、帰りましょう。私たちの生きる世界――私たちの故郷へ」
 この先、どうなるものかはわからない。だが、どうなろうとも“俺”として与えられた命が尽きるまで生き抜いてみよう。
 さくらに導かれるまま、さくらと共に最期の最後まで。


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2021年03月22日

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