『幸いと幸い』

LUCK（la3613）＆アルマ（la3522）

「それじゃーわすれものは――おからだはわすれようないですから、こころのごじゅんびとかよろしいです？」
　全長80センチの“謎生物”ことアルマ(la3522)は、無骨なばかりの作業台に横たわるLUCK(la3613)へ声をかけた。
「それは数日前に終えてある。まあ、俺と俺を分ける作業の理屈がわからんだけに、とにかく覚悟したというだけのことではあるんだが」
　まったくの本音なのだが、不思議ななつかしさが彼を落ち着かせている。再び混濁を深めつつある記憶はもちろん、はっきりとした像を結んでくれることはなかったが、かつて同じように送られたような気がするのだ。
「だからいつでも始めてくれ」
　促しながら、LUCKは用意してきた言葉を足す。
「本当に感謝している。故郷でも、この世界でも、おまえがいてくれたからこそ俺は俺を尽くして俺であることを全うできた」
　こちらの世界へ来たばかりの頃には寡黙だったLUCKだが、今はよく話すようになっていた。
　理由はシンプルで、連動を為そうと思えば当然、自分の意思を味方へ伝える必要があったし、小隊の長となった後には。隊員を生かすため、さらに言葉を尽くす必要があったというだけのこと。
　だからといって、まさか俺がこんなことを言うとはな。息を整えて、自分の胸の上に香箱座りを決めたアルマへ語りかけた。
「そして感謝だけでなく、情をもって頼みたい。次もまた共に居てくれ、アル」
　アル――LUCKがLUCKとなる以前、弟を呼んでいた愛称。
　聞いた瞬間にアルマはLUCKから這い降り、よちよち駆け回ってくるくるうろうろ、まさに犬さながらに自分を落ち着かせてからまた義体の胸へよじ登って。
「わん。そのうち、たぶんすぐ、おいかけますですー。いろんなしょり、してからです？」
　兄にアルと呼んでもらえた。ただそれだけのことに、どれほどの万感があったものだろうか。しかしアルマはすべてを胸の内に抑え込むのだ。わずかな失敗もなくLUCKを先へと送るために。
「心強い」
　すべてを察しながらも、ただ指先でアルマの喉をくすぐってやって。LUCKは視線を自分の体へと落とす。
「残る俺のほうも、なんとかうまく支えてやってくれ」
「わふん」
　ひと言応えたアルマはあらためてLUCKから降り、その義体の内に収まる生身の中枢神経系……LUCKがLUCKとなる以前の彼と繋がるコードに不具合がないかを確かめた。
「ぶんりしたら、かたほうのラクニィをそのままいせかいへうちだします。あとのことはきっとだいじょーぶかと」
「ああ、そうだな。黄金の標が、俺を」
　導く。言の葉は音にならぬまま唇の先で消え、LUCKは眠りに落ちた。薬品よりも安全に、より深く眠らせる電気式麻酔の効力で。
「わんわん。ラクニィのぜんバイタル、よてーどーりにあんてーしたです。では、はじめますですけどよーいどーです？」

「いつなりと」
　どこから現われたものか。横たわるLUCKを挟んでアルマの向かいに立つイシュキミリ(lz0104)がうなずく。
　アルマはこの工房にイシュキミリが訪れていることを確信していた。
　約束したわけではないが、LUCKの内に張られた金の神経糸を扱える者が彼女以外にない以上、無視するはずはない。それ以前に縁を……それ以上の情を結んだLUCKを放っておける女ではないことを、アルマは世界で二番目に深く理解してればこそ。
　いちばんめはもちろんラクニィですけどね。
　かくてアルマは、謎生物からシニカルで麗しい青年へ変身を遂げる。
「謎生物のまま分裂する手もあるんですけど、こちらの様のほうが思考しやすいので」
　機器を繰り、アルマはLUCKの脇に据えられていた“箱”の封を解いた。果たして迫り出し、義体の横へ並べられたものは――
「わう。イシュキミリさん、お手数おかけしますが血管のほうを」
「是」
　それの血管に詰められた保存用シリコン化合物が、石使いたるイシュキミリの術でゆっくりと抜き取られ、アルマはそれに合わせて培養血液を注入していく。
「拒否反応認められず。電気ショックを強度１・リズム３で継続。神経保護用の“キャップ”は」
「“あれ”が接続しやるまで留め置こう」
　イシュキミリはそれに黄金の手を置き、息をついた。
「久しくまみえたものよ。弟犬に使い尽くされたものとばかり思うておったが」
　彼女が語りかけたそれは、わずかに褪せた黒髪の青年。かつてLUCKが棄てた肉体であり、“半分”に分離したアルマの、この世界における実体だった。
「わふふ。こんなこともあろうかと、大切に使わせてもらってきましたですよ」
　故郷からLUCKを送り出すときにはもう、兄が記憶を損なうことを予測していたアルマである。魂に刻まれた記憶を正しく再現するには、それを書き込み、書き出すための装置が必要で、生身のそれを機械が行うことは不可能だろうと。
　故に彼は、中枢神経系を切り離したLUCKの骸を疑似ホムンクルス化し、故郷を統べる理を騙して持ち出してきたのだ。と、説明してしまえばそれだけのことながら、それを為すため彼は持てる技術のすべてを尽くし、備えた力の多くを失う結果となった。
「わふ。義体からお兄ちゃんの中枢神経系を切り離します。タイミングはイシュキミリさんにお任せで」
　イシュキミリがLUCKの脊椎に接続されていた黄金糸を切断した瞬間。アルマは己が体に残された欠片ほどの魔王の力をもって兄の魂を断ち割った。
　失敗はしませんです。僕がかつて僕にした通りにするだけですので。
　幼子へかけるようなやさしい思念を、半分に割られて縮こまったふたつの魂へ投げかけ。生身へ中枢神経系を、義体へ生体型培養中枢神経系を接続。それぞれにそっと、魂を吹き込む。
「義体のほうは自動でイシュキミリさんの残してくださった神経糸に接続するです。生身のほうは一本ずつ繋がないとですので、その間の生命維持を」
「不要」
　イシュキミリはひと言応え、生身の内へ己が腕を溶かし込んだ。
「本来は漆を使うというが、妾は草木（そうもく）を繰る術持たぬが故な」
　アルマは生身から返ってくるデータを見やり、即座に理解する。イシュキミリはLUCKの神経を、己が黄金をもって繋ぎ固めたのだ。
「わぅー、金継ぎですね」
　金継ぎとは、欠け割れた器を漆で繋ぎ、金粉を塗って固める修繕方法。それをイシュキミリは己が黄金のみで為した。
　生身にも残してくださったですね。
　この世界で結んだ縁と、黄金の縁。二兎を同時に追いかけることを選んだLUCK。そもそも彼に人類としての幸いを望んだイシュキミリとしては、思うところも多かろう。
　それでも結局は受け容れているのだ。そうでなければ縁の標を――黄金を、彼の内へ残しはすまい。
　縁に絆（ほだ）されちゃうとこがイシュキミリさん最大の弱点ですよ。僕ならそこを狙って付け入るんですけど……お兄ちゃんはまっすぐな誠意だけで突っ込んで、ぎゅぎゅっと結んじゃったですね。
　LUCKの誠意が多分にアレなことは置いておくことにして、いろいろと納得するアルマであった。

「妾に此以上、生身を扱う手はないぞ？」
　と、感慨に沈むアルマをひと言で引っぱり上げ、イシュキミリは生身から手を引き抜いた。
「さて。三度まみえる縁あるや否やは知れぬが、妾の手向けは此にて仕舞いよ」
　すでに息づき始めた義体を撫ぜ、もうじきに息づくのだろう生身を撫ぜ、彼女が背を向けたそのとき。
「イシュキミリ……と、今は呼ぼう」
　まだ目覚めるはずのない生身が半眼を開き、頼りない手を伸べイシュキミリの手を引き止めたのだ。
「妄執が過ぎる。妾が並の人類なればそう、引いておったろうよ」
　それでも彼の手を振りほどくことなく支えてやるイシュキミリ。
　黄金への想いで奇跡を起こしてみせたLUCKだが、さすがに体を起こすことはできない。代わり、あらん限りの力を振り絞って口の端を上げて、
「俺の選択、おまえがどう思うものかは知れんが、不快に思うなら容赦するな。俺を殺せ。ただし今じゃなく、次に会った後でだ」
　かすれた声音で生真面目に言い募るLUCK。
　対してイシュキミリはため息をついてみせる。
「随分と勝手を言うものよな、仏頂面」
　言われるまでもない。俺はいつも、俺のことばかりを優先してきたんだからな。
　弁えることなく戦場を駆けて敵を討ち、控えることなく誰かを救いあげ、慮ることなく黄金を追い続け……一度空（から）になったLUCKという器を幸いで満たしてきた。
「ここまで勝手を通してきたんだ。あとひとつ足すくらいは見逃してくれ」
　もっとも、この先へ行き着けた後も勝手を止めるつもりはないんだが。
「先にも同じ台詞を囀り続ける心づもりであろうがよ」
　思考に留めた本音をあっさり言い当てられたLUCKだが、薄笑みで言葉を濁す。
　腹芸は不得手と思い込んできたが、やればできるものだな。いや、これは権謀でも術数でもなく、男と女の駆け引きだからこそか。
　かくて噛み締める。
　俺は黄金と、色恋の駆け引きをしているんだな。
　追いついて、手を取って振り向かせて……なのにまた離さなければならんことが、こんなにも寂しい。
「そのつもりだ。先が続く限り、いつまでも、どこまでも」
　想いの丈を込めて言い切れば、イシュキミリはLUCKの手を静かに、彼の傍らへと置いた。
「生身を得た途端によく囀る。幼子さながらよな」
「減らず口は本気で叩いてこそだと、おまえと過ごす中で学んできた」
　苦痛なき痺れに巻かれ、せっかく取り戻した意識が遠のいていく。もう少し、あと少しだけでいい。俺を黄金から離さないでくれ――すがりつこうとすれど、体も思考も鈍り、鈍り、鈍り、止まりゆく。
「汝は往くのであろう？　ならば今は其ばかりを思え。ああ、幸いは祈ってやらぬぞ」
　なにもかもが消えゆく中、掌に唯一残された黄金のぬくもり。
　LUCKは見えぬ目でイシュキミリを見上げ、うそぶいた。
「祈られるまでもない。幸いはすぐまた掴みに行くさ。……イシュキミリではない次のおまえと、LUCKではない次の俺。いったいどんな縁を結んで紡いでいくんだろうな」


「生体を扱う手、あったですね」
　イシュキミリがその手から電流を流し、その麻酔効果をもってLUCKを眠らせたことを指摘するアルマ。
「泣く子は寝かすに限る」
　言葉こそぞんざいながら、声音は優しく、やわらかい。
　アルマは麗しい面を満足げに笑ませ、唐突に謎生物へと戻った。
「わふふ。ぼくのおにいちゃんはとーってもしゅーねんぶかいですので、さきにごめんなさいしときますです。イシュキミリさんなら、さくっとにげられるとおもいますけど」
　対してイシュキミリは小さく肩をすくめてみせ、「小賢しきことよ」。
　かわいらしい謎生物の姿で言い、今後の兄の不審を和らげようとした思惑。そして言外に含めた「でもイシュキミリさんはにげないですよねー」という揶揄。両者への感想であることを、アルマは正しく理解した。
「わんわん。キュートにシニカルがぼくのチャームポイントですゆえ」
　悪びれずに言い返し、アルマは生身のLUCKを射出用カプセルで封じる。過去の反省点を踏まえて最低限の水と食料を同封したので、あちらですぐに困ることはないはずだ。
「なれば妾も往こう。此度は永の別れとは言うまいぞ」
「わふん、あしたじゃないですけど、またですー」
　生身を異世界への“門”へ送り出し、出力を安定させつつある義体をチェックしつつ、踵を返したイシュキミリへぴこぴこ手を振った。
　と、イシュキミリは立ち止まり、肩越しに。
「汝選びし次で、汝（な）が幸いと行き逢えんことを」
　果たしてぼぞりと砕け落ちるイシュキミリ。
　見送ったアルマは大きな目をぱちぱちしばたたき、きゅーっと頭を傾げる。
　ぼくのさいわい、です？
　と、義体が出力を一気に上昇させた。この世界に残ることを決めたもうひとりのLUCKが、今こそ目覚めようとしているのだ。
　あわてて義体へよじ登り、香箱座りで待機しながら、アルマはもう一度思う。
“ぼくのおうち”のさいわいじゃなくて、ぼくだけのさいわいってなんでしょー？


「ん。ああ、俺はもう、往ったか？」
「わんわん。おはよーございますです！　これまでのこと、せーりしてごほーこくしますと――」

パーティノベル

電気石八生

グロリアスドライヴ

2021年03月24日